ドラゴニアファットバーニングオンメタボロス

葵むらさき

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お目様

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 またこの季節がやってきた。
 暑苦しくて、けだるくて、ひたすら涼しい屋内で息をひそめて過ごしたい気分になる季節が。
 誰も外になど行きたくないし、子どもたちは優先的に保護されるため学校は一斉に休校となる。
 大人たちはそうも行かないようでパラパラと外に出て職場に行ったり仕事をしたりするが、その時もなるべく俯いて、移動は足早に、二十~三十分おきには必ず屋内に避難して休憩をとるべし、と労働法で定められている。
 そこまでする必要があるほどの、異常な季節だ。
 空には、ギラギラと我々を見下ろすお目様が存在している。
 お目様。
 多くの人は、それを直接見たことはないはずだ。
「お目様を直接見てはいけないよ」と子どもの頃から大人に言い聞かされてきた。
 見てしまうとどうなるか。
 つぶれるのだ。
 目が。
 いや、我々の目がではなく、お目様の方がだ。
 お目様がつぶれるとどうなるか。
 血の雨が降ってしまう。
 これは厄介だ。
 何しろ大量に降ってくるし、粘性がつよく、服に付くとまず落ちない。どんなに繰り返し洗濯しても、ドライクリーニングに出しても駄目だ。諦めて捨てるか、諦めて血に染まった服をそのまま着るかしかない。
 なので誰も――余程の異常感覚者でない限り――上空を見上げお目様を見る者はいない。
 けれど、たとえ直接には見なくとも、そこにお目様がいてこちらを見下ろし――凝視していることは如実にわかる。
 そう、我々は「じっと見られている」のだ。お目様に。
 それが、言語に尽くせぬ程の暑苦しさを我々にもたらす。
 それがどのようなものか、表現の仕方は人それぞれだ。
 ある者は「悪いことをしないようにじっと見張っている」といい、
 別の者は「いつ悪いことをするのか、注視して待っている」といい、
 また別の者は「こいつがどの程度まともな奴なのかを判断する為に注目している」といい、
 さらに別の者は「こいつが一番恐怖を感じるものは何かを知ろうと観察している」という。
 そういった「窮屈さ」を感じるのは、我々人間に限ったことではないようだ。
 この季節には、日中空を飛ぶ鳥もいないし、上空を流れる雲たちさえほとんど見かけない。一説によると、雲はすべからくお目様が吸収してしまうのだそうだ。その水分が、あの血の涙の材料になっているのかも知れない。
 鳥たちについては恐らく我々と同じで、あの目に見張られながら飛ぶのが耐え難いストレスになるのだろうと言われている。
 なのでいきおい、鳥に限らず他の動物も、そして我々人間たちも、活動は夜間行うことになる。
 夜間。これがたった三時間しか、ないのだ。
 この季節のお目様は、長いこと空に滞在している。
 緯度によっては、お目様がほぼ沈まぬ地域もあるというから恐ろしい。
 ともあれそのわずかな時間の中、生き物たちは必死で食糧を、餌を、獲物を探し追い求め、駆けずり回り、戦い、貪り合う。
 人間もまた然りだ。夜間営業のスーパーやコンビニが、超絶満員になる。商品を手に入れるどころか、身動きさえままならぬ状態だ。
 日中外に出られないため子どもたちも目を爛々と輝かせ、屋内遊技場に集い、先を争って遊具を奪い合う。
 インターネット通販を使えば良いのではないかという意見もあり、政府や自治体もその手を推奨しはするが、届いた品物が欲しかったものと違う、写真と現物が異なる、遅配に誤配、前払いだけさせて商品が届かず販売元に連絡がつかないなど、トラブルが後を絶たないどころか日に日に増えてゆく。
 もはや宅配もAI搭載ドローンにより行われることが多くなり、どういうわけか配達に出たドローンが帰って来ないという事件も発生する始末だ。
 皆、お目様のいない中行動しているにも関わらず、まともではなくなっている。

