キャスリン・アダムス・スペンサーの忘却

桃井すもも

文字の大きさ
12 / 27

第十二章

しおりを挟む
「ねえ、アルベール様」

 キャスリンの呼び掛けに、アルベールは一瞬真顔になって、奥歯を噛み締めた。

「君にそう呼んでもらうのは、随分久しぶりだね」

 アルベールは、そこで眉を下げて笑みを浮かべた。

「ええ、三年ぶりです。ヘンドリック様と婚約して以来ですわ。婚約した時に、私たち、とうとう大人になってしまうのだと思いましたから。貴方も私も互いに婚約して、そろそろケジメをつけなければならないと」

「別に、君とは生まれる前からの友人だけれどね。母上と君のお母上、二人大きなお腹を突き合わせて、産み月まで過ごしたんだから」

 アルベールとキャスリンの誕生月は近い。アルベールの生誕の翌月にキャスリンは生まれている。生まれる前からの友人と言っても間違ってはいなかった。

「私だって、アルベール様との友情を辞めにするつもりなんてありません。でもヘンドリック様にもシンシア様にも、要らぬ誤解を与えたくないと思いました」

「僕は淋しかったけどね」

 アルベールは、一人称が三年前に戻っていた。

 成人の年齢を迎える年に、アルベールはシンシアと、キャスリンはヘンドリックと婚約した。
 アルベールはそれ以来、自身を「私」と言うようになり、キャスリンは、「アルベール殿下」と敬称を付けて呼ぶようになった。

「それで、元の呼び名に戻ったのは、どうして?」
「貴方が一番知ってるじゃない」

 アルベールはキャスリンから視線を外して、ふうと小さく息を吐いた。

「君は繊細なひとだから、気がつくと思っていた」
「繊細でなくても気づきます。貴族の娘なら誰だって」
「ええ?そうかな?」
「ご令嬢を見くびってはいけませんわ。周りの序列や爵位を鑑みて、少しばかり足りないフリをするご令嬢は多いのですよ。自分の立ち位置を見誤ってはいけないのです」

 へえ、とアルベールは今更感心するような返事をした。彼こそんな令嬢の胸中を見抜くのが上手いのに。

「貴方、優し過ぎるわ」
「君に言われたくないけどね」
「私とヘンドリック様に手を差し伸べるなんてこと、もう先は決まっているのに」

 アルベールはそこで、冷めてしまったお茶を飲んだ。

「新しいお茶は?」
「いや、これで結構」
「では、話を続けても?」
「言われなくても続けるだろう?」

 キャスリンは、憶測ではなく確実と思うことについてをアルベールに確かめた。

「ヘンドリック様との婚約は、解消されるのでしょう?それを貴方が手前で一旦止めている。もし私が、ヘンドリック様とのこれからを望むなら、婚約の解消を見直すために」

 違う?そう言ってキャスリンが首を傾げて問い掛ければ、アルベールは眉を寄せて渋い顔をした。

「私たちの婚約は、私の胸三寸ということなのでしょう?」

「ヘンドリックが好きなんだろう?」

 好きや嫌いで婚約するわけではないが、ヘンドリックに恋心なら抱いていた。だが、それが永遠に変わらないものではないことに気がついている。

「何もなければきっと、夢をみることができたのかしら」
「君とヘンドリックとは夢ではない、現実の関係だよ。諦めるのも手放すのも、まだ早いだろう」

 ヘンドリックとの会話の場を設けてまで、アルベールは二人の関係が修復されることに助力している。

「父はきっと、婚約解消の誓約書にサインを済むせているでしょう。あとは私が名を記せば、この婚約は破談となる。物事は多分、そこまで進んでいるのでしょう?」

「私に確かめるより、もっと話し合う相手がいるだろう。私も君もヘンドリックも、言葉足らずが過ぎたようだ」
「アルベール様」
「なに?」
「貴方こそ、大切になさっていたじゃない」

 誰とは言わずにシンシアのことを尋ねれば、そこでアルベールは表情を変えた。それは、これ以上立ち入っては駄目だと伝えているように見えた。

 キャスリンは、踏み込み過ぎたと思った。キャスリンがシンシアのことに触れるべきではないのだと、そう言われたようでどこか淋しい気持ちになる。

「君の考えは事実だよ。君が王都に戻ったら、直ぐ様、君たちの婚約は解消される。破棄とならなかったのは、君のお父上から宰相への敬意と温情だよ。宰相が後は上手く纏めるだろう」

