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10話③
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「……」
「……」
お互いの間にあるのはただの沈黙だった。とりあえずステラを部屋の中へと招いたのは良かったが、それ以降の行動が思いつかない。いつもの癖で互いに普段座っている席へ腰を下ろしただけ。目も合わせなかった。
目を合わせられなかったのは、合わせてしまうとこの先の展開が始まってしまうと思ったから。このまま現状維持のような時間の経過を見守ることしかできなかった。言葉一つ誤るだけでこの世界が崩れてしまうと思った。
「…………あの、先輩」
どれほど経ったのかわからない静寂を破ったのはステラだった。
「渡したいもの、渡してもいいですか」
「あ、あぁ……、うん」
俺の曖昧な相槌を聞いたステラは自身のリュックサックから丁寧に丁寧に小箱を取り出し、それを俺の方へと差し出した。
「バレンタインのチョコレートです。受け取ってもらえませんか」
「い、いいのか……?」
「……はい。頑張って作ったので、受け取ってもらえると嬉しい、です」
「……ありがと、な」
俺はその小箱をどこか震えそうな手で受け取る。片手で受け取るのもどうかと思い、両手で受け取ったがこれはなにかに似ていると思った。あぁ、あれだ、まるで卒業式で卒業証書を受け取る時みたいだ。変だが、でもしょうがないじゃないか。俺からするとそれくらい、いやそれ以上の価値のあるものなんだから。
そして手元の小箱へと視線を移す。さっきあの変人の手元にあったものとは外の包装から既に違った。透明なビニールなんかじゃなくて、小箱、だ。それもこれもまたリボンなんかをあしらわれたかわいらしいもの。言うなれば、この前の誕生日プレゼントの時と同じような丁重な装飾。とても義理とは思えないその容姿に嫌にも意識をしてしまう。
「……開けてもいいか」
「……はい」
「……じゃ、遠慮なく」
俺は黒いリボンをしゅるっと簡単に解くと、ゆっくりと箱の蓋を外す。中には縦に三つずつ、横に四つずつの計十二個、丸い粒状のチョコレートが規則正しく並んでいた。ただ、同じものが並んでいるわけではなく、アラザンやチョコペンといったもので表面がカラフルにデコレーションされている。
「先輩でも食べられるように、ビターチョコレートをベースにしてみたので、お口に合うと思います。……その、溶かして固めてちょっと手を加えただけなんですけど……」
「ありがとな、わざわざビターで用意してもらって」
「いいんですよ。せっかくなら、先輩に美味しく食べてほしいので。それに、食べてもらえなかったら悲しいですし」
「助かるよ、ありがとうステラ」
そうだとしても、自分の好みに合わせて作ってくれた時点で俺は嬉しいが。あの変人と同じよう、もし口に合わなかったとしても全部食べるだろう。
「……食べてもいいか」
「……はい。どうぞ」
小さく頷くステラを確認すると俺は並んだチョコレートの一番右上、右端の一粒を摘まむとそのまま口の中に入れた。外側のデコレーションによって一瞬甘みが口の中に広がるが、噛むことで中のビターチョコレートが、カカオの苦みがそれを払拭する。その苦みというのも存在感はしっかりとあるものの暴力的な苦みではなく甘さがあったからこそに引き立つといった香り豊かなものだった。
「ど、どう、ですか……?」
「おいしい」
「よ、よかった」
「ありがとな」
「喜んでもらえてよかったです」
俺はその後もチョコレートを堪能するように口へと運ぶが、四つ目を口の中に入れた時だった。一度噛んだ瞬間、口の中で今までのものとは圧倒的に違う違和感に気づいた。
「……な、なぁ、ステラ」
「なんですか?」
「……なんか一個、極端に甘いものが入ってるような気がするんだが」
