或る伯爵夫人が一人思い悩んだ末の事の顛末

桃井すもも

文字の大きさ
14 / 44

第十四章

しおりを挟む
 サフィリアは、そこそこまあまあ上位に食い込む程度の高成績で、学園ではそこそこまあまあよく出来る生徒だった。

 そんなデキるサフィリアを、生家で姉は大層重宝してくれた。密かに父より仕事がデキると言って褒めてくれたものだ。そこでふと父の顔が思い浮かんだが、直ぐに忘れた。

 そんな訳で、サフィリアは密かに仕事が出来る。デキる伯爵夫人なのである。それをルクスは正しく認めて、彼女へ自身の執務の代行を担わせていた。

 それは多忙にかまけてのことではなくて、彼女への信頼と信用とねちっこい愛あってのことだった。だが信頼を寄せられているサフィリア本人は、そこのところは深く考えていない。
 彼女は自分が夫の足枷であると、それだけの存在なのだと信じて疑わない。

 さて、密かに仕事のデキる伯爵夫人サフィリアは、午前中の早いうちには家政と執務を終えてしまう。

 だからその後の有り余る時間を、贖罪と懺悔の祈りに割り当てた。
 なにせ天竺も東国も遠いのだから、彼女が向かえる場所は教会しかない。

 それでこのところサフィリアは、午前のうちに教会を訪うようになった。
 教会に着けば馬車に侍女を残して、一人礼拝堂へと向かう。
 そこには女神の像があり、サフィリアは真っ白な女神像の足下に跪いて、ひたすら神に祈りを捧げるのである。

 やっと安寧の場所を見つけた。
 そんな気持ちであった。深い悩みも悔恨も、夫への贖罪も懺悔の気持ちも、ようやくここで向き合える。

 神よお許し下さい。旦那様よ、ごめんなさい。貴方の妻になってしまってごめんなさい。
 あの時、調子に乗ってシャンパン二杯目飲んでしまってごめんなさい。美味しいシャンパンに惑わされてしまってごめんなさい。飲んだら(一杯目)飲むな(二杯目)、飲むなら飲むな。

 己はまるでエデンの園で蛇の誘惑に負けて林檎を食べてしまったイヴのようだ。今ならイヴの気持ちがよく分かる。林檎、美味しかったのね、だってシャンパンは美味しかったもの。

 サフィリアは、来る日も来る日も祈りを捧げた。夫への贖罪に、罪の懺悔に女神像を前にしてひたすら祈った。


「告解室?」

 それは礼拝堂の脇にあった。告解室とは人知れず罪を告白して、神様の許しを得る場所である。
 こんなわかりやすい場所にあって、なんで今まで気が付かなかったのだろう。やはりこのまなこは曇っていたのだろう。それをここ数日の懺悔によって罪が昇華されて、それでようやく告解の扉が開かれたのだろう。

 きっとそうだ。
 サフィリアは告解室の扉の前で立ち止まった。

「告解室……。多分、告解する部屋なのね」

 当たり前のことを呟きながら、そうだ早速告解してみようと思い立った。

 「思い立ったが吉日」とは、例の『東方のことわざ』に記されていた言葉だが、今日こそその思い立った吉日なのではなかろうか。

 サフィリアは背中を女神にぽーんと叩かれ励まされたような気持ちになった。それで迷うことなく告解室の扉を開いた。


「あのぅ」

 告解室には小さな窓があった。磨り硝子の向こう側は曇っている上に薄暗くてよく見えない。
 こちらから見えないならば、あちらもサフィリアだと気がつくことはないだろう。伯爵夫人が告解だなんてバレずに済む。よし、思いっきり告解出来る。

 サフィリアは思う。夫の為に。罪深きこの身を懺悔したなら、神はお赦し下さるだろうか。

「はい」

 行き成りの返答に、ビクッとしたサフィリアは、ちょっと飛んだ。
 びっくりした。あちらが返事をするとは思わなかった。

 こちらから呼びかけておきながら、返事に驚くのは失礼なことだろう。だが、サフィリアはそんなことには思い至らず、気を取り直すべくコホンとひとつ咳をした。

「んっんっ、こちらで懺悔の言葉を申し上げてよろしいのでしょうか」
「……どうぞ」

 磨り硝子の向こう側の人物は、どうやら無口な人物のようだった。どうぞと言ったきり黙り込んでしまった。

 サフィリアは長くなるのがわかっていたから、隅にあった椅子を目敏く見つけて、座るのに丁度良いなと勝手に持ち出そうと椅子に歩み寄った。

 
 椅子が思いのほか重くて、持ち上げられず、む無く引き摺る。
 ギギィギギィと床を摺る音が鳴って、向こう側の人物が何事かと不審げに頭を揺らすのが磨り硝子越しに見えた。
 そんなことにはお構いなしに、サフィリアはどっこいしょと椅子に腰かけた。

