DV幽霊

葵むらさき

文字の大きさ
4 / 20

第4話

しおりを挟む
 この理不尽さ加減は――と、嘆いてばかりいても勿論はじまらない。
 私は思った。
 足と『対話』をすべきではないのかと。
 線香を焚いたとき、それは『仏との対話』になるのだと、仏壇店の店員に私は教わった。
 その時はただ薄らぼんやりと、そういうものか。程度の意識しか持たなかったのだが、よく考えてみれば、仏とではなく、足とこそ、私は対話すべきではないのか。
 しかし、どうやって?
 足と対話したことは、ない。
 つまりそれは、私の腰を蹴るあの足個人に対してという意味ではなく、世間一般的にいう足、汎世界的に存在する足、普通の、そこら辺にいる、というかある、足に対してだ。
 当たり前だ。
 世の中、犬や猫に対してヒト同様話しかける人間はざらにいるが、足に対して同じことをする人間を、私は見たことがない。
「あらーいい子ねえー」然り、
「お散歩しているの?」然り、
「大きくなったわねえー」然り。
 ただし、一度だけ、自分の前足をじっと見つめる犬というものを、見かけたことはある。
 その犬は――飼い犬なのか野良なのかよくわからないが――地に佇み、うな垂れて、右前足を上に持ち上げ、内側に向けた己の肉球を、見ていた。
 会社帰りに見かけたものだったが、何自分の肉球見てんだこいつ、とその時は軽く吹いただけで私は通り過ぎたものだった。
 石川啄木の「ぢつと手を見る」の句が、ふと頭をよぎったりもした。
 あいつ、きっと貧乏なんだろうな。
 そんな根拠なきヒトの妄想など、無論犬には思いも及ばぬことだったろう。
 ともかく、今にして思えば、あの犬は、自らの足と「対話」していたのかも知れない。
 けど、何を?
 足と対話って、一体何を話せばいいのだろう?
 世間話か? 政治の話? 趣味のこと? 最近の話題……例えばスポーツ関連とか?
 いや。待て。
 私はそもそも、何のために足と対話しなければならないのか?
 目的を履き違えているのではないか?
 足と対話して、何をしたいのか私は? そう、それはもちろん――
 どこかへ、消えて欲しい。
 そういうことだ。
 そういうことであれば、政治もスポーツもへったくれもない。
 ただ足に「やめろ」「消えろ」「あっちへ行け」と、告げればいいだけだ。
 言霊に、頼むのだ。


 私はその晩自宅に戻り、いつものように近所のスーパーで買い入れてきた半値落ちの弁当をレンジであたため缶ビールとともに食した。
 脚は、弁当を食べ始めて約五分経った辺りから、私への攻撃を始めた。

 ごつ。
 ごつ。
 ごつ。

 いつもの調子だ。食事中だろうが睡眠中だろうが、こいつには関係ない。
 私は黙って弁当を食べつづけた。

 ごつ。
 ごつ。
 ごつ。

 足もまた、黙って私を蹴りつづけた。
 やがて弁当は空となり、缶ビールの最後の一滴まで私は飲み干した。

 ごつ。
 ごつ。
 ごつ。

 足は、蹴りつづけている。
 私はふう、と一息つき、首を後ろに振り向けた。
「やめろ」
 言った。
 足は、動きを止めた。
 今にも次の蹴りを見舞わんとしている体勢のまま、足は停まった。停止した。
 私はなぜか、心臓の辺りに熱い塊が生まれるのを感じた。それか何かはわからない。驚愕の想いなのか、言霊が「効いた」ことへの感動なのか、或いは足のその停止という反応に対する、警戒なのか――
 どれほどの時間が経過したのだろう。数分といわれても、数十分といわれても、私には納得がいくかも知れない。
 だが恐らくそれは、ほんの数秒間、だったと思われる。
 私は足を、停まった体勢のままの足を見つめていた。
 どうすれば、いい?
 私の頭の中に、唐突にそんなことばが沸いて出た。
 そうだ。私はこのまま、首だけ振り向けた状態で、蹴りを見舞おうとして停まっている足を、いつまでも見つめているわけにはいかないのだ。
 何故なら、私には、そう、生活というものがあるのだ。
 生活などというと大袈裟かも知れないが、ともかく私は足を見つめてばかりで生きていくことはできない生き物なのだ。人間なのだから。
 そうだ。今こそ私は、足に出会う――もとい、足に取り憑かれる以前の、ごく普通の生活に、立ち戻らねばならないのだ。今が、その時なのだ。
「消えろ」
 私は、私の言うべき次の言葉を、言霊を、放った。
 足は、消えた。
 足のいなくなった空間を、虚空を、またしても私は自分では計測不可能な時間ほど、見つめていた。
 やがて、小さな苦笑が洩れた。
 一体何をしてんだ俺は? いつまでも、足のいなくなったところを見つめて。
 お前まさか、

 寂しいとか?

