捨てる神あらば、拾う世界あります

卯堂 成隆

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転生枕 2

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 ――あれ、ここどこ?
 イングリッドが目を覚ますと、そこは何処かの粗末な民家の一室だった。

 ……変な造りね。
 見上げた天井の梁の太さからすると、かつて冒険者として仕事で訪れたことのある雪の深く積もる地方の建物にそっくりだである。
 だが、自分が拠点としていた地域はもっと暖かい国のはずだ。
 こんな物々しい屋根を作るのは、金と材料の無駄と言うしかない。

 そしてふと気づく。
 今来ている服が、自分のものでは無いという事を。

 柔らかな布で出来たそれは、とても暖かくて着心地も悪くなかったが、獣の爪や盗賊の刃物から身を守る役には立たないだろう。
 冒険者として長い時間を過ごしたイングリッドからすると、こんな服はまるで裸にされたような気がして居心地が悪い。

 そしてなによりも……いったい誰がこの服に自分を着替えさせたのだろうか?
 意識の無い間に他人の手によって着替えを済まされるというのは、あまり気持ちのよいものではなかった。

 とりあえず、何を判断するにも情報がたりない。
 ――まずはこの家の主と話をしなければ。

 盗賊や人買いの類でなければ良いのだが……と、陰鬱な気持ちで体を起こそうとしたときである。

 なんだ、これは?
 全身を襲う違和感に、イングリッドは一瞬で冷や汗まみれになった。
 そして気づく。
 自分の手が、まるで赤ん坊のように小さなことに。

「ふぎゃあ!!(なによ、これぇ!!)」
 そう、彼女は赤ん坊になっていた。
 しかもエルフではなく、人間の赤ん坊にである。

「あら、起きたのイングリッド」
 イングリッドの声に気づいたのか、トタトタと慌しい足音とともに巨大な女が現れた。
 いや、女は普通のサイズであり、イングリッドの体が縮んでしまったのだ。

 夢だ、これは夢だ!
 はやく、早く醒めてくれ!!
 イングリッドの百年近い人生の中で、ここまで朝を熱望した事はかつてない。

 だが……今の体の母親らしき女はイングリッドの体をやすやすと抱え、その柔らかな胸に彼女の顔を押し付けた。
 くっ、デカい!?
 種族の違いをまざまざと見せ付けられるような感触に、彼女は深い屈辱を覚えた。

 ――これは……悪夢だ!
 そしてその悪夢は、いつまでたっても醒めなかったのである。

***

 彼女が夢の中だと信じる生活が始まって、六年の歳月が過ぎた。
 幸いなことに、今の体の名前も同じくイングリッド。
 雪深い山奥の村に澄む、なんの変哲も無い農夫の娘だ。

 さすがに頑固な彼女をしても、六年もあればこれが現実だと認めざるを得ない。
 まさか、あんな古ぼけた枕がこんな恐ろしい魔法道具であったとは今でも信じがたい話ではあるが。

 そして、ただの農夫の娘として生きることで、彼女は理解する。
 ――人間としての暮らしは、とにかく愚かで野蛮で猥雑だ。

「だけど、それは私の視点で見た偏見に過ぎないのかもしれない。
 ひどく醜いけど、それでも彼らはそうやって生きるように最適化していて、彼らの社会もそんな風に生きるように出来ているのね」
 穏やかな秋の空を見上げ、木陰の下にたたずみながら、いつの間にか思っていたことを口にしていたことに気づいてイングリッドは慌てて口を押さえる。
 独り言は、かつての孤独な生活の名残だ。

 誰かに聞かれたりはしなかっただろうか?
 こんな娯楽の少ない場所では、奇妙な独り言一つでも命取りになりかねない事を、彼女はこの六年でしっかりと学習していた。

「何しているの、イングリッド? 変な独り言が聞こえたけど」
 案の定、隣の家に住む男の子……クラウディオからそんな問いかけが飛んでくる。
 あぁ、面倒くさいな。

 別に何を考えていたかぐらいは話しても構わないのだが、彼女は適当にごまかすことにした。
 六歳の子供に何かを教えるというのは、存外に難しいのだ。

「ううん、なんでもない。
 認めたくは無くても真実である以上はどうしようもないという、世界のあり方の理不尽さについて考えていたところよ」
「……相変わらず難しくてよく分からないことを考えているんだね」
 とまぁ、彼との会話はいつもそんな感じだ。

