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第5章 箱庭の花園 / Secret Garden

第50話 重なる世界の配信

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クラヴァルが去ったあとのギルドは、まだ重たい沈黙を引きずっていた。

ざわめきが戻るまでに時間がかかる。つい先ほどまで広間を覆っていた緊張の余韻が、床にも壁にも染みついているようだった。

リゼは深く息を吸い、胸に残るざらついた痛みを振り払おうとした。掴みかかってきたクラヴァルの手、あの冷たい感触がまだ喉元に残っている。

「また来るかもな」

ロアが書類をぱたりと閉じ、リゼを見やった。

「いや、次は依頼の最中に現れるかもしれない」

「同じ冒険者だぞ? そんな真似……」

ナズが苦い顔で言いかけた瞬間、ハナラが食い気味に声を重ねた。

「女の妄執って怖いのよ、ナズくん」

その声音には妙な迫力があった。軽口ではない。ハナラ自身、身をもって知っているかのように鋭い。ナズは思わず肩をすくめ、口を噤んだ。

リゼは三人のやり取りを黙って聞きながら、胸の奥に渦巻く感情を抑えきれずにいた。
ユウを巡るクラヴァルの執着。

そして自分の中に芽生える、言葉にできない感情。

(……嫉妬、なの?)

胸を締めつける熱を抱えたまま、ギルドを後にした。



夜、宿の窓を開けると、風が髪を揺らした。

空は深く、星々が瞬いている。
けれどその光は遠すぎて、手を伸ばしても届くはずがなかった。

リゼはそっと掌を胸に当てる。温もりが消えてしまった場所。そこにまだ残るような気がして、指先に力を込めた。

「ユウ……無事でいて」

掠れた声が夜空に吸い込まれる。



夜、家に戻ったユウは自室のドアを閉めた。

机の上には教科書とノートが散らばり、開きかけの問題集がそのまま放置されている。

学校から帰宅した直後の部屋は、以前ならありふれた光景だった。今は、全てが遠く感じられる。

(……あの人に言われたこと、守らなきゃ)

ラーメン屋を出るとき、真宮先生が背中に向かって声をかけたのを思い出す。

「勉学を疎かにしないように。あと学校には来ること。これは教師としての注意事項よ」

その響きは厳しさと温かさが同居していて、妙に胸に残っていた。彼女が教師である限り、ユウを日常につなぎ止めようとしているのだと分かる。

ユウは机を片付けると、椅子に腰を下ろし、両手を膝の上に広げた。

帰還者に言われたことを反芻する。

「感じろ。これは直感だが、君の部屋でもできるだろう」

「空気に漂う魔素の流れを掴め」

深く息を吸い、瞼を閉じる。
耳の奥に鼓動が重なり、やがて指先にかすかな熱が生まれる。

光の粒が皮膚の下を走るような感覚――

「……来た!」

ユウの声が震える。

人差し指の先に淡い光が宿り、安定して留まっていた。わずか数秒、けれど確かに「制御できた」と言えた瞬間だった。

「やった……リゼ、待ってて」

笑みが零れ、胸の奥に灯がともる。

しかし次の瞬間、部屋の照明がちらつき、スマホが勝手に震え出した。

「……え?」

光が点滅し、電子音がノイズに変わる。
壁の時計までが一瞬止まったように見えた。



帰還者が虚空を睨む。

「誰かがまた越えようとしている…。あのボウズ、もう出来るようになったのか?」



ユウは息を呑み、立ち上がった。
窓の外に淡い揺らぎが広がり、視界が歪む。

「今のはなんだ?」



森の奥にひっそりと残る“秘密の小屋”。
扉を押し開けたクラヴァルは、ゆっくりと中に踏み込んだ。

「……ここ」

木の壁や床板に染みついた匂い、空気の揺らぎ。
そこには、ユウとリゼが確かに過ごした温度がまだ残っていた。

クラヴァルは静かに目を閉じる。
胸の奥に広がる微かな脈動を辿りながら、唇をほころばせた。

「ふふ……やっぱり」

彼女の周囲に淡い光が浮かび、次第にノイズが混じる。粒子のようなものが舞い、天井の梁や壁を擦るように軋ませる。

ユウの残り香がクラヴァルを導く。
それはただの気配ではない、明確な座標―ユウの世界へ繋がる線だった。

「これで……行ける」

クラヴァルの指先から光が弧を描き、小屋の内部に歪んだ“窓”のような残像を浮かび上がらせる。

EWSの観測網に干渉し、別世界のフレームを開いた証。

その瞬間、現実世界ではユウの部屋の照明が瞬き、スマホが震え始めていた。

クラヴァルは瞳を細め、枠に向かって一歩を踏み出す。

「待ってて、ユウ。今度こそ会える」

小屋の中に渦巻いた光は、彼女の姿をゆっくりと呑み込んでいった。



机に置いたスマホが、突如として震え始めた。
通知はない。画面は真っ黒なまま、かすかに白いノイズが揺れている。

「……まただ」

ユウは眉をひそめた。
照明が一度消えかけ、蛍光灯の光が点滅を繰り返す。空気が重くなり、耳の奥でざらついた雑音が広がった。

次の瞬間、スマホの画面が勝手に切り替わる。
EWSアプリのUI――だが、いつもの配信画面とは明らかに違っていた。

視聴者数もコメント欄も表示されていない。
まるでリゼと繋がったときの“相互通信”に酷似した、異常なインターフェース。

「……これは」

言葉を飲み込んだユウの耳に、声が届いた。

――ユウ……聞こえてる?

息が詰まった。
画面にはまだ像が浮かんでいない。ただ声だけが、はっきりと響く。

「クラヴァル……?」

恐る恐る名を呼んだ途端、スマホの縁から光がにじみ出す。白い輝きが液晶を越えて溢れ、床や壁を照らした。

部屋全体が波打つように歪み、ポスターやカーテンが無風で揺れる。

(違う……これはただの配信じゃない!)

背筋に冷たい汗が伝う。

机の上のペンがカタカタと立ち上がり、時計の針が一瞬止まった。静電気が皮膚を刺すように、世界そのものが軋んでいた。

ベッドと窓の間の空間が膨張し、光が集まって結像を始める。ぼやけた人影が輪郭を持ち、髪の流れ、衣の揺れ、呼吸までが具現化していく。

ユウは凍りついた。

足音。
確かな重みを持って、床を踏む音が部屋に響く。
そこに立っていたのは、もう画面越しの幻ではなかった。

“現実のクラヴァル”が、静かに微笑みを浮かべていた。

ユウの喉から、かすれた声が零れる。

「……え?」

クラヴァルは白銀の髪を揺らし、ゆっくりと首を傾げ、妖艶な微笑みを浮かべた。その瞳は宝石のように輝き、まっすぐにユウだけを射抜いている。

「はじめまして、ユウ」

床を一歩、軽やかに踏みしめる。
爪先がフローリングを鳴らし、その音がやけに大きく響いた。

ユウは無意識に後ずさる。
胸の奥で心臓が暴れ、手足は鉛のように重い。

「来ちゃった♡」

甘い声が空気を震わせた。
その瞬間、部屋の匂いすら変わった気がした。

ラーメン屋の油の匂いでも、教室の紙とインクの匂いでもない。異世界の草木と血と魔素の匂いが、確かにこの部屋に漂っていた。

ユウは呼吸を忘れ、ただ立ち尽くす。
視界にあるのは、憧憬でも恐怖でもなく――

抗えぬほどの強烈な現実感。

夜の静寂に、クラヴァルの笑みだけが鮮やかに浮かんでいた。
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