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第三十八章
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舞踏会のドレスを、母は既に仕上がっていると言った。それは言葉通りで、翌日学園から戻れば、試着をするように促された。
「貴女、最近少し痩せたのではなくて?お直しが必要なら急がないと」
母はなにも見ていないようでよく見ている。あの賢王と名高い父王がうっかり見落とす隙をつつくのが趣味だと言うほどだ。
「クイズみたいで面白いのよ。特に法案の裏の裏を見て表を見直すのよ」
ちょっとマルガレーテにはよく意味がわからなかったが、兎に角、母は父にとっての何かのストッパー的な役割を果たしているらしい。
素敵な夫婦だと思う。
聞けばサフィリア夫人が、その類まれな選別眼で父を選び抜いたのは、まだ彼女が幼い少女の頃だという。
そんな純粋無垢な早乙女によって結ばれた両親の縁。
そうなれば、ヘンリーの婚約も、何よりマルガレーテの縁も、もう大船に乗ったつもりで安心してよいのではなかろうか。
ヘンリーなんて、あれから毎日マーガレットに文を書いている。彼女はまだ学園に入っていないから、毎日会えなくて淋しいだとか、ヘンリー以外の男性とは半径2メートル以上は離れるべし、だとか、兎に角細かいことを長々と書いている。
「あれが恋文というものなのね」
長々と書いたラブレターが封筒に入り切らずに悪戦苦闘しているヘンリーを見て、隠れ恋愛脳のマルガレーテは間違って憶えた。
きっと彼女に一般的な恋文を送る殿方は、素っ気ないとか冷淡だと評価されても仕方ないだろう。
サフィリアが太鼓判を押したというマルガレーテの縁談。母はドレスの直しは気にしても、マルガレーテが縁談を嫌がるだろうとは思わないらしい。
王女の婚姻とは100%政略で、嫌も嫌じゃないも言えないのだが、少しくらい気にならないものなのだろうか。
まあ、心配されてももう引き返せないのは百も承知であるし、あの父王がなにも言わないのだから、少なくとも不幸な縁ではないのだろう。
物語の悲運な王女であるなら、うーんと年上のどこぞの国王とか、若しくは荒くれ部族の若き長だとか、はたまた国の最果てを護る辺境伯家だとか、他にも婚姻前から運命の愛とかいう愛人を囲う王子だとか、ブラックな嫁ぎ先には枚挙にいとまがないのだが、マルガレーテは多分そこまで酷くはないだろう。
先ず、辺境伯家には既に細君がいるし、辺境はそんな蛮族の領地などではない。大陸に国々は大小あるが、マルガレーテが知る限り、礼を欠くほどの婚礼を結ぶような王族はいない。
マルガレーテはこの時、自分が遠い何処かへ嫁がされるのだと、すっかり思い込んでいた。
少し考えてみればわかるのに、あの両親がマルガレーテをそんな遠くに手放すことなどしないのに、政略と一言で言っても、それが必ずしも不幸な縁ばかりではないことに、全く気づいていないのだった。
「まあ!なんて綺麗なお色なのかしら」
舞踏会で着用するドレスは、美しい緑色をしていた。若草色より落ち着いたグリーン、けれども張りのある織りと光沢。光の加減でほんの少しのダークな色に見えるのも気品が感じられて、第一王女の身分に相応しいドレスだった。
「ちょっと肩が出すぎではなくて?」
「そんなことはございません。夏の夜の舞踏会ですから」
そういう侍女は、例の恋愛小説仲間である。
「マルガレーテ様、やはりお痩せになられましたね。ウエストがほっそ細です。急いで針子に直させましょう」
マルガレーテはここ最近、少しばかり悩んでいた。自身の役目とその将来と、そして密かに胸の奥に仕舞い込んだ恋心に、胸がいっぱいいっぱいなあまり食慾が落ちていた。
「手間を掛けさせてしまうわね」
「何かお悩みでもございましたか?」
「悩み?」
「例えるなら、恋とか、恋とか、恋とか」
「選択肢が恋しかないじゃない」
「乙女の悩み事の99.6%が恋なのです」
「えぇ?それって誰調べ?」
「私調べです」
ドレスは至急直しが必要だから、直ぐ様脱がねばならないのだが、
「素敵なドレス……」
脱ぐのが惜しくなる。
深みのあるグリーンの生地には繊細な刺繍が施されている。艶のある墨色の糸は黒色よりも柔らかで、ドレスの裾を花弁模様に飾っている。
漸く大人の仲間入りができたような、今まで着たことのないドレスだった。
名残惜しく鏡の前で背中まで確かめていると、母がやってきた。
「まあ、やっぱり痩せちゃったのね」
「ごめんなさい、お母様」
「でも。折れそうなウエストって、今だけの特権よ。そのほっそ細の細腰は永遠ではないのよ」
母はマルガレーテから見ても美しい。その母にほっそ細と褒められて、つい嬉しくなる。
「急いで直しましょうね。舞踏会が楽しみだわ」
母は鮮やかな笑みでそう言ったが、ここにきてもお相手については教えてくれなかった。
マルガレーテはまだ婚約誓約書に署名をしていない。お相手に会ってもいなければ名も知らない。そんな状態で、舞踏会にエスコートを頼めるのだろうか。
ここはやはり、ヘンリーの左手を借りて、マーガレット嬢には申し訳ないが、三人並んで会場入りしたほうがよいのではないか。
頭の中でイメージすると笑えてくる画が思い浮かぶも、どうにか堪えた。
「お母様。そのぉ、お相手って一体どなたなのでしょうか」
今更な質問をする自分が恥ずかしい。もっと早く聞いとけば良かった。
