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第二章・少女剣士たちとの出会い
折れた桜
しおりを挟む蒼がやよいの窮地を救っていた頃、栞桜を追って洞窟の奥へと進んだ燈は、別府屋武士団と土蜘蛛たちとの戦いが行われた場所に辿り着いていた。
まだ飛び散って間もない血の跡と、そこに転がる無数の死体。
そして、見覚えのある武神刀とその鞘を目の当たりにした燈は、右手だけになって『おろち』の柄を掴んでいる斑の亡骸を目の当たりにし、息を飲んだ。
「あいつ、やられちまったのか……他にも結構な数の死体がある。向こうの被害も甚大みたいだな」
嫌な奴ではあったが、死んでほしいとまでは思っていなかった。
一度は手合わせした斑と、彼の仲間たちの死に心の中で哀悼の意を送る燈。
本来なら、彼らが髑髏にならぬように手厚く弔ってやりたいところだが、今はそれよりも優先しなければならないことがある。
「……悪いな。必ず、お前たちの仇は取ってやるからよ……!」
土蜘蛛たちを倒し、この一件が片付けた後に、必ずや弔いの儀式をさせてもらうと心の中で亡骸と化した斑たちに誓った燈は、無残な遺体が転がる現場を目を凝らして調べ始めた。
ぱっと見た時から気が付いていたことだが、別府屋武士団が全滅してしまったにしてはその数が少ないような気がする。
残された武神刀の数と遺体の数が合わないことから考えても、生き残った数名は何処かに逃げ延びて隠れているか、あるいはあの土蜘蛛たちに捕えられているかの可能性があった。
村の人々が捕らえられているという前情報から考えると、おそらくは後者の可能性が高いだろう。
土蜘蛛たちは餌に困っていない。捕らえた人々を保存しておき、空腹になった時に食べるために巣へと連れ帰った可能性は非常に高いはずだ。
つまり、別府屋武士団の中には間違いなく生き残りがいる。
前々から捕らえられていた人々の中にも、まだ土蜘蛛の餌になっていない者がいるかもしれない。
自分が目指すべきは、彼らが捕らえられている土蜘蛛たちの巣とでも呼ぶべき場所だ。
きっと、栞桜もそこに向かったはずだから……と、考えを巡らせていた燈は、洞窟の先に伸びる赤い跡を見つけ、その先に広がる暗闇を見つけた。
「仕留めた獲物を引き摺って運んだ跡……ってことは、少なくともここで戦った蜘蛛たちはこっちの方に行ったってことか」
それと、生き残りの人間たちも。と心の中で呟きつつ、燈は立ち上がる。
そして、この先に居るであろう助けを待っている人々や栞桜を思いながら、油断せずに足を前に進めていった。
幸いなことに、道は人が通れないような劣悪な通路ではなく、周囲へと警戒を払いながら燈は着実に歩を進めていくことが出来た。
血の跡は途中で途切れてしまったが、進んでいる道は一本道。迷う心配はない。
ピリピリと肌を刺す緊張感に襲われながら、何処までも続いているようにも思える洞窟を奥へ奥へと進んでいく燈。
人並み以上に度胸がある彼も、何処から妖が飛び出してくるか判らない暗所を一人で進んでいるとなれば、多少の不安は抱くものだ。
それでも、足は止めない。
不意打ちを受けないようにする慎重さと、一刻も早く奥へと進む迅速さを兼ね合わせ、燈は生存者と栞桜の姿を求めて先へ先へと進んでいく。
やがて、洞窟の壁に張り付いている蜘蛛の巣の数が目に見えて増えてきた頃、燈の耳が狂った様に叫ぶ男性の声を捉えた。
「ひぃぃぃっ! たすけっ! 助けてぇぇっ!!」
闇を裂く声、というのはこういうものなのだろうな、と不意に聞こえてきた叫びを耳にしながら燈は走り出す。
今の声は、そう遠い位置から聞こえてきたわけではない。全力で急げば、まだ間に合うかも……と考えながら駆けていった燈は、通路の終わりに広がる大広間の光景に絶句した。
学校のグラウンドほどはありそうな広い空間の中に広がっているのは、悪夢のような光景だ。
数十匹は下らない土蜘蛛たちが壁や地面に蠢き、彼らの周囲には餌食となった人々の遺骨がそこかしこに転がっている。
巨大な壁面にはそれに見合った巨大な蜘蛛の巣が張られており、しかもそこには今まで燈が目にしてきた土蜘蛛たちの五倍はあろうかという巨大な土蜘蛛までもが鎮座しているではないか。
