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子猫飼う避妊去勢の責ともに
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こねこかう ひにんきょせいのせき ともに
今回は、少し重く、長いお話になってしまいます。そして、既にペットを飼っている人にとっては、パンドラの箱を開けるような話になってしまうかもしれません。
動物の種類にもよりますが、動物を飼うときは避妊去勢という現実と向き合わなければなりません。その向き合い方は人それぞれで、買主の責任だからきちんと果たす、と考えて実行する人もいるでしょうし、気負わなくても当たり前にできる、という人もいるでしょう。
その一方で、避妊去勢は可哀そうだから受けさせられない、という人もいます。優しい人だと思います。ですが、ここを乗り越えられない人が避妊去勢前の小犬や子猫を飼うことは、おすすめできません。どんなに深い愛情があっても、不幸になります。多頭飼育崩壊に陥れば、何十匹という数に手術を受けさせなければならなくなりますから。一匹二匹に受けさせるのが辛いならば、これはもっと辛いはず。
そして、昔の私は、この避妊去勢という現実と折り合いをつけることができませんでした。
その原因は、避妊去勢それ自体の問題ではありません。過剰反応と思って頂いて構わないのですが、当時の私には「飼う」という概念自体に抵抗がありました。まだ「毒親」という言葉がなかった時代、大人が子どもに向けて「誰のおかげで生きていられるんだ」などという言葉をぶつける姿と、「飼う」という概念とが、私の中で重なってしまっていたのです。それは命に対する侮辱だろう、可愛いというだけでならば人形やぬいぐるみで十分だろう、と。
そんな中、避妊去勢という現実は、飼わないという決意を固める方向に作用していました。だから、そもそも折り合いをつけるどころの話ではなかったのです。
今振り返ればバランスの悪い考え方です。
その状況が変わったのは、妻が猫を飼いたいと言ってくれたから。
妻は、避妊去勢をしなければ殺処分されてしまうという向き合い方をしているようで、これも正しい考え方だと思います。もちろん、殺処分をしているのは人間の社会ですが、社会全体がしていることの責任を個人で負うのは到底不可能。個人の力が及ぶのは、避妊去勢を受けさせてでもその個体を生きさせるところまでです。逆に、これを拒否すれば、生き延びられる命さえ生きられなくなってしまう。
そして、一緒に猫を飼う決意をしたことで、私の中での避妊去勢との向き合い方が変わりました。自分は確かに、猫の生殖能力を奪う。その傲慢さは、言い訳しない。けれど、そこまでする以上、猫たちが天寿を全うするまできちんと面倒を見よう、と。まあ、半分は、飼いたいという欲を満たすための詭弁ですが。
もし、死後の世界というものがあって、私の死後に猫たちと会話する機会があったら、「そんなの言い訳だろう」と怒られるかもしれません。そのときは、受け入れるしかないのでしょう。反対に、「避妊去勢は納得してるけど、あんたの愛情は重すぎたよ」なんて言われるかもしれませんが。そうだったらそうで、気楽ではあります。
と、自分なりに色々考えて避妊去勢と向き合っていたので、そのことは句に残しておきたかった、というわけです。
さて、ここからは俳句作りの話。
まず、時季の問題が浮上しました。
「子猫」は春の季語ですが、春に産まれた猫に避妊去勢手術を施すのは夏以降です。このため、避妊去勢そのものの状況を詠むには他の季節の句にする必要がありますが、それは音数的に無理。
そこで、春の句にしつつ、やがて来る避妊去勢に向けた心情を詠むことに。この条件で最初に考えていたのは、「譲渡会子猫はぬいぐるみに非ず」でした。「譲渡会」というのは、動物愛護センター主催の譲渡会のこと。ここに、前述した、「可愛い」だけならぬいぐるみで十分、という意味を込めて。ただ、これは私の体験と自論ありきの言葉なので、説明がなければ意味が伝わりません。
