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第十二章
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「ねえ、アルベール様」
キャスリンの呼び掛けに、アルベールは一瞬真顔になって、奥歯を噛み締めた。
「君にそう呼んでもらうのは、随分久しぶりだね」
アルベールは、そこで眉を下げて笑みを浮かべた。
「ええ、三年ぶりです。ヘンドリック様と婚約して以来ですわ。婚約した時に、私たち、とうとう大人になってしまうのだと思いましたから。貴方も私も互いに婚約して、そろそろケジメをつけなければならないと」
「別に、君とは生まれる前からの友人だけれどね。母上と君のお母上、二人大きなお腹を突き合わせて、産み月まで過ごしたんだから」
アルベールとキャスリンの誕生月は近い。アルベールの生誕の翌月にキャスリンは生まれている。生まれる前からの友人と言っても間違ってはいなかった。
「私だって、アルベール様との友情を辞めにするつもりなんてありません。でもヘンドリック様にもシンシア様にも、要らぬ誤解を与えたくないと思いました」
「僕は淋しかったけどね」
アルベールは、一人称が三年前に戻っていた。
成人の年齢を迎える年に、アルベールはシンシアと、キャスリンはヘンドリックと婚約した。
アルベールはそれ以来、自身を「私」と言うようになり、キャスリンは、「アルベール殿下」と敬称を付けて呼ぶようになった。
「それで、元の呼び名に戻ったのは、どうして?」
「貴方が一番知ってるじゃない」
アルベールはキャスリンから視線を外して、ふうと小さく息を吐いた。
「君は繊細なひとだから、気がつくと思っていた」
「繊細でなくても気づきます。貴族の娘なら誰だって」
「ええ?そうかな?」
「ご令嬢を見くびってはいけませんわ。周りの序列や爵位を鑑みて、少しばかり足りないフリをするご令嬢は多いのですよ。自分の立ち位置を見誤ってはいけないのです」
へえ、とアルベールは今更感心するような返事をした。彼こそんな令嬢の胸中を見抜くのが上手いのに。
「貴方、優し過ぎるわ」
「君に言われたくないけどね」
「私とヘンドリック様に手を差し伸べるなんてこと、もう先は決まっているのに」
アルベールはそこで、冷めてしまったお茶を飲んだ。
「新しいお茶は?」
「いや、これで結構」
「では、話を続けても?」
「言われなくても続けるだろう?」
キャスリンは、憶測ではなく確実と思うことについてをアルベールに確かめた。
「ヘンドリック様との婚約は、解消されるのでしょう?それを貴方が手前で一旦止めている。もし私が、ヘンドリック様とのこれからを望むなら、婚約の解消を見直すために」
違う?そう言ってキャスリンが首を傾げて問い掛ければ、アルベールは眉を寄せて渋い顔をした。
「私たちの婚約は、私の胸三寸ということなのでしょう?」
「ヘンドリックが好きなんだろう?」
好きや嫌いで婚約するわけではないが、ヘンドリックに恋心なら抱いていた。だが、それが永遠に変わらないものではないことに気がついている。
「何もなければきっと、夢をみることができたのかしら」
「君とヘンドリックとは夢ではない、現実の関係だよ。諦めるのも手放すのも、まだ早いだろう」
ヘンドリックとの会話の場を設けてまで、アルベールは二人の関係が修復されることに助力している。
「父はきっと、婚約解消の誓約書にサインを済むせているでしょう。あとは私が名を記せば、この婚約は破談となる。物事は多分、そこまで進んでいるのでしょう?」
「私に確かめるより、もっと話し合う相手がいるだろう。私も君もヘンドリックも、言葉足らずが過ぎたようだ」
「アルベール様」
「なに?」
「貴方こそ、大切になさっていたじゃない」
