ダフネは三度、夢を見る

桃井すもも

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第一章

 始まりは、父の言葉だった。

「あの二人なら、気にすることはない。なんとでもなる」

 その言葉を、ダフネは母と一緒に聞いていた。


 久しぶりに母の体調がよかった。
 母はこのところ起床が遅いことが多く、朝餉あさげの席に姿を見せない日もあった。

 だがその日、母は「今日は調子がよいの」と言って、ダフネに街へ出かけようと誘ってくれた。

 ダフネは嬉しかった。
 いつもは外商が邸まで届けるドレスも、この日は久しぶりに街の大通りを歩きながら、華やかなドレス店のショウウィンドーを眺めて選んだ。

 春用のワンピースと靴と帽子を買ってもらって、それから近くのカフェに寄った。
 春の陽気に明るい日射しが窓から差して、母と一緒に食べた冷たいアイスクリンが美味しかった。

 父への土産に焼き菓子を買って、邸に帰ったのは正午を半刻ほど過ぎた頃だった。

 父はいつもは大抵、執務室にいるのだが、この日は天候がよかったためか、庭園のガゼボでお茶を飲んでいるようだった。
 丁度よいからお茶請けにと、焼き菓子を届けに行ったのだが、父は一人ではなかった。

 父は、女性と会っていた。美しい装いの貴婦人と向かい合って、二人は談笑しているように見えた。
 実際は、表情まで見えたわけではないのだが、なぜだろう。子供の目には、そんなふうに見えたのだった。

 少しばかり距離があったから、父も客人もこちらに気づくことはなかった。そこへ、風に乗って父の声がここまで届いた。

「あの二人なら、気にすることはない。なんとでもなる」

「あの二人」というのが、母と自分のことだと思った。

「お母様……」

 思わず隣にいる母を見上げた。
 母は、真っ直ぐ二人を見つめていた。

 ダフネは言いようのない気持ちに駆られて、咄嗟に母の手を握り締めた。
 すると母は、静かにダフネを見下ろして、

「行きましょう」

 そう言って、握ったダフネの手をやんわりと引き寄せると、もと来た小径こみちを戻って歩き出した。

 父に声をかけぬまま、客人にも挨拶をしないまま、ガゼボの二人に背を向けて歩く先に執事がいた。彼は、父が誰と会っているか知りながら、どうしてそのことを母に知らせなかったのだろうか。

 ダフネでも疑問に思うことだったが、幼い彼女では確かめようもなかった。

 母はそれから間もなく寝込むことが増えて、夏を迎える前に亡くなってしまった。あっという間のことだった。
 そしてダフネは涙も乾かぬうちに、それまで住んでいた王都から遠く離れた辺境地の寄宿学校に入った。

 十一歳の春の終わりのことだった。それから八年間、寄宿学校がダフネの家となった。

 八年は決して短い年月ではない。その間には色々なことがあった。

 父は、母の死から三月みつきも経たぬうちに再婚した。
 ダフネにも喪中という概念はあったが、それがどれくらいの期間を指すのか、当時のダフネにはわからなかった。

 相手の女性は、あの日、父がガゼボで会っていた貴婦人だったのだろう。それすら、ダフネの憶測にすぎない。
 すでに寄宿学校に入っていたダフネは、父の後妻になった女性とも、彼女の連れ子でダフネより一つ年下の令嬢とも、面会することはなかった。

 ただ、父から一連の出来事を知らせる文が届いた。
 ダフネにとって、父の再婚は大切なことだと思うのだが、新しい家族に会いに来いとは書かれていなかった。

 初めて迎えた夏休みは勿論のこと、父が義母と義妹を迎えた後の冬休みも、年が明けた春休みも、一度も帰ってこいとは言われなかった。

 順繰り順繰り季節は巡り、ダフネは一年、また一年と年を重ねた。
 そうだというのに、母の死を境に、ダフネは一度も生家に戻ることはなかったのである。
 
 ダフネの記憶の家族とは、あの春に終ったのだと、いつしかそう悟っていた。

 あの日、父が言った言葉はまだ忘れずにいた。
 手放さなければならないことは一つや二つではなかったが、大半のことは辛うじて胸の中に押し留めることができた。

 淋しいと思ったのは、可愛がってくれた祖父母とも会えなくなったことだった。
 母はこの国の人ではなかったから、母方の祖父母は元より遠い異国にいる。

 ダフネの身近な祖父母とは、生家の領地に住まう父方の祖父母だったのだが、彼らも八年の間に他界してしまった。

 それすら、ダフネは文で知らされただけで、葬儀にも参列できなかった。あまりに距離が離れており、移動するうちに葬儀は終わってしまうからだった。

 寄宿学校は王国の西の端にあり、王都からは遠く離れている。校舎は小高い場所にあり、周囲には山脈が連なっていた。
 自室の窓から、麓の景色を眺めることができた。ずっと遠くに、微かに海らしき霞むような青いものが見えていた。

 こんな遠いところには、王都から誰も会いには来ないだろう。そう思えば、いっそ清々しくも感じられた。
 婚約したばかりの令息とも、きっとこれっきりになるのだと予感したのだった。

 幸い寄宿学校の暮らしには、すぐに慣れた。八学年もあるのだから、生徒たちの年齢はまちまちだったが、皆、互いに礼節をもって接していた。
 何より学校の厳しい規律で暮らすうちに、不思議な連帯感が生まれていたし、よき友人にも恵まれた。

 デヴュタントの年を迎えても王都に戻らず、社交場に足を踏み入れることもない。そうだというのに、曇り一つない鏡を磨くように様々な教えを授けられた。

 本来なら、十六歳で王都の貴族学園に入学する筈だったのに、それより五年も早く親元から離れて遠い辺境で学ぶことになった。

 八年が過ぎて、いよいよ卒業という頃になって、ダフネは父から文を受け取る。
 会えず終いになってはいても、父とは定期的に文のやりとりはしていた。

 絵姿を送り合うこともないままだった八年はあまりに長く、ダフネの記憶の父は、いつまでも、あの十一歳の春のままだった。

 文には思いもよらないことが記されていた。いや、そうではない。心のうちではもう随分前から予感していたことだった。

 ダフネの婚約が解消されたという。
 同じ年の彼は、縁戚にあたる伯爵家の令息だった。
 ダフネは嫡女で、彼を婿に迎えて当主となる身であったのだが、寄宿学校に入ってからは当主教育を受けてはいなかった。

 父の文によると、彼はダフネとの婚約を解いて、義妹となった令嬢と婚約することになったという。

 そこまで読んで、暫し茫然となった。
 だが、ダフネはいつまでも呆けてはいられなかった。

 なぜなら文には、まだ続きがあった。
 婚約が義妹と差し換えられたと書かれた文字を追って、続く文章に今度こそ思考が止まった。

 ダフネには、新たな婚約が結ばれていた。
 相手は王国の第一王子だった。彼はダフネとの婚約を機に立太子が決まったという。

 嫡女の身分がどうなるかなんて、考えるまでもない。生家は義妹夫婦が継ぐことになる。

 そしてダフネは、自身では署名一つ書かないうちに、王太子の婚約者となったのである。




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