秋音なお

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三話

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 午後九時を過ぎた夜。海には人が誰もいない。
 こんな僕らみたいな人が他にも居たらなんて思ったけど要らぬ杞憂だったようだ。
 まぁ、僕らみたいな人間がそう何人も居たら困る。
 日本の将来が不安になるばかりだ。
 果たして、それは若者の不甲斐なさばかりが原因なのか。
 誰もわかりはしないのだが。

 僕らが海と呼んでいたのは海水浴場や防波堤のことではなくて、海に面しているだけの場末のような所だった。足場は岩混じりの砂地で覚束無いし、灯りだって近くの街灯がひとつだけ。そいつが朧気に光っているだけだった。そんな街灯の下、地面に僕らは腰を下ろしている。

「疲れたでしょ、はいこれ」
 先輩はビニール袋から途中のコンビニで買っていた缶チューハイを僕へと差し出した。パッケージには、輪切りのレモンが描かれている。
「……あの、僕まだ二十歳なってなくて」
「あれ、そだっけ?」
「一応、来月で二十歳って感じで」
「あー、んー、そっかー。んー……じゃあやっぱ飲むのはダメー。なんだか悪いことさせてるみたいになっちゃうし、じゃあ君はこっち」
 先輩はビニール袋から今度はエナジードリンクを取り出す。
 これならいいでしょ、と僕へ差し出した。
「これで乾杯しよ」
「はい」
 受け取った缶のプルタブを開ける。
 人工甘味料特有の甘ったるい匂いが弾けた。

「かんぱーい」

 中身の違う缶を合図と共に交わし、互いに喉を鳴らした。
 しばらくしてタイミングを合わせたかのよう、同時に二人息を吐いた。
 僕はカフェイン、先輩はアルコール。
 互いに違うものとはいえど興奮剤を摂取したせいか。
 僕らはテンションがどこか高くて、些細なことひとつが面白かった。

「……そっか、君も来月で二十歳かぁ」
「おっさんみたいな言い方しないでくださいよ」
「失礼な、あたしはまだぴちぴちの女の子だよ」

 まだ一本目だというのに先輩は上機嫌だ。
 と思ったらよく見ると二本目だった。
 いつの間にか空になった缶が足元に転がっている。
 それにこれらはアルコール度数が高めのチューハイ。
 そりゃ酔いが回るのも早いと思った。

 僕らはツマミとしててきとーなスナック菓子をつまんでいた。
 でも先輩はそれを口に運ぶ度、どうも顔のトーンが下がっていった。
 そしてそれを誤魔化すように、酒を呷っている。

「……君は一体、どんな大人になるんだろうね」
「どう、でしょうね。そもそも大人になれないかもしれませんよ。……ほら、今日先輩と心中するかもしれないんですから」
「あはは。たしかにそうか、うん。…………そう、だったね」

 先輩がぽつりと呟くから、言葉が真実味を帯びてしまう。
 笑い飛ばして欲しかった。
 これじゃ、ジョークにもなんにもなんない。

「…………馬鹿だなぁ、ほんとにあたしは」
 一口、また酒を呷る。
「……ねぇ、むちゃくちゃなこと言ってもいい?」
「なんですか」

「あたしと心中してほしいけど君にはその後生きてて欲しい」

 そう言うと先輩は二本目も空にして、力なく投げた。
 あまり遠くには飛んで行っていないと思うが、暗闇の中に缶は消えて、変なタイミングでカランと音を立てた。

「……むちゃくちゃですね」
「でしょ」
「どっちも叶えてあげたいですけど、どっちかしか叶えてあげられないんですよ」
 僕は一人しかいないので、と言えば先輩は「なんで君は二人いないの」なんてさらにむちゃくちゃなことを口走る。相当酔ってんだなと思った。

 ……嘘、思い込むことにした。

 先輩の目はしっかりと僕を向いていて。
 これは酒に飲まれた言葉じゃないことはとっくにわかっていた。

「これからどうしたらいいのか、教えてくれないかなぁ」
「教えてくれるのが、海なんじゃないんですか?」
「ばーか。そんなわけないでしょ」
 先輩は三本目に手を伸ばす。
「社会は情報で溢れている。インターネットにはなんでも載っているし、大人だってたくさんのことを知っている。でもあたしたちがちゃんとそれらに目を向けないと意味が無い、宝の持ち腐れ。それに、社会があたしたちに合わせるんじゃないよ。あたしたちが、社会へ歩み寄らなくちゃいけない。海だってそうだよ。本当は、あたしだって正しい答えなんてとっくにとっくにわかってんの」
 三本目が、プシュッと開けられる。
「海に来たのは言い訳が欲しかっただけ。迷った時に背中を押してくれるような存在が欲しかっただけなの。海に来た、というひとつのきっかけが欲しかった。だから本当は、海に来なくたってあたしの中では答えが決まっている。……ただ、その答えを選ぶ覚悟が足りないだけで」
 音楽記号で言うところのデクレッシェンドのように、少しずつ先輩の声は覇気を失っていく。背中が小さく見えた。僕らはバランスを取りやすいように、と体育座りをしていたから、尚更その背中は小さく見える。

