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第2章
49.真神輝鷺
しおりを挟む広間は混沌と化していた。
目の前にはザガン、そして背後にはベリアルという、最上位魔人2人に挟まれるあり得ない状態に、キサギは重い溜息を吐くしかない。
しかもキサギを背後からまるで宝物というより、お気に入りの玩具を取られまいとベリアルがご機嫌に抱きしめ、挙句彼女の髪に頬ずりまでする始末。
その光景を目の当たりにする式神らは、魔力なのか神気なのわからないドス黒い何かを放っており、最早暴走寸前である。
「いい加減にしなさい」
突然ゲシッとベリアルの背後から蹴りが入る。
前のめりにつんのめり、おっとっとと呑気な声を上げながら態勢を整えたベリアルが、キョトンと自分の両手を不思議そうに見つめた。
彼の手の中に、人型に象られた小さな紙切れが1枚ヒラリと舞い、フワリと小さな光の粒子を放ちながら消えていく。
先程までは、確かにお気に入りの玩具はベリアルの腕の中にいた筈なのに、両手から目を離し振り返ってみると、何故かキサギは己の背後で片足を上げて立っているではないか。
「あれぇ?ここに居たのに、なんでそんなとこに居るのぉ?」
ベリアルがキョトンとしたまま首を傾げる。
「私はずっとここにいたわよ。アンタの気配感じたから、この広間に掛けていた幻術魔法を私自身にも発動させて、形代と入れ替わったの。アンタ、また前みたいにザガンの後ろから気持ち悪い視線向けて来るんだもの。何か企んでると思うに決まってんでしょうが」
キサギ自身が抱きつかれた訳ではないものの、両腕をスリスリと摩りながら、気持ち悪そうにキサギがベリアルへ向かって言い放つ。
「なんとっ!いつの間にその様な魔法を展開していたのだ?!さすが俺が認めた女!素晴らしい!!」
「だからぁ、あのコはお前の女じゃないっつーのぉ!最初に見つけたのは僕なんだからぁ!あのコは僕のお気に入りの玩具なんだからねぇ?いい加減にしないとぉ、さすがに怒るよぉ!」
「あぁ、そう言えば面白い人間を見つけたと、珍しく浮き足立っていたな。たが、そんな事俺の知った事ではない。そもそもお前、何故ここにいる?勝手に付いて来おって」
「だってぇ、竜と遊ぶなんて面白そうだし、ザガンだけそんな楽しい事するなんてズルいじゃぁん?僕だって遊びたかったんだもぉん」
「ならばジェノヴァと遊んで来るといい。俺はもう良い。折角理想の女に巡り会えたのだ。邪魔をするな」
「はぁ?!何言ってんのさぁ!だからあのコはダメだってばぁ!元々ザガンが竜と遊ぶはずだったんでしょお?ザガンこそ好きなだけ竜と遊んでればぁ?」
周りの者達などそっちのけで、ザガンとベリアルがギャーギャーと喚き声を撒き散らす。
途端にキサギの目が徐々に据わっていく。
「八咫烏」
地を這う様な低い低いキサギの声が広間に響き渡る。
いつもならば漆黒の羽を渦巻きながら顕現する筈の八咫烏が、すぐ様キサギの右手に現れた。
それはまるで、ゆっくり現れようものなら何か良くない事でも起こるのではないかと、主の声に脅えているようにも見えなくもない。
それもそのはずで、いつもの悠然と神秘的な微笑みを浮かべる美少女姿からは程遠く、今の彼女の姿は悠然さはそのままながらも完全に目が据わっており、その顔からは表情が抜け落ち、絶対零度の無表情となっている。
キサギの結界内に居るにも関わらず、ビャクランがすぐ様「神域展開」と小さく呟くと、独自の結界を展開し身を守る態勢に入る。
「あ!てめぇずりぃぞ!」とシュリが目を剥きながら小声で悲痛な叫び声を上げると、他の式神らも同様に結界を展開した。
キサギが冷淡な無表情のままに、その右手は血管を浮き立てながら八咫烏の柄をギリリと握る。
その背からは不穏ながらも膨大な魔力が放たれており、それに当てられた周辺の石壁や敷石が、バリバリと音を立てながら縦横無尽にヒビが勢いよく入っていく。
キサギの目が冷淡さを増し、ツゥッと細められた、その時。
「禁術“守“、解放を許可」
キサギの静かながらも地を這うような低い声が響くや否や、ブォンと轟音が上がるとともに放たれていた魔力が増幅し、嵐のように渦を巻く。
