ステラチック・クロックワイズ

秋音なお

文字の大きさ
22 / 29

8話②

しおりを挟む
「先輩。次、私たちの番ですよ」
 本堂に並んでいた参拝者たちの列はどんどん捌けていき、ようやく俺とステラの属した横一列が最前列になった。二十分ほどは待っただろうか。年末の特番、課題の進行具合、最近読んだ小説。待つ間はそれこそ、書き留めるほどでもない世間話を交わしていた。
 俺たちは本堂へ一歩近づき、五円玉を賽銭箱へ投げ入れる。チャリン、と賽銭箱の奥で硬貨同士の摩擦が聞こえた。定められた作法をなぞるように済ませ、瞑った目の奥でたった一つの願いを唱える。

 この場所が、なくなりませんように。

 真っ先に浮かぶほどにそれが本心だった。体の奥で唱えた願いがほろほろ溶けていく。そして、その願いの残滓を拭うようにありふれた願いを重ねた。
 無病息災、学業上達……。
 今年は俺も一応、受験生になるんだし。
 そういえば、クラス分けに必要な最終進路希望のプリント、休み明けが提出だっけ。まだ書いていないんだよな。それに出す時は言うまでもないが、梅垣に顔を合わせないといけない。担任に直接渡すようにって言うのは俺みたいな人間には酷なんだよな。また、心が締めつけられなければいいが。
 少し先の未来のことすら、目を背けていたくなる。
 進まないといけない、避けては通れない未来だと知っているのに。
「……先輩?」
「……なんだ」
 ステラの声が聞こえ、意識が現実に戻る。
 目を開くと、隣には不思議そうに俺の顔を見上げるステラが立っていた。
「……なにか、ありました?」
「……別に、何でもない」
「……なら、いいのですが」
 列から外れましょう、とステラがジェスチャーを見せるので、俺はつられるように列から捌ける。無言のまま、人の列をすり抜けた。本堂に並ぶ人の列からは離れたというのに、ステラは何人も何人もすり抜ける。俺もそんなステラをついていく。
 ステラの肩には、孤独が見えた。
「……なんでもない、っていうのは嘘ですよね」
 本堂から離れた境内の端、人の少ない場末まで歩くと、足を止め、振り返ったステラが口を開いた。同じように俺も足を止める。見上げるステラの顔は、薄ら曇っていた。
「……気づいていたのか」
「逆にどうして気づかないと思ったんですか」
 あんなに思いつめたような顔をしていたのに、と指摘され、俺は初めて顔に出ていたことに気づいた。そんなにわかりやすい人間だったのか、俺は。
「私は別に全て隠さずに言え、なんてことは言いません。先輩には先輩が一人で消化したいものもあると思いますから、そんな傲慢なことは言いません」
 花緑青の瞳が、俺の荒んだ目を浄化するように見つめる。
「でも、偽らないでください。隠さないでください。なにか、思いつめるものがあるのなら、あるという事実だけはちゃんと言ってください。私は、なにもできないかもしれません。でも、先輩のことはちゃんとわかっていたい、から。私が知らない間に、先輩が苦しんでいた、なんて私は絶対に嫌、なので」
「……すまん、悪かった」
 俺は軽く頭を下げた。
「……別に、大したことじゃないんだよ。ただ、俺ももう受験生だと思うと、そんな現実に少し嫌気が刺してしまってな」
「あぁ……、確かに、そうですよね……」
「まぁ、頑張らないといけないことに変わりはないからな。一応、自分なりに頑張ろうとは思うが。……そういや、ステラはなにをお願いしたんだ?」
「私ですか? 大方は一般的なものなので割愛しますが、一番最初にお願いしたのは、やはりあの居場所がなくならないように、ってものです」
 俺と同じだと、静かに思った。あの場所が俺と同じように大切なものであってくれている事実は素直に嬉しいものである。
「私はあの場所がずっと、永遠に続くなんて思っていません。いつかは、私もあそこをちゃんと自分の意志で出なくてはならないと、思っています」
「えらいな」
 俺には言えない言葉だと思った。
「でもあの場所は、今の形のままではなくとも、どんな形になったとしても、残ってほしいと思います。それに、一歩前に進んだからって、今までの居場所がなかったものになるのは寂しいじゃないですか。私はまだ、先輩と一緒にいたいって思っていますから」
 どこか儚げな様子のステラは、鮮麗された見た目と相俟って麗しく見えた。日に照らされた表情が淡い。心なしか、頬には紅が差してあるようにも見えた。
「先輩はなにをお願いしたんですか?」
「俺?」
「はい。先輩のも教えてほしいです」
「ステラと大体同じようなもんだぞ。……まぁ、受験生らしく勉強とか、だな。あとは、……俺も、あの場所がなくならないといいよな、って」
 やはり、それが隠しきれない本心だった。
「俺は、あの司書室って居場所があったから、今の俺がこうしているって思うんだよな。あの変人も、ステラも、いてくれたから、俺は変わろうとできているんだと思う」
 まだ、変わったと言うには不十分かもしれないが。
「……先輩はやっぱり変わったと思います。わかりやすくなりました」
「わかりやすい?」
「はい。わかりやすくなりました。前の先輩は素は出してくれないし、こうやってお話してくれませんでした」
「……そうだったかもな」
 あの時の俺はだって、という言い訳を飲み込んだ。
 どんな言葉で装飾したって、誤魔化したって全ては言い訳になる。それが当時の俺だった。こうして気づけなければ、今も変わらず、閉じこもった孤独な人生を正解だと思って生き続けていたんだろう。
「……ありがとな」
「いいんです。あそこはみんなの居場所、なんですから」
 柔らかくしっとりと紡がれた言葉の響きに心臓が誤作動のように鼓動を早める。
 おい俺、そうやって言葉を自分勝手に都合よく解釈するな。
「そろそろ行きましょうか。私、おみくじしたいです」
「あぁ、それもいいな」
「って、ことで先輩」
 ステラの指さす方、おみくじの周りには、人だかりができている。
「あそこに行きたいんですけど、人が多いじゃないですか」
「あぁ、そうだな」
「行ったらはぐれちゃいそうですね」
「結構、密になっているもんな」
「……はぐれたら、困るので」
 ステラの左手が、俺のコートの袖口を遠慮がちに摘む。
「……………手、繋いでもいいですか?」
 熱を帯びた甘い言葉が、俺の鼓膜を静かに揺らす。
 ずるいと思った。
「……好きにしたらいい」
 断るなんて選択肢はない。
 俺になかったのは、その先の、素直に頷く器量だった。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
 控えめなスロースピードでコートの中、俺の右手にステラの左手が辿りつく。そしてお互い、手のひらを合わせるように密着させ、そのまま互いの指が交互に絡むように軽く握りしめる。温かく、どこか柔らかい肌の感触が新鮮だった。
 ステラと、手を繋いでいる。
「……あったかい、ですね」
「嘘つけ。俺の手、ステラより冷たいだろ」
「先輩のばか。わかっても言わないのがロマンチックなんですよ」
「そういうものなのか」
「そういうもの、なんです。……それに、ちゃんと温かいって感じることができていますから、あながち嘘じゃないんですよ」
 手を繋ぐことで必然的に近づいた距離感に慣れぬ心臓が暴れる。
言葉以上に、それは心臓に悪かった。
「……行くぞ」
「……はい」
 横に並び、歩みを進める。
 頬が赤いのはもう、言うまでもない。

 俺はあの変人の言う通り、恋をしているからだと思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

処理中です...