或る伯爵夫人が一人思い悩んだ末の事の顛末

桃井すもも

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第五章

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 男性なのに長い指が綺麗だと思う。
 長い指に髪を梳かれながら、サフィリアはその胸元に抱き締められていた。

 真っ裸で。
 真っ夜中に。

 長い指先がサフィリアの髪を梳く。
 生家で侍女に手入れをされていた艶髪は、今は婚家の侍女たちによって手入れを施されて、とぅるんとぅるんなのだ。それを律儀な夫の指先で、毎朝毎夜梳かれている。

 時折頭頂部に柔らかなものが押し当てられてリップ音が聞こえるのだが、大抵微睡みの中にいるサフィリアはそのことを知らない。

 昨夜も夜半に差し掛かる頃に帰ってきたルクスだが、彼は律儀な夫なので帰宅できた夜は必ず妻を愛する。

 サフィリアは望まれぬまま嫁いだ妻であるから、その度にご遠慮申し上げるのだが、夫はそんなサフィリアに耳を貸さない。

 昨夜も、

「旦那様、偶には早くお休みになって下さいませ」
「ん?今、休んでいるが?」
「そ、その、その手を、その」

 サフィリアにモゴモゴ言われてモミモミしていた手を止める。ルクスは絶賛サフィリアのお胸をモミモミ中であった。

「楽しみを奪わないでくれ」
「!」

 あの「不幸な夜」があったが為に、夫は不幸になってしまった。望まぬ婚姻を決めねばならず、望まぬ妻を娶らねばならない不運を背負い、これから長く続く人生を、重き荷を負いて遠き道をゆくが如く生きていかねばならない。

 ごめんなさい、旦那様。

 悔恨と懺悔の闇がサフィリアの胸を覆う。こんなちっぽけなお胸でよかったら、さあ!

 思い悩んだ末に思い切ったサフィリアは、夫の鮮やかな翠色の瞳を見上げて、さあ!と、ささやかなお胸を心もち張ってみた。

 そんなことをしたなら、虎穴に入ったようなもの。虎子を得る前に虎のような夫に食べられた。
 そうして不覚にも意識朦朧となりながら、満足した夫の指で髪を梳かれるのである。


「ん?」

 ルクスが漏らした小さな声に、サフィリアは泥のような眠りから浮上した。

「なんの音だ?馬車か?いや、荷馬車か?」

 そこでルクスはむくりと起き上がり、音を確かめようと寝台から降りて窓辺へ歩み寄った。

 空は既に白みはじめて薄っすら桃色に染まっている。夜明けの鶏鳴が聞こえる頃だ。

「荷馬車の連隊だ」

 ルクスの不穏な言葉に、サフィリアはすっかり目が覚めてしまった。

「一、二、三、四、ん?なんだ?何台あるんだ?」

 どうやら荷馬車の車列は数台、少なくとも四台以上続いているらしい。

「確かめてくる。君はここにいるんだ。外に出ては駄目だぞ」

 そう言って、窓辺でルクスがサフィリアへと振り返った。その前になんか着てほしい。真っ裸で凄まれても、ちょっと。

 ルクスはそこで、床に散らかっていた下着やら夜着やらを手早く着て、上からガウンを羽織った。

 仕事のデキる夫は着衣を脱ぐのも着るのも速い。同衾する時には瞬速で脱ぐ。ついでにサフィリアも瞬速で脱がされる。

 パタンと小さな音をたてて扉が閉まった。ルクスはそのまま階下へ降りるのだろう。

 サフィリアも、もたもたしながら夜着を探す。昨夜ハイテンションだった夫に脱がされた着衣は、ぽーんと弧を描いて放り投げられていた。

 確か、こっちの方だったかしらと部屋の隅を探して、ソファの陰に落ちていた下着を拾った。
 それから薄い夜着、これはルクスの好みなのだと侍女が言っていた、兎に角、拾い上げた薄い夜着を着てガウンを羽織る。

 それから先ほどのルクスと同じように窓辺に寄って外を見た。

「な、何?あの荷馬車の列」

 ルクスの言葉通りの風景。夜が明け切らない薄闇が残る街の街道を、長い長い車列が続いて見えた。

「え?ここに来るの?」

 馬の蹄と車輪の音がどんどんどんどん近くなる。何より、少し高い位置にあるこの邸宅目指して長い車列が続いてた。

「何かしら、赤いわ」

 夜が明けるとともに辺りは明るくなっていく。東の空が桃色から橙色に変わって朝日が昇り始めた。それにつれて荷馬車が運ぶ物体に色があるのがわかった。それは赤。赤一色だった。
 一台目も二台目も三台目も、積荷は全て赤一色に染まって見えた。

 まさか、血塗れ!?

 サフィリアは恐れ慄いた。大変だ、旦那様が下にいる。あの血塗ちまみれ荷馬車はきっと、どこぞの破落戸ならずものの大群だ。あの荷は襲った家々で血祭りにあげられた屍の山だ。

 旦那様!

 サフィリアは張り詰めた弦が弾かれたように、そのまま扉へ走り廊下へ飛び出た。裸足も構わず廊下から大階段を目指して駆け抜けた。

 大階段へ辿り着き、手摺りから階下を見下ろす。眼下は真っ赤に染まっていた。そこに夫が立ち竦んでいた。

「旦那様!!」

 人生で、あんなに大きな声で叫んだことはなかった。夫が危ない、いや、既に傷つけられているのか!?

 転がる勢いで階段を駆け降りた。ほとんど転がっていたと思う。

「サフィリア!!」

 気配に振り向いたルクスが慌てた顔で、転がる勢いのサフィリアに駆け寄った。その腕の中に抱き留められて、ルクスの胸に顔がむぎゅっと押し当てられた。

「だ、だ、だ、旦那様!大丈夫!?」

 ルクスを見上げて叫んだサフィリア。ルクスの瞳に狼狽が見て取れた。

「あれ?」

 そこでサフィリアは気がつく。

「いい匂い。これって、い、苺?」

 ルクスの腕の中から恐る恐る向こうに見れば、玄関ホールに積み荷が降ろされているところだった。
 血塗れの屍と見誤ったのは、摘みたて苺の山だった。

 使用人たちが立ち竦んでいた。

 家令のバーバリーも執事のダンヒルも。
 護衛のラルフも侍従のローレンも。
 侍女頭のサマンサも侍女のタバサも。

 みんな集まって、どんどん運び込まれて辺りを埋め尽くす苺の山に茫然となっていた。


 結論から言えば、それはサフィリアへの贈答品だった。御者が携えてきた書簡には、先日の第二王子殿下の妃選出にあたって、サフィリアの類まれな選別眼が採択されて、目出度く当家の娘が妃に選ばれたという旨の礼が記されていた。

『ほんの僅かでございますが、王都に最も近い農場での朝摘みでございます。朝餉にお楽しみ頂けますと幸いでございます』

 そんな一文が添えられて、サフィリアは手元の書簡と朝摘みの山積み苺とを交互に見た。


 先日、王太子妃とカードゲームをしたサフィリア。サフィリアが最後に引いたジョーカーは、王国きっての苺栽培で有名な南の辺境伯領地の令嬢だった。

 第二王子は辺境伯の後ろ盾と、苺のような真っ赤な唇が愛らしい婚約者を得たのである。


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