「今から会っとく?」
そんなマルガレーテの恥じらいを、母は呆気なく木っ端微塵に打ち砕いた。
「貴女、最近少し痩せたのではなくて?お直しが必要なら急がないと」
母はなにも見ていないようでよく見ている。あの賢王と名高い父王がうっかり見落とす隙をつつくのが趣味だと言うほどだ。
「クイズみたいで面白いのよ。特に法案の裏の裏を見て表を見直すのよ」
ちょっとマルガレーテにはよく意味がわからなかったが、兎に角、母は父にとっての何かのストッパー的な役割を果たしているらしい。
素敵な夫婦だと思う。
聞けばサフィリア夫人が、その類まれな選別眼で父を選び抜いたのは、まだ彼女が幼い少女の頃だという。
そんな純粋無垢な早乙女によって結ばれた両親の縁。
そうなれば、ヘンリーの婚約も、何よりマルガレーテの縁も、もう大船に乗ったつもりで安心してよいのではなかろうか。
ヘンリーなんて、あれから毎日マーガレットに文を書いている。彼女はまだ学園に入っていないから、毎日会えなくて淋しいだとか、ヘンリー以外の男性とは半径2メートル以上は離れるべし、だとか、兎に角細かいことを長々と書いている。
「あれが恋文というものなのね」
長々と書いたラブレターが封筒に入り切らずに悪戦苦闘しているヘンリーを見て、隠れ恋愛脳のマルガレーテは間違って憶えた。
きっと彼女に一般的な恋文を送る殿方は、素っ気ないとか冷淡だと評価されても仕方ないだろう。
サフィリアが太鼓判を押したというマルガレーテの縁談。母はドレスの直しは気にしても、マルガレーテが縁談を嫌がるだろうとは思わないらしい。
王女の婚姻とは100%政略で、嫌も嫌じゃないも言えないのだが、少しくらい気にならないものなのだろうか。
まあ、心配されてももう引き返せないのは百も承知であるし、あの父王がなにも言わないのだから、少なくとも不幸な縁ではないのだろう。
物語の悲運な王女であるなら、うーんと年上のどこぞの国王とか、若しくは荒くれ部族の若き長だとか、はたまた国の最果てを護る辺境伯家だとか、他にも婚姻前から運命の愛とかいう愛人を囲う王子だとか、ブラックな嫁ぎ先には枚挙にいとまがないのだが、マルガレーテは多分そこまで酷くはないだろう。
先ず、辺境伯家には既に細君がいるし、辺境はそんな蛮族の領地などではない。大陸に国々は大小あるが、マルガレーテが知る限り、礼を欠くほどの婚礼を結ぶような王族はいない。
マルガレーテはこの時、自分が遠い何処かへ嫁がされるのだと、すっかり思い込んでいた。
少し考えてみればわかるのに、あの両親がマルガレーテをそんな遠くに手放すことなどしないのに、政略と一言で言っても、それが必ずしも不幸な縁ばかりではないことに、全く気づいていないのだった。
「まあ!なんて綺麗なお色なのかしら」
舞踏会で着用するドレスは、美しい緑色をしていた。若草色より落ち着いたグリーン、けれども張りのある織りと光沢。光の加減でほんの少しのダークな色に見えるのも気品が感じられて、第一王女の身分に相応しいドレスだった。
「ちょっと肩が出すぎではなくて?」
「そんなことはございません。夏の夜の舞踏会ですから」
そういう侍女は、例の恋愛小説仲間である。
「マルガレーテ様、やはりお痩せになられましたね。ウエストがほっそ細です。急いで針子に直させましょう」
マルガレーテはここ最近、少しばかり悩んでいた。自身の役目とその将来と、そして密かに胸の奥に仕舞い込んだ恋心に、胸がいっぱいいっぱいなあまり食慾が落ちていた。
「手間を掛けさせてしまうわね」
「何かお悩みでもございましたか?」
「悩み?」
「例えるなら、恋とか、恋とか、恋とか」
「選択肢が恋しかないじゃない」
「乙女の悩み事の99.6%が恋なのです」
「えぇ?それって誰調べ?」
「私調べです」
ドレスは至急直しが必要だから、直ぐ様脱がねばならないのだが、
「素敵なドレス……」
脱ぐのが惜しくなる。
深みのあるグリーンの生地には繊細な刺繍が施されている。艶のある墨色の糸は黒色よりも柔らかで、ドレスの裾を花弁模様に飾っている。
漸く大人の仲間入りができたような、今まで着たことのないドレスだった。
名残惜しく鏡の前で背中まで確かめていると、母がやってきた。
「まあ、やっぱり痩せちゃったのね」
「ごめんなさい、お母様」
「でも。折れそうなウエストって、今だけの特権よ。そのほっそ細の細腰は永遠ではないのよ」
母はマルガレーテから見ても美しい。その母にほっそ細と褒められて、つい嬉しくなる。
「急いで直しましょうね。舞踏会が楽しみだわ」
母は鮮やかな笑みでそう言ったが、ここにきてもお相手については教えてくれなかった。
マルガレーテはまだ婚約誓約書に署名をしていない。お相手に会ってもいなければ名も知らない。そんな状態で、舞踏会にエスコートを頼めるのだろうか。
ここはやはり、ヘンリーの左手を借りて、マーガレット嬢には申し訳ないが、三人並んで会場入りしたほうがよいのではないか。
頭の中でイメージすると笑えてくる画が思い浮かぶも、どうにか堪えた。
「お母様。そのぉ、お相手って一体どなたなのでしょうか」
今更な質問をする自分が恥ずかしい。もっと早く聞いとけば良かった。
「今から会っとく?」
そんなマルガレーテの恥じらいを、母は呆気なく木っ端微塵に打ち砕いた。
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