6 / 44
第六章
しおりを挟む
背の高いフレデリクの後ろを、ジェマイマは少しばかり距離を置いてついて歩いた。
ローレルの側近候補と一緒にいるなんて、新聞に載っていたご令嬢とは自分だと言っているようなものである。それで微妙な距離を離して後を追った。
婚約については、遅かれ早かれ知られてしまうことではあったが、そんな面倒は一日だって遅いほうがよい。だが、いつまでものらりくらりと躱していられないこともわかっていた。
フレデリクの後をのろのろと付いていきながら、ジェマイマは考えていた。
あんな夢を見なかったら、今頃自分はどんな気持ちでいたのだろう。
ローレルは、非の打ちどころのない青年王族である。見目が華やかなのもそうであるが、成績もトップクラスであるし、剣術でもまあまあ好成績を残しているのではなかろうか。夏にあった競技会では準決勝まで進んでいたから。
自分の細腕ではレイピア一本持てないくせに、ローレルには些か辛口評価である。
これまでローレルとは、個人的な交流はなかったが、もしも何ごともなく婚約していたのなら、きっと良き婚約者であろうと努めたのだろう。
後継者として養育されていたジェマイマである。貴族に生まれた責任なら、それなりに心得ているつもりだった。
王家には忠誠心を抱いているし、そんな自分が王太子妃に望まれるなんて、光栄の極みだと恭しく受け入れていただろう。
たった一度夢を見た。ただそれだけのことで心はどこか頑なになっている。
だが、本能が告げるのだ。胸騒ぎがするのだ。
そんな不確かなことを無視できないがために、どことなくローレルには心を寄せられずにいる。そんな態度はきっと、ローレルにも伝わっているだろう。
フレデリクの背中を見つめて歩くうちに、彼は廊下の脇から階段を上がって、ジェマイマも後をついて二階に上がった。
だがフレデリクは更に上階へと階段を上がっていって、ジェマイマはそこで、彼がきっと生徒会室に向かっているのだろうと思った。
ローレルは、生徒会長を務めている。フレデリクは副会長で、もう一人いる側近候補の男子生徒もまた役員を務めている。
ジェマイマの予想通り、フレデリクは生徒会室の前に来てようやくこちらを振り向いた。
「ちゃんと付いてきたね」
まるで途中でジェマイマが逃げ出すような言いぶりをして、フレデリクは薄く笑った。
ジェマイマは、そちらから呼んでおきながら随分な言いようであると思った。
「いや、君を不愉快にさせたい訳ではなかった。失礼した」
ジェマイマは大きな瞳でじっと見つめただけであったが、フレデリクはそれに謝罪した。
謝るのなら、初めから軽率なことは言わなければよいのだ。ジェマイマが後継教育で学んで覚えたうちには、「一言の重みを侮るなかれ」ということがある。
フレデリクにしても嫡男であるから、その辺りは重々承知している筈だろう。
折角の垂れ目を有効活用して愛想を振りまくこともないジェマイマが、無言のままじっと見つめていると、フレデリクは「すみません」ともう一度謝罪した。
素直でよろしい。
「謝罪は受け取りました」
ジェマイマがそう言えば、彼は心なしか眉を下げたように見えた。
フレデリクはそれから前に向き直り、扉をノックした。中から返事は聞こえなかったが、それでよかったのだろう。彼はそのまま扉を開いて、それからジェマイマを中へと促した。
生徒会室に入るのは、初めてのことだった。
教室とは違う匂いがして、ジェマイマは部屋をぐるりと見渡した。
部屋の中には誰もいなかった。
空き部屋にフレデリクと二人きりでいることにジェマイマが警戒を強めたところで、フレデリクが奥の扉を指で示した。
どうやら別室があるらしい。
「殿下が貴女をお待ちなんだ」
先に言ってもよいことを、フレデリクは今になって打ち明けた。ジェマイマにしても聞かずともわかっていたから、敢えて聞かずにいた。
だが一応、ちょっとだけ聞いてみようかと思った。
「なぜ、呼ばれたのでしょうか」
「君は殿下の婚約者だよ。それでは理由にならないかな」
どうなのだろうと考えていると、フレデリクは別室の扉をノックした。
「いいよ」
今度は中から返事があって、それは聞き覚えのある声だった。なにせ、昨日聞いている。
開いた扉から中に一歩入ったところで、ジェマイマは頭を垂れてカーテシーで挨拶をした。
「ジェマイマ。私たちにそんな作法は要らないよ」
ローレルの言葉に面を上げれば、彼は昨日と同じように、鷹揚なふうにソファに背を預けて、ほんの少し口角を上げて微笑んでいた。
やっぱり似ている。
フレデリクとどこか似ていると思ったために、思わず後ろにいたフレデリクを振り返った。
