ステラチック・クロックワイズ

秋音なお

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4話②

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「久しぶりだな、烏屋」
「……授業、週一は顔出してましたよ」
「はぁ、相変わらずお前は本当に可愛げがないな」
「俺には似合わないって思っているんで、そういうのは」
 面談のためと呼ばれた生徒指導室は、空気がさらに冷たく感じた。
 一つの机を挟み、担任と向かい合うようにパイプ椅子に座る。目の前に座る、担任の梅垣は腕を組んでいた。全体的に体は丸みを帯び、それを窮屈そうにベルトで押さえつけている、いわゆる典型的なおっさんだった。手元には書類の束を挟んだバインダーがある。低音で痰の絡んだ声が嫌な味を出していた。
「まずこれが前回分のテストの成績、次にこれが前々回のテストの成績。そしてこれが、それらを加味した上で計算したお前の成績だ」
 目の前に一枚のプリントが雑に置かれる。大したことの書かれていない、ただのコピー用紙。どうして学校というものはこうして全ての物事に数値をつけ、可視化させようとするのだろう。数字でしか判断できないものに、一体なんの価値があるんだろうか。社会に出たところで、こんなものはどうせ飾りにしかならないというのに。
「確かにお前は完全な独学ではないかもしれないが、あの出席率でこれだけの成績を出せるとは中々のものじゃないか。俺としても鼻が高いよ」
「そうですか」
「これで成績不順、そこからの単位の取りこぼし、留年、と落ちてもらっても困るからな。今までの俺のやり方に示しがつかなくなるだろ?」
「かもしれませんね」
 中身のない会話を大した意味も含まない言葉で相槌する。梅垣はそれからいかに自分が今まで優秀な卒業生を排出していったのか、武勇伝のように語った。

 正直どうでもよかった。

 東大に現役合格しようと、難関私立大に主席合格しようと、どうでもよかった。どこかの誰かに対して憧れを抱くほど、俺は他人に興味がなかった。そして、雄弁に語る梅垣に見えぬよう、ため息を吐く。面談だと言われたから出向いたというのに、蓋を開けてみれば話の主人公はどれも俺じゃない。一体誰のための面談だと思った。最早、面談というのは建前かおまけ程度なのかと思った。
 これじゃまるで、主人公の報われない小説みたいだった。
「なにか学校とは別にやっているのか?」
「特には」
「今じゃ通信教育なんかも進化してきているからな」
「そうですね」
「じゃあ、独学で賄ってきた、と」
「授業にたまに顔出してはいたんで、一応そこでまとめて確認して、って感じですかね。さすがになんの補助もなくできるほど優れてはいないんで」
 そもそも、自身のことを優れているなど思ったこともない。
 むしろ、劣った人間だとずっと思っていた。誇れるものもなかった。
「なるほどな。……いやぁ、俺の担当するクラスの生徒は毎度、優秀な奴らばかり出てくれるからな。俺はとてもうれしいよ」
「そうっすか」
 ……その言葉、一体どういう意味で言ったんだ?
 面白くもない自慢話以下の言葉に唇を噛む。
 そもそも、あんたは何もしてくれないじゃないか。

 いや、俺が何も頼まないから?
 じゃあ頼めば手を伸ばしてくれるのか?

 答えはきっとノーだ。梅垣にとっての俺は生徒ではなく、一つの手駒。調子よく進む駒だから気にかけるだけで、減速の兆しでも見せたら、迷走の一つでもすれば百八十度手のひらを返す。そしてまた別の優秀な人間へと宛先を変え、同じような形だけの空っぽな言葉を手向けるんだ。それがもう、目に見えている。
 俺がその書類を大したものでもないと思うのと同じように、あんたも俺自身のことはどうでもいいと思っているんだろ?
「それでお前、進路はどうするんだ? クラスはもう全員、進路希望調査票を出したぞ。出していないのはお前だけだ」
「……すみません」
「で、どうするんだ、進路は」
「……それ、は」
 まだ決めていないとでも言ったら怒られるだろうか。
 俺にとって人生とはよくわからないものだった。
 将来の夢もなければ、こうありたい、という目標もなかった。
 憧れる存在もいなかった。
 過去にいたが、一年ほど前に姿を消した。
「進学、してくれるよな」
「……まぁ、それは」
 なにもしない、その選択肢を選ぶつもりはなかったが、だからといって具体的な将来のことはなにも考えていなかった。安牌を取って、なんて考え方が正しいとは思えなかった。そんな過去の人間のオマージュのような生き方に正解を見出せなかった。俺は俺だ。俺の納得するものを選びたかった。
 まだ、それが見つからないだけで。
「幸い、お前はこんなだが頭はいい。独学でこれだけだ。ちゃんとすればもっと上を目指せる、伸びしろがある。これなら全然国立大、それも偏差値の高い有名国立大を狙える。その意味がわかるよな?」
 押し売りのような説得だと思った。
「まさかとは思うが、そこらへんの変な私立なんて言ったりはしないよな? せっかくの実力はもったいない」
「……まぁ」
「俺のためにも国立大に行ってくれ、な?」
「……考えときます」
 これは本当に希望調査なのだろうかと疑問を抱えながら、渡された書類に記入する。

 第一希望「国立大学文系学科」

 それを確認すると梅垣はその書類を受け取った。ただ、形としてその文字が欲しかっただけなのではないかと思った。一昔前の警察の高圧的な事情聴取みたいだとも思った。俺はちゃんと人間として扱われた上でのこれなのかとも疑いたくなる。俺は教師でも学校でもないからわからないが、そいつは、その紙切れは、本当にそれほどの価値のあるものなのだろうか。