そして右手に持った八咫烏を少し持ち上げると、柄の下の石突をガァン!と勢いよく地面に叩きつけた。
「女だの、玩具だの……調子に乗ってくれるなよ」
キサギの静かなる怒声と共に、放たれていたキサギの魔力は濃厚さを増し、加えて濃縮され、広間いっぱいに充満する。
リカルドやバリーだけでなく、先程まで騒いでいたザガンとベリアルまでも、体験した事のない濃い魔力に息苦しさを覚えつつ、いつもとは全く違う冷淡な面持ちで佇むキサギに驚きを隠し得ない。
(久々に見たな……無感情な当主時代の御前の姿……)
式神らが懐かしさとともに、悲哀の籠った目でキサギを見つめる。
目の前の彼女の姿は、前世で出会ったばかりの頃のもの。
笑顔など見せた事もなく、誰にも心を開かず、ただ冷淡に任務にのみ忠実な、殺戮人形だったあの頃の姿だった。
キサギには特殊な生い立ちがあった。
彼女は前世、皇国という国で生まれ、生まれてすぐに孤児院の前に捨てられており、彼女は両親の顔も知らずに育つ。
だが、彼女は類稀な能力を持っていた。
非常に強力で、濃密な魔力を持って生まれた彼女は、当然国の特殊な機関の目に留まる。
皇国には特別な魔力を持つ者達で構成された、国を守る“守護参家“という機関が存在した。
結界を張って国を厄災から守り、魔法と剣で魔物を倒す魔法剣士の集団である。
参家には“蘆屋家“、“賀茂家“、“真神家“があった。
彼女は跡取りの居なかった真神家へと2歳の頃に引き取られていく。
当時この世界は瘴気に塗れ、厄災が蔓延り、魔物が跋扈し荒廃しており、人類滅亡の危機に瀕し絶望の中を懸命に生きるだけの日々に、人々は己の存在意義に疑問を抱き始めていた。
各国で滅亡回避に向けて研究が進められる中、皇国ではとある実験が秘密裏に行われていた。
事の発端は、当代の皇王が突然重い心臓病に伏し、とある物が皇太子に受け継がれた事から始まる。
それは固い封印が施された禁書で、決して手を出してはならない理由を次代の皇王に口伝でのみ代々受け継ぎ、長らく秘匿されてきた物だった。
だが内容を皇太子に伝える前に、不幸にも皇王は息を引き取ってしまう。
新たに皇王となった彼は、こんな明日をも知れない時代にいつまでも秘匿しておく必要性などないと、禁書の中に何が書かれているのかを知る為に封印を解く事にした。
難解な術式に手を焼かれながらも無事封印が解かれると、そこには本当か嘘か、人間に神の力を降ろす術が記されていた。
これを知った皇国の上層部の打算が働く。
この術が成功すれば、厄災や魔物から自分達を守ってくれる存在を生み出せるだけでなく、あわよくばその力を海外へ向けて派遣すれば外貨獲得の儲け話になる、と。
そして皇国の上層部は魔力の強い者達へと、非人道的とも言える人体実験を次々に繰り返す。
当然繰り返す、という事は失敗が続いた、という事。
多くの有能な能力者が犠牲となった。
やはり神の力を人間に降ろすなどという荒唐無稽な話に、誰もが諦めかけたその時。
タイミング良く荒廃したこんな時代に現れた、魔力の高い孤児の少女。
人間という種族を守る為だけに、厄災を祓い、魔物を徹底的に殺戮する為だけに生きるだけの都合の良い道具となる為に、彼女は“神降ろし“の実験の生贄となったのだ。
最悪儀式に失敗して死んだとしても、所詮は孤児、誰の胸も痛まない。
神の力を人間に降ろすなどという、不敬で非道な行いは、まさかの成功を収めた。
どのような神の力が降りたのかも、何故成功したのかも、誰も真実を知らないままに。
それを知るのは彼女と、後に出会う事となる式神らのみ。
たった2歳で魔力と神気を持つ特殊な存在へと、己の身を作り変えられてしまった彼女は、その日から大人達によって精神支配を受けながら厳しい訓練を受けて育つ。
お陰で大人顔負けの頭脳明晰さを持ち、非常に聡明ではあるものの何の感情も持たない、矢鱈と達観した命令に忠実な幼女へと成長する。
そして彼女が5歳の時に、当時の真神家当主、真神美鶴により当主だけが持つ事を許されるという、鳥を冠する名を与えられる。
それは、次代の当主であると宣言されたも同義。
新たに“輝鷺“という名を与えられたその日、彼女は真神家の16代目当主となった。
