或る伯爵夫人が一人思い悩んだ末の事の顛末

桃井すもも

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終章

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「あのぅ」

 久し振りのその呼びかけに、司祭はずり落ちそうになった椅子の肘掛けを握ってなんとか耐えた。

 久々に来たな、厄災、ではなく、天災、じゃなくて、あのぅ夫人。

「そのぅ、申し訳ございませんでした。すっかりご無沙汰してしまって」

 いや、貴女が平穏でいられるのが、こちらの平穏なのだ。どうか無沙汰を通して欲しい。司祭は、薄い磨り硝子の向こう側にいる夫人に心の中で語りかけた。

 ところで今日は何があった。
 婚家は陞爵されて今や侯爵家だ。見目は夫人似と見せかけて中身はルクスを煮詰めたような息子は、あろうことか王女を妻に娶っている。

 何より夫人、貴女こそ「隠された(夫により)聖女」と渾名されて、王国の天然記念物みたいな扱いを受けている。
 姉の親友は王妃だし、夫の上司兼友人は国王だ。
 王弟が興した公爵家も、南の辺境伯も東の海運集団も、ぜーんぶ貴女の後ろ盾だよね。

 ぺんぺん草みたいなフリをして、とんだ食わせものとは貴女だろう。
 で、なに?なんの話?貴女の明るい人生に悩みごとなんてある?

 司祭は久し振りに現れたサフィリアに、思いつく限りの悪態をついてみた。心の中で。

「私、夕べ夢を見ましたの。それで、目が覚めてこれは何かしらと思ったのです。けれど、いくら考えても思い浮かばなくて、じっと天井を見つめて熟考してみましたの。そうしたら、うっかり二度寝してしまって」

 貴女の睡眠具合はどうでもよろしい。夢見が悪かった話なら旦那に聞かせろ、帰ってくれ。

 導入部分からのんびりなサフィリアに、長い付き合いで慣れている筈の司祭ですら焦れてしまった。
 だが恐ろしいのは、サフィリアとは妙な癖と味がある。どうしてもこうしても放っておけない嫌ぁな魅力がある。

 かくいう司祭も、そんなサフィリアに絡め取られて翻弄されること二十年。
 二十年かぁ、長かったな。
 司祭は、やれやれと思いながら、サフィリアの次の言葉を待った。

「私、それで二度目に目覚めてわかったのです。けれども、もしそれが思い違いであったならイケナイなと思いまして、本日ここに参りましたの」

 サフィリアの夢とはこうだった。

 サフィリアは夢の中で森の小径を分け入っていた。季節は初夏、夏花があちらこちらに花を咲かせて美しい。聴いたことのない小鳥の囀り、あれは渡り鳥なのかしらと思ったという。

 いや、導入部分が長い!巻いてその先を端的に述べてくれ!
 司祭は思う。辛抱強いとか忍耐があるとか、司祭はよく言われるのだが、それはこの「あのぅ夫人」に二十年も付き合っていたからだ。

「小径を抜けると泉がございますの。私、その泉はよく存じておりますのよ。ちょくちょく夢で見ておりますから。大抵いつも、ここの礼拝堂にいらっしゃる女神様が泉の中からお姿を現しますの」

 司祭は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。御宣託だ。女神のお言葉だ。無欲なあのぅ夫人の夢に現れる女神とは、必ず何某かのお言葉をお授けになる。
 司祭は息を詰めて、ズレ落ちそうになっていた椅子で居住まいを正した。

「夢の中の女神様は、とても哀しい眼差しをなさっておられました。いつ総本山へ行くのかしら、聖地巡礼どうするの、女神様は大抵この二つを仰るのですが、ちょっとワタクシ意味がわからなくって。旦那様にお聞きしたことがあるんですけれど、れ言だから気にしなくて良いと言われて、旦那様を信じてみようと思いましたの」

