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第三章 自由ナ蟻
第33話 城崎にて
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但馬、城崎。
色取り取りの浴衣と羽織に身を包む老若男女の、笑いさざめきながら行き交う夕間暮れ。
地蔵湯橋の中央を、一つの黒い違和感が通り過ぎた。
それは人型をしている。きっかりとした漆黒のスーツに身を包み、緩慢な動作で橋の上をゆったり流れてゆく。周囲より頭二つ分は抜けたその高身長は明らかに2メートル近い。長く伸ばされた黒髪は、その根元で赤い組紐を用いまとめられていた。
彼が一歩一歩をゆっくり進むたび、髪の先端は、ふわり、ふわりと空に遊ぶ。いっそ重力に逆らって見えるほど、自由に、そして不自然に。
地蔵湯前を左折し、北柳通りを進む。その名のとおり川沿いには柳の木が立ち並ぶ。さらさらと、その枝々は風に揺らされていた。
点々と、橙の光があちらこちらに浮いている。
と、するり――何処からともなく二つの影が現れた。影は黒いスーツの男を左右から挟む。一人は男、もう一人は女である。いずれも揃いの黒いスーツに身を包んでいる。
並んだ三人が、ふいと横切ったとある店先。その軒下に下がる提灯の橙光に、三人の左襟がきらと照らし出された。
揃いのラペルピン。モチーフは――鳥だ。
いぶし銀の三つ脚の鳥――烏。
「お迎えが遅くなり申し訳ございません、長」
影の女の言葉に、中央の男が「うん」と微笑む。
「僕の方は問題ないよ。君達もお疲れ様」
返す言葉は、低く穏やかだ。
「米国からの返答はどうだった?」
「寶刀は今しばらく調査に時間がかかると」
長身の男は眉間に皺を寄せて苦笑う。
「彼等が調べても何も出て気はしないと散々言っているのに、本当に話を聞かないね。――今しばらくと言って、月着陸から一体何年経ったと思っているんだろうか」
「二十五年ですね」
影の男の即答に、長身の男は肩をすくめる。
「本当に米国には困ったもんだねぇ。僕は待てるけれど、君達はそうもいかないしなぁ。当時の契約に関わっている者達もずいぶんと亡くなってしまったし。このまま済し崩しにされては困るんだけど」
「制裁をかけますか?」
女の問いに、長身の男は頭を振う。
「いや、まだいいよ。こちらも条件がそろっていないから」
「コダマノツラネはどうなりましたか」
影の男の問いに、長身の男はふわりと困ったように微笑みを返す。
「桑名に入ったよ。解穢の済んだ珠は、キヨムラが抜き出して簪に仕立てたようだ。今は斑の竜胆がそちらを所持している」
北柳通りを果てまでゆき、右折をすると県道に出る。飲食店が開いているものもあれば、今の時刻が盛りと、皓皓と光を道路に吐き出す昔ながらの湯場のゲームセンターもある。
と、人波が途切れた。
重苦しい、ぬめるような黒が空気を染め上げる。
急激な異変を察知した三人は、ざ、とその場に立ち止まった。影の男女に警戒が走る。中央の男が二人に対して交互に視線を投げるや否や、男女はこくりと首肯し、合流した時と同様、するりとその身を何処へともなく掻き消した。
さっきまで其処彼処に見えたはずの温泉客の姿は見当たらない。明らかに、巨大なる神威によって空間がねじ切られていた。
長身の男が困ったように微笑む。足を肩幅に開くと、一つ肩をすくめてから後ろ手を組んだ。
「ようやく顔を出してくれた。君も大概諦めの悪い神だね」
呆れたように眉根を寄せて首を横に振るう。
視線の先に捕らえていたのは――男の人間の形をしてはいるが、人ではないものだった。
紛う方無き美形である。
邦人のような美形ではない。どちらかといえば、インドやパキスタンなどの国民に近い相貌だ。
青味を帯びた白髪はゆったりと波打ち背の半ばまで流されたままになっている。その身に纏うは漆黒の甲冑。はっきりと黒い肌は艶やかで美しい。大きな両の眼は極めて長い睫毛に彩られており、高い鼻梁と分厚い唇は、彼を肉感的に見せていた。
しかし、見せているだけである。
これは、この神の本当の姿ではない。
これはただ、人を模しているのだ。
本来神に形はない。声もない。象徴としての、亀と蛇の交わる姿はあるだろうが、それも飽くまで比喩に過ぎず、本質ではないのだろう。
(我が力を持ってして、抑えてなお自由に横行闊歩。全く黄泉の民は破格よの。――なあ、「伊勢」の長よ)
「貴方に言われたくはないなぁ。玄冥」
五行は水、北方を司る四象が一つ、亀と蛇の姿を持つ玄武の名を男は呼んだ。
この神の声を声として聴きとれるのは、この「伊勢」の長もまた神域の存在であるが故だ。
「まあ、折角だし少しおしゃべりでもしようか、お散歩がてら」
さらり、「伊勢」の背で赤い組紐が揺れた。
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