瑞獣さまは遠慮しない

初椛

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正義を煮つめてジャムにして〜6

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 ニンゲンの複雑な感情を瑞獣さまが理解してくれる日は、まだまだ先になりそうだ。
 まったく、神の眷属は遠慮がないし、世代感ギャップなんかより面倒くさい。
 そもそも割り振られた時間が、私たちとは違いすぎる。

 そんなことを考えていた私をかばうように、瑞獣さまは前を歩いてくれる。
 後ろ姿をしっかり見たことはなかったから、飾り紐や繊細な刺繍をこの機会にじっくり鑑賞する。
 配色は違うけど、アカテンイロウミウシのシュシュみたいなヒラヒラ。
 海の底でゆらゆらとうごめくフロストカラーのフリル。
 ミラクルキュートな天才的造形の触覚。
 一度はダイビングで出会いたいウミウシランキング上位の個体が頭の中に大量発生する。

 そんなほわほわした妄想を邪魔するように、頭の中に不快な雑音が流れこんできた。
 軽くふらつく私の身体を片腕で抱きとめて、瑞獣さまは険しい顔をする。

「予想より早く肥大化しているな。学校という箱は、人の念が集まりやすい。たらふくえさを食って肥え太ったというわけか」

 放課後の時間帯は、ジャージやユニフォームを着た生徒が多くなる。
 この時間帯なら、これといって特徴のないうちの中学の制服も目立たない。
 学校の敷地に入ってからも私をあやしむ人はいなかった。
 瑞獣さまは自分の外見を目立たないように修正をかける裏ワザがあるから、私以上にこの場所にもなじんでいる。
 ご都合能力だとは思うけど、神さまの眷属なら何ができてもおかしくはない。

 額の翠玉に指先をあて、校内の探索に集中する瑞獣さまは真剣な顔をしている。
 不快な音は大きくなっていくけれど、攻撃を受けているわけじゃない。感覚を切り離そうとしたけれど、精神の攻防なんて経験がなくて正直つらい。
 助けがほしくて近くにあった手をにぎると浄化の力が体内をかけめぐる。

「……ありがとう、ございます」
「常に触れていた方が対処が早い。そうやってお前の方から求めてくる場合は、事前に同意とやらを取らずに済むのだろう?」

 妙なところで現代の倫理観を持ち出してくる瑞獣さまは、知識の再構築を日々続けている。
 私がいない間は、柏翁はくおうさんに色々教わったり、街中の声や情報を拾い上げて学習しているそうだ。
 人の行動パターンや規律は、複雑に多様化しているから、アップデートも大変だ。
 
 こうやって手をにぎって、戦いに同行した私のことを覚えていてくれるだろうか。
 ささいなふれ合いや何気ない会話。そういう小さなものすべて。
 そんな気持ちが伝わったのか、瑞獣さまは応えてくれる。

「……忘れるわけがないだろう。オレを粗雑にあつかうニンゲンはお前くらいだ」
「なんか、失礼な言い方ですよね」
「無礼だったのは、そっちだろう」

 軽口を叩きながら私たちは手をつなぐ。そうして校舎内の瘴気を祓いながら目的地へとたどり着いた。

 リィン───。
 鈴の音が響いた瞬間、まばらに見かけていた生徒たちの姿とすべての音が消える。
 窓の外は赤紫に変わり、壁にも廊下にも墨の落書きのようなものがびっしりと書かれた異空間に足を踏み入れる。
 
 真っ黒なモヤみたいな塊から、鈴緒のように垂れ下がった赤い紐。
 うめき声のようなものをあげながら、悪意の塊はゆっくりと回転していた。
 願掛けをした参拝客の強い思いと瀬尾さんへの敵意が混ざりあって、良くないものへと変貌してしまったのだろう。

『あの子があんな話をするからニナは傷ついてた。だから、私たちが思い知らせてやらなきゃ!』

 ニナさんから依頼されたわけではなく、彼女たちは善意だと信じて、瀬尾さんに攻撃した。
 集められた感情や会話がこの場で一気に放出される感覚に思考が持っていかれそうになる。

 和花葉神社へ祈願した人たちの気持ちを逆なでするつもりはなかったのだろう。
 集団心理は悪い方へと傾きやすい。
 私利私欲とは違うからと理由をつけて、他人を傷つけ、その善行におぼれる。
 それは、もう正義じゃない。

『榎田君が彼女と別れて、私のところへ帰ってきますように』
『ムカつく上司がとばされますように』
『2人の結婚が祝福されますように』

 陽の祈りと陰の祈りがぶつかりあって、きりきりとお互いを削り取る。本当なら神社で共存するはずだった願いは、みにくい欲望に変わってしまった。
 和花葉神社に託されたものを正しい形で解放してあげたくて、昇華させることが出来る瑞獣さまを力づけるように名を呼んだ。

「……翠暈すいうん

 どうして自分がそんな名を知っているのか、名を呼ばれた瑞獣さまが満足気に笑ったのか、問いかける間もなく意識が遠のく。
 あたたかく白い光に何もかもが包まれ、かたちを崩していく。
 まばゆさにとけていきながら、目を覚ました時もその名を忘れないでいたいと強く思った。


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