 いや、それ催促だろう。女神様をお待たせしているんじゃないか、とっとと聖女認定されてくれ。信じるなら、女神≫旦那様だろう。

「まあ、それはいつものことですから、ワタクシ女神様のお顔を黙って拝見しておりました。そうしますと女神様は、ようやく要点をお話し下さいますのよ、ふふふ」

 サフィリアはそこで、なにが可笑しいのか笑った。司祭は磨り硝子の向こう側に行って、この罰当たりな隠れ聖女にげんこつをお見舞いしたくなった。それより何より、導入がダラダラ長いのは夫人のほうだろう。どの口が女神の話が要領を得ないと言うのか。

「女神様は、そこでやっと本題に入られました。哀しいお顔に光が差して、私に語りかけてくるのです」

『西の乙女をここに』

 女神はそう言って、哀しみを湛えた瞳を潤ませて、泉の中に沈んでいった。

「ちょっと怖かったのは、沈みながら女神様ったら、目が水面に隠れるギリギリのところで止まったかと思うと、じっと私をお見つめになったのです。何か言い残したのかな?って思いましたら案の定、少し浮き上がってお顔をお出しになったと思ったら、『巡礼頼むわね』と言い置いて、ざふんと沈んでしまわれました」

 いや、ルクス。お前、大罪を犯しておるぞ。聖女認定を引き留めて聖地巡礼阻止してどうする。
 司祭は聞いてはいけないものを聞いてしまったと後悔した。だが、後悔の元凶が目の前にいる。呑気な夫人の話は終わっていない。

「西って天竺だとすぐにわかりました。けれど私、以前数えましたのよ。天竺まで徒歩なら幾日掛かるかしらって」

 馬鹿なのか。無理だろう。

「それで一晩考えて、ああ無理だってわかりましたの。あとは西、西って何がある?と考えまして、わかりました」

 そこでサフィリアは、勿体つけるように言葉を切った。観劇好きの彼女はこういうところがある。間を持たせるのを良しとするきらいがある。早く言え!

「お城ですわ。我が邸から天竺目指して西に進むと10分で城に着きます。馬車ですわよ?徒歩なら25分から30分掛かりますの」
「……」
「で。早速お城へ向かいました。夫も息子もお城におりますから、差し入れのおやつも持っていきました」
「……」
「お城に着いて、面会するのに受付を訪ねました。そこで、ああと確信致しましたの」

 面会受付に女性の文官がいたという。初めて見る顔にサフィリアはピンと来た。ああ、女神様が仰ったのは彼女のことだ。彼女をどうにかしろということだ。

 確信というものがあるのだという。 
 迷いも逡巡も起こらない。それが御宣託の指し示すものであるなら、サフィリアには確信を得るのだという。

「彼女、貴方様の御縁ですわ」

 今度こそ司祭は椅子からずり落ちた。


 司祭は男やもめである。若い頃に娶った妻に、ツマラナイと言われて逃げられている。お茶会も舞踏会もない教会に籠もりきりの生活に、貴族令嬢だった妻は耐えられなかった。
 それ以降、神の道に生きることを人生と思い職務に励んだ。
 そこに来て、あのぅ夫人から王城勤めの女性文官を紹介される。話は付けてあるからと、無理やり侯爵邸で彼女と引き合わされた。
 ルクスまで同席して、「私が証人になる」と言って、彼は既に婚姻誓約書の立会人欄に署名を済ませていた。

 結論から言えば、司祭は二度目の妻を娶った。亜麻色の髪に薄っすら残るそばかすが可愛らしいと思った。四十を越えて娘のような年若の妻を娶った。
 とても幸せだと思った。


 こうしてサフィリアは、人生の至る所で行く先々で、ささやかな幸福を振り撒きながら生きて行く。
 国教会の聖女認定は受けなかったし、聖地巡礼もしなかった。時折、度々、週に一度、夢に女神が現れたが、いつものことだと気にしなかった。

 そうして最愛の夫と、離れの邸には息子家族、小さな孫息子や孫娘に王家の孫たちまで加わって、数々の騒動を巻き起こすのを楽しく見守った。
 愛が愛を呼ぶ幸福な人生だった。

 それが、とある王国の或る伯爵夫人、今は侯爵夫人が一人思い悩んだ末の事の顛末である。





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