ジェマイマの憂鬱

桃井すもも

文字の大きさ
2 / 44

第二章

しおりを挟む
 ジェマイマは、学園ではすでに三年生となっており、当然ながら同じ学年であるローレルについて知っている。

 彼が果たしてジェマイマをどれほど知っていたかはわからないが、この縁組に明るい展望を抱けないほどにはジェマイマを認識していたのだろう。

 ローレルがこれまで婚約者を定めなかった理由はわからないが、選り好みなんてしないでさっさと決めていたなら、彼にしても不本意な婚約を結ぶことはなかっただろう。
 ジェマイマだって、あんな最悪な夢を見ずに済んだはずである。

 婚約誓約書に署名を終えて、ローレルとは、今は二人きりの部屋にいた。
 厳密には、侍従や王城の侍女や近衛騎士がそばにいたのだが、取り敢えず当事者は二人だけだった。

 そのためか、ローレルは学園で見せるような華やぎのある表情をすっかり引っ込めていた。

 その顔に、ジェマイマは覚えがあった。
 夢の中で繰り返した人生で、彼は度々あんな冷ややかな顔をした。

 ローレルとは、学園で一度も同じクラスになったことはない。廊下ですれ違うことはあっても、大抵ジェマイマが脇に退けて目線を伏せていたので、彼とは目が合うことすらなかった。

 どんな経緯でジェマイマが婚約者になってしまったのか、父に尋ねてもわからなかった。

 この婚約は、王家からの打診で成り立ったものである。
 愛せないのなら初めから、ジェマイマを避けてくれればよいものを。

 真向かいの席で二杯目の紅茶を飲むローレルを、ジェマイマは複雑な思いで見ていた。

「君が望んでいなくても」

 カップを手元のソーサーに戻すと、ローレルはジェマイマを見据えて言った。

「この婚約が解かれることはない。承知してもらうよりほかはないんだよ」

 ジェマイマは、不服も不平も一言も漏らしてはいないし、寧ろ王命とさえ捉えている。
 だが、口に出さなくても顔に出ていたのかもしれないと、表情を引き締めた。

「私なりに、君を大切にする」

 嘘つき。

 思わず浮かんだ心の声に、ジェマイマは驚いてしまった。あの夢がそうさせるのか、何度も繰り返された冷たい結婚生活に、ジェマイマは無意識のうちにローレルに対して不信感を抱いているようだった。

「婚約の証といえば大袈裟かな」

 ローレルがそう言うと、紅茶を乗せたソーサーをテーブルに置くと、ジャケットの胸ポケットからなにかを取り出した。
 その途端、ジェマイマは背中に冷たい汗が流れ落ちるのがわかった。

「君に贈るよ」

 親指と人差し指に挟んで、彼がテーブル越しにこちらに差し出したものは、夢の中でジェマイマの左手薬指を飾っていたサファイアの指輪だった。

「殿下、そんな⋯⋯」

 それは婚姻の儀を終えてから受け取っていたものだった。馬車の事故で命を落とした生でも、流行病で没した生でも、いつの生でもジェマイマの薬指を飾っていた。

 まるで冷ややかな感情を青い石に込めているようで、いつの生でもジェマイマの心を締めつけた。

「それは、頂けませんわ」
「嫌なのかな?」
「そうではございませんわ。そちらは妃に贈られるものではございませんか?」
「妃は君になることが、今日の誓約で定まったけれど?」