 さあ、私の罪深き罪をどうか聞いて下さいませ。そう心の中で詫びてから、サフィリアは罪の告白を始めた。

 取り掛かりには、何から話せばよいだろう。まずは夫との出会いからか。
 何故、夫の妻になったのか。
 何故、王城の控えの間に寝転ぶこととなったのか。

 何故、シャンパンを駆けつけ二杯飲むことになったのか。
 何故、姉夫婦に引っ付いて夜会にいたのか、そもそも何故、自分には婚約者がいなかったのか。

 夫に自分という、美しくもなく成績が良いくらいしか取り柄が無く、家政を熟すのが早いくらいしか役に立てない、駄目な妻を娶らせたこの深き罪。

 神よどうぞ許し給え。アーメン。

 初回は長い告解となった。
 磨り硝子の向こう側の人物は、それにも何も答えずに、黙して耳を傾けてくれた。
 余りに無反応過ぎて、途中、寝ている?と不安になったが、よく見ると青い瞳と思わしき色が磨り硝子の向こうに二つ見えていた。

 それで、彼が寝ていないのがわかったサフィリアは、よほど心に不安と悔恨を溜め込んでいたのだろう。湖が堰を切ったようにありったけの懺悔をぶちまけた。
 溜まっているのが湖レベルであったから、それはそれは長い告解となった。

 サフィリアは、それから毎日長い祈りの後に、「あのぅ」と声を掛けて、長い長い、いつ尽きるともわからない告解をするのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望

完結 この手からこぼれ落ちるもの   

ポチ
恋愛
やっと、本当のことが言えるよ。。。 長かった。。 君は、この家の第一夫人として 最高の女性だよ 全て君に任せるよ 僕は、ベリンダの事で忙しいからね? 全て君の思う通りやってくれれば良いからね?頼んだよ 僕が君に触れる事は無いけれど この家の跡継ぎは、心配要らないよ? 君の父上の姪であるベリンダが 産んでくれるから 心配しないでね そう、優しく微笑んだオリバー様 今まで優しかったのは?

聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)

蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。 聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。 愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。 いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。 ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。 それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。 心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。

亡き姉を演じ初恋の人の妻となった私は、その日、“私”を捨てた

榛乃
恋愛
伯爵家の令嬢・リシェルは、侯爵家のアルベルトに密かに想いを寄せていた。 けれど彼が選んだのはリシェルではなく、双子の姉・オリヴィアだった。 二人は夫婦となり、誰もが羨むような幸福な日々を過ごしていたが――それは五年ももたず、儚く終わりを迎えてしまう。 オリヴィアが心臓の病でこの世を去ったのだ。 その日を堺にアルベルトの心は壊れ、最愛の妻の幻を追い続けるようになる。 そんな彼を守るために。 そして侯爵家の未来と、両親の願いのために。 リシェルは自分を捨て、“姉のふり”をして生きる道を選ぶ。 けれど、どれほど傍にいても、どれほど尽くしても、彼の瞳に映るのはいつだって“オリヴィア”だった。 その現実が、彼女の心を静かに蝕んでゆく。 遂に限界を越えたリシェルは、自ら命を絶つことに決める。 短剣を手に、過去を振り返るリシェル。 そしていよいよ切っ先を突き刺そうとした、その瞬間――。

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

【完結済】後悔していると言われても、ねぇ。私はもう……。

木嶋うめ香
恋愛
五歳で婚約したシオン殿下は、ある日先触れもなしに我が家にやってきました。 「君と婚約を解消したい、私はスィートピーを愛してるんだ」 シオン殿下は、私の妹スィートピーを隣に座らせ、馬鹿なことを言い始めたのです。 妹はとても愛らしいですから、殿下が思っても仕方がありません。 でも、それなら側妃でいいのではありませんか? どうしても私と婚約解消したいのですか、本当に後悔はございませんか?

私は彼に選ばれなかった令嬢。なら、自分の思う通りに生きますわ

みゅー
恋愛
私の名前はアレクサンドラ・デュカス。 婚約者の座は得たのに、愛されたのは別の令嬢。社交界の噂に翻弄され、命の危険にさらされ絶望の淵で私は前世の記憶を思い出した。 これは、誰かに決められた物語。ならば私は、自分の手で運命を変える。 愛も権力も裏切りも、すべて巻き込み、私は私の道を生きてみせる。 毎日20時30分に投稿

旦那様は離縁をお望みでしょうか

村上かおり
恋愛
 ルーベンス子爵家の三女、バーバラはアルトワイス伯爵家の次男であるリカルドと22歳の時に結婚した。  けれど最初の顔合わせの時から、リカルドは不機嫌丸出しで、王都に来てもバーバラを家に一人残して帰ってくる事もなかった。  バーバラは行き遅れと言われていた自分との政略結婚が気に入らないだろうと思いつつも、いずれはリカルドともいい関係を築けるのではないかと待ち続けていたが。

処理中です...