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第三十九章
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「え?」
母は今、なんと言ったのか。
今から会う?どこで?他国とは今晩中に出立して間に合うのかしら。
マルガレーテの頭の中は、王都から一晩で辿り着ける他国を探していた。当たり前だが、そんな国は思いつかなかった。
それなら、お相手のほうがこちらに赴いていることになる。
あ!
マルガレーテはそこで気がついた。
今、王城には隣国の大使が使者として訪問中ではなかったか。真逆、あのご老人!?
隣国の外交大使の顔が思い浮かんで、おじいちゃん、じゃない、大使はとてもお優しそうな御方だったわと、泣きたい気持ちを奮い立たせた。
「お会いします(おじいちゃんに)」
流石は王女。マルガレーテは瞬時に覚悟を決めた。大層なご老人とお見受けしたから、彼に嫁いでも数年保たないかもしれない。なにせマルガレーテはまだ学生で、嫁ぐまであと三年掛かる。
もしかしたら、嫁ぐ前におじいちゃん、ではなく、旦那様は黄泉の国に旅立ってしまうかもしれない。それとも嫁いだ翌日とかに、ぽっくり逝ってしまうかもしれない。
それで万が一にも、そのぅ、夜のお務めとかが未遂に終わってしまったなら、マルガレーテは物語で多くある「白い結婚」で「愛されない妻」として「未亡人」になってしまうのかもしれない。
脳内で、「或る王女の数奇な人生」というタイトルをつけて壮大なストーリーを展開していたマルガレーテに母は、
「今なら城にいる筈よ」
と言った。なぜだろう、それは哀しい最後通告のように聞こえたのだった。
心なし、足下からトボトボと音がしているような気がした。母の後ろをトボトボついて歩く。
トボトボの一歩一歩がおじいちゃんに繋がっている。おじいちゃんが嫌いな訳ではない。多分、彼は人格者だろうし博識だろうし、寿命以外のことを考えれば、それほど悪い縁ではないだろう。
けれど、もうちょっとだけ若いお相手を見繕ってもらえたなら、このトボトボという足取りもほんの少しは軽快になったのだろうか。
母が扉の前まで来ると、扉を護っていた近衛騎士たちが左右に退けた。どこで誰が確かめたのか、音もなく扉が内側から開く。
せっかちな父王は自分で扉を開けてしまうから、こんな光景は母でしか見ることができない。
それよりここって……。
「あれ?母上、どうなされました?」
ここはヘンリーの執務室だ。
王妃の急な訪いに、文官たちがピシリとなる。真正面の奥、ヘンリーは執務机にいて、マーガレットへ早馬で送る長~い恋文を封筒に詰め込むべく悪戦苦闘しているところだった。
「ん?姉上?どうしたのですか、姉上まで」
マルガレーテに気づいたヘンリーがガタリと音を立てて立ち上がり、慌てた様子でこちらへ向かってくる。
「お前に用はないわ」
母の言葉は、はしゃぐ仔犬にお座りを言いつけるような絶対的で絶大な響きを放っていた。
母にお座りを言いつけられたヘンリーがシュンとした。そのヘンリーの横を母が通り過ぎて、後ろに控えるオーディンに言った。
「いらっしゃい」
母は凄い。大抵ひと言言えば物事が片付く。ほっそりとした後ろ姿から後光すら見えるような神々しさである。
オーディンは王妃を見て、それから後ろにいたマルガレーテへ視線を向けた。
マルガレーテはそんなオーディンから向けられる眼差しに、つい俯いてしまった。もうすっかり、これから会う予定のおじいちゃんのことを忘れていた。
執務室の隣にある応接室で、母は迷うことなく上座に座った。その隣にマルガレーテを手招きして、オーディンを前の席に座らせた。因みにヘンリーは下座の扉側、最も下位の席に座っている。
「オーディン、連れてきたわ」
「ありがとうございます」
二人だけがわかる会話に、マルガレーテは戸惑った。おじいちゃん関係で、何か書類でも頼んでいたのかしら。ここでマルガレーテはおじいちゃんを思い出した。
真逆それって、おじいちゃんとの婚約誓約書の準備をオーディンに任せたの?
消えてしまいたい。
マルガレーテはがくりと項垂れた。
オーディンにだけは知られたくなかった。いや、いずれは公表されることではあるが、それは最後の最後。最初にオーディンに知られるのとは訳が違う。
だが、可怪しくないか?
オーディンは確かに優秀だ。あの切れ者のコットナー伯爵の嫡男であるし、彼は父王の側近だ。
そしてオーディンもまたヘンリーの側近候補で、こうして弟の執務の補佐をしている。
だからと言って、王女の婚約に関わる書類をまだ学生のオーディンに任せるだろうか。
マルガレーテの小さな頭の中は、独り言でいっぱいになった。頭の中がぱんぱんなのだから、それが漏れ出てしまうのも時間の問題だった。
ついにタイムアップとなって、漏れちゃった言葉、
「オーディン」
それは、マルガレーテが最も愛おしく思う言葉だった。
「さあ、邪魔者は退散よ。ヘンリー、いらっしゃい」
母の一声で、スタンダップを命じられた仔犬のように、ヘンリーは立ち上がった。眼差しだけは「姉上」と悲壮な色を滲ませて、マルガレーテと離れたくないと言っている。
だがそれも、見えない首輪で繋がれるように、母の後ろをついて退場となった。
マルガレーテは呆気に取られていた。そんなマルガレーテを現実に引き戻したのはオーディンだった。
「ドレスはお気に召して頂けたでしょうか」
オーディンの言葉にマルガレーテは驚いて、その消炭と翠の瞳を見つめた。
母は今、なんと言ったのか。
今から会う?どこで?他国とは今晩中に出立して間に合うのかしら。
マルガレーテの頭の中は、王都から一晩で辿り着ける他国を探していた。当たり前だが、そんな国は思いつかなかった。
それなら、お相手のほうがこちらに赴いていることになる。
あ!
