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第5章 箱庭の花園 / Secret Garden

第41話 シークレットベース

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宿の窓の外が、うっすらと白んでいた。
夜明け前の静けさ。街の喧噪が始まるには、まだ少しだけ時間がある。

ベッドから身を起こしたユウは、深く息を吐いた。

体の芯に残っていた重さは、昨日までよりもはるかに薄い。足に力を込めてみても、もう崩れ落ちそうにはならなかった。

「……調子、戻ってきた」

そう呟いたとき、振り返ったリゼの瞳がほっと緩んだ。

「よかった。じゃあ、少し出かけない?」

彼女は腰に鞘を下げると、軽やかに言った。

「人目につかない場所があるの。……二人で行こう」

その一言に、ユウの胸が少し高鳴った。

宿の扉を抜けると、夜明け前の街路は驚くほど静かだった。石畳にまだ露が残り、街灯の明かりがその粒を淡く照らしている。

寝静まった家々の窓からは、わずかにパンを焼く匂いや、早起きの仕込みの音が漏れていた。

リゼは振り返り、微笑む。

「こっち」

二人は街を抜け、森へと足を踏み入れる。

木々の間を渡る風はひんやりと冷たく、鳥の羽ばたきがどこかで音を立てた。

湿った土の匂い、葉に触れる雫の感触――すべてがユウには新鮮で、同時に圧倒的な現実感を突きつけてきた。

(……やっぱり夢じゃないんだ)

