闇色令嬢と白狼

犬飼春野

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第二章 公女去りて後のアシュフィールド国

エイドリアン・ヘイヴァース

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「ジュリアン」

「はい」

 名指しに第三王子ジュリアンは背筋伸ばして顎を上げ、応じる。

「そなたは王と王太子の不在のこの王宮で、各国の大使の列席する宴で婚姻式を間近に控えた己の伴侶の成人を祝うべきであったにもかかわらず捕縛し、数々の罪を糾弾し、我に代わって罰を与えた。それに相違ないな」

「……はい」

 どこか不服そうな声色に、背後に立つ第二王子ウォーレンがわずかに眉を寄せた。

「ああ、それと、司祭を臨場させ婚約破棄の儀式もその場で執り行ったそうだな。ずいぶん手回しの良いことだ」

 玉座から見下ろす王の眼はかつて見たことのない冷たさで、ジュリアンは戸惑いながらも反駁する。

「はい。ですがそれは……!」

「言い訳はせずともよい。エステル・ディ・ヘイヴァース公爵令嬢はこのような姿になり、もう元には戻らない。そなたが破壊して捨てた我が異母妹と先王の肖像画と同じようにな」

「あ……」

 ざわりと、広間の中がざわめく。

 王宮の外れとはいえ公式の場である回廊に飾られていた肖像画は、王が指示して展示されていた。
 それを断りもなく捨てたことをほとんどの貴族は知らなかった。

「それから。ネルソン侯爵令嬢オリヴィアよ」

「は、はい……陛下」

 慌てて礼の姿勢をとったため、ふらりとよろけたのをジュリアンが我に返って支える。

「父上。オリヴィアは……」

「腹の子のことは承知しておる。しかし重要なことだ。そなたは黙っておれ」

 生まれて初めて憎々し気に睨みつけられ、ジュリアンは目を見開き、オリヴィアの身体を支えたまま固まった。

「そなたの父であるネルソン侯爵がジュリアンに代わって騎士を率い、ヘイヴァース公爵の王都邸を接収に出向いたそうだな」

 ヘイヴァース家の王都邸は百年ほど前に王子夫妻のために建てられた壮麗な屋敷だ。
 当時天才と謳われた建築家が設計し、商人たちは最高級の建材を集め、職人たちが技を凝らし、画家たちも素晴らしい天井画を進んで描いた。

 オリヴィアの父はなんとしてもその屋敷をわが手にし、正面にネルソン家の家紋を掲げることを夢見ていた。

 しかし、それは脆くも崩れ、あるのはがれきの山のみ。

 広大な敷地が一瞬でそのような姿になったため、野次馬が多く詰めかけ、現在、警備隊が周囲を巡回せねばならない事態となっている。
 しかも、接収と言う名の金品の略奪が行われていたことも、その夜花火見物のために家から出ていた民たちは見ており、そのことはあっという間に噂話で広まった。

 言い逃れのできない事態である。
 父は領内へ逃げ帰り寝室に立てこもってしまった。

「あ……。あの、それは……」

 オリヴィアはうつむいて密かに唇をかんだ。

 なぜ、こんなことに。
 しかし、ここで失態は許されない。
 今さえ乗り切れば、うまくいく。
 なにもかも。

「申し訳…ありません。私はその夜、悪阻で伏していた為詳しくはわかりかねます。翌朝話を聞き、申し訳なさに今まで動揺しておりました。父は短慮を起こしたことを深く反省し、当主の座を従兄にゆずったと、先ほど知らせが参りました。ネルソン家の一員として、お詫び申し上げます」

 かたかたと身体をふるわせ、か細い声でオリヴィアは謝罪する。
 愚かな父に振り回される哀れな令嬢を演出するために、いつもよりも簡素な身なりに整えこの場に挑んだ。
 深く追及されないためには、今にも倒れそうだと周囲に思わせるよう装わねばならない。

「……そうか」

 顎に手をやりしばし考える王を、人々は固唾をのんで見守る。

 隣に座る王太后は肘掛けに肩ひじをつき、ただ黙って居並ぶ者たちをじっと眺めており、それがかえって不気味だった。

 沈黙がこれほど重く、そして時間が経つのが遅いと感じたことはなかったかもれしない。
 王は第三王子、オリヴィア、護送を務めた騎士たち、辺境伯と騎士団、そしてヘイヴァース公爵へと視線を巡らせた後、口を開いた。


「ヘイヴァース公爵。何か言いたいことはあるか」

「――いいえ。何もありません」

 簡潔すぎる答え。

 ヘイヴァース公爵の顔には一切の感情が浮かんでいない。

「ならば、これに関わる全てについてしばらく私が預かることとさせて貰う。……このような時にすまぬが、オリヴィア嬢の腹の子を第一に考え、婚約式を一月以内に行って良いか」

 人々は思わず驚きの声を上げる。

 エステルの遺骸がある場で、王ははっきりと元婚約者の父に次の慶事の伺いを立てるとは、さすがに予想しないことだ。

「私は生みの親レイラの隣にこの子を埋葬させていただければそれで十分です。殿下の婚儀については、もうヘイヴァースにはかかわりのないこと。いかようにもなさってください」

 ヘイヴァース公爵は跪き、臣下の礼を取った。

「…陛下。どうか私のわがままをお許しください。叶うならば、一刻も娘を早く連れ帰りたいと存じます」

 彼の前には最愛がいて、納められた箱に手を伸ばし愛おしそうにゆっくりと撫でる。

 それはまるで、聖画を見ているかのような光景だった。

 ヘイヴァース公爵は沈着冷静で時には非情な判断を下し、公式の場で長女エステルに対し顔を緩めることは一度もない。
 常に堅苦しい他人行儀な言葉を二人は交わしていた。

 それ故、人々は勘違いしていたのだ。
 王家に無理やり押し付けられた異人の血の王女を、世間同様に彼も疎んでいると。


「許す。そして、エイドリアン。……すまなかった」

 十年もの長い間婚約者の役を全うしていたにもかかわらず公式の宴と言う衆人環視の場で辱められ、罪人として引っ立てられた上に、魔物に襲われ死してなお骸すらろくにない。

 さらに忠の心をもって国を支えてきたヘイヴァース家の要と言うべき屋敷を略奪し跡形もなく破壊された。

 それらを全く追及することなく、ただただ遺骸の引き取りのみを願う男にかける言葉などない。


「……では。私はこれにて失礼いたします」

 今一度深く一礼したのち、ヘイヴァース公爵は床に並べられたものを箱の中に全て納めて蓋を閉じ、静かに両腕で抱えた。

 まるで、眠る娘を抱き上げるかのように。

 そして立ち上がると玉座に背を向けて歩き出す。
 こつこつこつと彼の踵の音のみが広間に響く。
 毅然と顎を上げて前へ進むエイドリアン・ヘイヴァースの顔はこんな時でも息をのむほど美しかった。
 やがて広間の扉が開き、彼が出ると静かに閉じられる。

 誰も。
 ほんの僅かも動くことはできなかった。


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