或る伯爵夫人が一人思い悩んだ末の事の顛末

桃井すもも

文字の大きさ
30 / 44

第三十章

しおりを挟む
 王太子ネロ、二十六歳、金髪青眼。
 勤勉、実直、天才肌、若干腹黒。
 好物 苺。
 この世で一番好きなもの、クラウディア。

 ネロは幼い頃から賢く見目よい王子と言われていた。
 鏡を見れば、成る程そうだと思った。ネロは嘘がつけない気質で正直だ。侍従に身だしなみを整えられながら向かった鏡に、

「まあ、確かに美麗であるな」正直にそう思った。

 そんな美麗な王子ネロは、幼いうちから将来の妃選びは始まっており、歩くところ至る所で令嬢たちに捕まった。幼い彼女らが何故それほど王城にいるのか。

 そんなことは聞かずとも知れることで、どうにかして自慢の娘を目に掛けて欲しい貴族たちは、この頃から無闇矢鱈と幼い娘を連れて、ネロに遭遇すべく王城に来たものだ。

 ネロは幼い頃から些か感情の起伏が乏しいきらいがあった。
 勉学も剣の稽古もやればやるだけ成果を残すし、自分に出来ないことが他にあるのか、心の底から疑問に思った。

 出会う教師は皆、口を揃えてネロを「神童」だと言ったし、年上の侍女たちはすれ違う度に小さく「きゃあ」と言った。
 だからネロは、「きゃあ」が公式の挨拶だと成長するまで本気で思っていた。

 人生で、自分より賢い人間に会ったことがない。
 人生で、自分より美しい子供に会ったことがない。

 決して驕りでも高慢でもなく、それはどう控え目に見ても純然たる事実であった。

 それがガラガラと崩れ落ちた時の衝撃。
 その衝撃を、神は『恋』だと名をつけた。

 子供ばかりの茶会の席で、女神に出会ったのかと思った。因みに女神とは、母に連れられて入った禁書庫で見つけた聖書に描かれた挿絵である。
 ひと目見て、なんて美しい挿絵だろうと、珍しく見惚みとれた。

 その女神をキュッと縮めて小っさくした、そんな幼い令嬢と出会った。

「め、女神……」
「は?そんなのここにいる訳がなかろう」

 横から友人のルクスが言って、彼は翠の瞳を細めて全然子供らしくない表情をした。

「いや、ルクス。神はいるんだ、女神はいる。ほら、あそこ」
「あれはどこからどう見ても人の子だ。侯爵家の娘だろう」
「お、お前、あのコを知っているのか!?」
「ああ、知ってるよ」
「し、し、紹介して……欲しぃ」

 人生で初めてどもった。語尾が小っちゃくなるなんて、そんな会話を初めてした。

「よかろう」

 同じく小っさいルクスが鷹揚に頷いて、傍から見たならどちらが王子かという姿だった。

 先を歩くルクスの背を追う。目の前に女神(ミニ)が近づいて見えて、彼女が本当に女神(ミニ)なのだと納得した。

「彼女はクラウディア嬢だ。クラウディア嬢、こっちは王子だ、ネロっていう」

 雑なルクスの紹介に、それでもネロは心が弾んだ。ゴム鞠みたいに弾んで弾んで、もうどこかに飛んでいきたくなった。

「恋はゴム鞠」
「はぁ?」

 つい口をついてしまった言葉を拾ったのは、真逆の女神(ミニ)・クラウディアだった。

「王子様、ゴム鞠がお好きなの?」
「いやゴム鞠ではなく、その、き、君が……」

 君が好き。
 たった五文字が言えないままに、ネロは目元が真っ赤に染まる。

「ふふふ、可愛いわね」
「そうか?」

 クラウディアとルクスがそう言って、なんでお前たち知り合いなのかと詰め寄りたくなった。聞けば物凄く遠い血縁なのだという。物凄く遠いのだから、それは最早他人では?
 賢いネロはそう思ったが、ここでは敢えて反論しなかった。

 クラウディアは、ネロより一つ年下だった。彼女と同じ歳に伯爵家の嫡女がいて、そのヴィクトリアなる令嬢と大のつく友人なのだという。

 ヴィクトリアは嫡女で婿を取るので、実質的な妃候補選びであるこの場にはいなかった。
 後から調べれば、幼いクセに大輪の深紅の薔薇を思わせる強烈な個性の持ち主だった。先が楽しみだと言われるほどの目見だというが、ネロには女神(ミニ)であるクラウディアが全てだった。