 研究所では皆言葉少なくそれぞれのラボ内で実験や観察に集中していた。
 外部からの音も光──つまりお目様の視線──もすべて遮断されている。
 ここが一番、楽に息のできる世界だ。皆そう思っている。
 この施設で研究の対象となっているものは、お目様そのものだ。
 お目様の出る季節を、どのようにすれば人々は平和に、楽に、安心して暮らせるだろうか?
 それが基盤に据えられているテーマだ。
 調べることのできる材料は、ごくわずかだった。
 何しろお目様を見ることができない──カメラで撮影した像を見ただけでも血の雨の惨劇に見舞われる──のだから、手に入れることが可能なのは、実際に降ってきた血の雨しかない。
 その成分を解析したところ、どうもお目様は血中コレステロールと血中脂質の値が高いようだった。
 だがそれがわかったからといって、人々の平和で楽な暮らしにどうつながることになるのか、誰にも思いつくことができなかった。
「お目様は病気で、もうすぐいなくなるんじゃないか」
 そんな予測を発表する者もいた。だが飽くまで予測だ。
 誰もお目様が本当に病気なのか、本当に寿命が近いのか、検証することなどできずにいた。
 そもそも血中コレステロールの値が高いといっても、お目様に脳や心臓があるのか? あるとしたら、それはどこに?
 情報が、少なすぎた。
 お目様の基礎研究は、行き詰まりの様相を呈し、予算もどんどん削られていった。

 だがこの世には、科学で解明されていないものと真正面から向き合い、それを理解することのできる人々がいる。
 宗教家たちだ。
 彼らは「なぜ、お目様は存在するのか」「なぜ、お目様はそうなのか」「我々は、何を想いどのように生きるべきか」といったことを、実に明確に理論立て、主張する。
 そしてお目様を信仰する者たちは各地につどい、各種、各文化に沿ったやり方で、崇め奉るのだ。
 お目様を。
 特徴的な建物を造り、その中で祈りの文句を読み上げる者たち。
 また特別な捧げ物を用意し、それを飾り、あるいは燃やし、深く心に祈りの気持ちを抱く者たち。
 さらには特別な振り付けを考案し、神聖なる音楽に乗せ踊る者たちもいる。が、彼らはそれを屋外で行うため目隠しをする必要があった。うっかり裸眼のまま踊り、大きく仰のく動作をしたため、大量の血の雨に見舞われた苦い経験があるからだ。世間ではそれを「血乞いの踊り」と呼んでいる。
 お目様はしかし、どんなに崇められようと祈られようと、一切恵みをもたらすことはない。
 大多数の人間は、そして恐らく動物たちも、お目様が自分たちに愛情を持っているとはつゆほども思っていないだろう。
 では、植物はどうだろうか?
 研究結果として、植物はお目様の季節においても、成長を止めたり生存を止めたりしていないということがわかっている。
 何ら変わらず芽を出し、茎を伸ばし、幹を作り葉をつけ、花を咲かせ実を結ぶ。どの植物もそういった一年オーダーのライフスタイルに問題を起こしていない。
 何故か?
 というか、本当にそれは「正常な状態」なのか? その辺りはまだ研究途上であった。