だがフレデリクは笑ってはおらず、寧ろ、なぜそこで振り返る?というような顔をした。
「今日はどこも騒がしいから、ちょっとここへ退避していたんだ」
向かい側に座ったジェマイマに、ローレルはそう言った。確かに今日は、どこも落ち着くことはできなかっただろう。
ローレルは、普段であれば昼時を食堂で過ごしている。それは彼が、学生生活をほかの生徒たちと分け隔てなく過ごそうと務めているからだと言われている。
食堂がいつも混み合っているのは、生徒たちがそんな彼と少しでも交流を持ちたいと思うからで、お陰でジェマイマは、空いているカフェテラスでゆったり過ごせていたのである。
「君とは良好な関係を築いていきたいと思っているんだ」
ジェマイマは、どうすればよいのだろうと考えた。
この縁組を断る理由がなかったように、彼の妃になることを断れそうにはなかった。
夢見がどれほど悪くても、そんなことは理由にならない。
そうであるならジェマイマは、なるべく容易く死んでしまわないように、あらゆる危険を自力で回避しなければならない。
どれほど心が病もうとも、決して自死などしてはならない。
母を失った父の憔悴を思い出し、幼いマシューが泣いてしまうだろうことを思い浮かべて、ジェマイマは心を決めた。
生きて生きて生き抜いてやる。
今回こそは、死ぬもんか。
目の前の王子は、ジェマイマを悲劇に誘うような人物には見えなかった。だが、どこか近寄りがたい距離を感じたのも事実だった。
ローレルの側近候補と一緒にいるなんて、新聞に載っていたご令嬢とは自分だと言っているようなものである。それで微妙な距離を離して後を追った。
婚約については、遅かれ早かれ知られてしまうことではあったが、そんな面倒は一日だって遅いほうがよい。だが、いつまでものらりくらりと躱していられないこともわかっていた。
フレデリクの後をのろのろと付いていきながら、ジェマイマは考えていた。
あんな夢を見なかったら、今頃自分はどんな気持ちでいたのだろう。
ローレルは、非の打ちどころのない青年王族である。見目が華やかなのもそうであるが、成績もトップクラスであるし、剣術でもまあまあ好成績を残しているのではなかろうか。夏にあった競技会では準決勝まで進んでいたから。
自分の細腕ではレイピア一本持てないくせに、ローレルには些か辛口評価である。
これまでローレルとは、個人的な交流はなかったが、もしも何ごともなく婚約していたのなら、きっと良き婚約者であろうと努めたのだろう。
後継者として養育されていたジェマイマである。貴族に生まれた責任なら、それなりに心得ているつもりだった。
王家には忠誠心を抱いているし、そんな自分が王太子妃に望まれるなんて、光栄の極みだと恭しく受け入れていただろう。
たった一度夢を見た。ただそれだけのことで心はどこか頑なになっている。
だが、本能が告げるのだ。胸騒ぎがするのだ。
そんな不確かなことを無視できないがために、どことなくローレルには心を寄せられずにいる。そんな態度はきっと、ローレルにも伝わっているだろう。
フレデリクの背中を見つめて歩くうちに、彼は廊下の脇から階段を上がって、ジェマイマも後をついて二階に上がった。
だがフレデリクは更に上階へと階段を上がっていって、ジェマイマはそこで、彼がきっと生徒会室に向かっているのだろうと思った。
ローレルは、生徒会長を務めている。フレデリクは副会長で、もう一人いる側近候補の男子生徒もまた役員を務めている。
ジェマイマの予想通り、フレデリクは生徒会室の前に来てようやくこちらを振り向いた。
「ちゃんと付いてきたね」
まるで途中でジェマイマが逃げ出すような言いぶりをして、フレデリクは薄く笑った。
ジェマイマは、そちらから呼んでおきながら随分な言いようであると思った。
「いや、君を不愉快にさせたい訳ではなかった。失礼した」
ジェマイマは大きな瞳でじっと見つめただけであったが、フレデリクはそれに謝罪した。
謝るのなら、初めから軽率なことは言わなければよいのだ。ジェマイマが後継教育で学んで覚えたうちには、「一言の重みを侮るなかれ」ということがある。
フレデリクにしても嫡男であるから、その辺りは重々承知している筈だろう。
折角の垂れ目を有効活用して愛想を振りまくこともないジェマイマが、無言のままじっと見つめていると、フレデリクは「すみません」ともう一度謝罪した。
素直でよろしい。
「謝罪は受け取りました」
ジェマイマがそう言えば、彼は心なしか眉を下げたように見えた。
