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第三十六章
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王家主催の舞踏会が催される。
それは毎年恒例のもので、マルガレーテはこれまでヘンリーにエスコートされて出席していた。
だが、今年は様相が違った。
「父上!私はまだ婚約者など必要ありません」
ヘンリーがゴネている。
「だってお前、自分で選ばなかったろう」
「選ぶとか選ばないとかではないのです。まだ、い、ら、な、い、と言っているのです」
ヘンリーは自分の意志をはっきり伝える。マルガレーテはいつも、そんなヘンリーって凄いわと思っている。
だが、流石に婚約者となれば話は違う。
「大丈夫よ、ヘンリー。貴方、きっと気に入るわ」
「母上まで、ん?まさか」
「なにせサフィリアが選んだのだから」
「ああ、なあんだお前も私と一緒だな。はははは」
父の乾いた笑いが晩餐の席で哀しく響いた。
立太子と同時にヘンリーには幾つもの縁談が舞い込んでいた。ヘンリーは美麗な見目である。大抵王族は美しい人物が揃っているのだが、ヘンリーは両親の良いとこ取りの王子であるから、美麗具合が抜きん出ている。
「しかも、同い年」
「同い年、上等じゃない」
母は涼しい顔で言う。
「私は年上が好きなんです。例えるなら姉上とか。姉上みたいな妃が欲しい。一層のこと姉上を娶りたい」
「ええぇ、それは駄目だな。マルガレーテはお前にはやらん」
マルガレーテそっちのけで三人が話すのを、マルガレーテは右に左に父・母・ヘンリーと見守っていた。
侍女から勧められた小説にも、こんなシーンがあったわね。嫌だ嫌だと散々ゴネて、それでいざ会ってみれば、ハートを射抜かれちゃうのよね、恋の矢に。
「ふふ」
その様が視覚化されて脳内に再生されたマルガレーテは、思わず笑みを漏らしてしまった。
「姉上?」
ヘンリーが困惑を浮かべてこちらを見た。
「あ、ああ、違うのヘンリー。その、なんていうのかしら、百聞は一見になんとかと言うじゃない、東国では」
マルガレーテの苦しい言い訳。だが、強ち嘘でもない。
「一度お会いしたなら、案外気が会って(ハートを射抜かれて)、そのぉ、上手くいく(恋に落ちる)かもしれないわ」
マルガレーテは、恋愛思考満載のアドバイスをしてみた。
だが、ヘンリーは渋い顔を苦い顔にしただけだった。
「私は姉上がいてくれれば妃などいりません。そうだ、姉上も、もうこのままどこにも行かずともよいのではないですか。後継なら叔父上のとこから一人貰い受ければよろしい」
叔父とは父王の弟で、今は南の辺境伯の令嬢を妻に娶って公爵家を興している。男児が二人おり、ヘンリーは彼らの子孫から王位を継がせればよいと言った。
「まあ、ヘンリー。目の付け所が良いわね」
そこで可怪しな賛同をしたのは母だった。
「公爵夫妻をどう思う?」
「は?仲良し夫妻でしょう」
「正解。なら問題ないわ」
「は?」
何故か父王は無言になって、戸惑うのはヘンリーだけだった。
「あそこの夫婦を結びつけたのはサフィリアよ。貴方の婚約者を引き当てたのもサフィリアよ」
呆然となるヘンリーをよそに母は続けた。
「サフィリアの選択に間違いは唯の一度もなかったのよ。なにせ、貴方の父親を引き当てたのもサフィリアなのだから。彼女の力は本物なのよ」
「ち、父上……」
「……間違いないよ」
こうしてヘンリーの婚約は決定した。
サフィリアが引き当てた(カードゲームで)令嬢と渋々面会したヘンリーは、その場でハートを恋の矢に射抜かれた。
この世には、姿形がそっくりな人間が三人いるという。令嬢は、マルガレーテにそっくりだった。恥ずかしそうに俯き加減ではにかむ顔が、写し取ったようにマルガレーテだった。髪色だけが違っており、彼女は艶々の栗色の髪で、それだけがマルガレーテとの見分けになった。
マルガレーテは思った。
現実とは小説よりも奇なるものなのだ。これって侍女と情報共有してよい案件なのではなかろうか。
ヘンリーは思った。
自分はなんて幸せ者なのだろう。姉上が二人いる人生なんて。両手に姉上だな。
その頃、コットナー伯爵家では陞爵の話が齎されていた。伯爵位から侯爵位に爵位が上がる。
王族に関わる度重なる縁談締結への貢献を認められてのことなのだが、その実、サフィリアの神聖を保護せんとの目論見もチラチラ垣間見えた。
サフィリアが聖女なんじゃなかろうか疑惑は、その頃には貴族の間では公然の秘密とされていた。
彼女には、バックに正教会の総本山がついている。王弟である公爵家も、その細君の生家である南の辺境伯もついている。
東国に鬼に金棒という言葉があるが、サフィリアこそ鬼より強い立場を得ていた。本人だけは、そのことに気づいていない。
「旦那様、お受けになるの」
ベッドの中で、抱き枕的にルクスに抱き締められたまま、サフィリアは尋ねた。
もう四十を越えたというのに、ルクスの重い愛が軽くなることはなかった。
愛は日を追うごとに目方を増して、今では溺れるような大海原、大海のような愛にサフィリアは溺れている。
子はオーディン一人きりであるが、ルクスは尽きることのない愛を与え続けている。
「その方が、オーディンも都合がよかろう」
その言葉にサフィリアは納得した。