 ……わからない。

 夢の無い俺にはわからなかった。ただ形として漠然として大人になることしか考えていなかった。そもそも大人になれるのかもわからない。
 俺は一体、なにがしたいんだろうか。

 言われるがまま、示されるまま、与えられた道を進めばそれでよいのだろうか。じゃあそれは、本当に俺の人生なのだろうか。俺のための人生なのだろうか。俺じゃなくとも成り立つかもしれない人生は、果たして意味があるんだろうか。
「よし、これで全員分の希望表が揃った」
 揃ったのか、集めたのか、奪い取ったのか、どれにも合わないがどれにも掠った行為だと思った。ただ、揃った、という言い方にだけはしたくなかった。
「そうですか。じゃあ、俺はこれで」
「待て。話はまだある」
「……はぁ」
 俺はさっさと済ませて放課後に寄る場所があるんだが。
 改めて梅垣と向かい合うと、部屋がまた冷たく感じた。
 目が細くなっている。
「お前は一体いつまであそこに甘えるつもりだ?」
 梅垣がひどく冷たく吐いた。
「……それは」
「今まで目を瞑ってきたが俺もそろそろ限界だ。お前、あそこにもう一年はいるんだぞ、わかっているのか」
「……まぁ」
「甘ったれんなよ」
 それは教師の言葉として適切なのかと思った。
「考えてみろ。お前がそうやっている間に同級生も大人もやるべきことを当たり前のように確実にこなしている。それだというのに、お前は自分の好きなことを選び、楽をし、生きている。不平等でおかしいとは思わないか? そもそもお前は、あそこを出るつもりはあるのか?」
「……一応、は」
「一応ってなんだ。そんな曖昧な言葉は聞いてないんだよ。具体的なビジョンを聞いている。それはいつなんだ? 一ヶ月後か? 年明けからか?」
「……わかりましたから、ちょっと待ってもらえば」
「なんにもわかってねぇよ」
 バンッ、と激しい衝撃が空間を震わす。梅垣が机に拳を下ろした音だった。
 錯覚のようなその行為に一瞬ひるんだ。
「未成年の分際でそんなわかった口をきくんじゃねぇぞ」
 それは教師ではなく、一人の大人の言葉だった。
 教師という仮面から顔出した中年男性の本音だった。
「その一年、お前があそこにいた一年でお前は一体なにを学んだ。なぁ、言ってみろ」
「……それは」
「ないだろ。あるはずがない。そうだろ?」
 言葉に詰まる。図星だが、それを悪いとは思っていなかった。それもあの空間の生き方だと思っていた。
「言えないな。そうだよな。だってないもんな。お前が学んだものなんてない。独学がなんだ? 成績さえよければそれでいいのか? じゃあ、そんなんでこの社会の中で生きていけると思うのか?」
 相手の言葉が教師からかけ離れた汚い大人の色にて黒く煤けていく。
 濁りきった言葉はまるで墨汁のようだった。
「社会にはお前みたいなちょっとくらいの天才なんて腐るほどいる。そしてそいつらの多くは天才であった過去に縋りつき、最終的には生き残れずに凡人に落ちていく。結局は勝てない。甘えたら甘えた分だけ、人間は怠けた方へ、楽な方へと順応していく。お前が知らないだけで世の中にはそんな大人がゴロゴロとしている。お前は世間知らずだ。だからそんなことが言えるんだ。俺は、お前のことを思って言っているんだぞ」
 それは、なにを持って俺のためだったのだろうか。
 黙って聞いていたって、吐きつけられる言葉どれも心に響かない。大人が学生を僻んでいるようにも見えた。梅垣、あんたの言葉がいかに正論で的を射ていたとしても俺には一ミリも伝わらないよ。
 だってあんたは俺を思ってそのセリフを吐いていないだろ?
 結果が欲しいだけだろ。進学率ってものが、名声が欲しいだけなんだろ? 
 あんたの説教はは俺のためじゃない。結局は将来のあんたのため。だから、怒鳴るんだろ。癇癪を起こす子供と変わらないじゃないか。
 疲れちまうよ、そんな建前。
 心が急に白を越えた透明に、無に還るような不思議な喪失感が生まれた。
「ありがとうございます。前向きに考えますね」
 自分でも驚くほどに丁寧な言葉が出てきた。温度も音階もない、機械音声にも思えるような声だった。一定のトーン、一定の速度にて発された言葉に一度梅垣は止まったが、嫌な笑みを浮かべると立ち上がった。
「楽しみにしておく」
 そのまま梅垣は俺を置いて部屋を出た。部屋には俺がぽつんと取り残される。

 机に置かれたプリント。
 雑にそのままの椅子。
 冷たいだけの空気。
 拠り所の無い俺。

 頭の中をずっと、梅垣の正しくもあり正しくもない、否定もできず肯定もできないグレーゾーンに位置する暴論が流れる。ヘッドフォンをつけられ、強制的に流されるようなどうしようもない不安感。一種の宗教のような洗脳のようなそれに心が凍え、悴む。
生に期待が持てなくなる。
「……もういい」
 手が震える。
 一体、どうしてこんなにも全てに辟易してしまったんだっけ。
 誰のせいだったっけ。忘れてしまった。息苦しい。
「……救いようもないな」
 ここを出なくてはと悟り、脱出する。
 このままじゃ二人に見せる顔もない。

 それなのに、俺にはあそこにしか行く場所がなかった。
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