ステラチック・クロックワイズ

秋音なお

文字の大きさ
3 / 29

2話①

しおりを挟む
「先輩は、勉強しないんですか?」
 五限目の半分ほどが経過した頃、ぼそりとステラが口を開いた。彼はあの時部屋を出て以降、まだ帰ってこない。そんなことでいいのかと思うが、そんなことでいいんだろう。俺だってそういう意味では変わった立場にあるのだから。この際考えない方がいいんだと思った。
 この部屋、司書室は縦に長い長方形の形をしている。壁に沿うように多くの棚が並び、北を向いた側の壁に机が設けてあり、そこに彼のパソコンや仕事道具がばらばらに散乱していた。そしてそんな部屋の中央に部屋の三分の一ほどを占める大きさのテーブルがあり、俺とステラはそのテーブルを向かい合うようにして使っていた。向かい合って使ったとしても作業をする上には十分すぎるほどのスペースがあったが、それでも彼女の視界には俺の手元が映ったのだろう。
 問題集を開き、ノートに方程式を組み立てるステラとは対照的に俺は本を開いていた。今度は先ほどのようなアニメ調の表紙でもなければ妹が出て来るような萌え系のラブコメでもない、が。
「午前に今日の分は全部終わったからな」
「なるほど。そういうやり方もあるんですね」
「まぁ、ここは基本自由、だからな」
 ここにいる間は基本的に何をしても許された。勿論、常識の範囲内という当たり前の縛りはあるが大抵のことは許してもらえた。自習をしようと、授業へ参加しようと、読書をしようと許される。また、時には司書の簡単な手伝いをすることもあった。
 最初の頃は俺もここの自由という概念に不安を覚えていたが、そもそもここの管轄はあの変人だった。俺の隣で平然とギャルゲーをやるような社会人である。下手するとここでタブーが起きたとしても許し、隠してしまうような気すらした。
 そのため俺は基本、午前中に自身に課したノルマをこなし、ノルマを終え次第、読書などの好きなことに時間をあてていた。今日は本を読んでいる。
「でも、自習って限界がありませんか? いくらノルマを定めたとしても、独学じゃわからないところだって……」
「それは確かにそうだな。だから、そういう時だけ授業に出てる。俺もさすがに苦手科目の一つや二つはあるし」
「す、すごい……」
「いや、すごくないよ」
「でも、そのやり方で成り立っているのはすごいです。……私は、あまり勉強が得意ではないので、きっと無理です」
「……そいつはどうも」