おそらくは、あれが土蜘蛛たちのボスであろうと当たりを付けた燈は、いきなり妖たちの前に飛び出すのではなく慎重に様子を伺った。
先ほどの悲鳴の主がどうしているかは判らないが、ここで不用意に飛び出したとしても彼を助けられる可能性は低い。
助けたいという気持ちを、まずはぐっと抑える。
敵の状況、数、陣形を把握して、勝算が最も高くなる策を練ることが、最終的に助けを待っている人々の命を守る選択肢に繋がることを、燈は宗正から学んでいた。
物陰から目を凝らし、広間を観察する燈。
ややあって、土蜘蛛に地面へと押さえつけられている男性の姿を発見した燈は、飛び出したくなる心を懸命に抑えながら状況の把握に努めた。
「うああぁぁぁ……! た、たすけ――」
「グジュジュル……ジュルゥ……!!」
今、男性は土蜘蛛の吐く糸に体を巻き取られ、徐々に全身をその内部へと収められている。
十秒も経った頃には彼は糸で全身を巻き上げられた繭と化しており、男性の身動きを封じた土蜘蛛は、そこでぽいっと作り上げた繭を無造作にその辺りへと蹴り飛ばした。
よくよく見てみれば、広間の中には同じような繭が地面に転がっているばかりではなく、天井からぶら下がっている糸の先にも同じような物が括りつけられているではないか。
どうやら、土蜘蛛たちは攫った人間をあのような繭にしてから、保存食として保管しているらしい。
土蜘蛛たちの数と同等か、それ以上の数を誇る繭たちを見つめながら、少なくともあの中に捕らえられている人々がまだ生きていることを確認出来た燈は、救える命が残っていたことに安堵の息を吐く。
民間人の生存が確認出来た今、目下最大の問題はあの土蜘蛛たちをどう退治するかだ。
多対一の戦いは広範囲かつ高威力の攻撃を得意とする普段の燈にとっては大歓迎なのだが、今回はいつもと違う事情がある。
蒼とやよいの合流を待ち、そこから三人で仕掛けることも考えたが、それまでの間に何人かが食事として土蜘蛛の餌になる可能性がないわけではない。
仕掛けるならば、早めの方が良い。だが、勝算もなく戦いを挑むのは馬鹿のやることだ。
せめてあと一人、戦える者がいれば……と、彼我の戦力差に歯噛みしていた燈であったが、彼の背後からか細く震えた声が投げかけられる。
「お、お前……燈、か?」
「あん……?」
燈には一瞬、その声が誰のものか判らなかった。
ひどく聞き覚えのある女性の声であったが、今までの自分が聞いていた彼女の声はもっと強気で堂々としたもののはずだ。
だから、こうして年頃の少女らしい、恐怖を抑えられないでいるその声を耳にした時、本当に彼にはその声の主が判らなかった。
見知らぬ者に背後を取られたという思いが、咄嗟に燈の手を『紅龍』の柄へと伸ばさせる。
振り向き様に抜刀し、防御の構えを取ろうとした彼は、背後に立っていた人物の姿を見て、はっとした表情を浮かべた。
「栞桜……! よかった、無事だったんだな!?」
「………」
そこにいたのは、自分たちを置いて一人で別府屋との勝負に赴いた少女。
今の今までずっと燈たちがその姿を探していた、栞桜だった。
敵地の最奥とも思えるこの場所に辿り着いても合流出来なかったため、てっきり彼女も土蜘蛛にやられて繭にされてしまったと考えていた燈は、その予想をいい意味で裏切った彼女の姿に笑みを零し、素直に喜びを露わにする。
「安心したぜ。俺はてっきりお前も妖たちにやられちまったと思ってたからな。見たところ怪我もしてなさそうだし、気力を使い果たしたって感じでもなさそうだ」
精神的にも、肉体的にも、栞桜が疲弊している様子は見受けられない。
これならば、戦力として十分に数えられるだろう……と考えたところで、ふと燈は今の彼女の違和感に気が付いた。
「………」
今の栞桜からは、桔梗邸で見せていた気丈さや剛毅さが感じられない。
怯えや恐怖、そういった負の感情が強く感じられる上に……何処か、諦めの感情を抱いているようにも見える。
そもそも、燈が知る彼女であったならば、先の彼の台詞に対して「見くびるな! 私がそう簡単にやられるものか!」くらいのことは言いそうなものだ。
それなのに、今の栞桜は押し黙ったまま、不安気な様子で燈のへと泳ぎがちな視線を送るばかり。
いったい、どうしてしまったのだろうか?
