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第一章
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「君は、この縁談を望んではいないのだろうな」
ローレルはそう言って、ジェマイマを見つめた。
ジェマイマは、それにはなにも答えなかった。なにかを言っても、きっと信じてはもらえないだろうと思ったし、ローレルが言った言葉は多分、彼自身がジェマイマに抱く気持ちなのだと思った。
今日は二人が婚約を交わした日だったが、ジェマイマは思った。
きっと彼は、ジェマイマを愛することはないだろう。
ジェマイマ・ルーソン・クラフトンは、クラフトン侯爵家の長子である。侯爵家の一人娘に生まれて、将来は婿を得て女侯爵として生家と一族の長となることが定められていた。
定めというのだから、決して覆ることはないと思っていたのだが、それは呆気なく覆った。
ジェマイマが十五歳の冬に、弟が生まれたのである。
前年に病で母が亡くなると、父は喪明けと同時に遠縁から後妻を得た。その義母が男児を産んだ。
それまで嫡女として育てられていたジェマイマは、そこで定まっていたはずの人生を大きく変えることとなった。
ジェマイマは、嫁がなければならなくなってしまった。
幸いだったと言うなら、ジェマイマに婚約者が据えられていなかったことだろう。
婿入りを願うなら、相手は次男以降の男子であり、こちらが嫁ぐ身となっては互いに不都合が出てしまう。
長患いをしていた母に心を注ぐあまり、父はジェマイマの縁談まで気が回らなかったのだろう。
両親は、当時としては珍しく自由恋愛の末の結婚だった。だから余計、父の再婚が早かったことには、ジェマイマも驚かされた。
いずれにしても、父は後妻に娶った義母を大切にして、再婚の翌年には弟が生まれたのである。
ジェマイマの漆黒の髪に青い瞳は父譲りのものである。それは、クラフトン侯爵家に代々引き継がれるものだった。
だが生まれたばかりの弟は、瞳は父と同じ鮮やかな青い色をしていたが、髪は義母譲りの淡い金色であった。
それはまるで、弟が侯爵家に新たな風を吹き込んで、侯爵家の未来が明るく開かれていくような感覚を抱かせた。
ジェマイマは、自分が旧態依然の過去の遺物であるように思ったのである。
暗色の髪と瞳は、ジェマイマを年齢よりも落ち着いた令嬢に見せていた。
垂れ目がちな目が少しばかり大きくて、そのお陰できつい顔立ちに見えないことは亡き母に感謝している。
ジェマイマは、面立ちは母に似ていた。
弟が生まれたことで、いよいよジェマイマは婚約者を定めなければならなかった。なのにそれは、しばらく様子見をされることとなった。
数え年で三歳を迎える前は、幼子は天と地を行き来するものとされている。要は、弟が無事に生育できるかを待たなければならなかったのである。
その間にジェマイマは王都の学園に入学してデヴュタントも済ませて、宙ぶらりんな身分のまま後継教育は引き続き受けていた。
それが、十八歳となり学園もあと半年足らずで卒業するという頃に、ジェマイマは婚約することとなった。
婚約者であるローレルは、ジェマイマとは同い年である。そして彼は、この王国の王太子であった。
金色の髪に濃く青い瞳のローレルは、緩い巻き髪も軽やかな、華のある王子である。
これまでも彼の婚約については、度々有力貴族の令嬢の名が挙げられていた。
長く嫡女として育てられたジェマイマが、ローレルと縁付くなんて誰も予想しないことだったろう。多分、ローレル自身が一番予想していなかったと思われた。
この縁談は上手くいかない。
彼はジェマイマを愛さない。
ジェマイマに、そんな確信めいた気持ちがあるのは理由があった。
ローレルとの縁談について父から聞かされた夜に、ジェマイマは夢を見た。
夢の中でジェマイマは、この人生が初めてではなかった。
度々やり直しを繰り返していたのである。
夢の中で繰り返し生き直す人生は、全てローレルが夫だった。
ジェマイマはいつでも彼の妃となって、なのに毎回愛されず、若くして命を落とすのである。
一度は馬車の事故だった。
一度は流行病だった。
一度は不眠から薬を服用したのが祟り、一度は離縁を望んで受け入れられず自ら毒を呷っている。
繰り返される死は全て、ローレルに愛されないことに端を発するものだった。
一つだけはっきりしているのは、いずれの人生でも、今際の際でジェマイマは、「ようやく死ねる」と安堵をしていることである。
ローレルに愛されない人生は、きっと不幸なものだったのだろう。
目覚めたジェマイマは泣いていた。涙は冷たく頬を濡らして、心まで冷えたのである。
ジェマイマは考えた。
夢は単に不安な気持ちの表れだったのだろう。王太子の妃だなんてそんなこと、重荷に思って当然だろう。
だがそれとは別に考えたのは、亡くなった母のことだった。母は少しばかり不思議なところがあって、時折、正夢を見たのである。
明日は雨が降るといった些細なこともあれば、もっと重い物事もあった。最も暗い正夢とは、母の寿命が尽きると知ったことだった。
ローレルの妃になって不遇のうちに死する夢。それは只の夢なのか、それとも母のように夢から未来を予見したのか。
そこまで考えてジェマイマは、ふと気がついた。
仮に予知夢とするのなら、どうして夢の中でジェマイマは、何度も人生を繰り返しているのだろう。その訳はわからず終いのままだった。
夢は夢だと言い聞かせて、婚約を結ぶ席でローレルと対面した時に、ジェマイマはわかってしまった。
夢は警告だったのだ。
この人生でもジェマイマは、ローレルに愛されることはない。
