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第八章
クラーレン伯爵家に迎えられて一週間も経つと、ジャクリーンは周囲の状況を少しずつ理解し始めた。
義父の前妻は十年も前に鬼籍に入っていた。
それ以来、義父は当主と騎士としての王城の職務を両立させながら、義兄と二人で暮らしていた。
クラーレン伯爵家は武の家門である。典型的な中央貴族で領地を持たない。王国の始祖の代から王家を護り仕えてきた旧家である。
王都郊外には、義兄の祖父母にあたる先代当主夫妻が別宅を構えて住んでいる。
母の再婚が決まったときに、ジャクリーンはこの二人に会った。
初めて面会する格上の貴族夫妻に、ジャクリーンは緊張していた。一方母は、驚くほど落ち着いていた。
招かれた応接室で前伯爵夫妻と対面しても、母はおっとりとした笑みを浮かべて夫妻と言葉を交わした。
前伯爵は厳しい表情をした、如何にも武人と思わせる人物だった。これだけ壮健であるなら、まだ現役の当主でいられるのではと思うほどだった。
初見で感じたことは、はっきりとジャクリーンが値踏みされているということだった。生家が伯爵家である母と違って、ジャクリーン自身は低位貴族の出身である。
当主教育は受けていても、伯爵令嬢となるには不足があるのではないか。前伯爵夫妻は、そう危惧して厳しい眼差しを向けていたのではないか。
ジャクリーンは結局、最初の挨拶をしたあとは、義理の祖父母となる二人とは言葉を交わすことはなかった。
二人はもっぱら母と会話をして、途中からジャクリーンは空気になったように大人しくしていた。
父が存命だった頃、母はおっとりと朗らかな気質だった。恋愛結婚である父とは仲睦まじく、子爵家の祖父母とも親族たちとも良好な関係であると思っていた。
父の死後、子爵家の祖父母はジャクリーンを嫡女から降ろし、母子を放逐してしまった。
大人たちの間で何があったのか、詳しく教えられてはいなかった。そこだけは、今も腑に落ちずにいる。
母は伯爵家に嫁いだその瞬間、厳密には邸宅に足を踏み入れたその時から、どこから見ても伯爵夫人としての品格を放った。
古くからいる使用人たちにも臆することなく、むしろ、彼らを掌握したように自在に指示をする。
お陰でジャクリーンも、後妻の連れ子でありながら、ここへ来てから大切にされている。
ジャクリーンは、母が実はとても強い女性なのではと、今になって思う。
以前は父を立てて、何ごとにおいても「頼りになるわ、旦那様」と言うような母だった。だがここに来てからの母は、二度目の夫となった義父と、まるで対等というように見えるのである。
表情の乏しい義父からは、母への確かな信頼が感じられた。そんな母は、どこかジャクリーンの知らない人のようでもあった。
義兄とはすっかり打ち解けて、それはジャクリーンの救いになった。
血の通う従兄に後継の席を奪われて、半ば絶縁のようになってしまった。
将来は子爵家の当主となるべく学んでいたジャクリーンは、自身の肉親と存在意義の両方を一度に失っていた。
そんな中で、義兄の交じり気のない親愛の情は、ともすれば孤独の淵に立たされただろうジャクリーンを掬い上げてくれた。
だが義兄には、もれなくクエンティンがついてくる。義兄との関係が良好で、交流が生まれるにつれて、なぜかクエンティンがそこに加わるようになった。
だからこんなことを言われることも、いつかはあるような気がしたのである。
「なあ、ジャクリーン」
義兄は感極まると「ジャッキー」呼びをするが、平素は当たり前に名前で呼ぶ。
「はい、お義兄様」
義兄はジャクリーンを見つめて、言うか言うまいか考えているようだった。取り敢えず、先に名を呼んでみたという感じだ。
「ジャクリーン。君は殿下をどう思う?」
義兄の問いに、ジャクリーンは身構えた。その気配を義兄も察したようだ。
「ああ、いや、堅苦しい話ではなくてだな」
王族が関わっているだけで、すでに十分、堅苦しい話だろう。ジャクリーンはそこで警戒を深めた。