誰とは言わずにシンシアのことを尋ねれば、そこでアルベールは表情を変えた。それは、これ以上立ち入っては駄目だと伝えているように見えた。
キャスリンは、踏み込み過ぎたと思った。キャスリンがシンシアのことに触れるべきではないのだと、そう言われたようでどこか淋しい気持ちになる。
「君の考えは事実だよ。君が王都に戻ったら、直ぐ様、君たちの婚約は解消される。破棄とならなかったのは、君のお父上から宰相への敬意と温情だよ。宰相が後は上手く纏めるだろう」
キャスリンがヘンドリックの胸のうちを、何ひとつ確かめもしないうちに、ものごとは結末を迎えていた。
「ヘンドリック様とお会いして、私が婚約の継続を望んだとして、ヘンドリック様はそれで良いのかしら」
「そう望んだから、ここへ来たんだろう」
「貴方に阿ってのことではなくて?」
「は?私はそんな暴君ではないぞ?それにヘンドリックは、そんなことで私の言うことなんか聞かないさ」
確かにそうだろう。アルベールは王子の権勢を振るうような人物ではないし、ヘンドリックの辞書には「へつらう」という言葉はない。そんなところは、二人とも潔癖でよく似ていると思う。
「だから、ちゃんと向き合ってごらんよ。相手を慮ることと耳を貸さないことを一緒くたにしてしまうのは、残念なことだと思うよ」
「アルベール様」
「ん?なに?」
「貴方様、私の世界一の友人だわ。貴方の言葉って、どうしてかしら素直に胸に届くの」
「世界一の褒め言葉をありがとう。褒められるのは嫌いじゃない」
漸く二人の間にあった、ぴりりとした空気が緩んだその時に、アルベールは和やかな笑みを浮かべてキャスリンを見た。
キャスリンも、久しぶりに彼の呼び名から敬称を外して、幼い頃からの近い距離感を懐かしく味わっていた。
だから、アルベールの次の言葉に息が詰まってしまって、喉が可怪しな音を立てた。
「そういうことだから、ヘンドリック。入って良いよ」
その言葉に、扉の外から小さくノックが聞こえた。
キャスリンの呼び掛けに、アルベールは一瞬真顔になって、奥歯を噛み締めた。
「君にそう呼んでもらうのは、随分久しぶりだね」
アルベールは、そこで眉を下げて笑みを浮かべた。
「ええ、三年ぶりです。ヘンドリック様と婚約して以来ですわ。婚約した時に、私たち、とうとう大人になってしまうのだと思いましたから。貴方も私も互いに婚約して、そろそろケジメをつけなければならないと」
「別に、君とは生まれる前からの友人だけれどね。母上と君のお母上、二人大きなお腹を突き合わせて、産み月まで過ごしたんだから」
アルベールとキャスリンの誕生月は近い。アルベールの生誕の翌月にキャスリンは生まれている。生まれる前からの友人と言っても間違ってはいなかった。
「私だって、アルベール様との友情を辞めにするつもりなんてありません。でもヘンドリック様にもシンシア様にも、要らぬ誤解を与えたくないと思いました」
「僕は淋しかったけどね」
アルベールは、一人称が三年前に戻っていた。
成人の年齢を迎える年に、アルベールはシンシアと、キャスリンはヘンドリックと婚約した。
アルベールはそれ以来、自身を「私」と言うようになり、キャスリンは、「アルベール殿下」と敬称を付けて呼ぶようになった。
「それで、元の呼び名に戻ったのは、どうして?」
「貴方が一番知ってるじゃない」
アルベールはキャスリンから視線を外して、ふうと小さく息を吐いた。
「君は繊細なひとだから、気がつくと思っていた」
「繊細でなくても気づきます。貴族の娘なら誰だって」
「ええ?そうかな?」
「ご令嬢を見くびってはいけませんわ。周りの序列や爵位を鑑みて、少しばかり足りないフリをするご令嬢は多いのですよ。自分の立ち位置を見誤ってはいけないのです」
へえ、とアルベールは今更感心するような返事をした。彼こそんな令嬢の胸中を見抜くのが上手いのに。