「……あたしさ、死ぬことは全然怖くないんだ」

 三本目を半分ほど飲んだ先輩はやけに明るく言った。
「あたしが死ぬことはなにも怖くないの。痛かろうと、苦しかろうと、なんでもいいや、ドンと来いって感じ。きっとあたしの人間らしい本能は全部おかしくなっていて、希死念慮ってやつに犯されてしまったんだろうね。でも、君は別。君には一緒に死んで欲しいし、なんなら私の手で殺したいって思ったこともあるのに、でも一周まわって生きてて欲しいとも思っちゃう。どっちが君のためなのか、そんなことはわかっているのにね。わがままなあたしが一人で死ぬのが怖いんだと思う。なんでこんなに、変なんだろうね、あたし」

 君が決めていいよ、なんて先輩は言葉を委ねるとこくこくと三本目を飲んだ。
 僕の言葉を待つように、ちびちびと飲んでいる。
 しばらくの沈黙が続いた。

「……心中、しましょうか」

 案外あっさりと僕から言葉が出てきた。
 先輩が驚いたように僕の顔を見る。

「……いいの? 後悔しない?」
「でも先輩が死ぬことは確定してるんですよね?」
「えっと、うん、まぁ…」
「じゃあついていきますよ、僕も」

 先輩を模倣するように僕は飲み干したエナジードリンクの缶を投げた。
 ずいぶんと遠くまで飛んだのか、着地した音はほとんど聞こえなかった。

「僕も、先輩と一緒なら怖くないと思うんで」
「……意気地なし」
「先輩には言われたくないかもですね」
「変なところだけ、あたしに似るんだから」
「ずっとそばにいた大人が先輩なんでしかたないですね」
「言ってくれるなぁ、このー!」

 僕らは頼りない身体で掴み合い、揉みくちゃにじゃれあった。
 それは幼い子供がやるようなものだった。
 互いの服が砂や草花に汚れながらもその手を止めず、生き物のように生きた。
 後先考えずに揉みくちゃになるのは汗をかくことに似た爽快感があった。

 そのまま二人、並ぶように地へ寝転ぶ。
 月が浮かんでいる。
 月明かりが僕らを照らしている。
 右を向くと、月に夢中な先輩がいる。
 整った顔が普段より五割増しで綺麗だった。

 僕は素直に、目を奪われている。
 呼吸に合わせて上下する胸元も。
 小さく動く唇も、シャッターを切る澄んだ瞳も。
 その全てが綺麗だ。

「どうやって心中しましょうか」
「海だし、入水とかどう? なんか昔の心中みたいでよくない?」
「太宰治なんかもそうでしたよね。たしか、何回か未遂になっていたような気もしますけど」
「ありゃりゃ、そりゃダメかもなぁ」
「あと僕、こう見えて案外泳げるんですよ」
「ほんと? 実はあたしもなんだよねー」
「じゃあダメじゃないですか」
「ダメダメだー」
「入水は僕らには向いてないかもですね」
「向いてるやつがいいよねー」

 他人事のように僕らは犯行内容について語り合った。
 互いに加害者であり、被害者であった。
 それが、最も美しい僕ら二人の関係性だとも思えた。
 先輩は言うまでもないが、もしかすると僕もカフェインで酔ったのかもしれない。

「首吊りって見つけた人からするとだいぶホラーだよね」
「死体って時点でそもそもがホラーですよ」
「それもそうか」
「そう考えると死ぬって結構不自由ですよね」
「そりゃそうだよ。だってあたしたち、動物だけど人間だもん」

 言葉を紡ぐ唇の繊細な動きですら絵になる。
 僕と同じ人間なのに、どうしてこんなに魅力的なんだろう。

 そしてやっぱり。
 どうして、相手は僕だったんだろう。

「……本当に、僕でよかったんですか」
「あたしが君がいいって思ったから、君を選んだんだよ」
「……どうして、僕なんでしょうか」
「どうして、ね。さっきも言ったけれど、君からはあたしと似た匂いがするから、かな。……でも、君はそれだけじゃ納得ができなかったんだね」
「……すみません」

「……あたしさ、人前であまり弱音を吐きたくないタイプなのよね。なんかさ、かっこわるいじゃん。だからずっと、友達にも恋人にもこんなこと言えなかった。でも、なんでかわからないけど君には言えた。君には、弱い所ところを見せてもいいかなって思えたの。だからかな。最後に心中するなら、弱いところも見せられる君と一緒がいいって思ったのかもね」

 言葉は都合よく解釈される。
 僕の頬が熱を帯びた。

「……もうこの話はやめよ。恥ずかしくなっちゃう」
「そ、そうですね」

 先輩の頬も、赤くなっていた。
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