夫の胸に頬を寄せて、
「それが良いわ」
満足げな笑みを浮かべて、そう言った。
それは毎年恒例のもので、マルガレーテはこれまでヘンリーにエスコートされて出席していた。
だが、今年は様相が違った。
「父上!私はまだ婚約者など必要ありません」
ヘンリーがゴネている。
「だってお前、自分で選ばなかったろう」
「選ぶとか選ばないとかではないのです。まだ、い、ら、な、い、と言っているのです」
ヘンリーは自分の意志をはっきり伝える。マルガレーテはいつも、そんなヘンリーって凄いわと思っている。
だが、流石に婚約者となれば話は違う。
「大丈夫よ、ヘンリー。貴方、きっと気に入るわ」
「母上まで、ん?まさか」
「なにせサフィリアが選んだのだから」
「ああ、なあんだお前も私と一緒だな。はははは」
父の乾いた笑いが晩餐の席で哀しく響いた。
立太子と同時にヘンリーには幾つもの縁談が舞い込んでいた。ヘンリーは美麗な見目である。大抵王族は美しい人物が揃っているのだが、ヘンリーは両親の良いとこ取りの王子であるから、美麗具合が抜きん出ている。
「しかも、同い年」
「同い年、上等じゃない」
母は涼しい顔で言う。
「私は年上が好きなんです。例えるなら姉上とか。姉上みたいな妃が欲しい。一層のこと姉上を娶りたい」
「ええぇ、それは駄目だな。マルガレーテはお前にはやらん」
マルガレーテそっちのけで三人が話すのを、マルガレーテは右に左に父・母・ヘンリーと見守っていた。
侍女から勧められた小説にも、こんなシーンがあったわね。嫌だ嫌だと散々ゴネて、それでいざ会ってみれば、ハートを射抜かれちゃうのよね、恋の矢に。
「ふふ」
その様が視覚化されて脳内に再生されたマルガレーテは、思わず笑みを漏らしてしまった。
「姉上?」
ヘンリーが困惑を浮かべてこちらを見た。
「あ、ああ、違うのヘンリー。その、なんていうのかしら、百聞は一見になんとかと言うじゃない、東国では」
マルガレーテの苦しい言い訳。だが、強ち嘘でもない。
「一度お会いしたなら、案外気が会って(ハートを射抜かれて)、そのぉ、上手くいく(恋に落ちる)かもしれないわ」
マルガレーテは、恋愛思考満載のアドバイスをしてみた。
だが、ヘンリーは渋い顔を苦い顔にしただけだった。
「私は姉上がいてくれれば妃などいりません。そうだ、姉上も、もうこのままどこにも行かずともよいのではないですか。後継なら叔父上のとこから一人貰い受ければよろしい」
叔父とは父王の弟で、今は南の辺境伯の令嬢を妻に娶って公爵家を興している。男児が二人おり、ヘンリーは彼らの子孫から王位を継がせればよいと言った。
「まあ、ヘンリー。目の付け所が良いわね」
そこで可怪しな賛同をしたのは母だった。
「公爵夫妻をどう思う?」
「は?仲良し夫妻でしょう」
「正解。なら問題ないわ」
「は?」
何故か父王は無言になって、戸惑うのはヘンリーだけだった。
「あそこの夫婦を結びつけたのはサフィリアよ。貴方の婚約者を引き当てたのもサフィリアよ」
呆然となるヘンリーをよそに母は続けた。
「サフィリアの選択に間違いは唯の一度もなかったのよ。なにせ、貴方の父親を引き当てたのもサフィリアなのだから。彼女の力は本物なのよ」
「ち、父上……」
「……間違いないよ」
こうしてヘンリーの婚約は決定した。
サフィリアが引き当てた(カードゲームで)令嬢と渋々面会したヘンリーは、その場でハートを恋の矢に射抜かれた。
この世には、姿形がそっくりな人間が三人いるという。令嬢は、マルガレーテにそっくりだった。恥ずかしそうに俯き加減ではにかむ顔が、写し取ったようにマルガレーテだった。髪色だけが違っており、彼女は艶々の栗色の髪で、それだけがマルガレーテとの見分けになった。
マルガレーテは思った。
現実とは小説よりも奇なるものなのだ。これって侍女と情報共有してよい案件なのではなかろうか。
ヘンリーは思った。
自分はなんて幸せ者なのだろう。姉上が二人いる人生なんて。両手に姉上だな。
その頃、コットナー伯爵家では陞爵の話が齎されていた。伯爵位から侯爵位に爵位が上がる。
王族に関わる度重なる縁談締結への貢献を認められてのことなのだが、その実、サフィリアの神聖を保護せんとの目論見もチラチラ垣間見えた。
サフィリアが聖女なんじゃなかろうか疑惑は、その頃には貴族の間では公然の秘密とされていた。
彼女には、バックに正教会の総本山がついている。王弟である公爵家も、その細君の生家である南の辺境伯もついている。
東国に鬼に金棒という言葉があるが、サフィリアこそ鬼より強い立場を得ていた。本人だけは、そのことに気づいていない。
「旦那様、お受けになるの」
ベッドの中で、抱き枕的にルクスに抱き締められたまま、サフィリアは尋ねた。
もう四十を越えたというのに、ルクスの重い愛が軽くなることはなかった。
愛は日を追うごとに目方を増して、今では溺れるような大海原、大海のような愛にサフィリアは溺れている。
子はオーディン一人きりであるが、ルクスは尽きることのない愛を与え続けている。
「その方が、オーディンも都合がよかろう」
その言葉にサフィリアは納得した。
夫の胸に頬を寄せて、
「それが良いわ」
満足げな笑みを浮かべて、そう言った。
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