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エピソード・3 injury

3-21 対立

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 あの後、自分は蕪木に伝えるべき言葉が見つからなくて、スマホを握りしめたままベッドで蹲っていた。
 自ら電源ボタンに触れることもなければ、通知の音も画面の灯りも光ることはなくて、ただただ眠れない夜を明かした。

 翌日目の下に酷いクマを住まわせながら学校に着いた自分は、昼休み神様に呼び出される。体調を理由に断ろうかとも思ったけれど、断った場合何を言われるか分かったものじゃないので、重い足を引きずりながら準備室へと向かう。
 扉の前に着いた自分は一度大きく息を吐くと、扉を開いた。

「…………」

 扉を開けた先にはまるで自分に見せつけるように、神紙の束が机に置かれている。
 自分はその意図を無視して神様に歩み寄ると、丁度五歩分の距離のところで神様はこちらへ振り向いた。

「元気にしているかい、受験生」
「……あんたに呼び出されて一気に無くしましたわ」
「それは困ったねえ」

 自分の悪態に神様は苦笑いをしてみせるが、本当に困っているわけではないことなど見え透いている。
 自分は神様を睨みつけた。しかし神様は自分の思いを汲み取ることもせず、白衣の右ポケットから竹皮柄の包装がされたお菓子を取り出し封を開ける。

「どうだい、この餡ころ餅でも食べて機嫌を直してくれないかい」

 小さなお餅をあんで包んだ甘い加賀地方の伝統菓子。普段であれば喜んで受け取るところだが、神様がわざわざ用意したという事実が自分の手を止めた。
 なによりこうやってコーヒーではなくお菓子を用意しているあたり、本当に趣味が悪い。

「おれに、言いたいことがあるんでしょ」
「……単刀直入に話すことを君は誰よりも嫌うと思ったんだけどね」

 と神様は不敵な笑みを見せ、手が汚れることも気にせず餡ころ餅を一つ摘まみ口にする。

「万次郎君の時もそうだったけどね、あくまでも仲介人としての大きな目的は、本人の後悔を消すことにあるわけだよ。つまり本多君、君の後悔を神様は消したいわけさ」
「…………」
「想いの重さは人それぞれ。後悔の重さも人それぞれ。計ること自体がおこがましいこと。というのは置いておいて、君の後悔は中々に重いわけだよ」

 指に付いた餡をなめながら神様は言う、

「先生としてはどうにか君の心を後悔から救済してあげたいわけさ」

 まるで台本で指定された台詞のように。

「っ」

 何が、してあげたいだ。
 自分は机に置かれていた神紙の束を鷲掴わしづかみにすると、神様との距離を一気に縮める。そしてその束を胸に押し付けた。

「この紙を使うかどうかは、おれに選択権がある! おれの権利だ! あんたが決めて良いことじゃないはずだろ!」
「ああ、そうだね。だけど、君の場合はただただ怖がっているだけのように見えるけど?」
「っ!」

 神紙を胸に押し付けたことでずれる神様のメガネ。メガネがずれたことにより、怪しくも魅力的な瞳が直接自分を覗き込んだ。
 ナイフのように突き刺さる言葉とカエルを睨む蛇のような瞳によって、顔はこわばり手に力が入らなくなる。
 支えが無くなった神紙の束は床にばらばらになって落ちた。しかし、神様は神紙を拾おうともせず、一歩一歩確かな足音を立てながら自分に近づく。対して自分は一歩ずつ後ろに下がるのだけれど、数歩下がったところで実験器具が置かれたテーブルに当たり止まってしまった。
 そんな自分に神様は容赦なく迫ってくるそして、胸骨の真ん中にある傷跡を、寸分の狂いもなく正確に人差し指で押さえた。

「っ!?」

 自分は反射的にたじろいだ。後ろにテーブルに置かれていたビーカーなどの実験器具が自分の手に当たり、力なく床へと落ちて転がっていく。
 だけど、神様は気にも留めず指を当てたまま言葉を続ける。

「君の抱える消えない傷とは違うんだ。消せるんだよ、後悔は。どう考えたって使わない手はないと思うんだけどね」

 そう言って神様は気がすんだのが胸に当てていた指を引くと同時に自分から離れる。そしてずれたメガネを直しながら言った。

「ちなみに蕪木君の名誉のために言っておけば、蕪木君が君に話を聞きにいったのは、決してけしかけられたわけではないよ。そのことは良く覚えておいてくれたまえ」
「……っ」

 心の中で渦巻く感情。ただ、その感情も言葉に成りきらなくて喉の奥で詰まって沈んでいく。息することも難しくなった自分は、神様を払いのけながら準備室を飛びだした。

 足に当たったビーカーが悲しく転がる音だけが、準備室の中に響いた。
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