 話はずれるが、このヴィクトリアには妹が一人いる。まだ幼すぎて社交場に出てはいないが、姉の対極にいるような路傍の草を思わせる大人しい娘なのだという。

 それはルクスも知らない事実で、この情報をネロはクラウディア本人から引き出した。

「とっても可愛いの。ちっちゃくてお人形さんみたいなのよ」

 聞けばクラウディアは、このサフィリアという幼女を姉のヴィクトリアと一緒に「生きた着せ替え人形」として愛でているのだという。

「ふうん」

 ネロはその言葉を聞いて、ほんの少し沈黙した。それから意を決して提案してみた。

「その着せ替え人形とやら、男児おのこは欲しくないか?」
「いらないわ」

 秒で撃沈した。まあ、交渉が成立したとして、未来の王太子殿下を「生きた着せ替え人形」に出来る令嬢なんて、この広い大陸で一人も見つけられないだろう。

 だが、クラウディアだけは、本人が望みさえすれば可能になりそうだった。本人が望まない為にボツとなったが。

 二人はそれからも年に二度ほどの茶会で顔を会わせた。そうしてネロが立太子した年に、正式にクラウディアへ王太子妃としての婚約を申し込んだ。

 王命で結べるものを、名前と違って暴君ではないネロは、正攻法で釣書きを送った。
 飽くまでも、クラウディアに選んで欲しかった。二人でこの国の未来を担い生きていきたい。本心からそう願っていた。

 東国の格言に、
『一念岩をも通す』という言葉があるのだという。
 思う念力は硬い岩を通してしまう、 強い信念を以て物事に当たれば、どんなことでも成し遂げることができる。

 強い信念を以て粘り強く努力すれば、どんなに困難なことでも達成できるのだという。
 書物には、苔のような弱々しい存在でも、一途に続けていれば困難を乗り越えられるとまで記されていた。

 だから、クラウディアから承諾の連絡を受け取って、自分のクラウディアを乞い願う強い信念が岩をも通して成就したのだと、そう思った。

 真逆、件のペンペン草令嬢が引き当てたのだと思いもしなかった。
 真逆、釣書きをトランプに見立てたカードゲームで、サフィリアが引き当てただなんて。
 真逆、そのジョーカーが自分だったなんてことは、これっぽっちも思わなかったのである。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

完結 この手からこぼれ落ちるもの   

ポチ
恋愛
やっと、本当のことが言えるよ。。。 長かった。。 君は、この家の第一夫人として 最高の女性だよ 全て君に任せるよ 僕は、ベリンダの事で忙しいからね? 全て君の思う通りやってくれれば良いからね?頼んだよ 僕が君に触れる事は無いけれど この家の跡継ぎは、心配要らないよ? 君の父上の姪であるベリンダが 産んでくれるから 心配しないでね そう、優しく微笑んだオリバー様 今まで優しかったのは?

お飾りな妻は何を思う

湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。 彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。 次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。 そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。

侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています

猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。 しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。 本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。 盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

完結  やっぱり貴方は、そちらを選ぶのですね

ポチ
恋愛
卒業式も終わり 卒業のお祝い。。 パーティーの時にソレは起こった やっぱり。。そうだったのですね、、 また、愛する人は 離れて行く また?婚約者は、1人目だけど。。。

亡き姉を演じ初恋の人の妻となった私は、その日、“私”を捨てた

榛乃
恋愛
伯爵家の令嬢・リシェルは、侯爵家のアルベルトに密かに想いを寄せていた。 けれど彼が選んだのはリシェルではなく、双子の姉・オリヴィアだった。 二人は夫婦となり、誰もが羨むような幸福な日々を過ごしていたが――それは五年ももたず、儚く終わりを迎えてしまう。 オリヴィアが心臓の病でこの世を去ったのだ。 その日を堺にアルベルトの心は壊れ、最愛の妻の幻を追い続けるようになる。 そんな彼を守るために。 そして侯爵家の未来と、両親の願いのために。 リシェルは自分を捨て、“姉のふり”をして生きる道を選ぶ。 けれど、どれほど傍にいても、どれほど尽くしても、彼の瞳に映るのはいつだって“オリヴィア”だった。 その現実が、彼女の心を静かに蝕んでゆく。 遂に限界を越えたリシェルは、自ら命を絶つことに決める。 短剣を手に、過去を振り返るリシェル。 そしていよいよ切っ先を突き刺そうとした、その瞬間――。

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

別れ話をしましょうか。

ふまさ
恋愛
 大好きな婚約者であるアールとのデート。けれど、デージーは楽しめない。そんな心の余裕などない。今日、アールから別れを告げられることを、知っていたから。  お芝居を見て、昼食もすませた。でも、アールはまだ別れ話を口にしない。  ──あなたは優しい。だからきっと、言えないのですね。わたしを哀しませてしまうから。わたしがあなたを愛していることを、知っているから。  でも。その優しさが、いまは辛い。  だからいっそ、わたしから告げてしまおう。 「お別れしましょう、アール様」  デージーの声は、少しだけ、震えていた。  この作品は、小説家になろう様にも掲載しています。

処理中です...