或る伯爵夫人が一人思い悩んだ末の事の顛末

桃井すもも

文字の大きさ
38 / 44

第三十八章

しおりを挟む
 舞踏会のドレスを、母は既に仕上がっていると言った。それは言葉通りで、翌日学園から戻れば、試着をするように促された。

「貴女、最近少し痩せたのではなくて?お直しが必要なら急がないと」

 母はなにも見ていないようでよく見ている。あの賢王と名高い父王がうっかり見落とす隙をつつくのが趣味だと言うほどだ。

「クイズみたいで面白いのよ。特に法案の裏の裏を見て表を見直すのよ」

 ちょっとマルガレーテにはよく意味がわからなかったが、兎に角、母は父にとっての何かのストッパー的な役割を果たしているらしい。

 素敵な夫婦だと思う。
 聞けばサフィリア夫人が、その類まれな選別眼カードゲームで父を選び抜いたのは、まだ彼女が幼い少女の頃だという。
 そんな純粋無垢な早乙女によって結ばれた両親の縁。
 そうなれば、ヘンリーの婚約も、何よりマルガレーテの縁も、もう大船に乗ったつもりで安心してよいのではなかろうか。

 ヘンリーなんて、あれから毎日マーガレットに文を書いている。彼女はまだ学園に入っていないから、毎日会えなくて淋しいだとか、ヘンリー以外の男性とは半径2メートル以上は離れるべし、だとか、兎に角細かいことを長々と書いている。

「あれが恋文というものなのね」

 長々と書いたラブレターが封筒に入り切らずに悪戦苦闘しているヘンリーを見て、隠れ恋愛脳のマルガレーテは間違って憶えた。
 きっと彼女に一般的な恋文を送る殿方は、素っ気ないとか冷淡だと評価されても仕方ないだろう。


 サフィリアが太鼓判を押したというマルガレーテの縁談。母はドレスの直しは気にしても、マルガレーテが縁談を嫌がるだろうとは思わないらしい。
 王女の婚姻とは100%政略で、嫌も嫌じゃないも言えないのだが、少しくらい気にならないものなのだろうか。

 まあ、心配されてももう引き返せないのは百も承知であるし、あの父王がなにも言わないのだから、少なくとも不幸な縁ではないのだろう。

 物語の悲運な王女であるなら、うーんと年上のどこぞの国王とか、若しくは荒くれ部族の若きおさだとか、はたまた国の最果てを護る辺境伯家だとか、他にも婚姻前から運命の愛とかいう愛人を囲う王子だとか、ブラックな嫁ぎ先には枚挙にいとまがないのだが、マルガレーテは多分そこまで酷くはないだろう。

 先ず、辺境伯家には既に細君がいるし、辺境はそんな蛮族の領地などではない。大陸に国々は大小あるが、マルガレーテが知る限り、礼を欠くほどの婚礼を結ぶような王族はいない。

 マルガレーテはこの時、自分が遠い何処かへ嫁がされるのだと、すっかり思い込んでいた。
 少し考えてみればわかるのに、あの両親がマルガレーテをそんな遠くに手放すことなどしないのに、政略と一言で言っても、それが必ずしも不幸な縁ばかりではないことに、全く気づいていないのだった。


「まあ!なんて綺麗なお色なのかしら」

 舞踏会で着用するドレスは、美しい緑色をしていた。若草色より落ち着いたグリーン、けれども張りのある織りと光沢。光の加減でほんの少しのダークな色に見えるのも気品が感じられて、第一王女の身分に相応しいドレスだった。

「ちょっと肩が出すぎではなくて?」
「そんなことはございません。夏の夜の舞踏会ですから」

 そういう侍女は、例の恋愛小説仲間である。

「マルガレーテ様、やはりお痩せになられましたね。ウエストがほっそ細です。急いで針子に直させましょう」

 マルガレーテはここ最近、少しばかり悩んでいた。自身の役目とその将来と、そして密かに胸の奥に仕舞い込んだ恋心に、胸がいっぱいいっぱいなあまり食慾が落ちていた。

「手間を掛けさせてしまうわね」
「何かお悩みでもございましたか?」
「悩み?」
「例えるなら、恋とか、恋とか、恋とか」
「選択肢が恋しかないじゃない」
「乙女の悩み事の99.6%が恋なのです」
「えぇ?それって誰調べ?」
「私調べです」

 ドレスは至急直しが必要だから、直ぐ様脱がねばならないのだが、

「素敵なドレス……」

 脱ぐのが惜しくなる。
 深みのあるグリーンの生地には繊細な刺繍が施されている。艶のある墨色の糸は黒色よりも柔らかで、ドレスの裾を花弁模様に飾っている。
 漸く大人の仲間入りができたような、今まで着たことのないドレスだった。