「殿下が将来、臣籍降下なさることは知っているだろう?」
「ええ。存じ上げております」
上に兄が四人もいるクエンティンの王位継承権はかなり低い。
「殿下はその際、伯爵位を賜る」
伯爵位は高位貴族であるけれど、王族であれば形骸的な従属爵位として有するものである。
本来の爵位のほかに、後継となる子息が一時的に名乗ることが多い。
「今ここで、すべてを打ち明けることはできないが、殿下にはお役目があるんだ」
「お役目?」
それはジャクリーンも初めて聞くことだった。
「殿下は、領地を治める貴族になられるわけではないんだよ」
義兄はきっと、とても大切なことを教えている。それがわかって、ジャクリーンも真剣に義兄へ頷いた。
「ある意味、それは孤独であり厳しいお務めだ」
「お義兄様……」
ジャクリーンは、それ以上を聞いてはいかないように思った。
「ああ、大丈夫だ。これ以上の深い話はしないよ。ただ」
ただ、と言って義兄はそこで眉を下げた。そうすると、とても哀しそうな顔になる。
「どうなさったの?お義兄様」
「うん」
俯き加減になっていた義兄は、再びジャクリーンを見つめて言った。
「ジャクリーン。君は殿下をどう思う?」
「……」
ジャクリーンは答えに困った。それで前世の夫ではなくて、今知る彼についてを思い浮かべた。ジャクリーンから見た今世のクエンティンとは。
「お優しいお方だと思います」
「そうか」
ジャクリーンの答えに義兄は薄い笑みを浮かべた。それから本題を打ち明けた。
「殿下を支えてやってはくれないか」
いつか義兄がこんなことを言うような気がしていた。ジャクリーンは慎重に尋ねてみた。
「なぜ、それを私に仰るの?」
「どうしてだろう。君とはまだ出会って間もないのに」
そう言って義兄はジャクリーンに微笑んだ。心が温まるような優しい笑みだ。
「ジャクリーンなら、きっと殿下を孤独から救ってくれる。私はどうしてか、そう思うんだ」
義兄は続けた。
「殿下もきっと、同じことを思っているのではないかな」
そう言って、先ほどまでの笑みを引っ込めて、真剣な眼差しをジャクリーンに向けた。
義父の前妻は十年も前に鬼籍に入っていた。
それ以来、義父は当主と騎士としての王城の職務を両立させながら、義兄と二人で暮らしていた。
クラーレン伯爵家は武の家門である。典型的な中央貴族で領地を持たない。王国の始祖の代から王家を護り仕えてきた旧家である。
王都郊外には、義兄の祖父母にあたる先代当主夫妻が別宅を構えて住んでいる。
母の再婚が決まったときに、ジャクリーンはこの二人に会った。
初めて面会する格上の貴族夫妻に、ジャクリーンは緊張していた。一方母は、驚くほど落ち着いていた。
招かれた応接室で前伯爵夫妻と対面しても、母はおっとりとした笑みを浮かべて夫妻と言葉を交わした。
前伯爵は厳しい表情をした、如何にも武人と思わせる人物だった。これだけ壮健であるなら、まだ現役の当主でいられるのではと思うほどだった。
初見で感じたことは、はっきりとジャクリーンが値踏みされているということだった。生家が伯爵家である母と違って、ジャクリーン自身は低位貴族の出身である。
当主教育は受けていても、伯爵令嬢となるには不足があるのではないか。前伯爵夫妻は、そう危惧して厳しい眼差しを向けていたのではないか。
ジャクリーンは結局、最初の挨拶をしたあとは、義理の祖父母となる二人とは言葉を交わすことはなかった。
二人はもっぱら母と会話をして、途中からジャクリーンは空気になったように大人しくしていた。
父が存命だった頃、母はおっとりと朗らかな気質だった。恋愛結婚である父とは仲睦まじく、子爵家の祖父母とも親族たちとも良好な関係であると思っていた。
父の死後、子爵家の祖父母はジャクリーンを嫡女から降ろし、母子を放逐してしまった。
大人たちの間で何があったのか、詳しく教えられてはいなかった。そこだけは、今も腑に落ちずにいる。
母は伯爵家に嫁いだその瞬間、厳密には邸宅に足を踏み入れたその時から、どこから見ても伯爵夫人としての品格を放った。
