闇色令嬢と白狼

犬飼春野

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第一章 婚約破棄と追放、そして再会

仲間割れ

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 木々の枝が交差して星明りも見えない森の中を七頭の馬上騎士と小さな馬車ががむしゃらに走っていた。
 先頭を走る警備隊の男は一度この領内を訪れたことがあり、魔石の灯火のみで迷いなく進む。
 いたるところに木の根が出ている悪路で、本来ならばゆっくりと走らせるべき馬車が何度も障害物に当たり、飛び上がっては無理矢理着地しており、車輪も器具も悲鳴を上げている。

「そろそろ限界じゃねえか?」

 二番目に走っている男が下卑た笑いを浮かべて馬車を振り返る。
 薄明りの中同じく馬を走らせているデイヴは手綱を握りしめ、王都での第三王子の言葉を思い出す。


『護送中の事故に見せかけて殺してしまえ』

 近衛のダニエルたちに言い放った後、デイヴの肩を叩き耳元に囁いた。

『殺す前に必ず、犯せ。もし先に殺してしまったなら死姦しろ』

 王子がなんとか辻褄を合わせようとしているのは明らかだ。

 本来ならば公爵令嬢が粗相した侍女を殺したところで対して罪にならない。
 エステルはそれが許される立場だからだ。
 修道院送りにする理由として通用するのは、王室を裏切って不貞を働いていたとするのがぎりぎりの線だ。

 托卵なら大いに罪になる。

 幼いころから完璧な淑女、エステル・ヘイヴァース。
 彼女の瑕疵は母親が卑しい女だったことだけだ。
 それさえなければ知性も振る舞いも誰もが賞賛し敬愛したことだろう。
 そんな彼女に罪を着せるにはありもしない不貞をでっちあげる以外にない。

 しかし。

「誰を……」

 そうつぶやいたところで、馬車の方から異音が聞こえた。

 車軸か車輪が割れたような不快な音。
 そして、馬の悲鳴。
 全員が振り返る間もなく、馬と馬車は横倒しになり転がった。
 土の匂いがあたりに立ち込める。

「あーあ。しまったな。馬もやられた」

 御者をしていた男は異変を感じた瞬間にうまく飛び降りたらしく無傷で、泡を吹いて痙攣する馬を残念そうにのぞき込む。

「もう一頭借りるわけにはいかねえだろう。今から事故を起こしますって言っているようなもんだし」

 最後尾の男が馬から降りて、馬車に近寄る。
 黒塗りの箱の中からは何の気配もない。

「さてと。お姫様はどんな感じかなあ?」

 場違いなほどうきうきと歌うように言いながらよじ登り、この状況でも割れていない窓の中を覗き込む。

「んー、もしかして逆立ちになっているのかな。ドレスがちょうど塞いでて見えねえや」

「どけ、俺が行く」

 デイヴも馬から降りて馬車に近寄ろうとするが、騎士二人に後ろから取り押さえられた。

「……おい。どういうつもりだ」

「あんたは最後だよ。俺たちがじっくり堪能してからだ」

「どうしてもって言うんなら、殺してからやらせてやる。王子様もそう言っていたろ?」

 げらげらと男たちは嗤う。
 ジュリアンのささやきはきっちり警備隊員たちの耳に届いていたのだ。

「お前ら……」

 ダニエルが顔色を変えて剣に手をかけると、警備隊でリーダー格のラッセンという男が後ろから羽交い絞めにして喉元に短剣を当てた。

「ああ、近衛のお坊ちゃんも動くなよ。俺たちは残念ながらあんたたちと違ってお育ちは良くないんだ。こんな機会でもない限り、上玉の女なんて抱けないからな。こんな夜中に仕事をさせられるからには手当はたんまりもらうよ」

「……ラッセン。こんなことして、ただで済むと思うか」

 ダニエルが歯を食いしばり声を絞り出すと、愉快で仕方ない様子で拘束している男は喉を鳴らした。

「思っているさ。いざとなったらあんたたちをお姫さんと一緒に谷に落として魔物の餌にすりゃいいだけの話だしな。綺麗な制服着て格式ばった試合と訓練だけしかしてねえあんたたちのへぼな体術なんか俺たちには通用しねえよ」

 周囲の隊員たちがダニエルとデイヴの帯剣ベルトを外し、離れた場所へ放り投げる。

「ちがいない。俺たちが男の尻には興味ねえことに感謝しな」

 そして手際よく持参していた縄をデイヴとダニエルの身体に巻きつけ縛り上げ地面に座らせた。

 
「お嬢ちゃんたちはゆっくりそこで観覧してな。終わったら解放してやるからよ」

 声を上げて陽気に笑いながらもう一人が馬車の上に飛び乗り、扉を二人がかりで持ち上げた瞬間、ガラスが割れ、黒い何かが飛び出した。

「ぶはっ!!」

「あ゛?」

 二人は扉を持ったまま固まる。

「おい、どうした――」

 ラッセンが声をかけるが、二人はそのまま後ろに倒れ、どさりと地面に転がり落ちた。

「は?」

 全員、何が起きたのかわからなかった。

「おい、ちょっと、なにふざけてんだよお前……」

 足元に転がってきた仲間の身体をひっくり返すと、目を見ひらいたまま動かない。

「ひっ……、し、死んでる!」

 胸元に細い何かが刺さっている。
 いや、貫通しているのだ。

「おい、こっちは生きてるが目をやられた!」

 別の隊員が叫ぶ。

「なんなんだ、どういうことだこれは!」

 御者をしていた男が慌てて馬車の中を覗き込むと、中にいるはずの罪人がいなかった。

「女が逃げた!」

 一瞬にして消えた黒い『何か』は公爵令嬢だったのだと、ようやく気付く。
 そして、またたくまに警備隊員二人を害したのも。

「なんだと! あのクソアマ……ただじゃおかねえ」

 ラッセンが歯ぎしりをして、指示を飛ばそうとしたその時。

『……アオ――――――ン、オオウ――――』
『オ――――ン、オオオ――ン』

 遠吠えが聞こえ始めた。

「なんてこった……。女は逃げるわ、狼がかぎつけるわ……」

「ラッセン、俺たちの縄を解け。今のでわかっただろう。エステル様は手ごわい。このままでは無傷でどこかに助けを求める可能性が高いし、二人の血をかぎつけた獣たちに俺たちは囲まれる」

 デイヴは判断を迫った。

「くっ……。わかった。おい、紐を解いてやれ」

 部下に命じてダニエルたちを開放させる。

 王子からの任務を遂行できなかった場合、自分たちに待っているのは地獄だ。
 なんとしても、エステルを闇に葬らねばならない。

「とにかく追うぞ。走ったところでそんなに遠くへはいけない筈だ」

 ラッセンは取り上げた武器をデイブに投げ返した。

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