 キャスリンがヘンドリックの胸のうちを、何ひとつ確かめもしないうちに、ものごとは結末を迎えていた。

「ヘンドリック様とお会いして、私が婚約の継続を望んだとして、ヘンドリック様はそれで良いのかしら」
「そう望んだから、ここへ来たんだろう」
「貴方におもねってのことではなくて?」
「は?私はそんな暴君ではないぞ?それにヘンドリックは、そんなことで私の言うことなんか聞かないさ」

 確かにそうだろう。アルベールは王子の権勢を振るうような人物ではないし、ヘンドリックの辞書には「へつらう」という言葉はない。そんなところは、二人とも潔癖でよく似ていると思う。

「だから、ちゃんと向き合ってごらんよ。相手を慮ることと耳を貸さないことを一緒くたにしてしまうのは、残念なことだと思うよ」

「アルベール様」
「ん?なに?」
「貴方様、私の世界一の友人だわ。貴方の言葉って、どうしてかしら素直に胸に届くの」
「世界一の褒め言葉をありがとう。褒められるのは嫌いじゃない」

 ようやく二人の間にあった、ぴりりとした空気が緩んだその時に、アルベールは和やかな笑みを浮かべてキャスリンを見た。
 キャスリンも、久しぶりに彼の呼び名から敬称を外して、幼い頃からの近い距離感を懐かしく味わっていた。

 だから、アルベールの次の言葉に息が詰まってしまって、喉が可怪しな音を立てた。

「そういうことだから、ヘンドリック。入って良いよ」

 その言葉に、扉の外から小さくノックが聞こえた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

【完結】捨てたものに用なんかないでしょう?

風見ゆうみ
恋愛
血の繋がらない姉の代わりに嫁がされたリミアリアは、伯爵の爵位を持つ夫とは一度しか顔を合わせたことがない。 戦地に赴いている彼に代わって仕事をし、使用人や領民から信頼を得た頃、夫のエマオが愛人を連れて帰ってきた。 愛人はリミアリアの姉のフラワ。 フラワは昔から妹のリミアリアに嫌がらせをして楽しんでいた。 「俺にはフラワがいる。お前などいらん」 フラワに騙されたエマオは、リミアリアの話など一切聞かず、彼女を捨てフラワとの生活を始める。 捨てられる形となったリミアリアだが、こうなることは予想しており――。

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

行ってらっしゃい旦那様、たくさんの幸せをもらった私は今度はあなたの幸せを願います

木蓮
恋愛
サティアは夫ルースと家族として穏やかに愛を育んでいたが彼は事故にあい行方不明になる。半年後帰って来たルースはすべての記憶を失っていた。 サティアは新しい記憶を得て変わったルースに愛する家族がいることを知り、愛しい夫との大切な思い出を抱えて彼を送り出す。 記憶を失くしたことで生きる道が変わった夫婦の別れと旅立ちのお話。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

【完結】留学先から戻って来た婚約者に存在を忘れられていました

山葵
恋愛
国王陛下の命により帝国に留学していた王太子に付いて行っていた婚約者のレイモンド様が帰国された。 王家主催で王太子達の帰国パーティーが執り行われる事が決まる。 レイモンド様の婚約者の私も勿論、従兄にエスコートされ出席させて頂きますわ。 3年ぶりに見るレイモンド様は、幼さもすっかり消え、美丈夫になっておりました。 将来の宰相の座も約束されており、婚約者の私も鼻高々ですわ! 「レイモンド様、お帰りなさいませ。留学中は、1度もお戻りにならず、便りも来ずで心配しておりましたのよ。元気そうで何よりで御座います」 ん?誰だっけ?みたいな顔をレイモンド様がされている? 婚約し顔を合わせでしか会っていませんけれど、まさか私を忘れているとかでは無いですよね!?

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。

ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。 ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。 対面した婚約者は、 「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」 ……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。 「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」 今の私はあなたを愛していません。 気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。 ☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。 ☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

処理中です...