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恋慕日記
あなたのバレンタインより
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幾分か心が晴れやかになった俺は、軽い足取りで、昇降口へと向かった。他の三人は、まだ部活をしていなかったらしく、これからするという。
明日からテスト週間だし、まっすぐに家に帰ろうとした俺だったが、引き止める者があった。
「深山くん。ご無沙汰だね」
柔らかな髪がふわりと踊り、生来の匂いか知らないが、かすかに甘い香りがする。
いたずらっぽく笑う大きな瞳に、すっと通った鼻筋。まるでフランス人形のように細やかで白い肌と、長い睫毛。
すれ違う人、皆振り返らずにはいられない。
その人となりを知っている俺としては、淡い幻想など抱きようもないわけだが。
人呼んで女傑。神宮高校執行委員長、綿貫萌菜先輩だ。
「……どうもです」
彼女の美貌に見とれたわけではないのだが、たじろいだようにモゴモゴという。
「部活終わり?」
「はい」
……。俺はなんだか気まずかった。先日会ったときは、少しばかり言い合いをして、そのままだったからだ。
「どうしたの?」
「……いや。先日はすみませんでした」
「何のこと?」
「マントの事件の後、ちょっと言い合いになったじゃないですか」
それを聞いた萌菜先輩は、目を細めるようにした。
「……ああ。そのことか。全然気にしてないよ。私もちょっとむきになっちゃったよ。ごめんね」
「いえ。俺が……」
俺が言葉を続けようとしたところ、萌菜先輩に静止されてしまった。
「この話は終わり。もっと楽しいお話しようよ。今日が何の日かぐらい、君でも知っているでしょう」
口元に笑みを忍ばせながら彼女は言った。
「それが楽しい話なのか、抗議したいところですが、質問には答えます。……ヴァレンタインデーです」
正解、とでも言うように萌菜先輩は微笑む。どうしてこんなに楽しそうなんだろう。こうも彼女が楽しそうだと、ヴァレンタインデーと聞いたら鼻で笑っていた俺が、馬鹿みたいに思えてくる。
そうか、ヴァレンタインデーは楽しいものなのか。わーい。
……。
「女の子とばかりお話している深山くんは、いくつぐらいチョコレートを貰ったのかな?」
「発言の前半部分でとんでもないことを言っている気がするんですが」
俺はたらしになった覚えなど断じてない。
「だってそうでしょう。深山くんの会話相手って、さやかに、佐藤さんに、夏帆ちゃんに、私。男子は山本くらいじゃない? 単純に考えれば、会話の八割が女子よ」
否定したいのに、間違いを見つけられなくて、俺は同意せざるを得なかった。……俺の中では、綿貫以外女ではないんだよな、とか言ったら、さしもの萌菜先輩でも平手打ちくらいしてくるかもしれない。
「……」
「それはいいとして、で、結局何個?」
「黙秘権を行使します」
そもそも答える義理などないわけだが。
俺のそっけない態度を、萌菜先輩は気にせず、指を折り始めた。
「とりあえず夏帆ちゃんでしょう。あと、さやかも。作っているの見たから」
「さやかさんはいいとして、なんで夏帆ちゃんがくれたこと知っているんですか」
やっぱりわかる人にはわかるのだろうか。本当に兄妹愛にあふれている俺達のことが。なにせ人類で一番美しい愛の形だからな。欲望も、見返りも何も存在しない、真に無償の愛。
どんな邪知暴虐の王でも、夏帆ちゃんのような妹がいれば、改心するに違いない。必要なのは、メロスとセリヌンティウスの、ラブシーンではないのだ。
……夏帆ちゃんを誰かに渡す気は毛頭ないが。
萌菜先輩は首を傾げて言った。
「超能力?」
……どうやら俺たちの美しい愛の形を、理解したわけではないらしい。
俺が胡乱げな目をしたところ、
「冗談よ。メールで聞いたの」
俺の知らないうちに、妹と連絡先を交換していたのか。……俺夏帆ちゃんとメールできないのに。そろそろ携帯電話を持つ頃なのかもしれない。
萌菜先輩は続けた。
「……佐藤さんもくれそうね。幼馴染らしいし」
チロルチョコだったけどな。……いやいいんだ。こういうのは、内容ではない。ハートで勝負だ。佐藤なりの最大限の愛情を、一個のチロルチョコに託したのだろう。……多分世界で一番重たいチロルチョコだな。絶対違うけど。
萌菜先輩は、俺の沈黙を肯定と受け取ったらしい。
「じゃあ、三個か。なかなかやるねえ。どうりで楽しそうな顔をしているわけだ」
「そりゃ悪い気はしませんよ。好きな女から貰えるならなおさら」
うんそうだ。だから、朝の発言は撤回する。ハッピーヴァレンタイン!