『すごいです』

 そんな言葉を最後に人に言われたのはいつだっただろうか。
慣れない言葉の響きにむず痒さを感じ、思わず本から視線を上げる。目の前にいるステラと目が合った。澄んだ花緑青の瞳が、まだ少しくすんだくらいの緑が眩しく見えた。そしてそんな瞳を初めとしたいくつもの整ったパーツによって構成された顔に、不覚にも頬がほんのりと熱を帯びる。
 ……調子が狂う。
「ところでそれ、何読んでるんですか」
「これ?」
「それです。見たところ、さっきのような変な本じゃなさそうですし」
 変な本と言うのは先程弁解するのに大変だったライト文学のことだろう。そもそも俺は趣味として本を読むことがあったが、ライト文学のような類のものはほとんど読まなかった。読むのは精々一般文学だった。
 ……にしてもどんまい。あんたが好きで読み漁ってるライト文学は妹曰く、変な本という認識らしいぞ。家に置いてなくてよかったな。
「言ったって知らないと思うが」
「それでもいいです。単純な興味なので」
 むしろ、触れたことのないようなものの方がいいです、とステラはテーブルの向かいから俺の手元、開かれた本の小さな文字の羅列を見ようと身を乗り出す。勿論、この距離では見えるわけもなく、ステラは、ん……と難しい表情を見せる。
 ……今日に限って一般受けしにくそうなものなんだよな。
 俺は本を閉じるとその表紙をステラの方へと向ける。
「カフカ。フレンツ・カフカの変身」
「ふれ、ふ…………カフカの、変身……」
 案の定ステラは知らなかったようで首を傾げる。それを見ながら俺は変身と変人って、似ているよなとかいう全く面白くないことを一人考えていた。
「海外の作品。ページ数自体も少ないし、取っつきやすいかなと思って」
「……どういう中身なんですか」
「どういう、か。なんて言うんだろ、難しいな。……強いて言えば、主人公が虫になる、って話」
「虫……?」
「なんか茶色くてでっかい虫。文章的には直接的な表現は出てきてないけれど、多分Gとかのことだと思う」
「なんですかそれ、気持ち悪い……」
 明らかな嫌悪感を顔に出すと、今まで乗り出していた身を一歩後ろへと引く。そして次は俺の顔をじとーっと見る。
 ……いや、やめてくれ。俺だってそういうつもりじゃなかったんだ。たまたま題名に惹かれて取った本がこれだったんだ。
 なんか少しさっきの彼の気持ちがわかった気がした。
 これ、なんか心が苦しくなるな。
「……本当にそういう作品は面白いんですか?」
「正直わからん」
 日本人の書いた作品ではないからか、日本人が訳した文章であれど読みにくく感じた。これが海外の文の構成なのかわからないが、独特の言葉の配置による文章校正ゆえに読み進めるには必要なカロリーが高すぎる。流し読みなんてものはもってのほか。じっくりじっくり紐解くようにしか読めなかった。高校生には難しかったか、或いは別の翻訳者の訳したものであればまた変わるのか。後者であるのであればもう一度挑戦してみたい気もするが、その期待が外れた時のことを考えるとどうも手が伸びない。このままここでやめてしまっても良いとすら思えた。
「……けど、安心しました」
「安心?」
「変な本よりはいいかなぁって」
「まぁ、な」
「それにそういうのって、文学としての表現を突き止めた結果のグロテスクなわけですし」
「……理解があるのは助かる」
 私も少し嗜むことがあるので、とステラは口にすると椅子に座り、また手元のノートに視線を戻した。アルファベット、数字、記号が一定の速度で複雑に混ざり、ノートにて紡がれていく。そうして方程式は生まれ、ひとつ下の行にもしばらくしてまた次の方程式が同じように生まれた。
「……兄さんも、悪い人じゃないんですけどね」
「それは、……まぁ」
「見た目も発言も周りと外れていて、困る時がないわけじゃないんですけど。……でも、あれが兄さんらしい個性なんだと思っています」
「よく見ているんだな」
「一緒にされるのはちょっと、ですけど、ね」
「まぁな。妹が出てくる本を読んでることばれたくなくて、学校の金で買ってるくらいだもんな」
「……え?」
「……あ」
 口が滑った。ごめん。内緒にしとくっていう男の約束を破ってしまった。いや、あんたのことを男としてカウントしていいのかわかんないけど。
 そしてステラはというと、すーっとゆっくり、でも確実に顔から表情が消えていく。部屋の中の温度が夏だというのに、彼女を中心に気温が下がっていくような感覚になる。
「……ほんっと、意味わかんない」
 彼女から絞り出すように出てきた声はつららのように冷たく鋭かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな
恋愛
「覚醒しなければ、生きられない———       しかし、覚醒すれば滅びの呪いが発動する」 100年前、ヴァンパイアの王家は滅び、純血種は絶えたはずだった。 しかし、その血を引く最後の姫ルナフィエラは古城の影で静かに息を潜めていた。 戦う術を持たぬ彼女は紅き月の夜に覚醒しなければ命を落とすという宿命を背負っていた。 しかし、覚醒すれば王族を滅ぼした「呪い」が発動するかもしれない———。 そんな彼女の前に現れたのは4人の騎士たち。 「100年間、貴女を探し続けていた——— もう二度と離れない」 ヴィクトル・エーベルヴァイン(ヴァンパイア) ——忠誠と本能の狭間で揺れる、王家の騎士。 「君が目覚めたとき、世界はどう変わるのか......僕はそれを見届けたい」 ユリウス・フォン・エルム(エルフ) ——知的な観察者として接近し、次第に執着を深めていく魔法騎士。 「お前は弱い。だから、俺が守る」 シグ・ヴァルガス(魔族) ——かつてルナフィエラに助けられた恩を返すため、寡黙に寄り添う戦士。 「君が苦しむくらいなら、僕が全部引き受ける」 フィン・ローゼン(人間) ——人間社会を捨てて、彼女のそばにいることを選んだ治癒魔法使い。 それぞれの想いを抱えてルナフィエラの騎士となる彼ら。 忠誠か、執着か。 守護か、支配か。 愛か、呪いか——。 運命の紅き月の夜、ルナフィエラは「覚醒」か「死」かの選択を迫られる。 その先に待つのは、破滅か、それとも奇跡か———。 ——紅き誓いが交わされるとき、彼らの運命は交差する。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

悪魔な義理弟《ボディーガード》~ヤンキー校最凶犬男子の独占欲が強過ぎる~

Kore
恋愛
「余計なこと考えさせないくらい愛せば、男として見てくれる?」そう囁く義弟の愛は重くて、危険で、究極に甘い。 ———勉強が大の苦手であり、巷で有名なヤンキー高校しか入れなかった宇佐美莉子。そんな義理姉のボディーガードになるため、後追いで入学してきた偏差値70以上の義理弟、宇佐美櫂理。しかし、ボディーガードどころか、櫂理があまりにも最強過ぎて、誰も莉子に近寄ることが出来ず。まるで極妻的存在で扱われる中、今日も義理弟の重い愛が炸裂する。———

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる

若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ! 数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。 跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。 両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。 ――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう! エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。 彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。 ――結婚の約束、しただろう? 昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。 (わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?) 記憶がない。記憶にない。 姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない! 都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。 若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。 後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。 (そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?) ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。 エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。 だから。 この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し? 弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに? ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。

処理中です...