洗脳により己の意思を持たず、常に無表情で、冷淡ながらも命令に忠実な輝鷺は、任務の為に世界中でその力を奮った。
国の上層部は高額なレンタル料で輝鷺を世界中に派遣し、各国から得た外貨で贅を尽くし、挙句己に歯向かう者を秘密裏に暗殺させるなど暴挙をふるい、どんどん腐敗していった。
そんな事も知らずに、いや、知ろうともせずに力を振るい続けた輝鷺は、幼いながらも人格は冷酷無比そのもの。
いかに効率良く任務を遂行出来るか四六時中思考を巡らせ、数多の魔法を創造しては容赦なくその手で屠ってきた。
それは厄災を祓うだけでは無く。
魔物も、土地神も、人間も、命令されるがままに区別なく。
そんな任務の最中に出会ったのが今の式神ら、4人である。
彼らとの出会いによって、輝鷺は徐々に“己“に目覚め、人間性を取り戻す事が出来た。
そして当主を継いで数年経過したある時。
終わりの見えない厄災や魔物にいつまでも苦しむ人々に対し、国の命令でしか動けないもどかしさと、得た外貨で贅に溺れ腐敗した上層部の在り方に反発した輝鷺は、突然引退を宣言する。
真神家に縁を持つ者を新たな当主に据えるも、当然ながらあらゆる方面から猛烈な反対があったが、それを悉く無視し、暫くは先代当主として後進の育成に尽力した。
そして己の強すぎる魔力と神気に危機感を覚えた輝鷺は、ある程度の魔力を残して一部を封印する。
“守“、“破“、“離“と段階を設け、輝鷺は己を戒める禁術としてその身に施した。
その後、当主を継ぐ際に継承した“真神輝鷺“の真名を捨て、皇国を出奔する。
全ては国や権力者に振り回されず、自由に己の力を振るって厄災や魔物に苦しむ人々を救う為だけに。
彼女は新たにキサギ・マガミとして、広大な世界へと飛び出して行った。
既に世界においてその名を知らぬ者はいない程に知名度を上げていたキサギは、宵闇色の髪を靡かせ厄災や魔物から人々を救う姿から、地上に降り立った闘神という比喩で、“宵闇の守護闘神“という二つ名で呼ばれた。
当然各国はキサギの争奪戦を繰り広げ、あの手この手で自国の懐に入れようと画策する。
そんな搦め手を掻い潜りながら、キサギは式神らと共に過ごし、休みなく世界を飛び回った。
だが、その道のりは平坦ではなかった。
人間とは現金なもので、力を持ち過ぎる存在を危険視する。
キサギは皇国だけでなく、各国から差し向けられた暗殺者にも狙われる羽目となる。
それすらも掻い潜りながら、キサギは孤軍奮闘で厄災を祓い、魔物と戦い続けたのだ。
この経験により、現在のキサギが国の要職に就く者達を忌避する背景となってしまっているのも無理はない。
転生という、何とも物語の中だけに存在するような経験を経て、漸く柵から解き放たれ手に入れられると思われた平穏な生活。
だが蓋を開けてみれば、前世と同じように権力者や魔人に振り回される現実。
キサギの心に、例え世界が変わろうとも運命からは逃げられない苛立ちが仄暗く揺らぎはじめた頃。
式神らは今回のザガン討伐の件がガス抜きに良い機会だと判断し、彼女の鬱屈した気持ちを晴らす事にしたのだ。
それがあのマティアスの執務室での、キサギと式神らのやり取りである。
おちゃらけた会話内容ではあったものの、式神らから発散して来いと背を押される形となり、キサギはそれを受け入れた。
丁度良い所にザガンがいて、ジェノヴィアに到着してみれば予想外にベリアルまでもいるチャンス。
だがそんな事を知る由もない彼らは、完全にキサギのストレス発散に選ばれただけに過ぎなかった。
細められたキサギの目が、背後に立つ式神らへと向けられる。
「手は出すなよ」
低音のまま静かな声音で命を下すと、彼らは皆恭しく静かに頭を下げる。
ほんの一瞬だけ、キサギの口元に笑みが浮かぶ。
そしてすぐ様笑みを消し、視線をザガンとベリアルへとスッと戻した。
ゆっくりと左手を掲げ掌を上にし、招くように全指をクイクイと動かす。
「同時に来るがいい。身の程知らず共」
キサギの表情は無、声音は静謐。
だが、心はグツグツと煮えたぎるマグマの様に熱く、今か今かと鬱屈した仄暗い苛立ちを発散する機会を待ち望んでいた。
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