鳴かぬ蛍が身を焦がす

らすぽてと

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第8話

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「今日はもう上がっていいよ」
「あ、はい。ありがとうございます」
 店長に声を掛けられたから仕事を切り上げて帰り支度をした。
「お先に失礼します」
「お疲れ様ー」
「お疲れ」
 勅使河原さんと店長に見送られて店を出る。少し歩いたところでふと、忘れ物をしていることに気付いた。
 店に戻って扉を開けた途端、勅使河原さんと店長がキスをしているのが目に飛び込んできて、愕然としたところで目が覚めた。
 やけにリアリティがある夢だったせいでしばらく動悸が収まらなかった。寝る前に悶々と考え事をしていたせいで変な夢を見たのかもしれない。
 どうせなら自分に都合のいい内容であってほしかった。そう考えた後、それはそれで虚しくなりそうだと思った。
 店長は女性が好きみたいだから正夢にはならないだろうけど、勅使河原さんが他の誰かと付き合った場合に起こることを映像で認識させられるのはキツいものがある。
 最悪の気分のままスマホを見たら、時生から『有力情報きたよ』という文言と、店長とのやり取りのスクリーンショットが送られてきていた。
『俊介さんってノンケだと思う?』
『わかんないけど「男でも嫌な雰囲気の人じゃなかったら付き合ってみるかも」みたいなことは言ってたよ』
 これが本当だとしたら俺にも可能性がありそうで少し気分が上がった。ひとまず時生にお礼を送っておいた。
 ただ、裏を返せばわりかし誰とでも付き合えるということだから複雑な気持ちではある。あんなにモテるのにそんなスタンスだったら経験人数も多いんじゃないかと考えてしまった。
 憶測でしかないけど、もしも沢山いるうちの一人にしかなれないんだとしたらなんだか悲しい。できることならもっと早く生まれてきて、もっと早く出会っていたかった。
 そんなどうしようもないことを考えている間にも勅使河原さんとの約束の時間が迫っていた。
 時生からは「さっさと告っちゃいなよ」と言われたものの、昨日やっと告白すると決めたばかりだから心の準備が全くできていない。
 そもそも今日は勉強させてもらいに行くわけで、恋愛にうつつを抜かしている場合でもない気がする。
 今日のところは変に意識せずにバーテンダーとしての技術を学ぼう。そう決意して、勅使河原さんの家に出発した。
「いらっしゃいませ」
「お邪魔します」
 チャイムを鳴らすと勅使河原さんは笑顔で出迎えてくれた。三日振りだから顔を見れただけでやたら嬉しい。
「早速なんだけど」
「はい」
 ソファに座るや否や、勅使河原さんはかしこまった様子で俺に紙袋を差し出した。
「カクテルブックとバーツール、貰ってくれない?」
「え、そんな、申し訳ないです」
「迷惑だった?」
「いや、迷惑なんかじゃないです。ありがとうございます」
 いきなりプレゼントを貰ってしまって恐縮したけど、勅使河原さんが俺のためにそこまで準備してくれていたことに感激した。
「何かお礼させてください」
「俺があげたかっただけだから気にしないで」
「せめてご飯くらいはご馳走させてほしいです」
「いいよいいよ」
「よくないです」
 何かお返ししないと気が済まなくて食い下がる俺に、勅使河原さんは困ったように笑っていた。
「そんなに言うなら今日の晩ご飯で手を打とうか」
「ありがとうございます」
「またお店教えてくれる?」
 前に汚いラーメン屋に連れて行ったことについては時生に酷評されたから、今日は俺が知っている限り一番綺麗な店を紹介することにした。
「オムライス好きですか」
「大好きだよ」
 その言葉だけ言われると、オムライスのことだとわかっていても若干ドキッとする。
「駅の近くにこぢんまりしたカフェバーがあるんですけど」
「何それ行きたい」
「じゃあそこにしましょう」
 勅使河原さんは今日も俺の提案に快く乗ってくれて可愛いなと思った。
「それじゃ、練習頑張って美味しいオムライス食べよ」
「はい」
 にこっと笑い掛けながら手を引かれて、ドキマギしつつキッチンに移動した。
「今日はステアについて教えるね」
「よろしくお願いします」
「ステアって何か覚えてる?」
「カクテルを混ぜることですよね」
「覚えててくれて嬉しいよ」
 カクテルを作る技法については先週俺の家で説明してもらっていたから記憶に残っていた。
「材料をきちんと混ぜたり冷やしたりする必要があるけど、闇雲に混ぜてると氷が溶けて水っぽくなっちゃうから、いかに効率的に混ぜるかが重要なんだよね」
「なるほど」
 勅使河原さんはまず、空のグラスの中でスプーンをゆっくり動かして見せてくれた。
「これって一見するとただ混ぜてるだけに見えるかもしれないけど、バースプーンの背をグラスの内側に沿わせるように回してるんだよ」
「そうだったんですか」
 何気ない動きの中でそんなことをしていたなんて知らなかった。
「実際やってみたらわかりやすいと思うんだけど」
 勅使河原さんはそう言って、グラスに氷と水を入れて混ぜ始める。カラカラと氷がぶつかる音がした。
「普通に混ぜた時はこんな音がするでしょ」
「はい」
「今度は正しい混ぜ方でやってみるね」
 聴き比べてみるとさっきよりも遥かに静かで、こんなに違うものなのかと驚いた。
「全然違いますね」
「地味だけど奥が深いから頑張ってね」
「はい」
 スプーンの持ち方やグラスへの手の添え方を教えてもらって実践してみたけど、上手く回せなくてスプーンがグラスに当たってしまう。
「親指と人差し指に力入れちゃうと上手く回らなくなるから添えるだけで大丈夫だよ」
「わかりました」
 勅使河原さんから細かく指導してもらっているうちに、ガチャガチャしてはいるけど最初よりは回せるようになってきた。
 ひたすらスプーンを回す練習をしながら、気になっていたことを質問してみる。
「俺みたいな人見知りでもバーテンダーってやれるんでしょうか」
「働いてるうちに慣れるんじゃないかな。俺も元々は人見知りだったけどどうにかやれてるし」
「全然そんな風に見えないです」
「昔は内気で気が利かなくて怒られてばっかりだったよ」
 こんなに人当たりがいい勅使河原さんが人見知りだったなんて想像も付かない。
「そういえば、勅使河原さんってどうしてバーテンダーになったんですか」
「えー、ちょっと恥ずかしいな」
 バーテンダーになったきっかけを尋ねてみると、勅使河原さんは照れくさそうに話し始めた。
「フレアバーテンダーってわかる?」
「えっと……曲芸みたいなことができる人のことですよね?」
「そうそう」
 詳しく知っているわけではないけど、シェーカーやボトルでジャグリングをしている映像は見たことがある。
「実は、大学時代に夏祭りでパフォーマンスしてたフレアバーテンダーの女性に一目惚れしたんだよね」
 そんな理由だったなんて全くもって予想外だった。昔のこととはいえ、好きな人から恋の話を聞くのはなんだか胸が苦しくて、どうにか「へぇ」という相槌を搾り出した。
「それでその人のお店を訪ねてみたら入り口にバイトの募集の張り紙があって、これは天啓に違いないと思って門を叩いたんだ」
「そうだったんですね」
 俺も勅使河原さんのことを好きだからバーテンダーになりたいと思ったところはあるし、似たような境遇だったとわかってシンパシーを感じた。
「動機が不純でガッカリした?」
「全然してないです」
「よかった」
 不安そうな顔で首を傾げられて、俺がきっぱりと否定すると、勅使河原さんは安心したように笑った。
「でも、フレアバーテンダーにはならなかったんですね」
「センスなさ過ぎて『君の進むべき道はこっちじゃない』って師匠に断言されたから諦めたよ」
「厳しいですね」
「なんか、空間認識能力が絶望的だったみたい」
「そんなにですか」
 勅使河原さんは器用なイメージだったけど意外と運動神経は悪いのかもしれない。
「ちなみに恋の方はどうなったんですか」
 恋の話は聞きたくない気持ちもあったけど、結局気になって聞いてしまった。勅使河原さんは恥ずかしがりながらも答えてくれた。
「三年くらいずっと片想いしてて」
「長いですね」
「やっと告白したら『私、戸籍上は男なんだけど大丈夫?』って言われたからびっくりしたよ」
「えっ」
「驚くよね。でも、俺としてはそこは別にどうでもよかったからお付き合いすることになったんだ」
 思いもよらない展開に度肝を抜かれたし、そこは別にどうでもよかったということにも驚いた。
「不躾な質問ですけど、女装してる男性だったってことですか」
「うーん……男性じゃなくて、トランスジェンダーの女性だね」
「すみません」
「ううん。俺も説明不足だったから」
 やんわりと訂正されて謝ると、勅使河原さんは優しく笑ってくれた。
「師匠は心が女性だったし、当時は身体的にも女性に移行してる最中で」
「なるほど」
「それで一昨年、性別適合手術を受けたんだけど……去年の夏に『私が男だった頃のことを知ってる人がいないところに行きたい』って言われてフラれて、現在に至るっていう」
「そんなのあんまりじゃないですか」
 悲しい話を明るい口調で話してくれる勅使河原さんを見ていたらなんだか泣きそうになってしまった。それだけ長く付き合っていたなら相当つらかったんじゃないかと思う。
「俺とのことも引っくるめて消したい過去なんだったらもうしょうがないなって。師匠が幸せならそれが一番だしね」
「達観してますね」
「ちょっとかっこつけちゃったけど、正直まだ引きずってるよ」
 勅使河原さんはそう言って苦笑した。境遇が境遇だけに、バーテンダーをやっている限りは忘れようがないかもしれない。
「じゃあ、今は新しい恋人とか考えられないですか」
「全然そんなことないよ。ゲレンデがとけるほど恋したい」
「まだ九月ですよ」
 シリアスな話から一転して、急に冗談を言われたから笑ってしまった。次の恋には前向きそうでよかった。
「かなり脱線しちゃったけど、人見知りを克服する方法について話すね」
「お願いします」
「大事なのは自己開示することと、相手に対して興味を持つことだよ」
 勅使河原さんの話を聞いて、俺は他人に対してあまり心を開いていないし、勅使河原さん以外にはそんなに興味がないと気付いた。
「自己開示ができてれば相手も心を開きやすくなるし、相手に対して興味を持ってれば自然と話を掘り下げられて、心地よく会話を続けられると思うんだ」
「確かにそうですね」
 今までの俺は人見知りなのはそういう性格だから仕方ないことだと諦めていて、克服するための努力は全くしていなかったけど、これを機に変わりたいと思えた。
 勅使河原さんは他にも、相手の話を遮らないことの重要性とか、一般教養はもちろんだけど幅広く物を知っておくことが大事だとか、そのために何をすればいいかとか、沢山のことを教えてくれて本当に勉強になった。
「そろそろ休憩しよっか」
「はい」
「最初よりかなりよくなったね」
「ありがとうございます」
 ステアの反復練習の結果、まだまだぎこちないけど少しだけ感覚が掴めてきたような気がする。
「手、痛くない?」
 勅使河原さんはそう言いながら俺の右手を取った。変に意識しないという決意が揺らぎそうになる。
「大丈夫です」
「ずっとやってると皮剥けちゃったりするから気を付けてね」
「わかりました」
 中指と薬指のスプーンの柄が当たる辺りを指先で優しく撫でられると、もう意識しないようにするなんて無理だった。
「健太郎くんの手、意外とおっきいよね」
「そうですかね」
 手をまじまじと見つめられるとなんとなく恥ずかしい。自分の手の大きさなんて今まで気にしたこともなかった。
「大きめのシェーカーでも無理なく振れると思うよ。指も長くてすらっとしてるし、素敵な手だね」
 不意に恋人繋ぎするように手を握られて心臓が跳ねた。一体どういうつもりなんだろうと動揺したけど、平静を装いながらその手を握り返した。
「勅使河原さんの手も綺麗だと思いますよ」
「ホントに? ありがとう」
 なんの気なしにやっていそうな雰囲気だから勅使河原さんからしたら単なる手遊びなのかもしれない。
 ただ、こんな風に触れ合えるということはきっと「嫌な雰囲気の人」には入っていないだろう。
 そのまま特に何を話すでもなくしばらく手を繋いでいるうちに、今なら告白できるような気がしてきた。
「あの」
「うん?」
 話を切り出したものの、いざとなると尋常なくドキドキして、言葉が喉につかえてしまう。
「その……来週も来ていいですか」
「もちろんだよ」
 結局、次の約束を取り付ける方向にシフトしてしまった。昨日時生から「意気地なし!」と罵られたことが思い出される。
「真剣な顔してるから告白されるのかと思っちゃった」
「あはは」
 勅使河原さんがにこにこしながら見事に図星を指してきたから、俺はただ笑うことしかできなかった。
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