 おそらくイングリッドとの会話は彼にとっても面白くあるまい。
 だが、あいにくと都市の近い子供がほかにいないのだから、彼女に話しかけるという事は彼にとっても仕方がない選択肢なのだろう。

「ところで、何の用事?」
「そろそろ出かける準備が終わるから、呼びに来たんだ」
「うん、わかった。 すぐ行く」

 そう告げると、イングリッドはクラウディオと一緒に家族の待つ場所へと歩き出した。
 今日の昼食は、クラウディオの家族も誘って外で焼肉をする予定ある。
 知り合いの猟師から先日鹿肉を分けてもらったので、そのおすそ分けだ。

 もっとも、プレゼントされた鹿は明らかに血抜きに失敗しており、しかもわりと筋の多い脚の肉である。
 売り物にならない商品を押し付けて、しかも恩を売ろうという魂胆が見え見えだった。

 ――なんて浅はかな。
 一歩間違えば自分の評価を下げるだけだと気づかないのだろうか?
 そんな中途半端にずるいところもそれが人間だからと最近は諦めがつき、腹芸と言うものを覚え始めた自分の逞しさに、イングリッドは驚くやら呆れるやらと言った日々だ。
 だが、これが人として生きるという事なのだろう。
 思ったよりも興味深い。
 
 だが、そんな暢気な日常もやがて終わりを告げる。
 それは、ピクニックの目的地である、村から少し離れたところにある丘の上に来たときのことであった。

 ――あれ? ここ、いつか来たことがある。
 何度か目を瞬きしつつ記憶と照らし合わせるが、間違いない。
 しかもこの体ではなく、エルフであったころの記憶であることにイングリッドは気がついた。
 そしてイングリッドは、この景色をいつ見たかを思い出し、全身の血が凍りつくような恐怖を覚えた。

 ――そうだ、これはかつて仕事で魔物を討伐しに来たときに見た景色じゃない。
 なぜ覚えていたかといえば、それがイングリッドが冒険者として受けた初めての仕事であり、とても悲惨な出来事だったからである。
 陰惨な事件の後片付けであったにも関わらず、その帰りに見たこの景色があまりにも美しすぎて、その皮肉なコントラストが記憶に焼きついていたのだ。

 あの村はたしか……ゴブリンの群れに襲われて全滅したんだっけ。
 しかもイングリッドが駆けつけたとき村はすでに全滅と言っても良い状態であり、たった数人しか助からなかったことを思い出す。

 だとしたら、この村は自分が魔物を退治した後に再建された村だろうか?
 なにか、とても嫌な予感がする。
 そうだ、あの村は事件の後に死んだ村人が死霊となってさまようことが無いよう、地元の領主の手によって石碑が建てられたはずである。
 ――確かめなくては!

「ごめん、ちょっと用事ができたら」
「ちょっと、どこ行くんだよ、イングリッド!!」
 呼び止める声を聞き流し、イングリッドは慌てて村に戻って石碑を建てた場所へと駆け込んだ。
 だが、そこにはただ小さな畑で蕪の葉が揺れているだけである。

「……無い」
 嫌な予感が、如実に現実味を帯びてきた。
 全身が汗で湿り気を帯び、指が冷えて痺れにも似た痛みを感じる。

 そんな今にも倒れそうなイングリッドに、クラウディオがようやく追いついた。
「ちょっと、いったいどうしたんだよ!」
「クラウディオ! 今、王国暦何年だかわかる?」

 突然の言葉に、クラウディオは斜め上を見ながら首をかしげる。
「王国暦? 知らないよ、そんなの。
 村長さんか役場の人間じゃないとそんなもの関係ないし、みんな興味も無いから」
 すると、イングリッドは即座に走り出した。

「よし、じゃあ村長さんね」
「あぁっ、待ってよ!!」

***

「王国暦か? ほれ、そこに暦があるじゃろうが。
 たしかイングリッドは文字が読めたはずじゃとおもったが?」
 村長にそういわれて暦に目をやり、イングリッドは言葉を失った。

「……なんてこと」
 その暦が正しければ、今年はこの村が襲撃される前の年になる。
 嫌な予感はしていたが、まさか時間を遡って生まれ変わるなんて!

