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二話
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海へ向かう列車の中は時間帯もあってか、座席はほとんど空いていた。
三両目には僕と先輩以外誰も乗っていない。
僕らは十一人がけの長椅子に並んで座っている。
二人の間には、一人分の空白を残して。
先輩はヘッドフォンでロックを音漏れするくらいの大音量で聞いている。
僕はその音漏れを微かに感じ取りながら、先輩の言葉をぼんやりと反芻していた。
……心中、か。
妙にリアリティのある会話だった。
希死念慮に薄く水飴をコーティングしたような言葉。
口に入れてしまえばその本性が毒のように体を蝕んでいく。
そんな言葉だった。
僕は窓の向こう、流れる景色を眺めている。
景色を映像として目に映すだけではダメだと思い、脳に焼きつけるように眺めた。
もう眺めることのできない景色かもしれないと思っていた。
だけどどうしてだろう。
このまま死ぬかもしれないというのに。
思い返す瞬間なんて訪れないかもしれないのに。
景色を、記憶を、脳に焼きつけようとしているんだろう、僕は。
僕は今夜で死ぬかもしれない。
流れに任せて先輩と心中してしまうかもしれない。
それが未遂で終わるかもしれない。
死にきれなくて、体に障害が残るかもしれない。
もう自力で死のうともできないほどの障害が残るかもしれない。
生き地獄のような人生を送る羽目になるかもしれない。
まぁ、この際これからの人生なんてどうだっていい。
でも、この景色を脳に焼きつける行為になんの意味があるんだろう。
死んでしまえば、もう思い返すこともない。
そもそも思い出す脳だって死んでしまうのだから。
例えば、死ぬ前に食べたかったものを食べるというのはわかる。
食べることで得られる幸福とは、食べた瞬間に得られるものなのだから。
でも、記憶に焼きつけるというのは少し違う。
その行動が意味をなすのは今日ではない。
せいぜい今日という日が過ぎて、数日が経ったくらいからだろう。
焼きつけるのは、思い出すための準備工程なのだから。
今日死ぬ人間にとっては、本来必要のない行為に過ぎない。
それとも僕は死にたくないのだろうか。
僕の本心は一体なにを言いたいんだろう。
わかるはずもなかった。
「……電車、次で終点だって」
ヘッドフォンを外した先輩が僕の左耳で囁く。
囁く、と僕は表したが、先輩の声は電車の中というのもあってそれなりに大きくて僕の鼓膜をしっかりと揺らした。爆音で音楽を聞いていたから、声量の感覚もズレていたのかもしれない。
「考えてみたらさ、あたしたち二人でこんなに遠くまで行くなんて初めてじゃない?」
「……たしかに」
僕らはこの各駅停車に揺られてもう一時間半は経っていた。こんな思うままに遠出した記憶はない。僕らはせいぜい、学校や近くのコーヒーショップが行動圏内だった。
「……懐かしいな」
「どうしました?」
「君と初めて会った日のこと、思い出しちゃって」
しんみりと、先輩は呟いた。
「あー。……高校の屋上」
「そう。昼休み前の四限の屋上はあたしの特等席だったのに君がいたんだもん。最初見た時はびっくりしたなぁ。そこ、あたしの居場所なのにーって」
「あはは、そんなこと言ってましたね」
脳裏に当時の情景が浮かぶ。
第一志望の高校に落ちてそれこそ投げやりになっていた僕はよく授業を抜け出していた。
そんなある日、屋上で出会ったのが先輩だった。
「でも、だからって先輩は僕のこと追い返さなかったですよね。あれ、すごくありがたかったです」
「あたりまえじゃん。あたしだって人のこと言える立場じゃないんだし。ほら、それにさっきも言ったじゃん。君からは、あたしと同じ匂いがする、って」
