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2話③
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「ごめん遅くなったよ……って、あれ? 少年、僕の妹ちゃんは?」
「あ? さっき帰ったぞ」
午後の仕事の大半をすっぽかして外の空気を吸いに行った彼が、いつもの調子に戻って帰ってきた。あれから時間は進んで、もう放課後になっている。
ステラには俺の方から放課後のなった際に帰るように促していた。あの後の距離感がわからなかったからである。ステラが泣く間、俺は何かをするわけでもなくただ窓の外をひたすらにぼーっと見ていた。沈黙の漂う中、何か言われれば言葉を返し、またしばらくを沈黙が空間を制する、そして気が向けば少しの言葉を交わす、それだけだった。無理に言葉を交わすことなく時間を潰すことが最善策だと思っていた。
それはあくまで、俺にできる選択肢の中での最善策、になるが。
「そっかぁ。一緒に帰って、そのまま今日のことでも聞こうと思ったんだけどねぇ。……まぁいいや。家でも聞くことはできるだろうし。…………ところで少年」
「ん?」
「初日だというのに妹ちゃんを君一人に任せてしまってすまなかったね」
「あ、あぁ、別にそれくらい」
「悪い子じゃないんだけどさ、ほら、なんて言うんだろう、ちょっと人付き合いというかなんというか、その、……まぁ、とにかく、下手くそだから、さ」
「……あんたも下手くそだな」
妹のことが大切なのはわかるけどさ、あんたがそんなにもあたふたしたらダメだろ。
「な、なにがだい?」
「ステラから全部聞いた、多分、それなりには理解してるつもり、だから」
あんた、妹絡みになるとてんでダメだな。
空回りしっぱなしじゃないか。
そんなに目を泳がせるなよ。
「……そうかい、なら、よかったのかな」
彼は表情のない顔をすると、微かに首を傾け、何もない部屋の隅っこを見つめた。
「妹を、君に会わせたのは正解だったのかもしれない」
「なんだよ、それ」
変な言い方だと思った。
「そのまんまの意味だよ」
「そんなのはわかっている」
俺はその言葉の先、裏側に隠れた本意を知りたいんだが。
「……僕は、妹には元のように笑っていてほしいだけなんだ」
君はこの言葉の意味が分かるだろう? と淋しそうに言った。
「シスコンや過保護、僕のことは言いたいように好き勝手言ってもらって構わない。現に僕はそう言われたっておかしくないような立ち振る舞いをしているからね。今更言い返すつもりもないよ。でも、僕はそういう邪な感情を差し引いたとしても、妹には前のような妹らしい、オリジナルの妹でいてほしいんだ。今の妹だってもちろんかわいい僕の妹だ。でも、今の妹は僕の知らない、どこか偽物のような妹だよ」
彼の顔には彼の内心を表した半透明な文字が書かれているように見えた。いくつもの文字はどれも寒色のような意味合いばかりで、そんな文字に縛られたように彼はどこか苦しそうだった。
「……少年なら、色恋抜きに妹に対等に向き合ってくれると思っていた。君は良くも悪くも人を対等に評価するからね。君となら妹も少しは心を開くと思ったけど、……でも、本当によかった」
「……勘違いするな、俺は何もしていない」
俺がしたことなんて何もない。
「じゃあ、妹はどうして君に心の内を話せたんだろうね」
「……偶然みたいなもん、だろ」
「少年、人生なんて所詮偶然の積み重ねだよ。僕と君が出会ったのだって偶然だったじゃないか」
「それ、は……」
「だから。僕は偶然だろうとなんだろうときっかけはなんだっていいんだ。妹の居場所になってくれてありがとう。感謝するよ」
「……別に」
むず痒い言葉の感触はどうも慣れなかった。
「ところで少年。妹はどうだい?」
「どう、って、別にどうもないが」
「そうじゃなくて。妹、かわいかっただろう?」
「おいシスコン。さっきまでの良い話は一体どこに行った」
どうしてあんたはこうも妹のことばっかり話すんだ。
「まぁそういう暗い話はもうやめでもいいじゃないか。それでどうだい? あんなことで悩むくらいだ。髪は短くなったと言えど見てくれは悪くないと思わないかい?」
『……私は、どうしたら、よかったんでしょうか』
浮かんだのは、あの濡れた瞳だった。じとーっとした顔でも、花緑青でもなく、濡れたからこそベールの剥がれたエメラルドの瞳だった。弱く脆く、儚いからこそ、そこには引かれる何かがあった。親近感として片付けるにはいささか無理矢理感のある何か、だった。
「……さぁな」
「かわいいね、少年は」
「どこがだよ」
「初心な男の子みたいだ」
「意味がわからん」
そういうのじゃない、と聞かれてもない答えを押しつける。
