上高地で出会った金髪美少女は北アイルランド人だった

逸真芙蘭

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梓川の畔ではじめまして

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 梓川あずさがわの川面に映る、夕日を横目にしながら、遊歩道を歩いていた。
 その清流は、山頂から見ても、こうして横に立って、見ても美しく目に映った。
 都会の喧騒けんそうの中で汚れた心が、洗われていくような気がした。
 俺が、芭蕉ばしょう山頭火さんとうかのように、詩に愛された人間であったのならば、何か良い歌でも思いついたのかもしれないが、生憎、文学の心を解さなかったので、背筋せすじがぞくぞくした訳をほかの人間に伝えることができない。
 それを残念に思うのだが、そこで、人類が今まで積み上げてきた、文学という一つの芸術をひも解く気にもならないのだった。
 少しの口惜しさを、胸のあたりに残しながら、足を速めた。遅れたら、店長に何を言われるかわからない。

 高校二年の夏休み、俺は上高地かみこうちに来ていた。
 とはいっても登山をしに来たわけでもなければ、もちろん物見遊山ものみゆさんをしに来たわけでもない。俗な言い方をすれば、小遣こづかい稼ぎである。
 俺はとりわけ、意志が強いほうではないので、時間があればあるだけ、だらだらと無為に過ごしてしまう。それは少々もったいない気がしたので、バイトでもして、有意義に過ごそうと考えたのだ。
 上高地は居住地から大分離れているが、せっかくの夏休みなのだ。近所で働くなんて、つまらない。どうせなら、何か特別なことをしようと考え、去年の夏、槍ヶ岳やりがたけを登り終えた後に来た時の美しい情景を思い出し、ここに決めた。
 夏の間、住み込みで働くことになる。交通費を差し引いても、一高校生が一度に手にするには、十分すぎる金が手元に残る。その上、お使いという名目で、山に登ることもできるだろう。これ以上の待遇があるとは思えなかった。
 俺が働くのは上高地に観光に来た客向けに土産物を売っている店だ。店長は愛想のよい人で、高校生である俺を雇う事を二つ返事で了承した。

 今は店から少し下ったところへ荷物を取りに行った帰りである。普段から部活で鍛えているので、これくらいの道で、荷物を運ぶのはわけない事だ。軽く鼻歌を歌いながら、足を運んだ。

 店が見える頃になって、道端みちばたで少女と言ってもいいくらいのよわいの女性が、うずくまっているのに気がついた。
 髪の毛の色は、金色で、異国の雰囲気ふんいきを漂わせている。服装を見るに、登山をしに来たというわけではなさそうだ。ワンピースで山を登っている御仁ごじんなど、未だかつて見たことが無い。
 素通りするわけにもいかないので、近づいてみると、予想通りに日本人の外見ではなかった。声を掛ける。
「大丈夫ですか?体調が悪いんですか」
「あの」その少女は少し言い淀んだが、「はい」とすぐに言った。
 周りに、手荷物が無いので、日帰りの観光客というわけではないだろう。連れがいるのならば、病人を放ってどこかに行ってしまったとも考えにくかったが、
「お連れの人は?」
 と尋ねた。
「私一人です」
 その異国風の、女性は、思ったよりも流暢な日本語を話した。
「近くのホテルに滞在しているんですか?」
「はい。あの赤い屋根の……」
 彼女はホテルの名前をすぐに思い出せなかったようだが、俺にはそれだけで、どこの事を言っているのか分かった。
 今日は平日である、客はそれほど多くない。この、外国人をホテルに連れていく余裕ぐらいあるだろう。
「少し、待っていて。この荷物を置いて店長に訳を話してくるから」

 店長は、人助けをしたいという俺の、要求を直ぐに飲んで、俺を行かせてくれた。
 少女がうずくまっていたところに戻ると、依然として、具合が悪そうに座っている。
「ホテルに連れていってやる。少しの間だけ我慢して」
 俺が少女をおぶろうとしゃがんだところ、少女は遠慮して言った。
「そんな、悪いです。見ず知らずの人に」
「一人で帰られないから、こんなところにしゃがみこんでいたんだろう。それと、山に来るなら覚えておいた方がいい。登山する人間はいつでも、助け合いの精神を持っているのだということを」
「……分かりました。ではお言葉に甘えて」
 俺は少女を背負い、歩き始めた。しゃべらすのはつらかろうと思い、それきりなにも言わない。

 少女の言う、赤い屋根のホテルと言うのは、河童橋かっぱばしから、幾分か下ったところで、大正池の少し上流にある。日本有数の山岳リゾートである上高地に立地する、高級ホテルだ。俺みたいな格好の者が、そのロビーにはいるのは、少々気が引けるのだが、仕方ない。
 エントランスに入ったところで、どちらに行けばよいものかと、あたりを見渡していたところ、黒いスーツを着た黒人男性が、こちらに近づいてきた。サングラスでどんな顔をしているのかはわからなかったが、嬉しくてしかたない、という顔ではおそらくないだろう。俺は思わず後ずさった。
「Lady!」
 その男性が言う。なんだか俺はその男に威嚇いかくされているような心持がした。
「おい、あれは誰だ」
「……旅の連れです」
「お前一人じゃなかったのかよ」
 少女が何か言おうと、口を開きかけたとき、肩に鈍い痛みが走った。見上げると、黒い壁が、少女の連れだという黒人男性が、目の前に立っていた。俺は鳥肌が立った。
「お前何をしている?」
 とても友好的な口調とは思えない。俺は何か言わなくてはと、口をパクパクさせるが、言葉が出て来ない。すると、少女が口を開いた。苦しそうな声で言う。
「やめて、ジェームズ。彼は私を助けてくれたのよ」
「Lady、顔が赤いです。熱があるんじゃないですか。どうしておひとりで出歩くんですか。この男は一体何なんですか?」
「だから、助けてくれたって言っているじゃない」
 俺は、ようやくそこで、口を開くことができた。
「彼女、道端で倒れていたんです。このホテルに泊まっていると聞いたので、ここまで運んできたんです。辛そうなので、横にしてあげて下さい」
 そういうと、そのジェームズとかいう男は、俺が背からおろした少女を腕で抱きかかえ、こういった。
「無礼は謝る」
 そして、くるりと、ホテルの奥の方へ向かおうとする。どうやら、俺の事が気に食わないらしい。
 少女がジェームズの耳元に何か囁き、ジェームズは少し考えるようにしてから、また俺の方を向いた。
「貴殿の名前と、職場を教えてほしい」
 貴殿て、現代語なのか?と少し疑問に思ったが、この男に口応えする気にもならなかったので、素直に答えた。
美山智みやまさとし。河童橋の横の土産物屋で働いている」
 俺がそういうと、何も言わずに奥へと行ってしまった。
 あの少女はただの観光客というわけではないらしいということだけが確かだった。
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