こうした点を意識しつつ、最初の形を次のように推敲していきました。
子猫飼う最初の覚悟避妊去勢
避妊去勢させる覚悟と子猫たち
子猫の命避妊去勢の重さ
子猫を招く重さ避妊去勢
子猫の重さ避妊去勢の話
子猫の重さ避妊去勢の重さ
子猫の重さ避妊去勢の約束
子猫の重さ避妊去勢の責任
子猫の重さ避妊去勢の予約
子猫の重さ避妊去勢を思う
子猫飼う避妊去勢の重さ知る
子猫飼う避妊去勢の重さ待つ
子猫飼う避妊去勢の責負いて
子猫飼う避妊去勢の責を負い
ここで、「覚悟」は、避妊去勢が未来のことだという情報を入れるには便利だったのですが、手術を受けるのは自分ではないという点がネックに。2番目のように「させる」を入れると音数が増えてしまいますし。3番目から「重さ」を使うようになったのは、これが理由です。
その「重さ」を使う中で「子猫の重さ避妊去勢の重さ」が浮かんだ際、一度はこれに決めました。が、未来のことだという部分が不明確になってしまうので、代替案を模索することに。
一方、「避妊去勢」の側の説明を増やす必要もあると考え、「子猫飼う」が復帰。さらに、音数節約のために「責任」を短くすることに。「責務」や「義務」だと印象が機械的、と悩んだ末、「責」の一文字にする方法が浮上。
ここで、「責」の読みが「せめ」だと、動物に避妊去勢を受けさせた人のことを責めているようになってしまうのでは、と心配になり、「せき」に。さらに、負い目という印象が出ないよう、「負い」を「ともに」に変更。
断言しますが、ペットに避妊去勢手術を施すことは正しいことです。決して、負い目を感じる必要はありません。しかし、それでも罪悪感を感じるならば、その罪悪感も一緒に抱えるしかありません。そして、その分ペットの世話に力を注げるならば、罪悪感はむしろ味方になります。この種の理屈を悪いことの言い訳に使うと開き直りになってしまいますが、避妊去勢手術は本来正しいことなのですから、問題なし。
後付け的な理由ではありますが、この意味でも「ともに」が最適でした。
今回は自論ばかりで、「少し」どころか普通に重い話になってしまいました。次回は軽めのものにします。
今回は、少し重く、長いお話になってしまいます。そして、既にペットを飼っている人にとっては、パンドラの箱を開けるような話になってしまうかもしれません。
動物の種類にもよりますが、動物を飼うときは避妊去勢という現実と向き合わなければなりません。その向き合い方は人それぞれで、買主の責任だからきちんと果たす、と考えて実行する人もいるでしょうし、気負わなくても当たり前にできる、という人もいるでしょう。
その一方で、避妊去勢は可哀そうだから受けさせられない、という人もいます。優しい人だと思います。ですが、ここを乗り越えられない人が避妊去勢前の小犬や子猫を飼うことは、おすすめできません。どんなに深い愛情があっても、不幸になります。多頭飼育崩壊に陥れば、何十匹という数に手術を受けさせなければならなくなりますから。一匹二匹に受けさせるのが辛いならば、これはもっと辛いはず。
そして、昔の私は、この避妊去勢という現実と折り合いをつけることができませんでした。
その原因は、避妊去勢それ自体の問題ではありません。過剰反応と思って頂いて構わないのですが、当時の私には「飼う」という概念自体に抵抗がありました。まだ「毒親」という言葉がなかった時代、大人が子どもに向けて「誰のおかげで生きていられるんだ」などという言葉をぶつける姿と、「飼う」という概念とが、私の中で重なってしまっていたのです。それは命に対する侮辱だろう、可愛いというだけでならば人形やぬいぐるみで十分だろう、と。
そんな中、避妊去勢という現実は、飼わないという決意を固める方向に作用していました。だから、そもそも折り合いをつけるどころの話ではなかったのです。
今振り返ればバランスの悪い考え方です。
その状況が変わったのは、妻が猫を飼いたいと言ってくれたから。