フレデリクはそれから前に向き直り、扉をノックした。中から返事は聞こえなかったが、それでよかったのだろう。彼はそのまま扉を開いて、それからジェマイマを中へと促した。
生徒会室に入るのは、初めてのことだった。
教室とは違う匂いがして、ジェマイマは部屋をぐるりと見渡した。
部屋の中には誰もいなかった。
空き部屋にフレデリクと二人きりでいることにジェマイマが警戒を強めたところで、フレデリクが奥の扉を指で示した。
どうやら別室があるらしい。
「殿下が貴女をお待ちなんだ」
先に言ってもよいことを、フレデリクは今になって打ち明けた。ジェマイマにしても聞かずともわかっていたから、敢えて聞かずにいた。
だが一応、ちょっとだけ聞いてみようかと思った。
「なぜ、呼ばれたのでしょうか」
「君は殿下の婚約者だよ。それでは理由にならないかな」
どうなのだろうと考えていると、フレデリクは別室の扉をノックした。
「いいよ」
今度は中から返事があって、それは聞き覚えのある声だった。なにせ、昨日聞いている。
開いた扉から中に一歩入ったところで、ジェマイマは頭を垂れてカーテシーで挨拶をした。
「ジェマイマ。私たちにそんな作法は要らないよ」
ローレルの言葉に面を上げれば、彼は昨日と同じように、鷹揚なふうにソファに背を預けて、ほんの少し口角を上げて微笑んでいた。
やっぱり似ている。
フレデリクとどこか似ていると思ったために、思わず後ろにいたフレデリクを振り返った。
だがフレデリクは笑ってはおらず、寧ろ、なぜそこで振り返る?というような顔をした。
「今日はどこも騒がしいから、ちょっとここへ退避していたんだ」
向かい側に座ったジェマイマに、ローレルはそう言った。確かに今日は、どこも落ち着くことはできなかっただろう。
ローレルは、普段であれば昼時を食堂で過ごしている。それは彼が、学生生活をほかの生徒たちと分け隔てなく過ごそうと務めているからだと言われている。
食堂がいつも混み合っているのは、生徒たちがそんな彼と少しでも交流を持ちたいと思うからで、お陰でジェマイマは、空いているカフェテラスでゆったり過ごせていたのである。
「君とは良好な関係を築いていきたいと思っているんだ」
ジェマイマは、どうすればよいのだろうと考えた。
この縁組を断る理由がなかったように、彼の妃になることを断れそうにはなかった。
夢見がどれほど悪くても、そんなことは理由にならない。
そうであるならジェマイマは、なるべく容易く死んでしまわないように、あらゆる危険を自力で回避しなければならない。
どれほど心が病もうとも、決して自死などしてはならない。
母を失った父の憔悴を思い出し、幼いマシューが泣いてしまうだろうことを思い浮かべて、ジェマイマは心を決めた。
生きて生きて生き抜いてやる。
今回こそは、死ぬもんか。
目の前の王子は、ジェマイマを悲劇に誘うような人物には見えなかった。だが、どこか近寄りがたい距離を感じたのも事実だった。
3,851
あなたにおすすめの小説
あなたの妻にはなりません
風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から大好きだった婚約者のレイズ。
彼が伯爵位を継いだと同時に、わたしと彼は結婚した。
幸せな日々が始まるのだと思っていたのに、夫は仕事で戦場近くの街に行くことになった。
彼が旅立った数日後、わたしの元に届いたのは夫の訃報だった。
悲しみに暮れているわたしに近づいてきたのは、夫の親友のディール様。
彼は夫から自分の身に何かあった時にはわたしのことを頼むと言われていたのだと言う。
あっという間に日にちが過ぎ、ディール様から求婚される。
悩みに悩んだ末に、ディール様と婚約したわたしに、友人と街に出た時にすれ違った男が言った。
「あの男と結婚するのはやめなさい。彼は君の夫の殺害を依頼した男だ」
あの子を好きな旦那様
はるきりょう
恋愛
「クレアが好きなんだ」
目の前の男がそう言うのをただ、黙って聞いていた。目の奥に、熱い何かがあるようで、真剣な想いであることはすぐにわかった。きっと、嬉しかったはずだ。その名前が、自分の名前だったら。そう思いながらローラ・グレイは小さく頷く。
※小説家になろうサイト様に掲載してあります。
結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました
ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。
ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。
