クローディアの物語

桃井すもも

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第十三章

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 リリベットが泣き帰った翌朝に、早速父は文でクローディアを呼び出した。 

 用があるならそちらから来ればよいのに。そう思うも仕方がない。家格は同じ伯爵家でも、婚家はつい先年までは子爵家だった。何より、クローディアは娘である。父に呼び出されて出向かないわけにはいかない。

 今回は朝のうちに文を読んだ。読まずともわかる気はしたが、もしかしたら、リリベットの無礼を謝罪する文なのかと思った。
 それは結局、思っただけで終わってしまった。甘い予想は立てないに越したことはないのだと、クローディアは自分の甘さに苦い思いを抱いた。

 リリベットは、なんと父に言ったのか。
 それよりも。
 そこでクローディアは、リリベット付きの侍女の顔を思い浮かべた。

「行くのか?」
「ええ。呼ばれましたもの」

 行かない理由も見つからず、こちらに非があるつもりはないから、クローディアはその日の午後に生家に向かった。命じられると従ってしまう、そんな自分を業腹に思うも、そのように躾けられて育ったクローディアに成す術はなかった。

 ローレンスにしても、クローディアが呼び出されることに思うものはあったのだろうが、何も言うことはしなかった。
 アンネマリーを不安にさせたくなくて、クローディアは敢えてなんともないという顔をした。


「リリベットに何を言った」

 クローディアが通されたのは、応接室ではなく父の執務室だった。父は、嫁いで今は伯爵夫人となったクローディアを、そう認めてはいないのだろう。

 流石にお茶は用意されたが、手を付けられる空気ではなかった。

「他家を訪問して不用意な発言をしたのをたしなめました」
たしなめただと?」

 真っ当なことを言ったつもりだったが、父の返しは早かった。

「泣かせたと言うではないか」
「リリベットがそう言いましたの?」

 父はそれには答えなかった。

「幼い子が同じ歳の娘に言ったことに、いちいち目くじらを立ててどうする」

 クローディアはそこで手を伸ばし、ソーサーを持ち上げお茶をひと口含んだ。そんな姿を父は、反省の色が見えないと思ったのだろう。ピリリとした空気を漂わせた。

 質の良い紅茶はクローディアのためのものではない。執事は父の好みのお茶を出したに過ぎない。

「お父様」
「……」

 クローディアは、幼い頃から聞き分けが良かっただろう自覚がある。母が亡くなって義母が嫁いできてからも、父にも義母にも我が儘めいた行いをしたことはない。

 嫡女から降ろされクラウスと婚約した時も、クラウスがセリーヌ王女に傾倒して、それを父が見て見ぬふりをしていた時も、彼が亡くなってしまった時にも。

 侯爵家がクローディアではなくリリベットを選んだ時も、ローレンスとの婚姻を何一つクローディアの気持ちを確かめることなく受け入れた時でさえ、クローディアが「否」と言ったことは一度もなかった。

「お父様。この家ではリリベットにどんな教育をなさっておられるの?ガヴァネスを変えたほうがよろしいのではなくて?それから、侍女も」

 父に昨日の出来事を説明したのは、リリベットに付いていた侍女だろう。リリベットはプライドが高い。自分に非があるのも彼女なりにわかっていた筈で、それで泣いてしまったなどとは言わないだろう。

「お前、自分の言葉の意味がわかっているのか」

 呻るような低い声。それが実の娘に対して発する声なのか。
 ここにきてクローディアが気づいたのは、戦場を渡り歩いた夫と暮らした僅かな間に、クローディアまで肝が据わったようだということだった。

 娘時代だったら、こちらを睨みつける父を見たなら、たちまち縮みあがっていただろう。
 だが、生粋の騎士とつい先ほどまで一緒にいたクローディアにとって、父は虚勢を張った中年の男でしかなかった。

「リリベットは、自分から願って我が伯爵家を訪問したのです。当家が招いた訳ではございません。そこで、我が家の娘の容姿に関わることを口にしましたのよ。それがうっかりなことなのは理解しております。だからこそですわ。うっかり口から出る言葉とは、大抵腹の中で思っていることです。お父様ならそんなこと、言わずともおわかりのことでしょう」

 父に対して、これほど長い発言をしたのはいつぶりだろう。クラウスが戦場に赴くのを止めてほしいと願った時以来かもしれない。

「誰にものを言っている」

 父は地を這うような声で言った。

「そのお言葉こそ本気ですの?謝罪を受けるのは当家の方ですわ」
「なに?」
「逆を考えてみたらおわかりになるのでは?リリベットの容姿や振る舞いの一つでも揶揄されたなら、お父様はどう思って?」
「あの娘とリリベットとは違う」

 クローディアは、これまでだと思った。
 一度諦念すれば、後はこだわるものは何もなかった。

「アンネマリーは私が育てます。私が教育致します。ですから、少なくとも見目で人を見下す令嬢には育ちません」
「お前、何を言ってる」
「侯爵家の一員となった時に、蒔いた種はどんな風に実るのでしょう。その花を咲かせるのはお父様ですわ」

 クローディアは、金輪際、この父とは気持ちが寄り添うことはないと思った。

「お前のその言葉こそ、あとで詫びても聞き入れることはない。伯爵夫人になったつもりのようだが、昨日今日陞爵された家と一緒にしてもらっては困る」
「存じております」
「随分と生意気なことを言うな。覚悟があってのことか。お前に帰る家は無いと思え」
「存じております」
「なんだと?お前の面倒なぞ、」
「結構です」

 クローディアは、どこかでこの邸に来るのもこれが最後だと思った。それから、それで良いと思えた。

「私の身に何かございましても、ここには来ることはございません。貴方におもねるくらいなら、修道女になりますわ。そうしてクラウス様の魂が癒されるのを祈って生涯を過ごします」

 どうしようもない人だった。だがそんなクラウスを、クローディアは好きだった。
 クラウスは、嘘や偽りをクローディアに言うことはなかった。セリーヌ王女にどれほど惹かれているかも、彼女の為に戦場に行くことも、彼は心のまま打ち明けた。

 あの侯爵家で、クラウスは異質だったのだろう。どこかで厄介払いをされたのだろう。

 確かに貴族としては愚かな人だったけれど、クローディアにとっては大切な初恋の人だった。何より彼は、クローディアのこの黒髪を見下すことはしなかった。

 クラウスの命を惜しむことなく、まるで忘れたようにリリベットとジョセフの縁を結んで、何もなかった顔をして生きている伯爵家も侯爵家にも付き合うつもりはなかった。

 たとえローレンスに気に入られずに離縁されたとしても、その時にはこの家に帰るつもりは毛頭ない。自力で向かえる一番近くの修道院にさっさと入ってしまおうと、そんなことを考えた。


 
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