そろそろ耳にタコができた頃かな。なんて先輩はわざとらしく聞いてくるから僕が控えめに頷くと先輩はだよねー、って笑った。
「あたしと君は家庭環境も違うし、目指す場所も、好きなものも、今までに経験したことだって違う。ただただ、苦手なものが同じだっただけ。あの時は高校で、今はきっと生きることとか、前を向くこととか、もしかすると人生そのものかもしれない。君のことだって全てはわからないけれど、でも君のことをあの時からずっとほっとけないって思っているのは、紛れもないあたしの本心だよ」
列車内に車掌の声が響く。
もうじき終点に停まるとアナウンスが流れた。
外は暗くて景色の大半が群青と黒の間みたいな色で塗りつぶされている。
海が近いからか、灯りが少ない。
「……あの」
「ん?」
「……先輩は、本当に心中したいんですか」
弱音が口を滑った。
死ぬことに覚悟がないからかもしれない。
「さぁね。あたしにもまだわかんない。だから確かめに行くんだよ、今から。海は平等で、あたしたち人間に対して寛大だからね」
プシューと音が鳴る。列車のドアが開く。
微かに海の香りがする。
「あたしはなにかわからなくなったり道に詰まると海に行くようにしてるの。海を目の前にして、ただただ地球の自転に合わせて時間を過ごす。急ぐことも遅れることもなく、一定のスピードで進んでいく世界に身を委ねる。そしたら、なんだかあたしの探していたものが見つかる気がしてね。あたしのおすすめ」
よかったら君もいつか、なんて言うから僕は困るように「まぁ機会があれば」なんて変な社交辞令をこぼす。先輩の言う、いつか、っていうのはいつなんだろうと思った。そもそも、そのいつかってのが来るのかまだわからないというのに。
……それにだって。
「あたしが一緒に行けるのは、これが最後かもしれないからさ」
その言葉が来ることもわかっていたから。
僕は今、どんな顔をして先輩の言葉を聞いているんだろう。
「ほら、行こうか」
「……はい」
僕はつられるように列車を降りる。
先輩の顔が、不思議なくらいに綺麗だった。
三両目には僕と先輩以外誰も乗っていない。
僕らは十一人がけの長椅子に並んで座っている。
二人の間には、一人分の空白を残して。
先輩はヘッドフォンでロックを音漏れするくらいの大音量で聞いている。
僕はその音漏れを微かに感じ取りながら、先輩の言葉をぼんやりと反芻していた。
……心中、か。
妙にリアリティのある会話だった。
希死念慮に薄く水飴をコーティングしたような言葉。
口に入れてしまえばその本性が毒のように体を蝕んでいく。
そんな言葉だった。
僕は窓の向こう、流れる景色を眺めている。
景色を映像として目に映すだけではダメだと思い、脳に焼きつけるように眺めた。
もう眺めることのできない景色かもしれないと思っていた。
だけどどうしてだろう。
このまま死ぬかもしれないというのに。
思い返す瞬間なんて訪れないかもしれないのに。
景色を、記憶を、脳に焼きつけようとしているんだろう、僕は。
僕は今夜で死ぬかもしれない。
流れに任せて先輩と心中してしまうかもしれない。
それが未遂で終わるかもしれない。
死にきれなくて、体に障害が残るかもしれない。
もう自力で死のうともできないほどの障害が残るかもしれない。
生き地獄のような人生を送る羽目になるかもしれない。
まぁ、この際これからの人生なんてどうだっていい。
でも、この景色を脳に焼きつける行為になんの意味があるんだろう。
死んでしまえば、もう思い返すこともない。
そもそも思い出す脳だって死んでしまうのだから。
例えば、死ぬ前に食べたかったものを食べるというのはわかる。
食べることで得られる幸福とは、食べた瞬間に得られるものなのだから。
でも、記憶に焼きつけるというのは少し違う。
その行動が意味をなすのは今日ではない。
せいぜい今日という日が過ぎて、数日が経ったくらいからだろう。
