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第十五章
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生家から戻れば、ローレンスも既に邸に戻っていた。多忙な彼が日のあるうちに帰宅するのは珍しい。
外出着から着替えれば、彼の侍従がローレンスが待っていると知らせにきた。それで、彼なりに生家での父との話がどうであったかを気に掛けていたのだとわかった。
リリベットの侍女であったハンナを叱ったばかりだが、クローディアの側にもずっと、侍女のルーシーがついていた。
果たして彼女は、ローレンスになにをどう報告したのか。
クローディアは婚姻の際に、生家から侍女を連れてこなかった。クローディア付きの侍女はいたし義母も一人くらい連れて行ったほうが良いのではと言ってくれたが、クローディアはそうはしなかった。
クラウスの一件に続いて、彼の生家がリリベットを望んだことで、クローディアの生家での価値は低いものになっていた。そんな自分に引き摺られるように連れて行かれるのは、使用人だって嫌だろうと思っていた。
侍女のルーシーはフォーウッド伯爵家の使用人で、クローディアが嫁いでからずっと、クローディア付きの侍女となっていた。
簡略化された婚姻式の支度も彼女が手伝ってくれたし、所用で外出する時には必ず彼女を側につけていた。
いつだか、アンネマリーに絵本を読んでやった時に、彼女の幼い無作法を代わりに詫びたのも彼女だった。
クローディアより少しばかり年上だろうルーシーは、亜麻色の髪をきっちり纏めた落ち着いた雰囲気の女性である。
今日も父の執務室には彼女を連れていたから、父との対峙の際もその後の義母やリリベットとの会話の場にも、彼女はずっとクローディアの背後に控えていた。
それは本当に影のようで、クローディアは時折彼女が後ろにいるのを忘れてしまうことがある。
ハンナに向けて言った言葉は、ルーシーも耳にしている。そのルーシーもまた、先んじてローレンスに今日の出来事を報告していると思われた。
クローディアは、ローレンスの執務室に行くのにルーシーを連れては行かなかった。同じ邸の中を歩くのに、クローディアは単身で行動することが多い。それ以前に、自室で家政を熟しているから、そう頻繁には歩き回らない。
粗方のことは先にルーシーが報告しただろうからと、ローレンスには父との会話の内容を隠すことはしなかった。
「修道院なんて入る必要ないだろう」
そこでローレンスは憮然とした顔をした。
てっきり父との絶縁を危惧するかと思ったが、そうではなかった。
「忘れられないのか」
ローレンスが尋ねたのは、クラウスのことだった。クラウスとローレンスは、多分面識はないだろう。けれど同じ戦場にいたことに、彼としても何か思うことがあるのかもしれない。
何よりクローディアとの婚姻は、その戦が二人を結んでいる。
「わかりません。ただ、死んでしまったあの方を私くらいは憶えていても良いのではないかと思っただけです」
クラウスへの恋心は、クローディアの中では優しさと切なさと悔しさがセットになって、もう随分前に思い出となっていた。
クラウスには、それなりに苦労させられたが、不思議なことに思い出すのは彼の笑顔だ。
死者は狡い。良い事も悪い事も思い出になる時には、全部笑い話に変えてしまう。
「そうだな」
戦場で命を懸けるその気持ちは、当事者でなければわからない。ローレンスにとって、クラウスは他人であっても他人だと思い切れない連帯感のような感情を抱くのだろうか。
クローディアにわかったのは、少なくとも今のところは、ローレンスにはクローディアを修道院に行かせるつもりはないということだった。
帰りの馬車の中で、漠然と最寄りの修道院はどこだろうなどと考えていたのだが、まだその必要はないようだった。
「私の為に喧嘩をしたの?」
クローディアは溜め息が漏れるのを押し留めた。誰が教えたのだろう。アンネマリーは生家での出来事の大凡を知っているようだった。
彼女は教育の行き届かないところはあったが、愚鈍な娘ではない。寧ろ、人の顔色に聡い賢い子だ。
ここで犯人探しをしても、アンネマリーを追い詰めるだけだろう。まあ、アンネマリーがルーシーにせがんで聞いたのだろうと容易く想像はできたが。
「いいえアンネマリー、そうではないわ。自分の為よ」
それはクローディアの本心だった。父に向けての言葉の全ては、呼び出されたばかばかしさも確かにあったが、長いこと湖底に沈んだように沈殿していた感情が、あの場で浮き上がってのことだと思う。
アンネマリーのことは常に念頭にあったが、あの場で父に強い気持ちを向けたのは、幼い頃から抱え込んで塊になった感情が起爆剤となったのだ。
「お父様なのでしょう?」
実父と言いたいのだろう。血を分けた実の父。
「私の身体は、半分は父の血だけれど、もう半分は母なのよ。多分、母の血が大暴れしたのね」
「血が暴れるの?」
「そうよ」
そこでアンネマリーは、なぜか笑った。クローディアがあまりにケロリと言ったのが面白かったようだった。
アンネマリーが笑うのは珍しい。だが、その笑顔は年相応に愛らしい。
義母はあの家に嫁いで、真っ黒な髪の先妻似の義娘をどう思ったのだろう。その義娘に「お義母様」と呼ばれて、どんな気持ちがしたのだろう。
彼女はいつでも「義母」として、正しく接してくれたと思う。
若い身空で後添いとなって、あの父に愛された。