ビターチョコレートとは思えない、なんなら今までビターチョコレートを口にしていたからか、対照的、暴力的に甘いチョコレートが紛れ込んでいた。思わぬ存在に舌が驚く。
「……あぁ。それは、あたり、です」
「……あたり?」
「……少し、話してもいいですか?」
「え? あ、あぁ、それはいいが」
……あたりってなんだ。
そんな思いを抱きつつ、俺はその小箱を一度机へと置いた。
「……私はここに来る前、すごく怖がりでした。人の関わり方、自分の保ち方。それこそ、私って一体なんなんだろうってわからなくて、不安で、自分の居場所なんてもうここにはないんだって思っていました」
ステラの言葉が、過去の時間を遡るように記憶を呼び起こしていく。
「先輩の存在のことは簡単にですけど兄さんからは事前に聞いていました。……でも、ごめんなさい。今だから言いますが、当時の私は先輩のことを少しだけ疑っていました。言い方が悪くなりますけど、先輩もきっと今まで出会った人のように私の苦手な人かもしれないって思っていました。……だから、先輩があの司書室を出るまでの間、互いに何事もなく穏便に時間が経てばいい、そう考えていました」
『一年一組。白樫ステラ、です。よろしくお願いします、烏屋先輩』
『だから先輩もそういう本を読んでいたんですか?』
「……でも、先輩は私が思っていたような人なんかじゃなかったんです。私が知ってるような悪い人じゃないのかなって。不器用なだけで、下手くそなだけで、本当は優しい人なんだって」
「……下手くそって言うなよ」
「……下手くそでしたよ、出会った頃は」
「……かもな」
「……はい」
『……私は、どうしたら、よかったんでしょうか』
『ひとりに、しないでくだ、さい』
「本当の先輩は、私とおんなじでつらいことを過去に経験した人で、でもどこかで人のことを完全には放っておけなくて、ちょっぴりかっこいい人でした」
「……そんなわけ」
「そんなわけがあるんです。卑屈な先輩にはわかんないでしょうけど、ね」
「ひどい言い方だな」
「先輩が認めてくれないからです」
『ありがとうございます、宝物にしますねっ』
「先輩のおかげで今の私は毎日が楽しいって思えるようになれました。少しずつですけど、前よりも授業に出る時間も増えて、リハビリのような毎日を過ごせています。半年前じゃ考えられないような、素敵な日々をまた噛みしめることができました。でもそれは、ここがあったから。……先輩が、ここにいてくれたから、なんです」
ステラの瞳の中に、花緑青の中に俺の姿が綺麗に映る。
俺の心の奥までを見透かされてしまうかと思った。
「それは、この場所が避難所だったから、誰かと話せる唯一の居場所だったからというのもありました。最初から、そのつもりでここには来たので。……でも、そうじゃなくて。一番は、先輩の傍にいられる時間が居心地よかったから、なんです」
『……その、もっかい、頭撫でてください。頑張ったね、って』
『初めての電話がクリスマスの朝だなんて、なんだかロマンチックですね』
「……きっかけは覚えていません。きっとそういうものじゃなくて、日々の積み重ね、些細な日常の中で、惹かれていったんだと、思います」
ステラの口がゆっくりと、動く。
そこだけ、スローモーションで見ているようだった。
「先輩のことが好きです」
告白された。
「私と、付き合ってもらえませんか」
そこまで言葉を紡ぐと、様々な感情を抱えて限界だったのか、表情を隠すように少しだけうつむく。きっと、見たところで大した感情は読めないし、もう既にそれなりの感情は掴めている、が。
「……なぁ、俺も話したいことがあるんだ」
いつか話そうと思っていたことを俺にもあった。
「話してもいいだろうか」
「……はい」
ステラは小さく頷くが、うつむいたままだった。
「……俺は、人間が嫌いだった。人間はみんなどこか利己的で損得で生きていて、下心を持ち合わせていて、偽るように生きているんだって思っていた。それが嫌いだった。見ていて苦しかった。そんなものに囲まれて生きることが嫌でたまらなかった。だから、これからずっと人間との関わりを減らすように独りで生きていけば、誰にも邪魔されずに思うように生きていけるって思っていた。そうすれば、もし仮にふと死にたくなったって後ろ髪を引かれることなく死ぬことができる。繋がりもない分、後悔もないに違いないって」
それが今までの生き方だった。
それでいいと思っていた。
それが俺なりの美徳で幸福論。
だから、ずっとあそこで行き場のない感情を燻っていた。
「……でも、おかしいよな、そんなの。ステラとかあの変人に出会って考え直したんだ。本当にあのまま独りでいた方がよかったのか、って。答えは言うまでもなく間違っていた。俺は、全員を信じることも、受け入れることもきっとできない。まだ、そこまで強くはなれていないから。でも、みんながみんな、悪い人間じゃなかったんだよな」
目隠しをしていただけ、食わず嫌いをしていただけ。
世界は多様な色で染められていたのに、それを黒一色だって思い込んでいたのは俺だ。
世界はそんなものじゃなかった。
ちゃんと綺麗な色を持っていた。
それは俺が生まれる前からずっと、変わらない真理なのに。
「俺は、ステラがいてくれたから、世界を見る目が変わったと思う。もう少しだけ、頑張ったっていいかもしれないって、思えた。ちゃんと生きていこう、怠惰に身を任せるのはもうやめようって気づけたんだ」
『……頑張りすぎなんです。先輩のばか』
『次は、私のことも頼ってください、ね』
その言葉が一体いくつの俺の壁を、仮面を剝がしたと思っているんだ。ちょろいと思うかもしれない。でも違う。簡単な言葉かもしれない。なんの捻りもない、誰にでも言える言葉かもしれない。
でも、そんな簡単な言葉すら俺は与えられたことがなかった。
それに、その言葉は相手がステラだったからこそ、きっと効果があった。互いに痛みのわかる境遇だったからこそ、汲み取れる感情があり、その言葉に意味が付与される。言葉の力を侮ってはいけない。
「……俺は、まだ弱いと思う。ステラの姿を見て、ようやく感化されるくらいだ。これから先だって何回も迷うし、壁にぶつかって、もがくんだと思う。……でも、頑張るよ。もがいてもがいて、もがきまくって、悩んでみようと思うんだ。……もっと、胸を張れるように生きたいから」
もう、逃げたくないと思えた。
「……俺がそう思えたのは、全部ステラのおかげなんだ。これからだって、……一緒にいたい、そう思えたのはステラが、初めてなんだ。俺は、ステラと一緒に頑張りたい。ステラが言ったように、俺もステラとの時間が、一番楽しい、から」
……これが、俺の答えだ。
「……ステラ、俺の彼女になってくれないか」
「……いいんですか。私、先輩が言うほど出来た人じゃないですよ?」
「……その分、俺が強くなるよ」
「……かっこつけすぎです」
「……かっこつけさせてくれよ、……好きな人の前でくらいは」
「……ずるいです、ばか」
「……ずるくはないと思うけどな」
「……私がずるいと言えばずるいことになるんです」
「……ステラの方がずるくないか?」
「……ずるい私じゃダメですか?」
「……好きだよ」
「……その言葉、ずっと待っていました」
机越しに向き合ったって触れることはできない。
机が二人の邪魔をする。
俺は立ち上がり、机の周りを歩き、ステラの元へと近づく。
ステラも応えるように立ち上がり、向かい合う。
目と鼻の先に俺の好きな人がいる。
「……先輩のことが、好きです」
「……ステラのことが、好きだ」
「……ぎゅーしてほしいです」
「……甘えん坊だな」
「……ダメですか?」
「……そうは言ってない」
俺はその小柄な体を包むように抱きしめる。
ハグなんて初めてのことで力加減なんてわからない。
とりあえず優しく抱いた。
小さな肩が震えている。
……ばか。
俺は知らないふりをして、腕に込める力を少しだけ増やす。
それで肩の震えが止まればいいという、安直な考えだった。
「……」
お互いの間にあるのはただの沈黙だった。とりあえずステラを部屋の中へと招いたのは良かったが、それ以降の行動が思いつかない。いつもの癖で互いに普段座っている席へ腰を下ろしただけ。目も合わせなかった。
目を合わせられなかったのは、合わせてしまうとこの先の展開が始まってしまうと思ったから。このまま現状維持のような時間の経過を見守ることしかできなかった。言葉一つ誤るだけでこの世界が崩れてしまうと思った。
「…………あの、先輩」
どれほど経ったのかわからない静寂を破ったのはステラだった。
「渡したいもの、渡してもいいですか」
「あ、あぁ……、うん」
俺の曖昧な相槌を聞いたステラは自身のリュックサックから丁寧に丁寧に小箱を取り出し、それを俺の方へと差し出した。
「バレンタインのチョコレートです。受け取ってもらえませんか」
「い、いいのか……?」
「……はい。頑張って作ったので、受け取ってもらえると嬉しい、です」
「……ありがと、な」
俺はその小箱をどこか震えそうな手で受け取る。片手で受け取るのもどうかと思い、両手で受け取ったがこれはなにかに似ていると思った。あぁ、あれだ、まるで卒業式で卒業証書を受け取る時みたいだ。変だが、でもしょうがないじゃないか。俺からするとそれくらい、いやそれ以上の価値のあるものなんだから。
そして手元の小箱へと視線を移す。さっきあの変人の手元にあったものとは外の包装から既に違った。透明なビニールなんかじゃなくて、小箱、だ。それもこれもまたリボンなんかをあしらわれたかわいらしいもの。言うなれば、この前の誕生日プレゼントの時と同じような丁重な装飾。とても義理とは思えないその容姿に嫌にも意識をしてしまう。
「……開けてもいいか」
「……はい」
「……じゃ、遠慮なく」
俺は黒いリボンをしゅるっと簡単に解くと、ゆっくりと箱の蓋を外す。中には縦に三つずつ、横に四つずつの計十二個、丸い粒状のチョコレートが規則正しく並んでいた。ただ、同じものが並んでいるわけではなく、アラザンやチョコペンといったもので表面がカラフルにデコレーションされている。
「先輩でも食べられるように、ビターチョコレートをベースにしてみたので、お口に合うと思います。……その、溶かして固めてちょっと手を加えただけなんですけど……」
「ありがとな、わざわざビターで用意してもらって」
「いいんですよ。せっかくなら、先輩に美味しく食べてほしいので。それに、食べてもらえなかったら悲しいですし」
「助かるよ、ありがとうステラ」
そうだとしても、自分の好みに合わせて作ってくれた時点で俺は嬉しいが。あの変人と同じよう、もし口に合わなかったとしても全部食べるだろう。
「……食べてもいいか」
「……はい。どうぞ」
小さく頷くステラを確認すると俺は並んだチョコレートの一番右上、右端の一粒を摘まむとそのまま口の中に入れた。外側のデコレーションによって一瞬甘みが口の中に広がるが、噛むことで中のビターチョコレートが、カカオの苦みがそれを払拭する。その苦みというのも存在感はしっかりとあるものの暴力的な苦みではなく甘さがあったからこそに引き立つといった香り豊かなものだった。
「ど、どう、ですか……?」
「おいしい」
「よ、よかった」
「ありがとな」
「喜んでもらえてよかったです」
俺はその後もチョコレートを堪能するように口へと運ぶが、四つ目を口の中に入れた時だった。一度噛んだ瞬間、口の中で今までのものとは圧倒的に違う違和感に気づいた。
「……な、なぁ、ステラ」
「なんですか?」
「……なんか一個、極端に甘いものが入ってるような気がするんだが」
ビターチョコレートとは思えない、なんなら今までビターチョコレートを口にしていたからか、対照的、暴力的に甘いチョコレートが紛れ込んでいた。思わぬ存在に舌が驚く。
「……あぁ。それは、あたり、です」
「……あたり?」
「……少し、話してもいいですか?」
「え? あ、あぁ、それはいいが」
……あたりってなんだ。
そんな思いを抱きつつ、俺はその小箱を一度机へと置いた。
「……私はここに来る前、すごく怖がりでした。人の関わり方、自分の保ち方。それこそ、私って一体なんなんだろうってわからなくて、不安で、自分の居場所なんてもうここにはないんだって思っていました」
ステラの言葉が、過去の時間を遡るように記憶を呼び起こしていく。
「先輩の存在のことは簡単にですけど兄さんからは事前に聞いていました。……でも、ごめんなさい。今だから言いますが、当時の私は先輩のことを少しだけ疑っていました。言い方が悪くなりますけど、先輩もきっと今まで出会った人のように私の苦手な人かもしれないって思っていました。……だから、先輩があの司書室を出るまでの間、互いに何事もなく穏便に時間が経てばいい、そう考えていました」
『一年一組。白樫ステラ、です。よろしくお願いします、烏屋先輩』
『だから先輩もそういう本を読んでいたんですか?』
「……でも、先輩は私が思っていたような人なんかじゃなかったんです。私が知ってるような悪い人じゃないのかなって。不器用なだけで、下手くそなだけで、本当は優しい人なんだって」
「……下手くそって言うなよ」
「……下手くそでしたよ、出会った頃は」
「……かもな」
「……はい」
『……私は、どうしたら、よかったんでしょうか』
『ひとりに、しないでくだ、さい』
「本当の先輩は、私とおんなじでつらいことを過去に経験した人で、でもどこかで人のことを完全には放っておけなくて、ちょっぴりかっこいい人でした」
「……そんなわけ」
「そんなわけがあるんです。卑屈な先輩にはわかんないでしょうけど、ね」
「ひどい言い方だな」
「先輩が認めてくれないからです」
『ありがとうございます、宝物にしますねっ』
「先輩のおかげで今の私は毎日が楽しいって思えるようになれました。少しずつですけど、前よりも授業に出る時間も増えて、リハビリのような毎日を過ごせています。半年前じゃ考えられないような、素敵な日々をまた噛みしめることができました。でもそれは、ここがあったから。……先輩が、ここにいてくれたから、なんです」
ステラの瞳の中に、花緑青の中に俺の姿が綺麗に映る。
俺の心の奥までを見透かされてしまうかと思った。
「それは、この場所が避難所だったから、誰かと話せる唯一の居場所だったからというのもありました。最初から、そのつもりでここには来たので。……でも、そうじゃなくて。一番は、先輩の傍にいられる時間が居心地よかったから、なんです」
『……その、もっかい、頭撫でてください。頑張ったね、って』
『初めての電話がクリスマスの朝だなんて、なんだかロマンチックですね』
「……きっかけは覚えていません。きっとそういうものじゃなくて、日々の積み重ね、些細な日常の中で、惹かれていったんだと、思います」
ステラの口がゆっくりと、動く。
そこだけ、スローモーションで見ているようだった。
「先輩のことが好きです」
告白された。
「私と、付き合ってもらえませんか」
そこまで言葉を紡ぐと、様々な感情を抱えて限界だったのか、表情を隠すように少しだけうつむく。きっと、見たところで大した感情は読めないし、もう既にそれなりの感情は掴めている、が。
「……なぁ、俺も話したいことがあるんだ」
いつか話そうと思っていたことを俺にもあった。
「話してもいいだろうか」
「……はい」
ステラは小さく頷くが、うつむいたままだった。
「……俺は、人間が嫌いだった。人間はみんなどこか利己的で損得で生きていて、下心を持ち合わせていて、偽るように生きているんだって思っていた。それが嫌いだった。見ていて苦しかった。そんなものに囲まれて生きることが嫌でたまらなかった。だから、これからずっと人間との関わりを減らすように独りで生きていけば、誰にも邪魔されずに思うように生きていけるって思っていた。そうすれば、もし仮にふと死にたくなったって後ろ髪を引かれることなく死ぬことができる。繋がりもない分、後悔もないに違いないって」
それが今までの生き方だった。
それでいいと思っていた。
それが俺なりの美徳で幸福論。
だから、ずっとあそこで行き場のない感情を燻っていた。
「……でも、おかしいよな、そんなの。ステラとかあの変人に出会って考え直したんだ。本当にあのまま独りでいた方がよかったのか、って。答えは言うまでもなく間違っていた。俺は、全員を信じることも、受け入れることもきっとできない。まだ、そこまで強くはなれていないから。でも、みんながみんな、悪い人間じゃなかったんだよな」
目隠しをしていただけ、食わず嫌いをしていただけ。
世界は多様な色で染められていたのに、それを黒一色だって思い込んでいたのは俺だ。
世界はそんなものじゃなかった。
ちゃんと綺麗な色を持っていた。
それは俺が生まれる前からずっと、変わらない真理なのに。
「俺は、ステラがいてくれたから、世界を見る目が変わったと思う。もう少しだけ、頑張ったっていいかもしれないって、思えた。ちゃんと生きていこう、怠惰に身を任せるのはもうやめようって気づけたんだ」
『……頑張りすぎなんです。先輩のばか』
『次は、私のことも頼ってください、ね』
その言葉が一体いくつの俺の壁を、仮面を剝がしたと思っているんだ。ちょろいと思うかもしれない。でも違う。簡単な言葉かもしれない。なんの捻りもない、誰にでも言える言葉かもしれない。
でも、そんな簡単な言葉すら俺は与えられたことがなかった。
それに、その言葉は相手がステラだったからこそ、きっと効果があった。互いに痛みのわかる境遇だったからこそ、汲み取れる感情があり、その言葉に意味が付与される。言葉の力を侮ってはいけない。
「……俺は、まだ弱いと思う。ステラの姿を見て、ようやく感化されるくらいだ。これから先だって何回も迷うし、壁にぶつかって、もがくんだと思う。……でも、頑張るよ。もがいてもがいて、もがきまくって、悩んでみようと思うんだ。……もっと、胸を張れるように生きたいから」
もう、逃げたくないと思えた。
「……俺がそう思えたのは、全部ステラのおかげなんだ。これからだって、……一緒にいたい、そう思えたのはステラが、初めてなんだ。俺は、ステラと一緒に頑張りたい。ステラが言ったように、俺もステラとの時間が、一番楽しい、から」
……これが、俺の答えだ。
「……ステラ、俺の彼女になってくれないか」
「……いいんですか。私、先輩が言うほど出来た人じゃないですよ?」
「……その分、俺が強くなるよ」
「……かっこつけすぎです」
「……かっこつけさせてくれよ、……好きな人の前でくらいは」
「……ずるいです、ばか」
「……ずるくはないと思うけどな」
「……私がずるいと言えばずるいことになるんです」
「……ステラの方がずるくないか?」
「……ずるい私じゃダメですか?」
「……好きだよ」
「……その言葉、ずっと待っていました」
机越しに向き合ったって触れることはできない。
机が二人の邪魔をする。
俺は立ち上がり、机の周りを歩き、ステラの元へと近づく。
ステラも応えるように立ち上がり、向かい合う。
目と鼻の先に俺の好きな人がいる。
「……先輩のことが、好きです」
「……ステラのことが、好きだ」
「……ぎゅーしてほしいです」
「……甘えん坊だな」
「……ダメですか?」
「……そうは言ってない」
俺はその小柄な体を包むように抱きしめる。
ハグなんて初めてのことで力加減なんてわからない。
とりあえず優しく抱いた。
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……ばか。
俺は知らないふりをして、腕に込める力を少しだけ増やす。
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