 名残惜しく鏡の前で背中まで確かめていると、母がやってきた。

「まあ、やっぱり痩せちゃったのね」
「ごめんなさい、お母様」
「でも。折れそうなウエストって、今だけの特権よ。そのほっそ細の細腰は永遠ではないのよ」

 母はマルガレーテから見ても美しい。その母にほっそ細と褒められて、つい嬉しくなる。

「急いで直しましょうね。舞踏会が楽しみだわ」

 母は鮮やかな笑みでそう言ったが、ここにきてもお相手については教えてくれなかった。

 マルガレーテはまだ婚約誓約書に署名をしていない。お相手に会ってもいなければ名も知らない。そんな状態で、舞踏会にエスコートを頼めるのだろうか。
 ここはやはり、ヘンリーの左手を借りて、マーガレット嬢には申し訳ないが、三人並んで会場入りしたほうがよいのではないか。

 頭の中でイメージすると笑えてくる画が思い浮かぶも、どうにか堪えた。

「お母様。そのぉ、お相手って一体どなたなのでしょうか」

 今更な質問をする自分が恥ずかしい。もっと早く聞いとけば良かった。

「今から会っとく?」

 そんなマルガレーテの恥じらいを、母は呆気なく木っ端微塵に打ち砕いた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望

伯爵令嬢の婚約解消理由

七宮 ゆえ
恋愛
私には、小さい頃から親に決められていた婚約者がいます。 婚約者は容姿端麗、文武両道、金枝玉葉という世のご令嬢方が黄色い悲鳴をあげること間違い無しなお方です。 そんな彼と私の関係は、婚約者としても友人としても比較的良好でありました。 しかしある日、彼から婚約を解消しようという提案を受けました。勿論私達の仲が不仲になったとか、そういう話ではありません。それにはやむを得ない事情があったのです。主に、国とか国とか国とか。 一体何があったのかというと、それは…… これは、そんな私たちの少しだけ複雑な婚約についてのお話。 *本編は8話+番外編を載せる予定です。 *小説家になろうに同時掲載しております。 *なろうの方でも、アルファポリスの方でも色んな方に続編を読みたいとのお言葉を貰ったので、続きを只今執筆しております。

聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)

蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。 聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。 愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。 いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。 ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。 それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。 心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。

完結 この手からこぼれ落ちるもの   

ポチ
恋愛
やっと、本当のことが言えるよ。。。 長かった。。 君は、この家の第一夫人として 最高の女性だよ 全て君に任せるよ 僕は、ベリンダの事で忙しいからね? 全て君の思う通りやってくれれば良いからね?頼んだよ 僕が君に触れる事は無いけれど この家の跡継ぎは、心配要らないよ? 君の父上の姪であるベリンダが 産んでくれるから 心配しないでね そう、優しく微笑んだオリバー様 今まで優しかったのは?

亡き姉を演じ初恋の人の妻となった私は、その日、“私”を捨てた

榛乃
恋愛
伯爵家の令嬢・リシェルは、侯爵家のアルベルトに密かに想いを寄せていた。 けれど彼が選んだのはリシェルではなく、双子の姉・オリヴィアだった。 二人は夫婦となり、誰もが羨むような幸福な日々を過ごしていたが――それは五年ももたず、儚く終わりを迎えてしまう。 オリヴィアが心臓の病でこの世を去ったのだ。 その日を堺にアルベルトの心は壊れ、最愛の妻の幻を追い続けるようになる。 そんな彼を守るために。 そして侯爵家の未来と、両親の願いのために。 リシェルは自分を捨て、“姉のふり”をして生きる道を選ぶ。 けれど、どれほど傍にいても、どれほど尽くしても、彼の瞳に映るのはいつだって“オリヴィア”だった。 その現実が、彼女の心を静かに蝕んでゆく。 遂に限界を越えたリシェルは、自ら命を絶つことに決める。 短剣を手に、過去を振り返るリシェル。 そしていよいよ切っ先を突き刺そうとした、その瞬間――。

侯爵家の婚約者

やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。 7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。 その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。 カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。 家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。 だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。 17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。 そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。 全86話+番外編の予定

【完結】見えてますよ!

ユユ
恋愛
“何故” 私の婚約者が彼だと分かると、第一声はソレだった。 美少女でもなければ醜くもなく。 優秀でもなければ出来損ないでもなく。 高貴でも無ければ下位貴族でもない。 富豪でなければ貧乏でもない。 中の中。 自己主張も存在感もない私は貴族達の中では透明人間のようだった。 唯一認識されるのは婚約者と社交に出る時。 そしてあの言葉が聞こえてくる。 見目麗しく優秀な彼の横に並ぶ私を蔑む令嬢達。 私はずっと願っていた。彼に婚約を解消して欲しいと。 ある日いき過ぎた嫌がらせがきっかけで、見えるようになる。 ★注意★ ・閑話にはR18要素を含みます。  読まなくても大丈夫です。 ・作り話です。 ・合わない方はご退出願います。 ・完結しています。

愛されなかった公爵令嬢のやり直し

ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。 母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。 婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。 そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。 どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。 死ぬ寸前のセシリアは思う。 「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。 目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。 セシリアは決意する。 「自分の幸せは自分でつかみ取る!」 幸せになるために奔走するセシリア。 だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。 小説家になろう様にも投稿しています。 タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。

処理中です...