奇しくも人間ですからね。

秋音なお

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心売り

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 街を歩いていると、場末にある変な露店を見つけた。
 看板には『心売り』と書かれている。どうやら、それがこの露店の名前らしい。聞き覚えのない言葉と異質な雰囲気に惹かれ、僕はその露店へと近づくことにした。
 中には店主らしき寡黙な人間が一人いて、どうも愛想の悪そうな男だった。錆びたパイプ椅子にどっしりと座り、しわくちゃのスポーツ新聞へと視線を落としたまま、僕が店に近づいたって少しも動かない。接客らしい言葉のひとつも出てこない。心売りという名の露店だと言うのに、店主には人の心ってやつが無いように見えた。もしや、この店主本人すらも自分の心を売り捌いてしまったのではないかという憶測すら浮かんだ。
 露店には十数個の心が売っていた。心という商品の名の通り、如何にもわざとらしく分厚いハートマークが透明なプラスチックパックの中にひとつずつ入っている。スーパーの惣菜コーナーによく似た風景だった。中に入っている心には当然個体差があり、大きさはもちろん、色合いや輪郭のバランス、全てがバラバラ。そして、そんな心たちにはひとつひとつに値札がラベリングされている。どうやら、ここで取り扱っている心というのはどれも提供元が違うようで、値札には名前、年齢、性別、顔写真に価格、更には使用期限までもが記載されていた。そして、その使用期限が短くなってきた心には割引きのシールが追加で貼られていた。本当に、スーパーの惣菜コーナーと遜色なかった。
 ひとつずつ、ゆっくりと陳列された心を見ていると、自然と左胸がむず痒くなる。からっぽなはずの左胸の疼きに、嫌悪に似た不快を感じた。

 僕には心が無かった。
 そもそも心ってなんなんだ。
 僕には無いから、持ったこともないからそれがどんなものなのかわからないんだ。
 存在しか知らない。
 本で読み得たって少しも納得できなかった。
 だって本には、心は平等に誰もが持ち合わせているものだって書いてあるんだ。
 でも僕には無い、持っていない。
 持っていたと感じたことすらない。
 僕の左胸には、本当になんにも無いんだ。
 どうせ僕は欠陥品なんだ、わかっているから。あぁ、きっと。

 心を持たない僕からすると、並んである心はどれもが羨ましく耽美に見えたし、心を売るというその行為自体理解できなかった。心は全て、どんなに高いものでも十万円を下回る。売値ですらこんな安価なんだ。つまり仕入れ値、心の提供元にあたる人間へと払われる対価はずっと安い金銭だ。どうしてそんな少額を得るために心なんて大切なものを売ってしまうのか。心というのは、そんなにも安くて価値の低いものなのか。
「……これ、買ったらどうなるんですか」
「……あんた、これ本気で買う気?」
 新聞へと向けられていた二つの目がぎろっと僕の顔を捉えた。驚くと言うより、呆れに近い声だった。
「やめときな、こんなもの買ったってなんの足しにもなりやしないよ」
「じゃあどうして売ってるんですか」
「それが商売として成り立つからだ」
 店主はあたりまえのことを、あたりまえのように言った。
「そうじゃなくて。商売として成り立つってことは需要と供給が釣り合っているってことですよね」
「まぁ、そういう言い方もできるな」
「その理由が知りたいんです。僕にはこれが、ただのジョークグッズには見えない。僕の欲しかった人の心、そのものに見える」
「それは褒めてんのかい?」
「さぁ、それは僕にも分かりません。ただ、僕が言いたいのは、本当はちゃんとこの心たちに使い道や利用価値があって、それが需要に繋がっているんじゃないかってことです。僕はそれが知りたい」
「そんなの、買った人にしかわからないな」
「この心ってのは、一体なんなんですか」
「………はぁ。……あんた、ほんとくどいね」
 店主はあからさまに大きくため息を吐いた。
「あんた、自己中って言われない?」
「人の心が無いね、とは。……まぁ、本当に持っていないので、事実ですけど」
「あっそ」
 気にも留めないのか、吐き捨てるように返すと店主は立ち上がり、店頭に並ぶひとつの心を手に取った。
「こいつらは見てわかるように人の心だ。表にあるように元々の持ち主がいて、そいつらから切り離した一部になる。心の無いあんたにはわからないだろうな。どうして売るのか、そもそも持ち主から切り離すのか。そして大前提として、心を売るとはなんなのか」
 彼はプラスチックパックから心を摘み上げる。人体の一部だというのに、その質感は肉というよりも売れすぎて表面のぶよぶよとしたトマトのようだった。
「心が無い、という言葉は普段悪い意味で使われる。つまり心というのは少なからず持っておくに越したことがないだろう。人間はコミュニティを形成して生きていく生き物だ。心を持つことで、通わせることで、人間は集団行動を行うことができる」
 摘み上げられた心が赤黒かったからか、どうしたわけか心臓のようにも見えた。左胸が、ざわめく。
「だが、心というものはそう簡単なものじゃない。心の無い人間がいるように、心を持ち過ぎる人間だってこの世には一定数存在する。そいつらにとって、この世は生きづらいんだよ。人一倍、いいや何倍だって物事の変化や人間の喜怒哀楽、言動の背景に勘づいてしまう。本来なら見えない深部ですら、わかってしまう。見たくないと、本人が願っていても、な。だからこうして、俺たちは心を持ち過ぎた人間から心を切り離し、人並みの大きさになるよう調節してるってわけ」
「……じゃあ、僕もそこに売っている心を買ったら、そしたら……」
「そんなに世間は甘くねぇよ、ガキ」
 彼はかつては売り物であったはずの、摘んでいた心を頬張った。いくらか咀嚼し、飲み込み、それらを何度か繰り返すことで心を腹に収めた。一瞬、何が起きたのかわからなかった。
「抱いたって食ったって何したって、心を移植できるわけがないだろ。バカでもわかる。そんなことができるんだったら、そもそもこの世に心の無い人間なんているわけがねぇ。最初っから全部統制されているさ。あんたが心を持たなくて苦しむことだってない。あんたはこれをジョークグッズに見えないと言ったかもしれないが、これは紛れもないジョークグッズだ。こんなものに何かを変える価値なんてねぇよ」
 彼は心の入っていたプラスチックパックをくしゃりと握り潰すとパイプ椅子の方へと投げ捨てた。カラッと乾いた音が小さく鳴った。
「人間は愚かだ。心なんて簡単に手に入らねぇってわかってんのに、わかってるはずなのに、どこかで手に入ると思ってしまう。だから、買ってしまう。食べてしまう。手に入るはずなんてないのにな。俺の商売は、そんな人間の弱みに漬け込んだ悪い商売だよ。いや、商売なんて呼んでいいのかもわかんねえな。これは最早詐欺だ。俺がやってんのは、弱者の足元を見た詐欺紛いなんだよ。あんたみたいな純粋な人間相手にやるような商売じゃないんだ」
 さっさと帰んな、と吐き捨てると、店主は奥の方へと引っ込み、パイプ椅子に座ってまたスポーツ新聞を開いた。方向性も含まれる感情も様々な言葉たちが喉を伝って口へと溢れたが、ひとつもこぼすことなく呑み込み、言われたように店を後にした。
 バレないように、こっそり右端に並んであった心をひとつ盗んで。
 そして、不自然さが滲み出ぬよう、だが逃げるように家路を急いだ。
 幸い、声をかけられなかった。

 家に帰った僕は彼のように盗んできた心を食べた。味はしなかった。
 さっき見た通り、表面はそれこそトマトの皮のような食感で、中身は硬く脆い寒天に似ていた。心の持ち主は女で、どうも幸の薄い顔立ちだった。目元は暗かったし、頬はこけていた。だが、名前を構成する漢字にはいくつも心が含まれていて、それすらも妬んでしまった。
 まるで心に選ばれたような人間じゃないか。
 生まれた時から決まっているなんて、つまらないじゃないか。

 ……僕には、名前だってないのに。

 やることもなく、ただ呆然と時間が過ぎてしまうから、穴を埋めるように片手間にギターを弾いた。なにか曲を奏でるのではなく、ただ手癖で音を鳴らす。
 惰性で時間を浪費する。
 しばらく続けたって無性に虚しいだけだから、惑うようにギターを抱きしめた。
 ギターは冷たくて硬く、そして痛い。

 偶然、ギターのボディに空いた穴が丁度僕の左胸と重なっていることに気づく。
 なにかの風刺みたいで悲しくなる。
 僕の左胸は依然からっぽのままだ。

 ……やっぱり、心なんか食べたって意味がなかった。
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