「貴方、優し過ぎるわ」
「君に言われたくないけどね」
「私とヘンドリック様に手を差し伸べるなんてこと、もう先は決まっているのに」
アルベールはそこで、冷めてしまったお茶を飲んだ。
「新しいお茶は?」
「いや、これで結構」
「では、話を続けても?」
「言われなくても続けるだろう?」
キャスリンは、憶測ではなく確実と思うことについてをアルベールに確かめた。
「ヘンドリック様との婚約は、解消されるのでしょう?それを貴方が手前で一旦止めている。もし私が、ヘンドリック様とのこれからを望むなら、婚約の解消を見直すために」
違う?そう言ってキャスリンが首を傾げて問い掛ければ、アルベールは眉を寄せて渋い顔をした。
「私たちの婚約は、私の胸三寸ということなのでしょう?」
「ヘンドリックが好きなんだろう?」
好きや嫌いで婚約するわけではないが、ヘンドリックに恋心なら抱いていた。だが、それが永遠に変わらないものではないことに気がついている。
「何もなければきっと、夢をみることができたのかしら」
「君とヘンドリックとは夢ではない、現実の関係だよ。諦めるのも手放すのも、まだ早いだろう」
ヘンドリックとの会話の場を設けてまで、アルベールは二人の関係が修復されることに助力している。
「父はきっと、婚約解消の誓約書にサインを済むせているでしょう。あとは私が名を記せば、この婚約は破談となる。物事は多分、そこまで進んでいるのでしょう?」
「私に確かめるより、もっと話し合う相手がいるだろう。私も君もヘンドリックも、言葉足らずが過ぎたようだ」
「アルベール様」
「なに?」
「貴方こそ、大切になさっていたじゃない」
誰とは言わずにシンシアのことを尋ねれば、そこでアルベールは表情を変えた。それは、これ以上立ち入っては駄目だと伝えているように見えた。
キャスリンは、踏み込み過ぎたと思った。キャスリンがシンシアのことに触れるべきではないのだと、そう言われたようでどこか淋しい気持ちになる。
「君の考えは事実だよ。君が王都に戻ったら、直ぐ様、君たちの婚約は解消される。破棄とならなかったのは、君のお父上から宰相への敬意と温情だよ。宰相が後は上手く纏めるだろう」
キャスリンがヘンドリックの胸のうちを、何ひとつ確かめもしないうちに、ものごとは結末を迎えていた。
「ヘンドリック様とお会いして、私が婚約の継続を望んだとして、ヘンドリック様はそれで良いのかしら」
「そう望んだから、ここへ来たんだろう」
「貴方に阿ってのことではなくて?」
「は?私はそんな暴君ではないぞ?それにヘンドリックは、そんなことで私の言うことなんか聞かないさ」
確かにそうだろう。アルベールは王子の権勢を振るうような人物ではないし、ヘンドリックの辞書には「へつらう」という言葉はない。そんなところは、二人とも潔癖でよく似ていると思う。
「だから、ちゃんと向き合ってごらんよ。相手を慮ることと耳を貸さないことを一緒くたにしてしまうのは、残念なことだと思うよ」
「アルベール様」
「ん?なに?」
「貴方様、私の世界一の友人だわ。貴方の言葉って、どうしてかしら素直に胸に届くの」
「世界一の褒め言葉をありがとう。褒められるのは嫌いじゃない」
漸く二人の間にあった、ぴりりとした空気が緩んだその時に、アルベールは和やかな笑みを浮かべてキャスリンを見た。
キャスリンも、久しぶりに彼の呼び名から敬称を外して、幼い頃からの近い距離感を懐かしく味わっていた。
だから、アルベールの次の言葉に息が詰まってしまって、喉が可怪しな音を立てた。
「そういうことだから、ヘンドリック。入って良いよ」
その言葉に、扉の外から小さくノックが聞こえた。
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