一人で敵地に居続けた不安感に心が乱れているのか、あるいは桔梗邸に置いてきたはずの燈がこの場に現れたことに疑問を抱いているのか……と、様子がおかしい栞桜の姿に違和感を覚えた燈が考えを巡らせていると、その栞桜が震える声でこう尋ねる。
「お、お前の炎なら、あいつらを一網打尽に出来るよな? 気力も体力も、まだまだ余裕があるのなら、それで勝てるはず……だよな?」
「あぁ? ……出来る、って言ってやりたいところなんだがな。そいつは無理だぜ」
「なっ!? ど、どうして!?」
驚きを露わにする栞桜に対して、燈が無言で土蜘蛛たちの居る大広間の一点を指さす。
そこには、中に別府屋武士団の生き残りをはじめとした生存者たちが捕らえられている繭があった。
「俺が炎で蜘蛛たちを一掃したら、あの繭の中の奴らも巻き込んじまう。あの中にはまだ生きてる奴らがいるんだ。見殺しには出来ねえ」
「そんな……!? じゃ、じゃあ、どうするつもりだ!?」
「決まってんだろ。一匹ずつ、ぶった斬ってくんだよ。俺一人だったら無理な話だと思ってたが……お前がいるなら、話は別だ」
この盤面において、栞桜の増援は正に降って湧いた幸運だ。
燈も栞桜も、どちらも一撃必殺の剣を主体とした戦いを得意としている。
広範囲を一網打尽にする攻撃は使えずとも、一体を素早く仕留めることには長けた剣士たちだ。
その利点を活かし、一体一体を確実に倒し、敵の数を減らしていく。
作戦もへったくれもない純粋な力押しだが、それが今の状況では最適な選択肢のはずだ。
仮に土蜘蛛が五十体いるとするならば、燈と栞桜で二十五匹ずつを斬り捨ててやればいい。
今現在、妖たちの脅威となるステータスは単純に頭数の差だけだ。それを埋めることが出来れば、幾らでもやりようはある。
問題は、あの巨大土蜘蛛をどうするかという点だが、それに関しても、周りの雑魚を片付けてから考えればいい話だ。
一撃必殺の炎の剣と、剛力無双の栞桜の剣。
二人で協力すれば、この状況を突破することも十分に可能だ……と、勝機が、見えてきたことに心を弾ませた燈であったが、その耳に信じられない言葉が届く。
「……り、だ。」
「……あ? 今、なんつった?」
一瞬、燈は自分の耳を疑った。
今しがた聞いたその言葉が、どう考えても栞桜が発したものとは思えなかったから、燈は何かの聞き間違いだと思いながら、彼女が発した言葉を聞き返す。
だが、そんな燈の問いかけに対して栞桜が口にしたのは、先ほどと全く同じ……とても弱気な、諦めの言葉だった。
「無理だ……私には、そんなこと出来ない。私には、出来っこないよ……!!」
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