「ん?」研究員はその日、異常に気づいた。
 お目様による不快指数が、異様に低い数値を示していたのだ。
「これはどうしたことだ」
「なぜ突然不快指数が大幅に下がったんだ」
「恐らく原因はこれです」一人がモニターに、一つのデータグラフを映した。「お目様からの視線量が、減っています」
「おお、本当だ」研究員たちは目を見張った。「減ったどころか、ほぼゼロ値じゃないか」
「一体どうしたんだ」
「お目様は」
「瞬きでもしているのか」誰かが言ったその言葉は、あるいは軽い冗談のつもりで発せられたものだったのかも知れない。
 だが全員が体を硬直させ言葉を失ったのだ。
「──お目様が」誰かが呟く。「瞬き……?」
「お目様が」
「目を、閉じているのか?」
「よし、カメラ映像で確かめよう」
「えっ」
「しかし、もしお目様が開いたままだったら、血の雨が」
「けれどこの状況を見るに、お目様が開いている可能性はかなり低い」
「政府に許可を取るべきでは」
「もう、取ったよ」そう静かに告げたのは、研究所長だった。「世間でも今のこの奇妙な『爽やかさ』の原因を知りたいという欲求がにわかに高まっている。それに、これは私の個人的な予想だが、もうすでに、われわれに先駆けて空を見上げた一般市民も、いるのではないだろうか」
「──」全員が息を呑む。
「そして今」所長は、顔をぐいっと上げ、空ではないが天井を睨んだ。「血の雨は、一滴も降っていない」
「じゃあ」研究員たちは互いの顔を見合わせた。
「私が見よう」所長がそう言い、自ら屋外カメラの向きを操作した。「方向はこれで良いな。では、画像を出すぞ」
 全員が息をひそめる。
 そしてそれは映った。
 お目様が、そこにいた。
 いや、いるはずだった。
 カメラには、お目様のダイレクトな像は、映されていなかった。
 何故なら、お目様の前を黒い影が覆っていたからだ。
 目蝕だ。
 これは、我々の住んでいる惑星の影がお目様に映っている現象なのか?
 違う。
 何故ならその黒い「影」とは、「影」ではなく一個の物体だからだ。
 それは、眼帯であった。
 お目様は、影ではなく眼帯に覆われたのだ。
 急ぎ過去の研究記録、観察記録が走査され、その結果、何が起きているのかがわかった。
 なんとお目様は、モノモライに罹ったのだ。
 そのため、眼帯による保護を余儀なくされ、それに覆われ、姿を隠した。
 お隠れになったのだ。
 いなく、なったのだ!
 もう、空を見上げても血の雨が降ることはない。
 記録によると、モノモライに罹ったお目様はその年その季節が終わるまで、眼帯に覆われたままになるという。
 生きとし生けるものすべて、一気にすがすがしい気分に包まれた。
 一気に、暑苦しさもけだるさもない、爽快なムードが世界にあふれた。
 鳥は翼を広げ巣から飛び立ち、獣たちも昼行性、夜行性を問わず草原や岩山の上に躍り出、人間たちは再び登校や出勤を通常通りに再開した──誰の顔も、大きな安心感をみなぎらせ、喜びに満ちていた。
 ああ、ずっとこのままでいられたらいいのに。水面下ではそういった要望が飛び交い合っていた。
 宗教家たちはこうなると、それぞれの宗派のやり方に沿って、お目様の早期回復を祈ることになる。建物の中で祈り、供物を捧げ、舞い踊り(目隠しをせず)、モノモライの全快を心から願うのだ。
 そして──無論のこと──それを阻もうとする勢力も現れ、また逆にお目様のモノモライの悪化、来年以降も病状が続くことを祈るという暗黒集団までもが結成され、抗争が繰り広げられ始めた。
 人の世は、お目様がいなくなったにも関わらず非平和的な有様となってしまった。
「これならいっそ、お目様に見張ってもらってた方がいいんじゃないのか」とまで言い出す者もおり、その意見に賛同する者も次々に現れた。
「そう、お目様は実は、こうなることを未然に防ぐために,我々をじっと見下ろしていたんじゃないのか」
「お目様が、人類を護ってくれていたんだ」
といった具合にである。
 だがその意見が全世界に共感されることはやはり難しかった。
「じゃあ、我々はこの先もずっと、お目様の季節をあの暑苦しくて窮屈でろくに買い物もできないような中息をひそめて生きて行かなきゃならないのか?」
「我々は今、完全なる自由だ。あとは我々が責任をもって、お互い話し合い、コミュニケーションを密に取り、平和な世界を実現していかなきゃいけないんだ」
「そう、自由には責任が、権利には義務が、必然的について回るものだ」
といった具合にである。
 お目様の存在如何に関わらず、世界はパニック寸前の様相を呈していた。