王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。
そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。
「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。
好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
【完結】愛していないと王子が言った
miniko
恋愛
王子の婚約者であるリリアナは、大好きな彼が「リリアナの事など愛していない」と言っているのを、偶然立ち聞きしてしまう。
「こんな気持ちになるならば、恋など知りたくはなかったのに・・・」
ショックを受けたリリアナは、王子と距離を置こうとするのだが、なかなか上手くいかず・・・。
※合わない場合はそっ閉じお願いします。
※感想欄、ネタバレ有りの振り分けをしていないので、本編未読の方は自己責任で閲覧お願いします。
白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』
鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」
公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。
だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。
――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの?
何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。
しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。
それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。
そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。
温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。
そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。
「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」
「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」
離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。
そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。
【完結】私の婚約者はもう死んだので
miniko
恋愛
「私の事は死んだものと思ってくれ」
結婚式が約一ヵ月後に迫った、ある日の事。
そう書き置きを残して、幼い頃からの婚約者は私の前から姿を消した。
彼の弟の婚約者を連れて・・・・・・。
これは、身勝手な駆け落ちに振り回されて婚姻を結ばざるを得なかった男女が、すれ違いながらも心を繋いでいく物語。
※感想欄はネタバレ有り/無しの振り分けをしていません。本編より先に読む場合はご注意下さい。
ほんの少しの仕返し
turarin
恋愛
公爵夫人のアリーは気づいてしまった。夫のイディオンが、離婚して戻ってきた従姉妹フリンと恋をしていることを。
アリーの実家クレバー侯爵家は、王国一の商会を経営している。その財力を頼られての政略結婚であった。
アリーは皇太子マークと幼なじみであり、マークには皇太子妃にと求められていたが、クレバー侯爵家の影響力が大きくなることを恐れた国王が認めなかった。
皇太子妃教育まで終えている、優秀なアリーは、陰に日向にイディオンを支えてきたが、真実を知って、怒りに震えた。侯爵家からの離縁は難しい。
ならば、周りから、離縁を勧めてもらいましょう。日々、ちょっとずつ、仕返ししていけばいいのです。
もうすぐです。
さようなら、イディオン
たくさんのお気に入りや♥ありがとうございます。感激しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる