ジェマイマの憂鬱

桃井すもも

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第六章

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 背の高いフレデリクの後ろを、ジェマイマは少しばかり距離を置いてついて歩いた。

 ローレルの側近候補と一緒にいるなんて、新聞に載っていたご令嬢とは自分だと言っているようなものである。それで微妙な距離を離して後を追った。

 婚約については、遅かれ早かれ知られてしまうことではあったが、そんな面倒は一日だって遅いほうがよい。だが、いつまでものらりくらりとかわしていられないこともわかっていた。

 フレデリクの後をのろのろと付いていきながら、ジェマイマは考えていた。
 あんな夢を見なかったら、今頃自分はどんな気持ちでいたのだろう。

 ローレルは、非の打ちどころのない青年王族である。見目が華やかなのもそうであるが、成績もトップクラスであるし、剣術でもまあまあ好成績を残しているのではなかろうか。夏にあった競技会では準決勝まで進んでいたから。

 自分の細腕ではレイピア一本持てないくせに、ローレルには些か辛口評価である。

 これまでローレルとは、個人的な交流はなかったが、もしも何ごともなく婚約していたのなら、きっと良き婚約者であろうと努めたのだろう。

 後継者として養育されていたジェマイマである。貴族に生まれた責任なら、それなりに心得ているつもりだった。

 王家には忠誠心を抱いているし、そんな自分が王太子妃に望まれるなんて、光栄の極みだと恭しく受け入れていただろう。

 たった一度夢を見た。ただそれだけのことで心はどこか頑なになっている。
 だが、本能が告げるのだ。胸騒ぎがするのだ。

 そんな不確かなことを無視できないがために、どことなくローレルには心を寄せられずにいる。そんな態度はきっと、ローレルにも伝わっているだろう。

 フレデリクの背中を見つめて歩くうちに、彼は廊下の脇から階段を上がって、ジェマイマも後をついて二階に上がった。

 だがフレデリクは更に上階へと階段を上がっていって、ジェマイマはそこで、彼がきっと生徒会室に向かっているのだろうと思った。

 ローレルは、生徒会長を務めている。フレデリクは副会長で、もう一人いる側近候補の男子生徒もまた役員を務めている。

 ジェマイマの予想通り、フレデリクは生徒会室の前に来てようやくこちらを振り向いた。

「ちゃんと付いてきたね」

 まるで途中でジェマイマが逃げ出すような言いぶりをして、フレデリクは薄く笑った。

 ジェマイマは、そちらから呼んでおきながら随分な言いようであると思った。

「いや、君を不愉快にさせたい訳ではなかった。失礼した」

 ジェマイマは大きな瞳でじっと見つめただけであったが、フレデリクはそれに謝罪した。

 謝るのなら、初めから軽率なことは言わなければよいのだ。ジェマイマが後継教育で学んで覚えたうちには、「一言の重みを侮るなかれ」ということがある。
 フレデリクにしても嫡男であるから、その辺りは重々承知している筈だろう。

 折角の垂れ目を有効活用して愛想を振りまくこともないジェマイマが、無言のままじっと見つめていると、フレデリクは「すみません」ともう一度謝罪した。

 素直でよろしい。
「謝罪は受け取りました」

 ジェマイマがそう言えば、彼は心なしか眉を下げたように見えた。

 フレデリクはそれから前に向き直り、扉をノックした。中から返事は聞こえなかったが、それでよかったのだろう。彼はそのまま扉を開いて、それからジェマイマを中へと促した。


 生徒会室に入るのは、初めてのことだった。
 教室とは違う匂いがして、ジェマイマは部屋をぐるりと見渡した。

 部屋の中には誰もいなかった。
 空き部屋にフレデリクと二人きりでいることにジェマイマが警戒を強めたところで、フレデリクが奥の扉を指で示した。

 どうやら別室があるらしい。

「殿下が貴女をお待ちなんだ」

 先に言ってもよいことを、フレデリクは今になって打ち明けた。ジェマイマにしても聞かずともわかっていたから、敢えて聞かずにいた。

 だが一応、ちょっとだけ聞いてみようかと思った。

「なぜ、呼ばれたのでしょうか」
「君は殿下の婚約者だよ。それでは理由にならないかな」

 どうなのだろうと考えていると、フレデリクは別室の扉をノックした。

「いいよ」

 今度は中から返事があって、それは聞き覚えのある声だった。なにせ、昨日聞いている。

 開いた扉から中に一歩入ったところで、ジェマイマはこうべを垂れてカーテシーで挨拶をした。

「ジェマイマ。私たちにそんな作法は要らないよ」

 ローレルの言葉に面を上げれば、彼は昨日と同じように、鷹揚なふうにソファに背を預けて、ほんの少し口角を上げて微笑んでいた。

 やっぱり似ている。
 フレデリクとどこか似ていると思ったために、思わず後ろにいたフレデリクを振り返った。

 だがフレデリクは笑ってはおらず、寧ろ、なぜそこで振り返る?というような顔をした。

「今日はどこも騒がしいから、ちょっとここへ退避していたんだ」

 向かい側に座ったジェマイマに、ローレルはそう言った。確かに今日は、どこも落ち着くことはできなかっただろう。

 ローレルは、普段であれば昼時を食堂で過ごしている。それは彼が、学生生活をほかの生徒たちと分け隔てなく過ごそうと務めているからだと言われている。

 食堂がいつも混み合っているのは、生徒たちがそんな彼と少しでも交流を持ちたいと思うからで、お陰でジェマイマは、空いているカフェテラスでゆったり過ごせていたのである。

「君とは良好な関係を築いていきたいと思っているんだ」

 ジェマイマは、どうすればよいのだろうと考えた。

 この縁組を断る理由がなかったように、彼の妃になることを断れそうにはなかった。
 夢見がどれほど悪くても、そんなことは理由にならない。

 そうであるならジェマイマは、なるべく容易く死んでしまわないように、あらゆる危険を自力で回避しなければならない。

 どれほど心が病もうとも、決して自死などしてはならない。
 母を失った父の憔悴を思い出し、幼いマシューが泣いてしまうだろうことを思い浮かべて、ジェマイマは心を決めた。

 生きて生きて生き抜いてやる。
 今回こそは、死ぬもんか。

 目の前の王子は、ジェマイマを悲劇に誘うような人物には見えなかった。だが、どこか近寄りがたい距離を感じたのも事実だった。


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