ジェマイマの憂鬱

桃井すもも

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第十章

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 初めて受けた妃教育は、まあ確かにそうであろうと納得する内容だった。
 座学は、学園での授業や家庭教師から学ぶような内容とは異なり、諸外国との外交に役立てるための言語や教養について重きを置かれていた。

 マナーについても、王族特有の所謂「仕来しきたり」に則ったものであり、高位貴族として学びを積んだジェマイマでも、新たに収めなければならないものが多くあった。

 残念ながら、あれほど鮮明な夢を見たのに、結局、あの後も妃教育についてはこれっぽっちも思い出すことはなかった。

 大体にして、一国の妃の学びを夢見で済ませようだなんて安直な考えが通用するはずはない。ジェマイマも、そこは早々に諦めた。

 勤勉に学ぶことなら慣れている。
 今までだって勉学には励んできた。幼い頃から当主教育を受けていたジェマイマは、学びに対する姿勢は「勤勉」の一言に尽きる。

 ローレルはきっと、妃教育より遥かに厳しい教育を施されてきたのだろう。彼はそう遠くない未来には、国の頂に立つ人物である。

 それは確かに特別な生まれに間違いないのだが、彼を取り囲む侍従や近衛騎士、侍女らの数を見れば、彼の自由とは夢の中でしか得られないものなのではないかと思えた。

 ジェマイマは、目の前に座るローレルを見て、背後の侍従と近衛騎士を見て、それからここでも彼に侍っているフレデリクとオスカーを見るうち、不自由なのは結局みんな一緒かと思い至った。

「ジェマイマ、どうだった?初めての妃教育は」

 馴染みの浅い二人であったが、会話をリードしてローレルが気遣いを見せた。
 ジェマイマは、そんな彼に笑みを浮かべて答えた。

「大変有意義なお時間でございました」

 どうだろうか。模範解答ではなかろうか。
 無駄死にも犬死にもしたくはないジェマイマは、差し当たってローレルとは良好な関係を築こうと考えた。

 王族との婚姻に愛だの恋だの求めてどうする。愛してほしいのなら、自分こそ自分を大切に愛してやればよいのだ。間違っても、毒を呷るなんてことはしない。
 そんなことをするくらいなら、この王城の窓から逃げ出して、市井に紛れて暮らしてやる。

 窓から逃げる、というところで、それでは長い紐が必要かと考えた。
 窓から長いものを垂らして、それを伝って降りるのだが、紐では流石に細すぎだろうか。

 カーテン?童話に確かそんな描写があった。あんなふうにカーテンを繋ぐ?と考えて、窓辺に視線を向けてみたが、王城にはカーテンなんて、どこにも薄布は見当たらなかった。劇場の舞台に垂れているような、長くて重そうな緞帳どんちょうのような設えに、あれを外すのは骨が折れると考えた。

 窓から逃亡を図るためには、やはり縄が必要なのか?それでは輿入れの際に持参するしかないではないか。

 ローレルと向き合いながら思考は巡り巡って、そのうち、一体なんのためにここにいるのかわからなくなっていた。なにせ、思考の大半が「逃亡手段」で占められていた。

「ダンスレッスンは、私も一緒に受けることになった」

 いけない、いけない。目の前で婚約者が色々話しているというのに、すっかり「逃亡脳」になるうちに、ローレルのことを忘れかけていた。

 だが、ジェマイマの表情筋の硬さが良い仕事をして、視線だけはローレルから外すことなく彼を見つめていたらしい。
 頷くことすらしないまま、じっと見つめていたから、ローレルにしてみたらそれはそれで話しにくかっただろうなんてことは、ジェマイマは考えてもいないのであった。

「んっん」

 ローレルが、可怪しな咳払いをした。
 もしや感冒を召されたか?
 ジェマイマは夢の中で流行病で死んでいる。もしや今回は、ローレルが感冒で死するのか?

 脳内で不敬なことを考えていると、ローレルは、やっとジェマイマの表情が動いたと安堵するような顔をした。

「君の淹れてくれた紅茶は、私の好みにピッタリだったよ」

 約束通り、ジェマイマはローレルのために手ずからミルクたっぷりの紅茶を淹れたのだが、それは数十分前のことである。
 とっくにカップは空になり、二杯目のお茶ならすでに茶葉を変えて王城の侍女が淹れている。

 ローレルの咳払いで我に返り、ようやく思考の腐海からこの世に戻ってきたジェマイマに、ローレルは遅ればせながら今更なことを言った。

「左様でございますか」

 お茶を褒められ安堵するあまり、ジェマイマにしては大盤振る舞いな笑みを浮かべて答えたが、短文すぎる返答に話はそこで終わってしまった。

 殿下、どうやら感冒ではないみたいだわ。それではやはり、流行病で死ぬのは私のほうなのかしら。

 ジェマイマは今も頭の中では猛烈なお喋りを繰り広げているのだが、実際に発する言葉は素っ気ないものだった。

 そこでジェマイマは、ローレルの後ろに控えているオスカーと目が合った。
 なぜ彼はあんな渋い顔をしているのだろうと考えた。ははあ、さっきの咳払いが気になるのね、殿下が感冒なんてかかっては大変だものね。

 とうとうローレルから視線を外して、ジェマイマはオスカーを見つめて思考に耽った。オスカーが、こっちを見ないでくれ的な顔をしたことははなはだ遺憾なことであった。

「ジェマイマ」

 オスカーに向かっていた思考を引き剥がしたのはローレルだった。

「なんでしょう」

 隙のない顔で返事をすれば、ローレルはそこで表情を崩した。口角をわずかに上げて薄っすらと笑みを浮かべた。

「君のことは、残念ながらいつまでも伏せてはおけないことなんだ。この一週間で騒ぎも大分落ち着いたし、そろそろよい頃合いだと思うんだけれど」

 よい頃合い?それはなんの頃合い?

 賢いローレルは、そこでジェマイマの思考を正しく読み取ってくれた。

「君との公務がある。申し訳ないが、お付き合いいただくよ。これは私たちの務めであるからね」

 ローレルは、ジェマイマに逃げ場所を与えることなく言い切った。


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