 誓約という言葉に、ジェマイマはぐっと詰まるものを感じた。

「頂けません」
「なぜ?」
「誓約は婚約についてです。婚姻とは別ですわ」
「強情だね」

 ローレルは、差し出していた手を引っ込めると、徐ろに立ち上がった。
 ジェマイマはてっきり、言葉が過ぎて彼を怒らせてしまったのかと思った。

 だが、ローレルはテーブルを回り込んでこちらに来ると、ジェマイマの真横に跪いた。

「ジェマイマ」

 驚くジェマイマを見つめながら、行き成り呼び捨てにしたその声音を、ジェマイマはよく知っている。それは、あの夢の中で何度も耳にした声だった。

 膝の上で重ねた両の手を、ジェマイマは動かすことができなかった。
 ローレルはそんなジェマイマに焦れたのか、上になっていた右手の手首をやんわりと掴んで持ち上げた。

「殿下」

 おやめくださいと言いかけたときには、すでに左手を掴まれて、彼はそのまま薬指に指輪を嵌めてしまった。

「凄いね、ピッタリだ」

 指輪は、いつジェマイマのサイズに合わせたのか、指を滑るように通ってピタリと収まった。

「宜しく、婚約者殿」

 ジェマイマは、ローレルの真っ青な瞳を見つめて、もう夢の出来事の数々が始まってしまったような錯覚に陥った。

 
 婚約を結ぶ席には父も同席していたのだが、二人でお茶でもと言ったローレルの言葉で、一旦、別室で待つことになっていた。
 だが、ローレルと過ごしていた応接室を出たときには父はすでにそこにいて、ジェマイマを待っていた。

 回廊を並んで歩き始めると、父はジェマイマに尋ねてきた。

「殿下とは、どうだった」

 ジェマイマは、どうしたものかと考えたが、すぐにわかることであるからと、父に向けて左手を掲げて見せた。

「なんてことだ⋯⋯」

 父も、一目で指輪がどんな物かを理解して、そこで立ち止まってしまった。

「お断りしたんです」
「断っただと?」
「だって、なにがあるのかわからないのですよ?婚約なんて、殿下のお心次第でどうとでもなるのではないですか?」
「滅多なことを言うものではない」

 父はそこで、背後に控える近衛騎士を気にするような様子を見せた。

「どうとなるものではない。それを受け取ってしまったのだから」

 妃の証であるサファイアの指輪は、王妃も王太子妃時代に身につけたもので、代々王太子妃に受け継がれるものなのは、夢の中で知りすぎるほど知っていることだった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

【完結】私の婚約者はもう死んだので

miniko
恋愛
「私の事は死んだものと思ってくれ」 結婚式が約一ヵ月後に迫った、ある日の事。 そう書き置きを残して、幼い頃からの婚約者は私の前から姿を消した。 彼の弟の婚約者を連れて・・・・・・。 これは、身勝手な駆け落ちに振り回されて婚姻を結ばざるを得なかった男女が、すれ違いながらも心を繋いでいく物語。 ※感想欄はネタバレ有り/無しの振り分けをしていません。本編より先に読む場合はご注意下さい。

【完結】愛していないと王子が言った

miniko
恋愛
王子の婚約者であるリリアナは、大好きな彼が「リリアナの事など愛していない」と言っているのを、偶然立ち聞きしてしまう。 「こんな気持ちになるならば、恋など知りたくはなかったのに・・・」 ショックを受けたリリアナは、王子と距離を置こうとするのだが、なかなか上手くいかず・・・。 ※合わない場合はそっ閉じお願いします。 ※感想欄、ネタバレ有りの振り分けをしていないので、本編未読の方は自己責任で閲覧お願いします。

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

あなたの妻にはなりません

風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から大好きだった婚約者のレイズ。 彼が伯爵位を継いだと同時に、わたしと彼は結婚した。 幸せな日々が始まるのだと思っていたのに、夫は仕事で戦場近くの街に行くことになった。 彼が旅立った数日後、わたしの元に届いたのは夫の訃報だった。 悲しみに暮れているわたしに近づいてきたのは、夫の親友のディール様。 彼は夫から自分の身に何かあった時にはわたしのことを頼むと言われていたのだと言う。 あっという間に日にちが過ぎ、ディール様から求婚される。 悩みに悩んだ末に、ディール様と婚約したわたしに、友人と街に出た時にすれ違った男が言った。 「あの男と結婚するのはやめなさい。彼は君の夫の殺害を依頼した男だ」

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

処理中です...