焼きつけるのは、思い出すための準備工程なのだから。
今日死ぬ人間にとっては、本来必要のない行為に過ぎない。
それとも僕は死にたくないのだろうか。
僕の本心は一体なにを言いたいんだろう。
わかるはずもなかった。
「……電車、次で終点だって」
ヘッドフォンを外した先輩が僕の左耳で囁く。
囁く、と僕は表したが、先輩の声は電車の中というのもあってそれなりに大きくて僕の鼓膜をしっかりと揺らした。爆音で音楽を聞いていたから、声量の感覚もズレていたのかもしれない。
「考えてみたらさ、あたしたち二人でこんなに遠くまで行くなんて初めてじゃない?」
「……たしかに」
僕らはこの各駅停車に揺られてもう一時間半は経っていた。こんな思うままに遠出した記憶はない。僕らはせいぜい、学校や近くのコーヒーショップが行動圏内だった。
「……懐かしいな」
「どうしました?」
「君と初めて会った日のこと、思い出しちゃって」
しんみりと、先輩は呟いた。
「あー。……高校の屋上」
「そう。昼休み前の四限の屋上はあたしの特等席だったのに君がいたんだもん。最初見た時はびっくりしたなぁ。そこ、あたしの居場所なのにーって」
「あはは、そんなこと言ってましたね」
脳裏に当時の情景が浮かぶ。
第一志望の高校に落ちてそれこそ投げやりになっていた僕はよく授業を抜け出していた。
そんなある日、屋上で出会ったのが先輩だった。
「でも、だからって先輩は僕のこと追い返さなかったですよね。あれ、すごくありがたかったです」
「あたりまえじゃん。あたしだって人のこと言える立場じゃないんだし。ほら、それにさっきも言ったじゃん。君からは、あたしと同じ匂いがする、って」
そろそろ耳にタコができた頃かな。なんて先輩はわざとらしく聞いてくるから僕が控えめに頷くと先輩はだよねー、って笑った。
「あたしと君は家庭環境も違うし、目指す場所も、好きなものも、今までに経験したことだって違う。ただただ、苦手なものが同じだっただけ。あの時は高校で、今はきっと生きることとか、前を向くこととか、もしかすると人生そのものかもしれない。君のことだって全てはわからないけれど、でも君のことをあの時からずっとほっとけないって思っているのは、紛れもないあたしの本心だよ」
列車内に車掌の声が響く。
もうじき終点に停まるとアナウンスが流れた。
外は暗くて景色の大半が群青と黒の間みたいな色で塗りつぶされている。
海が近いからか、灯りが少ない。
「……あの」
「ん?」
「……先輩は、本当に心中したいんですか」
弱音が口を滑った。
死ぬことに覚悟がないからかもしれない。
「さぁね。あたしにもまだわかんない。だから確かめに行くんだよ、今から。海は平等で、あたしたち人間に対して寛大だからね」
プシューと音が鳴る。列車のドアが開く。
微かに海の香りがする。
「あたしはなにかわからなくなったり道に詰まると海に行くようにしてるの。海を目の前にして、ただただ地球の自転に合わせて時間を過ごす。急ぐことも遅れることもなく、一定のスピードで進んでいく世界に身を委ねる。そしたら、なんだかあたしの探していたものが見つかる気がしてね。あたしのおすすめ」
よかったら君もいつか、なんて言うから僕は困るように「まぁ機会があれば」なんて変な社交辞令をこぼす。先輩の言う、いつか、っていうのはいつなんだろうと思った。そもそも、そのいつかってのが来るのかまだわからないというのに。
……それにだって。
「あたしが一緒に行けるのは、これが最後かもしれないからさ」
その言葉が来ることもわかっていたから。
僕は今、どんな顔をして先輩の言葉を聞いているんだろう。
「ほら、行こうか」
「……はい」
僕はつられるように列車を降りる。
先輩の顔が、不思議なくらいに綺麗だった。
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