「お花はいいわねえ」のんびりした声でそう言ったのは、一人の研究員の年老いた母親だった。自宅の庭で花に水をやりながら、誰にともなくそう呟いたのだ。
「母さん、もうでっかい麦わら帽子とか被らなくても大丈夫だよ」研究員は笑いながら母親に言った。「今年はもう、空を見ても大丈夫になったんだから」
「ああ、そうなのね」母親は被っていた帽子の大きな鍔を指先で押し上げ、実際に空を見上げながら答えた。「うふふ、つい習慣で被っちゃうのよね」笑い、また花に水をやる。
「もう、視外線も浴びなくていいしね」研究員は仕事柄、そんな専門用語をつい使って話してしまうのだった。
「あら、視外線ってなに?」母親がきょとんとして訊く。
「お目様が放射してくる電磁波、つまり視線の一種」研究員はなるべくわかりやすく説明するように気をつけた。「人間には有害なんだけど、植物はこれを、エネルギーを作るために使うんだよ」
「まあ、そう」母親は、ちゃんと理解したのかわからないが目を丸くして言った。「じゃあ、人間も植物になれば、お目様の季節でも普通に楽に生きられるのかしらね」そして笑った。
 その瞬間、研究員の心の中でブレイクスルーが起きた。

 視外線と、二酸化炭素。
 お目様の季節、植物が生きるためのエネルギー産生につかうものは、主にその二つだ。
 お目様の季節にだけ、人間もそれをつかえばどうだろう。無論その反応では、酸素を使って呼吸した時よりも、作られるエネルギー量はかなり低くなる。だがお目様が沈む数時間の間だけでも酸素をつかえばいいし、多少エネルギー値が低くなった方が、あちこちで諍いや揉め事を起こすようなこともなくなるだろう。
 かくして、お目様が空に出ている間のみ、視外線を使った『凝合成』で、植物方式にエネルギーをつくり、活動するということを目標に、研究室はかつてないほど活性に満ち、すべてのメンバーは生き生きと動き始めた。

 その後も何度かお目様の季節は巡り来、そのたび生きとし生ける者すべては俯き蹲り、祈り、喧嘩し、たまにお目様がモノモライを発症し──人々はいつしかそれを「ハッピーモノモライ」と呼ぶようになった──世界は変わりないように見えた。
 だが、変化は少しずつ、ほんの僅かずつ積み重ねられてゆき、ついにその日は来た。
 可逆的にヒトを植物化させる薬が誕生したのだ。
 ヒトはお目様の季節、一部植物化して過ごすようになった。
 その植物化の名称は、あれこれ議論された結果「グリーンピースフォーメーション」となった。
 ヒトの細胞は葉緑素を取り込み、お目様の放射する光──視外線を使って、酸素と水、そしてエネルギーを作り出した。
 当初の予想通りそのエネルギー値は小さく、酸素呼吸によって得られるエネルギーの九分の一ほどだった。
 グリーンピースフォーメーションした者は、グリーンピースフォーメーション前よりもぐっと動きが遅くなり──というかあまり動くことなく──めったに喋らなくなり、他の人間と共に行動したり喋くり合ったり、げらげらと笑ったり体を触れ合わせたり、ましてや集団となって騒いだりということをしなくなった。
 しかしそれは、その必要がないからだった。
 どこにいても、他のグリーンピースフォーメーション下にある人間たちから「無言のメッセージ」が送られてくる。それは恐らく、通常植物たちが行っている物質の空気伝達と似たものなのだろう。
 仕事にしろニュースにしろ、はては文化活動や娯楽においてさえ、黙ってそこにいるだけで、送られてくるメッセージ物質を受け取ることによりすべて伝わるのだ。
 驚くことにそれは、インターネットよりも複雑で分厚く奥深い情報網だった。目に負担をかけることもない。
 人間たちは、まさしく平和と喜びを手に入れたのだ。
 だが誰も、笑うことはなかった。
 表情を変える程のエネルギーがないからだ。
 人々はただ無表情に、ぼーと突っ立ち、たまにごくゆっくりとごく僅かに歩き、立ち止まり、再びぼーと突っ立っていた。
 お目様の季節、この上ない爽快さを味わいながら。
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