俺はそういうのじゃなくて。
そういう理由じゃなくて。
どこか、新鮮だったんだ。
誰かの心の深部に触れ、弱さを目の当たりにしたのはあれが初めてだった。俺は他人との関わり方、距離感、人の持つ温もりとやらがどうも人並みにわからない。全くもって知らないとまではいかないが作られたストーリーからしか得たことがなかった。インプットばかりでアウトプットも実践も無かった。
初めて見た、人の傷ついた心はどうしてか綺麗に思えた。
そして、それを見る機会に巡り合えたことが幸せなことだと思えた。理由はわからない、感覚的なものだった。これが、人の繋がりというものなのだろうか。
「だけど少年。覚えててくれよ」
「なんだ」
「もし妹を傷つけるのであれば、それは君だとしても、そこにどんな理由があったとしても僕は君を許さないよ。どんな手を使ってでも、僕は君に報復させてもらう」
「そんなつもりはねぇよ、シスコン」
「確認だよ。だって僕はシスコンだもの」
「そうだったな」
ドン引きするくらいには知ってるけど。
でも、それがどこか羨ましく思えるのは、俺にもシスコンという不名誉な素質があるからなのか。家族、兄妹間の愛情という憧憬を見てしまったからか。前者である場合、それは衝撃の事実となってしまうが、それはそれで悪くないかもしれないと思ってしまう。
……まぁ、だからって俺は妹の出てくる本を読み漁ったりはしないけど。
「っていうことで少年。改めて僕の妹をよろしく頼んだよ」
「わかった」
「あの子はあんなだけど、根は寂しがり屋で弱いからね。もしかすると君にも迷惑をかけるかもしれない」
「……かもな」
もう既にそんな素振りは見たけどな。
「先に謝っておく」
「……そうか」
別に俺としてはいいんだけどな。
俺の知らない家族の温もりってやつみたいで。
「君もそろそろ帰るかい?」
「そうだな、明日もあるし」
「話、聞いてくれてありがとね」
「気にするなよ」
「妹のことで何かあったら、些細なことでもいいから教えてくれないか?」
「考えとく」
「それじゃ、また明日」
「おう……。あ」
「ん?」
「思い出した」
あんたの妹のことで一つ、謝らないといけないことがあるんだった。
「あんた、妹にライト文学読み漁ってんのばれてんぞ」
「え⁉ 待ってくれ!? そんな。嘘、だろ……?」
「……」
「嘘だと言ってくれよ! 少年!?」
「……俺は知らん」
口を滑らせたのはもちろん俺だが、都合の悪い部分は伝えずに部屋を出る。
そして翌日、俺の口からそれを耳にしたとステラから聞いた彼が激怒したのは言うまでもなかった。
「あ? さっき帰ったぞ」
午後の仕事の大半をすっぽかして外の空気を吸いに行った彼が、いつもの調子に戻って帰ってきた。あれから時間は進んで、もう放課後になっている。
ステラには俺の方から放課後のなった際に帰るように促していた。あの後の距離感がわからなかったからである。ステラが泣く間、俺は何かをするわけでもなくただ窓の外をひたすらにぼーっと見ていた。沈黙の漂う中、何か言われれば言葉を返し、またしばらくを沈黙が空間を制する、そして気が向けば少しの言葉を交わす、それだけだった。無理に言葉を交わすことなく時間を潰すことが最善策だと思っていた。
それはあくまで、俺にできる選択肢の中での最善策、になるが。
「そっかぁ。一緒に帰って、そのまま今日のことでも聞こうと思ったんだけどねぇ。……まぁいいや。家でも聞くことはできるだろうし。…………ところで少年」
「ん?」
「初日だというのに妹ちゃんを君一人に任せてしまってすまなかったね」
「あ、あぁ、別にそれくらい」
「悪い子じゃないんだけどさ、ほら、なんて言うんだろう、ちょっと人付き合いというかなんというか、その、……まぁ、とにかく、下手くそだから、さ」
「……あんたも下手くそだな」
妹のことが大切なのはわかるけどさ、あんたがそんなにもあたふたしたらダメだろ。
「な、なにがだい?」
「ステラから全部聞いた、多分、それなりには理解してるつもり、だから」
あんた、妹絡みになるとてんでダメだな。
空回りしっぱなしじゃないか。
そんなに目を泳がせるなよ。
「……そうかい、なら、よかったのかな」
彼は表情のない顔をすると、微かに首を傾け、何もない部屋の隅っこを見つめた。
「妹を、君に会わせたのは正解だったのかもしれない」
「なんだよ、それ」
変な言い方だと思った。
「そのまんまの意味だよ」
「そんなのはわかっている」
俺はその言葉の先、裏側に隠れた本意を知りたいんだが。
「……僕は、妹には元のように笑っていてほしいだけなんだ」
君はこの言葉の意味が分かるだろう? と淋しそうに言った。
「シスコンや過保護、僕のことは言いたいように好き勝手言ってもらって構わない。現に僕はそう言われたっておかしくないような立ち振る舞いをしているからね。今更言い返すつもりもないよ。でも、僕はそういう邪な感情を差し引いたとしても、妹には前のような妹らしい、オリジナルの妹でいてほしいんだ。今の妹だってもちろんかわいい僕の妹だ。でも、今の妹は僕の知らない、どこか偽物のような妹だよ」
彼の顔には彼の内心を表した半透明な文字が書かれているように見えた。いくつもの文字はどれも寒色のような意味合いばかりで、そんな文字に縛られたように彼はどこか苦しそうだった。
「……少年なら、色恋抜きに妹に対等に向き合ってくれると思っていた。君は良くも悪くも人を対等に評価するからね。君となら妹も少しは心を開くと思ったけど、……でも、本当によかった」
「……勘違いするな、俺は何もしていない」
俺がしたことなんて何もない。
「じゃあ、妹はどうして君に心の内を話せたんだろうね」
「……偶然みたいなもん、だろ」
「少年、人生なんて所詮偶然の積み重ねだよ。僕と君が出会ったのだって偶然だったじゃないか」
「それ、は……」
「だから。僕は偶然だろうとなんだろうときっかけはなんだっていいんだ。妹の居場所になってくれてありがとう。感謝するよ」
「……別に」
むず痒い言葉の感触はどうも慣れなかった。
「ところで少年。妹はどうだい?」
「どう、って、別にどうもないが」
「そうじゃなくて。妹、かわいかっただろう?」
「おいシスコン。さっきまでの良い話は一体どこに行った」
どうしてあんたはこうも妹のことばっかり話すんだ。
「まぁそういう暗い話はもうやめでもいいじゃないか。それでどうだい? あんなことで悩むくらいだ。髪は短くなったと言えど見てくれは悪くないと思わないかい?」
『……私は、どうしたら、よかったんでしょうか』
浮かんだのは、あの濡れた瞳だった。じとーっとした顔でも、花緑青でもなく、濡れたからこそベールの剥がれたエメラルドの瞳だった。弱く脆く、儚いからこそ、そこには引かれる何かがあった。親近感として片付けるにはいささか無理矢理感のある何か、だった。
「……さぁな」
「かわいいね、少年は」
「どこがだよ」
「初心な男の子みたいだ」
「意味がわからん」
そういうのじゃない、と聞かれてもない答えを押しつける。
俺はそういうのじゃなくて。
そういう理由じゃなくて。
どこか、新鮮だったんだ。
誰かの心の深部に触れ、弱さを目の当たりにしたのはあれが初めてだった。俺は他人との関わり方、距離感、人の持つ温もりとやらがどうも人並みにわからない。全くもって知らないとまではいかないが作られたストーリーからしか得たことがなかった。インプットばかりでアウトプットも実践も無かった。
初めて見た、人の傷ついた心はどうしてか綺麗に思えた。
そして、それを見る機会に巡り合えたことが幸せなことだと思えた。理由はわからない、感覚的なものだった。これが、人の繋がりというものなのだろうか。
「だけど少年。覚えててくれよ」
「なんだ」
「もし妹を傷つけるのであれば、それは君だとしても、そこにどんな理由があったとしても僕は君を許さないよ。どんな手を使ってでも、僕は君に報復させてもらう」
「そんなつもりはねぇよ、シスコン」
「確認だよ。だって僕はシスコンだもの」
「そうだったな」
ドン引きするくらいには知ってるけど。
でも、それがどこか羨ましく思えるのは、俺にもシスコンという不名誉な素質があるからなのか。家族、兄妹間の愛情という憧憬を見てしまったからか。前者である場合、それは衝撃の事実となってしまうが、それはそれで悪くないかもしれないと思ってしまう。
……まぁ、だからって俺は妹の出てくる本を読み漁ったりはしないけど。
「っていうことで少年。改めて僕の妹をよろしく頼んだよ」
「わかった」
「あの子はあんなだけど、根は寂しがり屋で弱いからね。もしかすると君にも迷惑をかけるかもしれない」
「……かもな」
もう既にそんな素振りは見たけどな。
「先に謝っておく」
「……そうか」
別に俺としてはいいんだけどな。
俺の知らない家族の温もりってやつみたいで。
「君もそろそろ帰るかい?」
「そうだな、明日もあるし」
「話、聞いてくれてありがとね」
「気にするなよ」
「妹のことで何かあったら、些細なことでもいいから教えてくれないか?」
「考えとく」
「それじゃ、また明日」
「おう……。あ」
「ん?」
「思い出した」
あんたの妹のことで一つ、謝らないといけないことがあるんだった。
「あんた、妹にライト文学読み漁ってんのばれてんぞ」
「え⁉ 待ってくれ!? そんな。嘘、だろ……?」
「……」
「嘘だと言ってくれよ! 少年!?」
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