猫と横浜

のらしろ

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第30話 蔓延する梅毒

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 今回のこの一連の治療および入院の騒ぎで、いくつもの課題が見つかった。 
 まずは薬であるペニシリンの製造だ。 

 これは明日香とイルサの二人に手伝ってもらいながら少量生産しているが、今後治療が増えると、とても追いつかない恐れがある。 

 今はまだ梅毒の治療であり、病状の進行は遅いため緊急性は低い。 
 こちらが準備出来次第治療しても間に合いそうではあるが、増産については真剣に検討しないとまずいだろう。 

 次に、入院についてだ。 
 今は別に用意した部屋の地べたに布団を敷いて無理やり寝かせてはいるが、やはり患者の身体を考えるとベッドが欲しい。 

 すぐにでも手配しなければならない。大工を探して木造ベッドを作らせる手配を始めた。 
 明治時代の熟練した大工の賃金は1日あたり60銭、腕のいい大工なら1日に540文(約1円35銭)もの高収入を得ていたという。 
 彼らならしっかりしたものが作れるだろう。 

 入院中の食事についても、面倒だったこともあり、近隣からパンなどを買い込んで賄っているが、正直買ってくるパンも美味しくはない。 

 明治時代の食パンは1斤5銭(現在の約200円)で、まだ高級品だった。 
 そのうち、専属の料理人を雇うなり、自分で腕を振るうなりして、食事の改善も必要だと感じた。 

 早速、俺は小妓楼の鈴屋さんに簡単な請求書を作り持っていった。 
 先の二人分として十六円、もう一人分は三日分の入院費と治療費で六円、合計二十二円だ。後日に支払ってもらおうと思っていたが、尋ねたその日のうちに、鈴屋さんは懐から金を出してくれた。 
 
「先生、本当にありがとうございました。娘たちが生き返ったような心地です。これはお礼でございます」 

 そう言って、請求した二十二円をはるかに超える三十円をその場で支払ってくれたのだ。 
 鈴屋さんの心意気に、俺は胸が熱くなった。 

 そのついでに、他の小妓楼についての話になったので、一度小妓楼の店主に集まってもらい話し合いを持つことを提案して、その日を終えた。 
 俺はその足で、鈴屋さんの出入りの大工さんを訪ねた。 

 鈴屋さんの紹介とあって、話は早かった。 
 
「先生の仰せとあらば、すぐにでも材料をもって伺います!」 
 
 大工は威勢の良い声でそう言ってくれたので、任せることにする。 
 翌日、早速大工さんが屋敷に材料をもって訪ねてきた。 
 木材の匂いが屋敷中に広がる。俺は彼を部屋に案内し、とりあえず六床のベッドを用意してもらった。 

 簡素だが頑丈な木製のベッドが、あっという間に組み立てられていく。 
 次いで、畳屋を訪ねて、六床のベッドに壱畳のたたみを入れてもらい、入院の最低限の準備は整った。 

 これで患者も少しは快適に過ごせるだろう。 
 さらに、食堂も用意した。患者が食堂で食事をとれるようにするために、大きめのテーブルと椅子をベッドと同じ6つ用意し、徐々にではあるが病院としての機能を充実させていく。 

 そうこうして病院の準備を整えていくうちに、鈴屋さんからお声がかかった。 
 
「先生、他の楼主たちも先生のお話を聞きたいと申しておりますが、どこで話し合いを持つのがよろしいでしょうか」 
 
 楼主を集めるが、どこで話し合うかという話になったので、俺は入院施設が整ったこともあり、屋敷の食堂に集まってもらうように鈴屋さんにお願いした。 

 翌日、約束通り小妓楼の楼主の方が5人集まり、俺の屋敷の食堂で話し合いが始まった。 
 集まった楼主の顔色は、鈴屋さんを含め、皆どこか疲れた表情をしている。
 梅毒の流行は、彼女たちにとっても深刻な問題なのだろう。 
 ここでも俺は、梅毒がどのような病気であるか、そしてペニシリンによる治療がどれほど効果的であるかを、具体的な事例を交えながら丁寧に説明した。 

 そして、先の治療で行ったような条件で、治療に際して念書を取り交わすこと、そして費用についても取り決めなければならないことを伝えた。 

「まずは初診診察で五円。これには問診と簡単な検査が含まれます。そして、治療と入院につき、壱日あたり二円とさせていただきます」 

 俺は、やや緊張しながら料金を提示した。 
 明治時代の一円は、現在の価値で約2万円に相当すると言われている。 
 初診五円はかなりの金額だが、命を救う価値を考えれば、決して法外ではないはずだ。 
 
「先の鈴屋さんの例からすると、初診の五円に、三日間の入院治療費として六円が加わりますので、梅毒治療費として十一円となります」 
 
 俺がそう伝えると、集まった店主たちの顔色が変わった。 
 十一円、現在の価値に換算すれば二十万円を超える金額だが、それでも彼女たちにとっては、娘たちの命を救う確実な方法としては、魅力的な提示だったのだろう。 

「ぜひ、お願いします!」 
 
「どうか、うちの娘も!」 
 
 さっそく治療願いが殺到した。俺は、一人一人の話を聞き、酷そうな人から順番に治療していくことを決めた。 
 その間に明日香には、看護師役と患者の食事の準備などをお願いした。 

 パンばかりでは栄養が偏る。患者の回復のためには、しっかりと栄養のある食事が必要だ。 

 もっぱらペニシリン製造のほうはイルサ任せになるが、先の経験もあり、だいぶ慣れてきているようだ。 
 ベッドを六床用意はしてあるが、当分は混乱を避けるためにも、一度に三人までしか受けずに治療を続けることにした。 

 静かに、だが確実に、俺の屋敷は病に苦しむ人々を救うための場所へと姿を変えつつあった。 

 
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