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第五章
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翌朝の学園は、案の定、蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。
ローレルが婚約したことは朝刊にも載ったし、勿論、号外も出た。
だが、そこには王太子の慶事を祝う言葉と別に、婚約の相手方についても記されていた。
『お相手は同じ貴族学園に学ぶご令嬢であり、卒業を翌春に控えた今は、学業を優先すべく静かな環境をお望みとのことである』
令嬢についての公表は今は差し控えて、ローレル殿下は令嬢の平穏をお守りすることを最優先になさった。ローレル殿下は誠に慈悲深く、婚約を交わされたばかりであるご令嬢を慮って温情を示された。
なんていうような文言で新聞記事は締めくくられていた。
確かにローレルは、国王や重鎮たちを説得してジェマイマの希望を叶えてくれた。悔しいが、ジェマイマが言った「王太子の実力」をきっちり示したのである。
学園は、どこに行っても王太子の婚約話で持ちきりだった。そして、卒業を翌春に控えて学業を優先すると言ったからには、相手が同じ学園に学ぶ三年生の令嬢だろうと、様々な憶測を立てていた。
婚約者のいない高位貴族の令嬢はそれほど多くはないから、噂話を囁く中に自分の名前が時々聞こえて、それはそれで落ち着かない気持ちにさせられた。
授業中も、どこか浮足立った空気があって、教師も今日ばかりは仕方ないと思うようであった。
ようやく昼休みになって、生徒たちの大半が騒がしく教室を出ていってから、ジェマイマは席を立った。
ジェマイマは、元々食堂ではなく隣接するカフェテラスで食事をとっている。
一枚硝子の大きな窓から外の風景が眺められて、なかなか居心地が良い。
そこにランチボックスと小説を持ち込で、昼下がりのひとときを楽しむのである。
カフェテラスは食堂よりも落ち着いた空間であるのだが、やはり今日はどこかざわざわとした空気が漂っていいた。
窓際の席はすでに埋まっており、壁に面するところに一つ残った席を見つけて座ると、そこからでも外の風景を眺めることができた。
片手でつまめるようにカットされた、小ぶりなサンドウィッチを食して、カフェテラスで注文した香りの良い紅茶を飲んでから、小説を手に取って、昨日の続きを読むべく栞を外す。
辺りにも同じように読書を楽しむ生徒たちは多く、囁き声は確かに聞こえていても、それも小説を読むうちに気にならなくなっていった。
読書の合間に硝子窓の向こうに見える風景に目をやって、冬枯れの庭園を眺めるのも心地よい。
冬には冬の風景がある。枯れたように見える木々は、すでに固い芽をつけて翌春に芽吹く支度をしている。
己はすっかり葉を落として裸になりながら、次の季節を生きる若い芽をその身のうちに育てている。
樹木に母性が窺えて、ジェマイマは一人感慨に耽るのであった。
手元にある本に影が射したような気がしたのは、気の所為ではなかった。
「クラフトン侯爵令嬢。いま声をかけてよろしかったかな?」
声を抑えた言葉には、辺りへの配慮が感じられて、目立たぬように気を配っているのだとわかった。
ジェマイマは手元に落としていた視線を上げて、そばに立つ男子生徒を見上げた。
「フェラード公爵ご令息様。ご機嫌よう」
ジェマイマに声をかけてきたのは、フェラード公爵家の嫡男であるフレデリクだった。
彼とは親しい交流はないけれど、幼い頃から互いに顔だけは知っているというような間柄だった。
彼は、ローレルの側近候補である。
ローレルに関わる夢を見たのはあの一度きりで、それはジェマイマが死んでしまう繰り返しの人生を見せてはくれたが、人間関係までは表してはいなかった。
だから彼とは、未来でどんな関係であるのかわからなかった。
彼は味方なのか敵なのか。その疑心がジェマイマに歯止めをかけさせていたのだろう。
「警戒しないでくれないか」
声を抑えたまま、フレデリクは言った。
「食事は?」
「ご覧の通り、もう終えております」
ランチボックスはすでに片付けていた。紅茶も飲み終わって、空になったカップはあとでカウンターに返すばかりになっている。
「読書を楽しんでいたのかな?」
「ええ。丁度面白いところに差し掛かったのです」
だから邪魔をしないでほしいと暗に含めて言ったのに、フレデリクはまだそこにいて離れる気はないようだった。
「貴女をお誘いしたいのだけれど、この後ご予定はないようだね」
読書に没頭するほどであるから、暇なんだろう?と言い返されてしまった。
ジェマイマは、そこで改めてフレデリクを見上げた。
艶やかな金色の髪に青い瞳。それはフレデリクが王家の血脈にあることを示していた。
公爵家は王家の傍系で、ローレルとフレデリクは縁戚関係にある。フレデリクは側近というよりも親族といったほうが早い。
「貴方からお誘いをいただくほど、親しくお付き合いいただいていたわけではないのですけれど」
「まあ、今まではそうだね。だが、これからはそうではない。貴女とは、」
「わかりました」
声を抑えていても、王太子の側近候補である公爵家の嫡男は目立つ。その彼が、こんな王子の婚約話で沸いている最中に現れたのだから、耳目を引き寄せないわけがない。
その上、何やらこれから関わりがあるようなことを言い出されて、ジェマイマは諦めた。
「どこへ?」
そう言えば、フレデリクはほんの少し口角を上げた。そんな笑い方が、どこぞの誰かにそっくりだと思った。
ローレルが婚約したことは朝刊にも載ったし、勿論、号外も出た。
だが、そこには王太子の慶事を祝う言葉と別に、婚約の相手方についても記されていた。
『お相手は同じ貴族学園に学ぶご令嬢であり、卒業を翌春に控えた今は、学業を優先すべく静かな環境をお望みとのことである』
令嬢についての公表は今は差し控えて、ローレル殿下は令嬢の平穏をお守りすることを最優先になさった。ローレル殿下は誠に慈悲深く、婚約を交わされたばかりであるご令嬢を慮って温情を示された。
なんていうような文言で新聞記事は締めくくられていた。
確かにローレルは、国王や重鎮たちを説得してジェマイマの希望を叶えてくれた。悔しいが、ジェマイマが言った「王太子の実力」をきっちり示したのである。
学園は、どこに行っても王太子の婚約話で持ちきりだった。そして、卒業を翌春に控えて学業を優先すると言ったからには、相手が同じ学園に学ぶ三年生の令嬢だろうと、様々な憶測を立てていた。
婚約者のいない高位貴族の令嬢はそれほど多くはないから、噂話を囁く中に自分の名前が時々聞こえて、それはそれで落ち着かない気持ちにさせられた。
授業中も、どこか浮足立った空気があって、教師も今日ばかりは仕方ないと思うようであった。
ようやく昼休みになって、生徒たちの大半が騒がしく教室を出ていってから、ジェマイマは席を立った。
ジェマイマは、元々食堂ではなく隣接するカフェテラスで食事をとっている。
一枚硝子の大きな窓から外の風景が眺められて、なかなか居心地が良い。
そこにランチボックスと小説を持ち込で、昼下がりのひとときを楽しむのである。
カフェテラスは食堂よりも落ち着いた空間であるのだが、やはり今日はどこかざわざわとした空気が漂っていいた。
窓際の席はすでに埋まっており、壁に面するところに一つ残った席を見つけて座ると、そこからでも外の風景を眺めることができた。
片手でつまめるようにカットされた、小ぶりなサンドウィッチを食して、カフェテラスで注文した香りの良い紅茶を飲んでから、小説を手に取って、昨日の続きを読むべく栞を外す。
辺りにも同じように読書を楽しむ生徒たちは多く、囁き声は確かに聞こえていても、それも小説を読むうちに気にならなくなっていった。
読書の合間に硝子窓の向こうに見える風景に目をやって、冬枯れの庭園を眺めるのも心地よい。
冬には冬の風景がある。枯れたように見える木々は、すでに固い芽をつけて翌春に芽吹く支度をしている。
己はすっかり葉を落として裸になりながら、次の季節を生きる若い芽をその身のうちに育てている。
樹木に母性が窺えて、ジェマイマは一人感慨に耽るのであった。
手元にある本に影が射したような気がしたのは、気の所為ではなかった。
「クラフトン侯爵令嬢。いま声をかけてよろしかったかな?」
声を抑えた言葉には、辺りへの配慮が感じられて、目立たぬように気を配っているのだとわかった。
ジェマイマは手元に落としていた視線を上げて、そばに立つ男子生徒を見上げた。
「フェラード公爵ご令息様。ご機嫌よう」
ジェマイマに声をかけてきたのは、フェラード公爵家の嫡男であるフレデリクだった。
彼とは親しい交流はないけれど、幼い頃から互いに顔だけは知っているというような間柄だった。
彼は、ローレルの側近候補である。
ローレルに関わる夢を見たのはあの一度きりで、それはジェマイマが死んでしまう繰り返しの人生を見せてはくれたが、人間関係までは表してはいなかった。
だから彼とは、未来でどんな関係であるのかわからなかった。
彼は味方なのか敵なのか。その疑心がジェマイマに歯止めをかけさせていたのだろう。
「警戒しないでくれないか」
声を抑えたまま、フレデリクは言った。
「食事は?」
「ご覧の通り、もう終えております」
ランチボックスはすでに片付けていた。紅茶も飲み終わって、空になったカップはあとでカウンターに返すばかりになっている。
「読書を楽しんでいたのかな?」
「ええ。丁度面白いところに差し掛かったのです」
だから邪魔をしないでほしいと暗に含めて言ったのに、フレデリクはまだそこにいて離れる気はないようだった。
「貴女をお誘いしたいのだけれど、この後ご予定はないようだね」
読書に没頭するほどであるから、暇なんだろう?と言い返されてしまった。
ジェマイマは、そこで改めてフレデリクを見上げた。
艶やかな金色の髪に青い瞳。それはフレデリクが王家の血脈にあることを示していた。
公爵家は王家の傍系で、ローレルとフレデリクは縁戚関係にある。フレデリクは側近というよりも親族といったほうが早い。
「貴方からお誘いをいただくほど、親しくお付き合いいただいていたわけではないのですけれど」
「まあ、今まではそうだね。だが、これからはそうではない。貴女とは、」
「わかりました」
声を抑えていても、王太子の側近候補である公爵家の嫡男は目立つ。その彼が、こんな王子の婚約話で沸いている最中に現れたのだから、耳目を引き寄せないわけがない。
その上、何やらこれから関わりがあるようなことを言い出されて、ジェマイマは諦めた。
「どこへ?」
そう言えば、フレデリクはほんの少し口角を上げた。そんな笑い方が、どこぞの誰かにそっくりだと思った。
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