 それを思った瞬間、私の心臓付近にまたしても熱い塊が生じた。
 なんだと!?
 私は心中で、私自身に向かって怒鳴り返した。
 お前、何言ってんだ? 馬鹿じゃないのか? 誰が寂しいだって!?
 冗談も大概に――
 その瞬間、足は戻ってきた。
 何故それがわかったかというと勿論早速私を蹴り直しはじめたからだ。

 ごつ。
 ごつ。
 ごつ。

 茫然と、私は蹴りつづけられた。
 何故?
 どうしてこの足は、戻ってきたのか?
 まさか私が一瞬とはいえ、

 寂しい

 などと思ってしまったからか?
 いや違う。
 寂しい、など断じて私は思わなかった。
 ただ自分自身の中に自分自身を「寂しいんだろ、やーい」と揶揄する声が生まれてしまったというだけだ。本質的には決して寂しがってなどいない。
 私は首を二、三度振り、もう一度後ろを向いて
「やめろ」
と言霊を放った。
 足は、やめなかった。
「止めろ」
 私は、言霊の種類を変えた。
 足はそれでも、止めなかった。
「蹴るな」
 足は蹴りつづけた。
「消えろ」
 足は消えなかった。
「どっかへ行け」
 足はどこにも行かなかった。
「――」
 私は言霊を失った。
 はい引き出し空、という語句が、脳裡をよぎった。
 そう、私の言霊ストックは、案外貧相なものだった。私はその時その事実に気づいていた。
 ああ、もっと国語関係頑張っときゃよかった。本とかいっぱい読んで。こういう、足とかに取り憑かれるんなら。
 私が己のこれまでの人生の来し方に後悔している間にも、足はテンポよく蹴りつづけていた。

 ごつ。
 ごつ。
 ごつ。

「なあ」私は語りかけた。「頼むからさ」

 ごつ。
 ごつ。
 ごつ。

「お願いします。やめて下さい」

 ごつ。
 ごつ。
 ごつ。

「やめていただけませんか。やめていただけませんでしょうか」

 ごつ。
 ごつ。
 ごつ。

「よろしければ、その挙動をお止めいただくことは可能でございますでしょうか」

 ごつ。
 ごつ。
 ごつ。

「――」

 私は、自分の頬が濡れているのを知った。
 何を言っても、通じない。
 言霊はおろか、懇願も、問いかけも、営業トークも、この足には聞き入れてもらえないのだ。
 暖簾に腕押しの、言語バージョンだ。
 そのことが――自分が何を言っても相手に伝わらないという事実が、こんなにもむなしく、そして哀しいことであるというのを、私は今、はじめて知ったのだった。
 私は首を再び前に向けた。
 弁当殻と空のビール缶が、そこに在った。
 洟が垂れそうになったので、手を伸ばしてテーブルの隅にあるティッシュを引き抜いた。
 洟をかみ、ついでに頬の涙も拭き取りながら、私はやっぱり思った。

 この理不尽さ加減は、何なのだろう――
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2025/12/16:『よってくる』の章を追加。2025/12/23の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/15:『ちいさなむし』の章を追加。2025/12/22の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/14:『さむいしゃわー』の章を追加。2025/12/21の朝8時頃より公開開始予定。 2025/12/13:『ものおと』の章を追加。2025/12/20の朝8時頃より公開開始予定。 2025/12/12:『つえ』の章を追加。2025/12/19の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/11:『にく』の章を追加。2025/12/18の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/10:『うでどけい』の章を追加。2025/12/17の朝4時頃より公開開始予定。 ※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

女帝の遺志(第二部)-篠崎沙也加と女子プロレスラーたちの物語

kazu106
大衆娯楽
勢いを増す、ブレバリーズ女子部と、直美。 率いる沙也加は、自信の夢であった帝プロマット参戦を直美に託し、本格的に動き出す。 一方、不振にあえぐ男子部にあって唯一、気を吐こうとする修平。 己を見つめ直すために、女子部への入部を決意する。 が、そこでは現実を知らされ、苦難の道を歩むことになる。 志桜里らの励ましを受けつつ、ひたすら練習をつづける。 遂に直美の帝プロ参戦が、現実なものとなる。 その壮行試合、沙也加はなんと、直美の相手に修平を選んだのであった。 しかし同時に、ブレバリーズには暗い影もまた、歩み寄って来ていた。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

視える僕らのシェアハウス

橘しづき
ホラー
 安藤花音は、ごく普通のOLだった。だが25歳の誕生日を境に、急におかしなものが見え始める。    電車に飛び込んでバラバラになる男性、やせ細った子供の姿、どれもこの世のものではない者たち。家の中にまで入ってくるそれらに、花音は仕事にも行けず追い詰められていた。    ある日、駅のホームで電車を待っていると、霊に引き込まれそうになってしまう。そこを、見知らぬ男性が間一髪で救ってくれる。彼は花音の話を聞いて名刺を一枚手渡す。 『月乃庭 管理人 竜崎奏多』      不思議なルームシェアが、始まる。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...