マルガレーテはそこで気がついた。
今、王城には隣国の大使が使者として訪問中ではなかったか。真逆、あのご老人!?
隣国の外交大使の顔が思い浮かんで、おじいちゃん、じゃない、大使はとてもお優しそうな御方だったわと、泣きたい気持ちを奮い立たせた。
「お会いします(おじいちゃんに)」
流石は王女。マルガレーテは瞬時に覚悟を決めた。大層なご老人とお見受けしたから、彼に嫁いでも数年保たないかもしれない。なにせマルガレーテはまだ学生で、嫁ぐまであと三年掛かる。
もしかしたら、嫁ぐ前におじいちゃん、ではなく、旦那様は黄泉の国に旅立ってしまうかもしれない。それとも嫁いだ翌日とかに、ぽっくり逝ってしまうかもしれない。
それで万が一にも、そのぅ、夜のお務めとかが未遂に終わってしまったなら、マルガレーテは物語で多くある「白い結婚」で「愛されない妻」として「未亡人」になってしまうのかもしれない。
脳内で、「或る王女の数奇な人生」というタイトルをつけて壮大なストーリーを展開していたマルガレーテに母は、
「今なら城にいる筈よ」
と言った。なぜだろう、それは哀しい最後通告のように聞こえたのだった。
心なし、足下からトボトボと音がしているような気がした。母の後ろをトボトボついて歩く。
トボトボの一歩一歩がおじいちゃんに繋がっている。おじいちゃんが嫌いな訳ではない。多分、彼は人格者だろうし博識だろうし、寿命以外のことを考えれば、それほど悪い縁ではないだろう。
けれど、もうちょっとだけ若いお相手を見繕ってもらえたなら、このトボトボという足取りもほんの少しは軽快になったのだろうか。
母が扉の前まで来ると、扉を護っていた近衛騎士たちが左右に退けた。どこで誰が確かめたのか、音もなく扉が内側から開く。
せっかちな父王は自分で扉を開けてしまうから、こんな光景は母でしか見ることができない。
それよりここって……。
「あれ?母上、どうなされました?」
ここはヘンリーの執務室だ。
王妃の急な訪いに、文官たちがピシリとなる。真正面の奥、ヘンリーは執務机にいて、マーガレットへ早馬で送る長~い恋文を封筒に詰め込むべく悪戦苦闘しているところだった。
「ん?姉上?どうしたのですか、姉上まで」
マルガレーテに気づいたヘンリーがガタリと音を立てて立ち上がり、慌てた様子でこちらへ向かってくる。
「お前に用はないわ」
母の言葉は、はしゃぐ仔犬にお座りを言いつけるような絶対的で絶大な響きを放っていた。
母にお座りを言いつけられたヘンリーがシュンとした。そのヘンリーの横を母が通り過ぎて、後ろに控えるオーディンに言った。
「いらっしゃい」
母は凄い。大抵ひと言言えば物事が片付く。ほっそりとした後ろ姿から後光すら見えるような神々しさである。
オーディンは王妃を見て、それから後ろにいたマルガレーテへ視線を向けた。
マルガレーテはそんなオーディンから向けられる眼差しに、つい俯いてしまった。もうすっかり、これから会う予定のおじいちゃんのことを忘れていた。
執務室の隣にある応接室で、母は迷うことなく上座に座った。その隣にマルガレーテを手招きして、オーディンを前の席に座らせた。因みにヘンリーは下座の扉側、最も下位の席に座っている。
「オーディン、連れてきたわ」
「ありがとうございます」
二人だけがわかる会話に、マルガレーテは戸惑った。おじいちゃん関係で、何か書類でも頼んでいたのかしら。ここでマルガレーテはおじいちゃんを思い出した。
真逆それって、おじいちゃんとの婚約誓約書の準備をオーディンに任せたの?
消えてしまいたい。
マルガレーテはがくりと項垂れた。
オーディンにだけは知られたくなかった。いや、いずれは公表されることではあるが、それは最後の最後。最初にオーディンに知られるのとは訳が違う。
だが、可怪しくないか?
オーディンは確かに優秀だ。あの切れ者のコットナー伯爵の嫡男であるし、彼は父王の側近だ。
そしてオーディンもまたヘンリーの側近候補で、こうして弟の執務の補佐をしている。
だからと言って、王女の婚約に関わる書類をまだ学生のオーディンに任せるだろうか。
マルガレーテの小さな頭の中は、独り言でいっぱいになった。頭の中がぱんぱんなのだから、それが漏れ出てしまうのも時間の問題だった。
ついにタイムアップとなって、漏れちゃった言葉、
「オーディン」
それは、マルガレーテが最も愛おしく思う言葉だった。
「さあ、邪魔者は退散よ。ヘンリー、いらっしゃい」
母の一声で、スタンダップを命じられた仔犬のように、ヘンリーは立ち上がった。眼差しだけは「姉上」と悲壮な色を滲ませて、マルガレーテと離れたくないと言っている。
だがそれも、見えない首輪で繋がれるように、母の後ろをついて退場となった。
マルガレーテは呆気に取られていた。そんなマルガレーテを現実に引き戻したのはオーディンだった。
「ドレスはお気に召して頂けたでしょうか」
オーディンの言葉にマルガレーテは驚いて、その消炭と翠の瞳を見つめた。
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