「君は、この縁談を望んではいないのだろうな」
ローレルの言葉は、とても冷たいものに聞こえたのである。
ローレルはそう言って、ジェマイマを見つめた。
ジェマイマは、それにはなにも答えなかった。なにかを言っても、きっと信じてはもらえないだろうと思ったし、ローレルが言った言葉は多分、彼自身がジェマイマに抱く気持ちなのだと思った。
今日は二人が婚約を交わした日だったが、ジェマイマは思った。
きっと彼は、ジェマイマを愛することはないだろう。
ジェマイマ・ルーソン・クラフトンは、クラフトン侯爵家の長子である。侯爵家の一人娘に生まれて、将来は婿を得て女侯爵として生家と一族の長となることが定められていた。
定めというのだから、決して覆ることはないと思っていたのだが、それは呆気なく覆った。
ジェマイマが十五歳の冬に、弟が生まれたのである。
前年に病で母が亡くなると、父は喪明けと同時に遠縁から後妻を得た。その義母が男児を産んだ。
それまで嫡女として育てられていたジェマイマは、そこで定まっていたはずの人生を大きく変えることとなった。
ジェマイマは、嫁がなければならなくなってしまった。
幸いだったと言うなら、ジェマイマに婚約者が据えられていなかったことだろう。
婿入りを願うなら、相手は次男以降の男子であり、こちらが嫁ぐ身となっては互いに不都合が出てしまう。
長患いをしていた母に心を注ぐあまり、父はジェマイマの縁談まで気が回らなかったのだろう。
両親は、当時としては珍しく自由恋愛の末の結婚だった。だから余計、父の再婚が早かったことには、ジェマイマも驚かされた。
いずれにしても、父は後妻に娶った義母を大切にして、再婚の翌年には弟が生まれたのである。
ジェマイマの漆黒の髪に青い瞳は父譲りのものである。それは、クラフトン侯爵家に代々引き継がれるものだった。
だが生まれたばかりの弟は、瞳は父と同じ鮮やかな青い色をしていたが、髪は義母譲りの淡い金色であった。
それはまるで、弟が侯爵家に新たな風を吹き込んで、侯爵家の未来が明るく開かれていくような感覚を抱かせた。
ジェマイマは、自分が旧態依然の過去の遺物であるように思ったのである。
暗色の髪と瞳は、ジェマイマを年齢よりも落ち着いた令嬢に見せていた。
垂れ目がちな目が少しばかり大きくて、そのお陰できつい顔立ちに見えないことは亡き母に感謝している。
ジェマイマは、面立ちは母に似ていた。
弟が生まれたことで、いよいよジェマイマは婚約者を定めなければならなかった。なのにそれは、しばらく様子見をされることとなった。
数え年で三歳を迎える前は、幼子は天と地を行き来するものとされている。要は、弟が無事に生育できるかを待たなければならなかったのである。
その間にジェマイマは王都の学園に入学してデヴュタントも済ませて、宙ぶらりんな身分のまま後継教育は引き続き受けていた。
それが、十八歳となり学園もあと半年足らずで卒業するという頃に、ジェマイマは婚約することとなった。
婚約者であるローレルは、ジェマイマとは同い年である。そして彼は、この王国の王太子であった。
金色の髪に濃く青い瞳のローレルは、緩い巻き髪も軽やかな、華のある王子である。
これまでも彼の婚約については、度々有力貴族の令嬢の名が挙げられていた。
長く嫡女として育てられたジェマイマが、ローレルと縁付くなんて誰も予想しないことだったろう。多分、ローレル自身が一番予想していなかったと思われた。
この縁談は上手くいかない。
彼はジェマイマを愛さない。
ジェマイマに、そんな確信めいた気持ちがあるのは理由があった。
ローレルとの縁談について父から聞かされた夜に、ジェマイマは夢を見た。
夢の中でジェマイマは、この人生が初めてではなかった。
度々やり直しを繰り返していたのである。
夢の中で繰り返し生き直す人生は、全てローレルが夫だった。
ジェマイマはいつでも彼の妃となって、なのに毎回愛されず、若くして命を落とすのである。
一度は馬車の事故だった。
一度は流行病だった。
一度は不眠から薬を服用したのが祟り、一度は離縁を望んで受け入れられず自ら毒を呷っている。
繰り返される死は全て、ローレルに愛されないことに端を発するものだった。
一つだけはっきりしているのは、いずれの人生でも、今際の際でジェマイマは、「ようやく死ねる」と安堵をしていることである。
ローレルに愛されない人生は、きっと不幸なものだったのだろう。
目覚めたジェマイマは泣いていた。涙は冷たく頬を濡らして、心まで冷えたのである。
ジェマイマは考えた。
夢は単に不安な気持ちの表れだったのだろう。王太子の妃だなんてそんなこと、重荷に思って当然だろう。
だがそれとは別に考えたのは、亡くなった母のことだった。母は少しばかり不思議なところがあって、時折、正夢を見たのである。
明日は雨が降るといった些細なこともあれば、もっと重い物事もあった。最も暗い正夢とは、母の寿命が尽きると知ったことだった。
ローレルの妃になって不遇のうちに死する夢。それは只の夢なのか、それとも母のように夢から未来を予見したのか。
そこまで考えてジェマイマは、ふと気がついた。
仮に予知夢とするのなら、どうして夢の中でジェマイマは、何度も人生を繰り返しているのだろう。その訳はわからず終いのままだった。
夢は夢だと言い聞かせて、婚約を結ぶ席でローレルと対面した時に、ジェマイマはわかってしまった。
夢は警告だったのだ。
この人生でもジェマイマは、ローレルに愛されることはない。
「君は、この縁談を望んではいないのだろうな」
ローレルの言葉は、とても冷たいものに聞こえたのである。
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