妻は、避妊去勢をしなければ殺処分されてしまうという向き合い方をしているようで、これも正しい考え方だと思います。もちろん、殺処分をしているのは人間の社会ですが、社会全体がしていることの責任を個人で負うのは到底不可能。個人の力が及ぶのは、避妊去勢を受けさせてでもその個体を生きさせるところまでです。逆に、これを拒否すれば、生き延びられる命さえ生きられなくなってしまう。
そして、一緒に猫を飼う決意をしたことで、私の中での避妊去勢との向き合い方が変わりました。自分は確かに、猫の生殖能力を奪う。その傲慢さは、言い訳しない。けれど、そこまでする以上、猫たちが天寿を全うするまできちんと面倒を見よう、と。まあ、半分は、飼いたいという欲を満たすための詭弁ですが。
もし、死後の世界というものがあって、私の死後に猫たちと会話する機会があったら、「そんなの言い訳だろう」と怒られるかもしれません。そのときは、受け入れるしかないのでしょう。反対に、「避妊去勢は納得してるけど、あんたの愛情は重すぎたよ」なんて言われるかもしれませんが。そうだったらそうで、気楽ではあります。
と、自分なりに色々考えて避妊去勢と向き合っていたので、そのことは句に残しておきたかった、というわけです。
さて、ここからは俳句作りの話。
まず、時季の問題が浮上しました。
「子猫」は春の季語ですが、春に産まれた猫に避妊去勢手術を施すのは夏以降です。このため、避妊去勢そのものの状況を詠むには他の季節の句にする必要がありますが、それは音数的に無理。
そこで、春の句にしつつ、やがて来る避妊去勢に向けた心情を詠むことに。この条件で最初に考えていたのは、「譲渡会子猫はぬいぐるみに非ず」でした。「譲渡会」というのは、動物愛護センター主催の譲渡会のこと。ここに、前述した、「可愛い」だけならぬいぐるみで十分、という意味を込めて。ただ、これは私の体験と自論ありきの言葉なので、説明がなければ意味が伝わりません。
こうした点を意識しつつ、最初の形を次のように推敲していきました。
子猫飼う最初の覚悟避妊去勢
避妊去勢させる覚悟と子猫たち
子猫の命避妊去勢の重さ
子猫を招く重さ避妊去勢
子猫の重さ避妊去勢の話
子猫の重さ避妊去勢の重さ
子猫の重さ避妊去勢の約束
子猫の重さ避妊去勢の責任
子猫の重さ避妊去勢の予約
子猫の重さ避妊去勢を思う
子猫飼う避妊去勢の重さ知る
子猫飼う避妊去勢の重さ待つ
子猫飼う避妊去勢の責負いて
子猫飼う避妊去勢の責を負い
ここで、「覚悟」は、避妊去勢が未来のことだという情報を入れるには便利だったのですが、手術を受けるのは自分ではないという点がネックに。2番目のように「させる」を入れると音数が増えてしまいますし。3番目から「重さ」を使うようになったのは、これが理由です。
その「重さ」を使う中で「子猫の重さ避妊去勢の重さ」が浮かんだ際、一度はこれに決めました。が、未来のことだという部分が不明確になってしまうので、代替案を模索することに。
一方、「避妊去勢」の側の説明を増やす必要もあると考え、「子猫飼う」が復帰。さらに、音数節約のために「責任」を短くすることに。「責務」や「義務」だと印象が機械的、と悩んだ末、「責」の一文字にする方法が浮上。
ここで、「責」の読みが「せめ」だと、動物に避妊去勢を受けさせた人のことを責めているようになってしまうのでは、と心配になり、「せき」に。さらに、負い目という印象が出ないよう、「負い」を「ともに」に変更。
断言しますが、ペットに避妊去勢手術を施すことは正しいことです。決して、負い目を感じる必要はありません。しかし、それでも罪悪感を感じるならば、その罪悪感も一緒に抱えるしかありません。そして、その分ペットの世話に力を注げるならば、罪悪感はむしろ味方になります。この種の理屈を悪いことの言い訳に使うと開き直りになってしまいますが、避妊去勢手術は本来正しいことなのですから、問題なし。
後付け的な理由ではありますが、この意味でも「ともに」が最適でした。
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