俺のセリフを聞いた萌奈先輩は、微笑んだように見えた。
「……そう」
「萌菜先輩は、どなたかにあげないんですか? チョコレート」
「私?」
「はい。……ほら予餞会のときに、歌を捧げた人とか。……歌上手かったですよ」
俺がそういったところ、萌菜先輩は照れるように笑った。女傑と言われても、周りから完璧超人のように思われても、やはり彼女も一人の少女でしかないのだ。そう思うと、なんだか微笑ましく思えた。
「ありがとう。……頑張ろうかどうか迷ってたんだけどね。君と話して決心したよ」
「渡すんですか?」
「いや、諦める」
てっきり、勇気を出して告白でもするものだと思った。だから、俺は少しの間、目を丸くしたと思う。
「……そうですか。萌菜先輩が決めたのなら、俺は何も言いませんが」
俺と話したせいで諦めてしまうというのは、いい気分がしないが。
「うん。だから、これは貰って頂戴」
そう言って、彼女は鞄から、ラッピングされたチョコレートを取り出した。彼女が想い人に渡そうと準備したものだろう。
「いいんですか?」
「うん。とっといてもしょうがないし。深山ハーレムに属する一員として、深山くんにチョコレート渡さないわけにもいかないでしょう。だから、From your Valentine」
「……ハーレム作った覚えないんですが」
俺は百獣の王というより、孤高の狼。……そういうこと自分で言っちゃうあたり、かなりやばい。
だが、俺の抗議の声は彼女には届かなかったようだ。
「あれ? これだとハーレムの皆で深山くんの取り合いになるのかな?」
「おーい。戻ってこーい」
萌菜先輩は顎を手で触りながら、考え込むようにうつむく。
「さやかは桐壺の更衣? 嫉妬した他の妃達にいじめられちゃうのかしら」
駄目だこりゃ。……この人は俺に相手をしてほしいのだろうか。
……
仕方ない。
「俺はキャパが大きいんで、平等に恩寵を与えられる自信がありますね」
そう言ったら、彼女は一歩身を引いて、
「……気持ち悪い」
と心底、汚物を見るような蔑んだ視線を俺に向けてきた。
これ始めたのあなたですよね。
「深山くんがド変態なのは、まあ知ってたからいいとして」
萌菜先輩もそんな変わらないと思う。言わないけど。
というか、俺が変態なら、綿貫の貞操はとうに破られているはずである。
畢竟、俺は変態ではない。……せめて紳士くらいつけてほしいものだ。
彼女は続ける。
「良いニュースです。四月から、携帯電話及びスマートフォンの使用が、校内でも可能になります」
「へえ。俺は持ってませんが」
「もう一つ。四月から演劇部の活動停止が解除されます」
「ああ、そうですか」
あまり俺には関係ないな。
「最後に。執行部は各委員会、部活との連携を強化したいと思います」
?
「なんですかそれ」
「まあ、楽しみにしといてよ。変態深山くん」
バッチンと音のなりそうなウインク。それからターン。
なんだかよくわからないまま、萌菜先輩は去っていってしまった。
萌菜先輩と別れて、彼女からもらった包の中を、そっと見たところ、メッセージが入っていて、「いつもありがとう」と書かれてあった。もしかしたら、萌菜先輩はツンデレなのかも知れない。……違うか。
家に帰ったところ、お袋に玄関で出くわしたのだが、
「あんた何かいいことでもあったの?」
と顔を合わすなり尋ねてきた。
「なんで」
「だって、今日二月十四日よ。何もないのなら、ムスッとした顔して帰ってきそうじゃない。なのにいつもとおんなじ顔しているわ」
……さすがは我が母親。やはり家族というのは、些細なところまで気づくものなのだろう。俺も夏帆ちゃんの髪型が変わったらすぐに気づくし、最近になって、香水をつけ始めたことも知っている。何なら、全身の黒子を把握しているまである。
……流石に今のは自分でも気持ち悪いと思った。
明日からテスト週間だし、まっすぐに家に帰ろうとした俺だったが、引き止める者があった。
「深山くん。ご無沙汰だね」
柔らかな髪がふわりと踊り、生来の匂いか知らないが、かすかに甘い香りがする。
いたずらっぽく笑う大きな瞳に、すっと通った鼻筋。まるでフランス人形のように細やかで白い肌と、長い睫毛。
すれ違う人、皆振り返らずにはいられない。
その人となりを知っている俺としては、淡い幻想など抱きようもないわけだが。
人呼んで女傑。神宮高校執行委員長、綿貫萌菜先輩だ。
「……どうもです」
彼女の美貌に見とれたわけではないのだが、たじろいだようにモゴモゴという。
「部活終わり?」
「はい」
……。俺はなんだか気まずかった。先日会ったときは、少しばかり言い合いをして、そのままだったからだ。
「どうしたの?」
「……いや。先日はすみませんでした」
「何のこと?」
「マントの事件の後、ちょっと言い合いになったじゃないですか」
それを聞いた萌菜先輩は、目を細めるようにした。
「……ああ。そのことか。全然気にしてないよ。私もちょっとむきになっちゃったよ。ごめんね」
「いえ。俺が……」
俺が言葉を続けようとしたところ、萌菜先輩に静止されてしまった。
「この話は終わり。もっと楽しいお話しようよ。今日が何の日かぐらい、君でも知っているでしょう」
口元に笑みを忍ばせながら彼女は言った。
「それが楽しい話なのか、抗議したいところですが、質問には答えます。……ヴァレンタインデーです」
正解、とでも言うように萌菜先輩は微笑む。どうしてこんなに楽しそうなんだろう。こうも彼女が楽しそうだと、ヴァレンタインデーと聞いたら鼻で笑っていた俺が、馬鹿みたいに思えてくる。
そうか、ヴァレンタインデーは楽しいものなのか。わーい。
……。
「女の子とばかりお話している深山くんは、いくつぐらいチョコレートを貰ったのかな?」
「発言の前半部分でとんでもないことを言っている気がするんですが」
俺はたらしになった覚えなど断じてない。
「だってそうでしょう。深山くんの会話相手って、さやかに、佐藤さんに、夏帆ちゃんに、私。男子は山本くらいじゃない? 単純に考えれば、会話の八割が女子よ」
否定したいのに、間違いを見つけられなくて、俺は同意せざるを得なかった。……俺の中では、綿貫以外女ではないんだよな、とか言ったら、さしもの萌菜先輩でも平手打ちくらいしてくるかもしれない。
「……」
「それはいいとして、で、結局何個?」
「黙秘権を行使します」
そもそも答える義理などないわけだが。
俺のそっけない態度を、萌菜先輩は気にせず、指を折り始めた。
「とりあえず夏帆ちゃんでしょう。あと、さやかも。作っているの見たから」
「さやかさんはいいとして、なんで夏帆ちゃんがくれたこと知っているんですか」
やっぱりわかる人にはわかるのだろうか。本当に兄妹愛にあふれている俺達のことが。なにせ人類で一番美しい愛の形だからな。欲望も、見返りも何も存在しない、真に無償の愛。
どんな邪知暴虐の王でも、夏帆ちゃんのような妹がいれば、改心するに違いない。必要なのは、メロスとセリヌンティウスの、ラブシーンではないのだ。
……夏帆ちゃんを誰かに渡す気は毛頭ないが。
萌菜先輩は首を傾げて言った。
「超能力?」
……どうやら俺たちの美しい愛の形を、理解したわけではないらしい。
俺が胡乱げな目をしたところ、
「冗談よ。メールで聞いたの」
俺の知らないうちに、妹と連絡先を交換していたのか。……俺夏帆ちゃんとメールできないのに。そろそろ携帯電話を持つ頃なのかもしれない。
萌菜先輩は続けた。
「……佐藤さんもくれそうね。幼馴染らしいし」
チロルチョコだったけどな。……いやいいんだ。こういうのは、内容ではない。ハートで勝負だ。佐藤なりの最大限の愛情を、一個のチロルチョコに託したのだろう。……多分世界で一番重たいチロルチョコだな。絶対違うけど。
萌菜先輩は、俺の沈黙を肯定と受け取ったらしい。
「じゃあ、三個か。なかなかやるねえ。どうりで楽しそうな顔をしているわけだ」
「そりゃ悪い気はしませんよ。好きな女から貰えるならなおさら」
うんそうだ。だから、朝の発言は撤回する。ハッピーヴァレンタイン!
俺のセリフを聞いた萌奈先輩は、微笑んだように見えた。
「……そう」
「萌菜先輩は、どなたかにあげないんですか? チョコレート」
「私?」
「はい。……ほら予餞会のときに、歌を捧げた人とか。……歌上手かったですよ」
俺がそういったところ、萌菜先輩は照れるように笑った。女傑と言われても、周りから完璧超人のように思われても、やはり彼女も一人の少女でしかないのだ。そう思うと、なんだか微笑ましく思えた。
「ありがとう。……頑張ろうかどうか迷ってたんだけどね。君と話して決心したよ」
「渡すんですか?」
「いや、諦める」
てっきり、勇気を出して告白でもするものだと思った。だから、俺は少しの間、目を丸くしたと思う。
「……そうですか。萌菜先輩が決めたのなら、俺は何も言いませんが」
俺と話したせいで諦めてしまうというのは、いい気分がしないが。
「うん。だから、これは貰って頂戴」
そう言って、彼女は鞄から、ラッピングされたチョコレートを取り出した。彼女が想い人に渡そうと準備したものだろう。
「いいんですか?」
「うん。とっといてもしょうがないし。深山ハーレムに属する一員として、深山くんにチョコレート渡さないわけにもいかないでしょう。だから、From your Valentine」
「……ハーレム作った覚えないんですが」
俺は百獣の王というより、孤高の狼。……そういうこと自分で言っちゃうあたり、かなりやばい。
だが、俺の抗議の声は彼女には届かなかったようだ。
「あれ? これだとハーレムの皆で深山くんの取り合いになるのかな?」
「おーい。戻ってこーい」
萌菜先輩は顎を手で触りながら、考え込むようにうつむく。
「さやかは桐壺の更衣? 嫉妬した他の妃達にいじめられちゃうのかしら」
駄目だこりゃ。……この人は俺に相手をしてほしいのだろうか。
……
仕方ない。
「俺はキャパが大きいんで、平等に恩寵を与えられる自信がありますね」
そう言ったら、彼女は一歩身を引いて、
「……気持ち悪い」
と心底、汚物を見るような蔑んだ視線を俺に向けてきた。
これ始めたのあなたですよね。
「深山くんがド変態なのは、まあ知ってたからいいとして」
萌菜先輩もそんな変わらないと思う。言わないけど。
というか、俺が変態なら、綿貫の貞操はとうに破られているはずである。
畢竟、俺は変態ではない。……せめて紳士くらいつけてほしいものだ。
彼女は続ける。
「良いニュースです。四月から、携帯電話及びスマートフォンの使用が、校内でも可能になります」
「へえ。俺は持ってませんが」
「もう一つ。四月から演劇部の活動停止が解除されます」
「ああ、そうですか」
あまり俺には関係ないな。
「最後に。執行部は各委員会、部活との連携を強化したいと思います」
?
「なんですかそれ」
「まあ、楽しみにしといてよ。変態深山くん」
バッチンと音のなりそうなウインク。それからターン。
なんだかよくわからないまま、萌菜先輩は去っていってしまった。
萌菜先輩と別れて、彼女からもらった包の中を、そっと見たところ、メッセージが入っていて、「いつもありがとう」と書かれてあった。もしかしたら、萌菜先輩はツンデレなのかも知れない。……違うか。
家に帰ったところ、お袋に玄関で出くわしたのだが、
「あんた何かいいことでもあったの?」
と顔を合わすなり尋ねてきた。
「なんで」
「だって、今日二月十四日よ。何もないのなら、ムスッとした顔して帰ってきそうじゃない。なのにいつもとおんなじ顔しているわ」
……さすがは我が母親。やはり家族というのは、些細なところまで気づくものなのだろう。俺も夏帆ちゃんの髪型が変わったらすぐに気づくし、最近になって、香水をつけ始めたことも知っている。何なら、全身の黒子を把握しているまである。
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