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旅の始まり

アンリの宿屋

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──コンコン

 ドアがノックされ、外から女性の声がした。

「お客様? 本日の夕飯はどういたしますか? 宿で食事なさいますか? それとも外で食べてこられますか?」

 ドアを開けるとアンリさんが立っていた。

 夕飯のことは全く考えていなかったのだが、どうしたもんか。

「本日の宿の夕飯は、ラッシュコーンのシチューに黒麦パンにサラダとなっております」

「へぇ、ラッシュコーンのシチューか。美味そうですね」

 ラッシュコーンとは前世のトウモロコシと同じ形状をしている野菜で、生でも加熱しても食べられる。

 生の状態ではほのかな苦味が癖になると一部のもの達から絶大なる人気を博しているし、加熱すると苦味が消えグッと甘くなり、旨みも増すため、様々な料理に使われている。

 シチューとの相性は抜群であり、好きな料理の上位にくい込んできているほどだ。

「今夜は宿でいただこうかな?」

「それでは夕方六時以降に、下に降りて右側にある食堂までいらしてください。夜十時まででしたらいつでもお食事を提供しておりますので」

「分かりました。わざわざありがとうございます」

「いえ、先程お伝えするのを忘れておりましたので」

 ペコッと頭を下げてアンリさんは立ち去って行った。

「ラッシュコーンのシチューか……久しぶりだなぁ、楽しみだ」

『ラッシュコーンのシチュー……食べたことがないのぉ』

「そうなのか?」

『食に関してはあまり興味がなかった故、ラッシュコーンは知っておっても食べたことはないのだ』

「じゃあ、今夜食べてみるといい」

『うむ……』

「知識を得るなら、その味も知っていた方がいいと思うぞ?」

『……確かにな……では、これからは我に食のあれこれを教えてくれ』

「俺がか!? ただ食うだけだぞ?」

『アースが食するものを我も食する。さすれば自ずと食の知識も増えようぞ』

「じゃ、色んな美味いものをたらふく食べようぜ」

『アースは今後、どのように生きていくつもりなのだ? 我と一緒におれば一所に留まっておるのは危険が伴うのだが』

「うーん……正直何も考えてなかったんだよな。魔法なしでろくな稼ぎもなかったから実家を追い出されて、とりあえず職にありつけそうな王都に行こうと思ってただけだし」

『人間とは案外冷酷なものなのだな? 家族なのだろう?』

「家族でもな、うちは裕福とはいえなかったから、母親の稼ぎだけじゃ生活が苦しかったのよ」

『金など幾らでも稼ぐ方法はあろうに』

「魔法なしにはな、この世界は厳しいんだよ」

『そんなものなのか?』

「そんなもんよ」

 何をするにもまずは魔法が使えるかを尋ねられるこの世界。

 魔法が使えないと分かった途端に人の態度はガラッと変わる。

 仕事をもらえても子供の小遣いよりも安い賃金しかもらえないことが多いし、仕事の内容は人がやりたがらない汚れ仕事や手間のかかるものが多く割に合わない。

 それでも選り好みなんて出来るはずもなく、与えられた仕事を黙々とこなしてきた。

 真面目ぶりが認められれば多少は賃金が上がることはあっても、良い仕事が回ってくることなんてない。

 魔法なしの扱いなんてそんなもんだった。

「さて、夕飯までもう少しだからな、風呂にでも入っておくか」

『風呂か……』

「シャンテも入るか?」

『我はよい』

    言ってから、飛竜とはいえ女だったことを思い出した。

「じゃ、風呂行ってくるわ」

『うむ』

 シャンテをベッドの上に起き、風呂に入った。

 やっぱり風呂はいい。身も心も清められた気がする。

 木製のあまり大きくはない浴槽だが、身を浸すと疲れが一気に抜けていく気がした。

 風呂から上がるとタイミングよくノックの音がして、出てみると、俺を宿まで連れてきてくれた女の子が立っていた。

「どうかした?」

「お兄ちゃんは強い?」

「ん? 何で?」

「あのね……強かったらね、お母さんを助けて欲しいの」

「どういうこと?」

 立ち話もなんなので女の子を部屋に招き入れ話を聞いた。

 女の子は「アシュリー」という名前で、やはりお母さんの名前は「アンリ」だった。

 アシュリーの父親は俺と同じく小さい頃に亡くなっていて、アンリさんがこの宿を営みながらアシュリーを育てていた。

 小さい宿ながら、アンリさんの人柄もあってなのかそこそこ繁盛はしていたらしいのだが、去年この町に大きな宿屋が建ってからは客足が途絶えてしまった。

 そればかりは仕方がないと思ったのだが、この話にはまだ続きがあった。

 その新しい宿屋のオーナーである男がアンリさんを気に入ったようで、しつこく言いよっていたらしいのだ。

 客足が途絶えたのもその男の仕業で、この宿に客が流れないようにあれこれ手を回しているらしい。

 大方、窮地に陥ったら自分に泣きつくしかないと考えての行動なのだろうが、男として情けない話である。

「お母さんを助けて欲しいの! お願い!」

 しかし、そんなことを言われても、俺にはそのオーナーに太刀打ち出来るほどの財力も権力もないし、人間の姿では無力な男だ。

『助けてやらんのか? そんなに必死に頼んでおるのだぞ?』

 シャンテにそんなことを言われたが、俺に何が出来るっていうんだ?

 魔物から守って欲しいとかなら猫の姿にさえなれば守れるかもしれないが、嫌がらせや営業妨害を辞めせる方法なんか思いつきもしない。

 だけど、涙目で必死でお願いしてくるアシュリーを助けてやりたいとも思う。

「何か出来るとは思えないんだけどな……」

 そう零すと、アシュリーはガックリと項垂れてしまった。



 
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