織田信長 -尾州払暁-

藪から犬

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第二章 台風の目

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 末森城にどすどすと重たい足音が響いている。
 眉も、髭も、森のように生い茂り、平時から戦場にいるかのような仏頂面。通りすがる者は皆思わず気圧されて避けていく。男の名は柴田勝家しばたかついえ。この時、齢三十。亡き織田信秀に早くから信秀に目をかけられ、槍一つでのし上がった家中随一の豪の者である。
「入れ」
 勝家が主である織田信勝の居室を訪ねたとき、佐久間信盛さくまのぶもりも来ていた。
 信盛は勝家が来ることを知っていた様子で、視線一つ動かさず、じっとしていた。『この同輩はどこかいつも眠そうな顔をしているな』と、勝家は思った。
 信勝は座ったまま、飼っている百舌鳥もずに餌をやっていた。
「知っているか、勝家。こんな小鳥でも狩りができるのだよ」
すこし高い独特な信勝の声を聞くと、勝家はにわかにここを訪れた理由に立ち返り、
「信長さまにご隠居いただこうと思っとります」
 脈絡のない告白である。
「おまえは必要なことしか言わないな。女に好かれんだろう」
 決して礼節のない男ではないが、信秀の墓前へ無礼を働いたあのうつけに対する怒りが日を置いた今でも晴れずにいるのである。
「だそうだが、信盛。お前はどう思う?」
 信盛は依然として落ち着き払ったまま、
「林兄弟は既に信勝さまからお声がかかるのを待っていることでしょう。勝てると分かれば必ず乗ってくる。あれらを抱き込んで戦えば、十中八九負けることはありますまい。信長さまに味方するのはもう平手政秀ぐらいのもの」
 平坦な声で粛々と述べた。
「さすがに平手はこちらへつかないと思うか。ふふ。老いるとどうも頑迷になるというからな」
「マア、そうかもしれませんな」
 信勝は軽薄な口調で笑いかけたが信盛はそれには乗らずに適当な相槌を打った。
「この勝家を信長さまの元へ遣わせてください。必ずや説得してご覧に入れます」
 勝家の目がまっすぐに信勝を貫いた。落ちくぼんで美しくはないが、虚飾を言っている目ではない。しかし、「説得」というよりは、暗殺に行く鉄砲玉の覚悟を秘めたような暴力的な眼光である。
 柴田勝家、佐久間信盛、そしてこの場には居ないが信盛と同じ佐久間一族の盛重もりしげという怪力の男が、信勝の主要な家臣である。いずれも弾正忠家重臣の中で武勇に優れた者たちだ。
『例え林兄弟が味方にならずとも、これだけの猛者が戦場で働いたなら、うつけの兄に負ける心配などは何処にもない。マア、林兄弟の、とりわけ弟の方の信長嫌いは有名な話だから、あれが信長に付くなどということはそれこそ万に一つもないのだが』
 信勝が鷹揚としていられるのは、こうした猛者の取巻きがいるからだが、それを笠に着て偉そうな態度を表立ってとらないのがこの次男坊の優れたところだ。いかにも「自分は謙虚で、頭の足りない兄の尻ぬぐいをする苦労人だ」という印象を他者に振りまいている。
 つまりは役者なのだが、この頃はそうでもない。芝居に疲労の色が見え隠れし始め、ついに勝家や信盛らの側近の前では、取り繕うことをやめたようである。
 信勝は、勝家の眼光に緊張した肩の力を抜くようにフと息をついた。
「マア、待て。お前の気持ちもわからないではないが、いますぐに兄上と事を構えずとも良いじゃないか。何せ筋目というものがある。あれが家督を継いだのは、一応は父の遺言なのだ。父の死からはまだ日が浅い。あまり品を欠いた動きをしては、その後が面倒になってしまうだろう。それにあの兄上のことだ。そのうち、『これなら家督を取り上げられても仕方がない』と、誰もが納得するような事件を、あと二、三起こしてくれるかもしれない。
 しかし、そう考えると兄上という人も不憫じゃないか。「大うつけ」などと皆は言うがあれは丸きり病だろう。その実、苦しんでおられるのかもしれない。ハハ。隠居の後は俗世を離れ仏門にでも入られるのがよろしかろうな」
「殿、しかし……、」
「今川のことだろう、お前が言いたいのは。分かっているよ。今川本国とは上手くやりたいが、鳴海城の山口教継を野放しにしては家中に示しがつくまい。だが、そのためにも今は内輪で事を起こしたくはない。それに、お前は「自分を那古野へ派遣してくれ」と言うが、いざとなれば、『信長を斬って、自分も死ぬ』という腹なのだろう? 私への忠義は見上げたものだが、たかだか兄上に退いてもらうためだけに、お前を失うこともない。あまり面と向かって恥ずかしいことを言わせるな、察しの悪い奴め」
 急におだてられた勝家は狼狽するのを隠すために平伏した。
「勿体なきお言葉。そこまでお考えであれば、これ以上勝家から申し上げることはありません」

 葬儀の日以来、家中のほとんどの者たちは「遅かれ早かれ信勝が家督となる日がくるだろう」と考えた。
 信長の後で焼香に立った信勝は、まったく折り目正しい正装、礼節を弁え、滞りなくその後の葬儀を取り仕切って見せた。落ち着き払った堂々たる姿に、平手などは何度「これが織田信長であったら、」と悔恨したか知れない。
 信秀の存命時、大うつけの若殿様にかすかな期待を寄せている者たちが、信長自身の率いる例の親衛隊を除いて他に居たとすれば、その期待とは、戦場での槍働きただ一つに他ならない。「血気盛んな馬鹿な若者の群れを敵にぶつけて役に立のなら御の字だ」と、そういう訳だが、その欠片ほどの期待すら先年の横山の敗戦できれいさっぱりなくなってしまっていた。
『見かけだけの、はた迷惑な、うつろな馬鹿』
 すでにそれが織田信長の定評だった。
 しかし、そんな馬鹿の話題が、尾張国内どこへ行ってもどうにも尽きないから、これが不思議なのである。
「その鳴海城の事について、折り入って信勝さまのお耳に入れておきたいことがあります」
 信盛が徐に口を開く。
「昨夜、信長さまが我が屋敷へ来られました」
「なんだと?」
 信勝の人差し指に止まっていた百舌鳥が、羽ばたいて自分から籠に入った。
 佐久間信盛は咳払いを一つすると、また落ち着き払った声をつくり、淡々と事のあらましを語り始めた。
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