古くからいる使用人たちにも臆することなく、むしろ、彼らを掌握したように自在に指示をする。
お陰でジャクリーンも、後妻の連れ子でありながら、ここへ来てから大切にされている。
ジャクリーンは、母が実はとても強い女性なのではと、今になって思う。
以前は父を立てて、何ごとにおいても「頼りになるわ、旦那様」と言うような母だった。だがここに来てからの母は、二度目の夫となった義父と、まるで対等というように見えるのである。
表情の乏しい義父からは、母への確かな信頼が感じられた。そんな母は、どこかジャクリーンの知らない人のようでもあった。
義兄とはすっかり打ち解けて、それはジャクリーンの救いになった。
血の通う従兄に後継の席を奪われて、半ば絶縁のようになってしまった。
将来は子爵家の当主となるべく学んでいたジャクリーンは、自身の肉親と存在意義の両方を一度に失っていた。
そんな中で、義兄の交じり気のない親愛の情は、ともすれば孤独の淵に立たされただろうジャクリーンを掬い上げてくれた。
だが義兄には、もれなくクエンティンがついてくる。義兄との関係が良好で、交流が生まれるにつれて、なぜかクエンティンがそこに加わるようになった。
だからこんなことを言われることも、いつかはあるような気がしたのである。
「なあ、ジャクリーン」
義兄は感極まると「ジャッキー」呼びをするが、平素は当たり前に名前で呼ぶ。
「はい、お義兄様」
義兄はジャクリーンを見つめて、言うか言うまいか考えているようだった。取り敢えず、先に名を呼んでみたという感じだ。
「ジャクリーン。君は殿下をどう思う?」
義兄の問いに、ジャクリーンは身構えた。その気配を義兄も察したようだ。
「ああ、いや、堅苦しい話ではなくてだな」
王族が関わっているだけで、すでに十分、堅苦しい話だろう。ジャクリーンはそこで警戒を深めた。
「殿下が将来、臣籍降下なさることは知っているだろう?」
「ええ。存じ上げております」
上に兄が四人もいるクエンティンの王位継承権はかなり低い。
「殿下はその際、伯爵位を賜る」
伯爵位は高位貴族であるけれど、王族であれば形骸的な従属爵位として有するものである。
本来の爵位のほかに、後継となる子息が一時的に名乗ることが多い。
「今ここで、すべてを打ち明けることはできないが、殿下にはお役目があるんだ」
「お役目?」
それはジャクリーンも初めて聞くことだった。
「殿下は、領地を治める貴族になられるわけではないんだよ」
義兄はきっと、とても大切なことを教えている。それがわかって、ジャクリーンも真剣に義兄へ頷いた。
「ある意味、それは孤独であり厳しいお務めだ」
「お義兄様……」
ジャクリーンは、それ以上を聞いてはいかないように思った。
「ああ、大丈夫だ。これ以上の深い話はしないよ。ただ」
ただ、と言って義兄はそこで眉を下げた。そうすると、とても哀しそうな顔になる。
「どうなさったの?お義兄様」
「うん」
俯き加減になっていた義兄は、再びジャクリーンを見つめて言った。
「ジャクリーン。君は殿下をどう思う?」
「……」
ジャクリーンは答えに困った。それで前世の夫ではなくて、今知る彼についてを思い浮かべた。ジャクリーンから見た今世のクエンティンとは。
「お優しいお方だと思います」
「そうか」
ジャクリーンの答えに義兄は薄い笑みを浮かべた。それから本題を打ち明けた。
「殿下を支えてやってはくれないか」
いつか義兄がこんなことを言うような気がしていた。ジャクリーンは慎重に尋ねてみた。
「なぜ、それを私に仰るの?」
「どうしてだろう。君とはまだ出会って間もないのに」
そう言って義兄はジャクリーンに微笑んだ。心が温まるような優しい笑みだ。
「ジャクリーンなら、きっと殿下を孤独から救ってくれる。私はどうしてか、そう思うんだ」
義兄は続けた。
「殿下もきっと、同じことを思っているのではないかな」
そう言って、先ほどまでの笑みを引っ込めて、真剣な眼差しをジャクリーンに向けた。
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