 誰かに伝えなければ。
 でも、誰に?

 きっと誰も信じない。
 たぶん、怖い夢でも見たのだろうといわれるのがオチだ。
 なにせ、今の自分は六歳の小娘に過ぎないのだから。

 このままでは、この村は全滅する。
 だが、それを事実として受け入れてもらうことも出来なければ、村人を移動させる方法も思いつかない。

「ねぇ、イングリッド。 いったいどうしたんだよ。
 さっきから、いろいろとおかしいよ?」

 ならば自分でゴブリンたちを全滅させるか?
 この体でも呪術は利用できる。
 だが、大きな力を使えばたぶん命と引き換えになるだろう。

「ねぇ、イングリッド」
「うるさい!!」
 自分の思考を妨げる存在に、イングリッドは思わず大きな声で怒鳴りつけた。

「……え?」
 気がつくと、クラウディオが泣きそうな顔で呆然としている。

 しまった、やってしまった。
 六歳の子供を相手に何をしているのだ、自分は。

 我に返っても、すでに後の祭り。
 二人の間には、なんとも気まずい空気が漂っていた。

「ちょ、ちょっと考え事していただけよ! もういいから、パパとママのところに戻るわよ!!」
 その場をごまかすようにそう告げて、イングリッドはさっさと来た道を戻って行く。
 六歳の子供を相手に大人気ないとは思っても、素直に謝ることはどうしても出来なかった。

 そもそも、自分は悪くない。 そう、自分は悪くないのだ。
 そんなことより、何か良い方法を考えなければ。

 その後、あまり味のわからない食事をただの作業のように行いつつ、イングリッドは話しかける両親の言葉もほとんど無視して考える。

 あ、そうだ。 山に入って薬草を採取して薬を作ろう。
 幸い、エルフの森や冒険者時代に学んだ薬草の知識が自分にはある。
 そして、その薬草から薬を処方して作ったお金で冒険者を雇うのだ。
 時間制限は、たぶん半年ぐらい……それまでに、なんとかして冒険者を雇うだけのお金を稼ごう。

 そして翌日。
 彼女は材料となる薬草を取るために山へと向かったのだが……

「なんでついてくるのよクラウディオ」
「だって、イングリッド一人なんて危ないじゃないか」
 家を出るイングリッドを目ざとく見つけ、クラウディオが後をついてきてしまったのである。

「……弱いくせにでしゃばらないで」
「少なくとも、イングリッドよりは強いよ」
 たしかに、呪術を使わなければそうだろう。
 だが、山の危険な生き物たちにとって、クラウディオの存在など実にささやかなものでしかない。
 せいぜい、エサが増えた程度の感覚だ。

 しかし、それを説明したところでこの男の子は引いてくれないだろう。
 臆病なくせに、実に頑固なのだ。

「私の事はいいから、いざとなったら自分ひとりででも逃げるのよ」
「それは出来ないよ」
 だって、君のことが好きだから……

「何か言った?」
「なんでもない。 それで、イングリッドは何をしにきたの?」
「薬の材料を探しに来た……んだけど、いきなり用が終わったみたいね」
 彼女の目の前には、倒れ木に寄り添うようにして、まるでレースのような黒い網を被ったキノコが生えていた。

 寡婦茸……アミガサタケと呼ばれる茸の一種で、非常に珍しい茸である。
 そしてこの黒いキノコの真の価値は、正しく調合することで強烈なホレ薬になることにあるのだ。

 あまり興味のある分野ではなかったが、エルフの嗜みとして処方だけは知っている。
 街で貴族にでも売れば、金貨五十枚ほどにはなるだろうか。
 誰に売りつけるかが問題ではあるが、うまく立ち回れば冒険者を雇って村を守らせるのに十分な金額になるだろう。

「これがあれば、みんな助かる……」
 その感情が、人間に対する同族意識から来るものである気づかないまま、イングリッドは目を希望の光で輝かせながらそのキノコをそっと朽木のそばから引き抜いた。

 そして、イングリッドの人間としての冒険が始まったのである。
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