視界の端で揺れるリゼの後ろ姿。彼女の歩幅に合わせて進むたび、胸の奥に少しずつ実感が積み重なっていく。



林を抜けると、小さな空き地に出た。
目の前に現れたのは、木材で粗く組まれた小屋だった。

森の中にひっそりと佇み、壁の板はところどころ剥がれている。けれど雨風をしのぐには十分で、何よりも人の気配を寄せつけない空気をまとっていた。

リゼは扉を押し開け、ユウを中へ招き入れる。

軋む音とともに広がった室内は、外観よりもずっと整えられていた。

窓から差し込む光が、干し草を敷き詰めた床を明るく照らす。角には毛布が丁寧に畳まれ、小さな木箱には乾いた果実や固いパンがしまわれている。

「……思ったより、ちゃんとしてる」

ユウが感心したように呟くと、リゼは少し得意げに頷いた。

「依頼の途中で見つけたの。荒れてたけど、手を入れれば使えると思って。」

「誰にも言ってない。ここは私だけの秘密の場所」

言葉を切って、ユウをまっすぐに見つめる。

「だから、あなたにだけ教える」

その声音には、照れ隠しの強さと、揺るぎない特別さが混じっていた。

棚にはリゼが隠していたらしい菓子包みの紙袋が転がっていた。思わずユウが手に取ると、リゼは頬を赤らめて奪い返す。

「そ、それは非常食! べ、別に甘いものが好きってわけじゃ」

「……へえ」

ユウの口元が緩む。リゼは視線を逸らしながら、毛布を広げる。

「ここなら誰も来ない。二人だけになれる」

小さな小屋の中に、静かな空気が落ちる。
秘密を分け合ったという事実が、互いの距離を自然と近づけていた。



木の壁が外気を遮り、鳥の声も遠くにしか聞こえない。外界から切り離されたような空間に、ユウは思わず深呼吸をした。

「……なんか、秘密基地みたいだな」

物珍しそうにあちこちを見回しながらユウが言うと、リゼは腰に手を当て、得意げに胸を張った。

「基地?ここなら安全だし、落ち着けるの。まあ、雨漏りはちょっとあるけど」

「修理したの?」

「自分で。板を打ち直したり、草を詰めたり。あのね、意外と器用なんだから」

言いながら、わざと小さく鼻を鳴らす。その仕草がどこか子どもっぽくて、ユウは思わず笑みを漏らした。

「何笑ってるの」

「いや、リゼがこうやって“自分の居場所”を作ってるの、すごいなって」

素直に言うと、リゼの頬がわずかに染まった。視線を外し、壁にかけてあったランタンを取り上げる。

「……別に。生きていくには必要だから」

声はぶっきらぼうなのに、耳まで赤いのをユウは見逃さなかった。毛布を広げながら、リゼはユウの肩にそっと掛ける。

「昨日まで体調悪かったんだから、冷やしちゃダメ」

「……ありがとう」

自然に出た言葉に、リゼはわずかに瞬きしたあと、ほんのり微笑んだ。

その距離は近すぎた。

肩越しに覗き込む顔があまりに近くて、ユウは慌てて視線を逸らす。

彼女は気にする様子もなく、さらに干し草の上に座り込むと「こっち来て」と隣を叩いた。

「ここ、座り心地いいの」

誘われるまま腰を下ろすと、干し草の柔らかな匂いと、リゼの髪から漂う微かな花の香りが混じり合い、胸の奥が妙にざわつく。

「なんだろう……秘密を分け合うって、変な感じだな」

「秘密ってね、渡した相手に自分の一部を預けるみたいなものなの。……だから、特別」

その言葉は淡々としていたけれど、耳の奥に残るほど強い響きを持っていた。

二人だけの空間。二人だけの秘密。
それだけで、ユウの心臓は落ち着かなく跳ね続けていた。

ユウはふと口を開いた。

「……ねえ、リゼ」

「なに?」

「こっちの世界ではさ。……好きになったら、どうするの?」

リゼは目を瞬かせ、言葉を失ったように固まった。その頬にじわりと赤みが差し、視線が揺れる。

「い、いきなり何それ……」

「いや、気になって。ただ……こっちの人たちは、どうやって“想い”を伝えるのかなって」

ユウが真剣な顔で言うものだから、リゼは頬に手を当て、小さく息を吐いた。

しばし迷ってから、ぽつりと話し始める。

「……大きくは、あなたの世界と同じじゃないかな。好きなら、一緒にいたいって言う。結婚して、家族になる人もいる」

ユウは静かに頷いた。けれどリゼの言葉はそこで終わらなかった。

「ただ……こっちは、もっと“生きること”と結びついてる。狩りに行くにも、街を守るにも、隣に立てるかどうかが大事だから」

「支え合えるか、ってこと?」

「そう」

リゼはまっすぐユウを見つめ、続ける。

「綺麗な言葉よりも、一緒に立って、一緒に倒れられるか。それを試されるの」

「……だから、好きになるって、ただ甘いだけじゃない」

ユウの胸に、重い実感が落ちてきた。この世界の恋は、生死と隣り合わせなのだ。

「……強いな」

思わず呟いた言葉に、リゼは苦笑した。

「強くなんてない。ただ……怖くても、隣に立ちたいって思う。それが、この世界の“好き”」

言いながら、リゼは唇を噛み、視線を逸らした。
耳まで赤く染まっている。

「……知りたい? この世界で、好きになったらどうなるのか」

挑むような、けれど震える声。
ユウは言葉を失い、ただ頷いた。リゼは一拍置き、微笑んだ。

「……教えてあげるね」

その瞬間、部屋の空気が変わった。

二人の間に流れる沈黙が、視線と呼吸だけで互いを引き寄せていく。胸の奥が熱を帯び、ユウはごくりと喉を鳴らした。

リゼの瞳は、まるで逃げ場を与えないようにまっすぐだった。

──もう、言葉はいらない。



小屋の空気がゆるやかに溶け合い、二人の距離は確かに縮まり始めていた。ランタンの炎がゆらめくたび、互いの影が重なり合う。

ユウは気づけば、膝の上に置いた手をそっとずらしていた。リゼの手の甲に触れるか触れないかの距離で止まる。

「……触っても、いい?」

自分でも驚くほど小さな声だった。

リゼは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。
けれど次の瞬間、彼女の指がほんのわずかに動いて、ユウの手に重なった。

その柔らかさに、胸が跳ね上がる。
リゼも同じように、かすかに震えている。

「……バカみたい。こんなことで、鼓動が早くなるなんて」

そう言いながら、彼女の顔は真っ赤だった。
ユウは笑いそうになるのを必死に堪え、真剣にその手を握り返した。

沈黙が落ちる。けれど苦しくはなかった。
互いの心臓の鼓動が、沈黙を埋めるように響いていた。

やがてリゼは小さく身を寄せ、肩をユウの腕に預けた。その重みは羽のように軽いのに、ユウにとっては全世界のように感じられた。

「……ユウ」

名前を呼ぶ声が、ひどく近い。
吐息が頬を撫で、髪が触れる。
ユウは耐えきれず、顔を彼女へ向けた。

視線が絡み、逃げ場はない。

「ここでは……」

リゼは震える声で囁いた。

「私の全部を、教えてあげられる」

その言葉に、ユウは目を見開いた。
次の瞬間、リゼの顔が近づいてくる。

ほんの短い距離を埋めるように──唇が触れ合った。

一瞬で世界が反転する。
鼓動が爆ぜ、視界が熱で揺れる。
互いの震えが伝わり、ただ強く、確かに結ばれていく。

──秘密の小屋の中。

誰にも知られない、二人だけの約束が始まっていた。
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