義母には義母の経緯があって、父の後妻となっている。それもまた、義母が心に決めて選択をした、彼女の生き方なのだと思った。
外出着から着替えれば、彼の侍従がローレンスが待っていると知らせにきた。それで、彼なりに生家での父との話がどうであったかを気に掛けていたのだとわかった。
リリベットの侍女であったハンナを叱ったばかりだが、クローディアの側にもずっと、侍女のルーシーがついていた。
果たして彼女は、ローレンスになにをどう報告したのか。
クローディアは婚姻の際に、生家から侍女を連れてこなかった。クローディア付きの侍女はいたし義母も一人くらい連れて行ったほうが良いのではと言ってくれたが、クローディアはそうはしなかった。
クラウスの一件に続いて、彼の生家がリリベットを望んだことで、クローディアの生家での価値は低いものになっていた。そんな自分に引き摺られるように連れて行かれるのは、使用人だって嫌だろうと思っていた。
侍女のルーシーはフォーウッド伯爵家の使用人で、クローディアが嫁いでからずっと、クローディア付きの侍女となっていた。
簡略化された婚姻式の支度も彼女が手伝ってくれたし、所用で外出する時には必ず彼女を側につけていた。
いつだか、アンネマリーに絵本を読んでやった時に、彼女の幼い無作法を代わりに詫びたのも彼女だった。
クローディアより少しばかり年上だろうルーシーは、亜麻色の髪をきっちり纏めた落ち着いた雰囲気の女性である。
今日も父の執務室には彼女を連れていたから、父との対峙の際もその後の義母やリリベットとの会話の場にも、彼女はずっとクローディアの背後に控えていた。
それは本当に影のようで、クローディアは時折彼女が後ろにいるのを忘れてしまうことがある。
ハンナに向けて言った言葉は、ルーシーも耳にしている。そのルーシーもまた、先んじてローレンスに今日の出来事を報告していると思われた。
クローディアは、ローレンスの執務室に行くのにルーシーを連れては行かなかった。同じ邸の中を歩くのに、クローディアは単身で行動することが多い。それ以前に、自室で家政を熟しているから、そう頻繁には歩き回らない。
粗方のことは先にルーシーが報告しただろうからと、ローレンスには父との会話の内容を隠すことはしなかった。
「修道院なんて入る必要ないだろう」
そこでローレンスは憮然とした顔をした。
てっきり父との絶縁を危惧するかと思ったが、そうではなかった。
「忘れられないのか」
ローレンスが尋ねたのは、クラウスのことだった。クラウスとローレンスは、多分面識はないだろう。けれど同じ戦場にいたことに、彼としても何か思うことがあるのかもしれない。
何よりクローディアとの婚姻は、その戦が二人を結んでいる。
「わかりません。ただ、死んでしまったあの方を私くらいは憶えていても良いのではないかと思っただけです」
クラウスへの恋心は、クローディアの中では優しさと切なさと悔しさがセットになって、もう随分前に思い出となっていた。
クラウスには、それなりに苦労させられたが、不思議なことに思い出すのは彼の笑顔だ。
死者は狡い。良い事も悪い事も思い出になる時には、全部笑い話に変えてしまう。
「そうだな」
戦場で命を懸けるその気持ちは、当事者でなければわからない。ローレンスにとって、クラウスは他人であっても他人だと思い切れない連帯感のような感情を抱くのだろうか。
クローディアにわかったのは、少なくとも今のところは、ローレンスにはクローディアを修道院に行かせるつもりはないということだった。
帰りの馬車の中で、漠然と最寄りの修道院はどこだろうなどと考えていたのだが、まだその必要はないようだった。
「私の為に喧嘩をしたの?」
クローディアは溜め息が漏れるのを押し留めた。誰が教えたのだろう。アンネマリーは生家での出来事の大凡を知っているようだった。
彼女は教育の行き届かないところはあったが、愚鈍な娘ではない。寧ろ、人の顔色に聡い賢い子だ。
ここで犯人探しをしても、アンネマリーを追い詰めるだけだろう。まあ、アンネマリーがルーシーにせがんで聞いたのだろうと容易く想像はできたが。
「いいえアンネマリー、そうではないわ。自分の為よ」
それはクローディアの本心だった。父に向けての言葉の全ては、呼び出されたばかばかしさも確かにあったが、長いこと湖底に沈んだように沈殿していた感情が、あの場で浮き上がってのことだと思う。
アンネマリーのことは常に念頭にあったが、あの場で父に強い気持ちを向けたのは、幼い頃から抱え込んで塊になった感情が起爆剤となったのだ。
「お父様なのでしょう?」
実父と言いたいのだろう。血を分けた実の父。
「私の身体は、半分は父の血だけれど、もう半分は母なのよ。多分、母の血が大暴れしたのね」
「血が暴れるの?」
「そうよ」
そこでアンネマリーは、なぜか笑った。クローディアがあまりにケロリと言ったのが面白かったようだった。
アンネマリーが笑うのは珍しい。だが、その笑顔は年相応に愛らしい。
義母はあの家に嫁いで、真っ黒な髪の先妻似の義娘をどう思ったのだろう。その義娘に「お義母様」と呼ばれて、どんな気持ちがしたのだろう。
彼女はいつでも「義母」として、正しく接してくれたと思う。
若い身空で後添いとなって、あの父に愛された。
義母には義母の経緯があって、父の後妻となっている。それもまた、義母が心に決めて選択をした、彼女の生き方なのだと思った。
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