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第九章
庭園には、私室からすぐに出ることができる。
硝子扉を開ければ、庭園へ降りる階段に続いていた。
そこには遮る塀も、緩衝となる廊下もない。仮にも王城の棟であり、かつては妃の住まいとされていたのに、あまりに無防備な構造をしていた。
今も確かに近衛騎士が配されてはいるが、それは本当に最低限という数だろう。メイドや侍女といった使用人に至っては、いないに等しいほどである。
まるで、貴族が郊外の別邸に妾を囲うような有り様に、それが自分の価値だと言われているように思うのだった。
なによりダフネには、気になっていることがある。
「花が咲いているね。少し庭を歩かないか?」
紅茶王子は紅茶を飲み終え、硝子扉の向こうに見える庭園を眺めていた。そんな姿すら絵画のようで、再びタイトルを付けそうになった。
不敬な内心はおくびにも出さず、ダフネは微笑みを浮かべて「お伴いたします」と答えた。
その言葉にマクベスが立ち上がる。ダフネも続くように立ち上がったのだが、マクベスは長い脚で颯爽とこちらへ歩み寄ると、ダフネに向けて右手を差し出した。
男性からエスコートされるなんて経験は、ダフネにはなかった。学校では、マナーの授業も女子生徒同士で練習していた。
ダフネは、ペアを組むのは大抵、ユージェニーとだった。背の高い彼女は男性側となることが多く人気者で、みんな彼女と組みたがっていたと思い出す。
「考えごと?」
ひと月前まで当たり前だった懐かしい日々を思い出すあまり、あろうことか王子を目の前にして無言となっていた。
「ええ。少し」
隠すことなく言えたのは、マクベスに咎める様子がなかったからだろう。
「なにを考えていたの?」
「寄宿学校のことを。それから友人のこととか」
「友人?」
「はい。一番、仲のよかった友人ですわ」
マクベスとは違う学舎で学んでいたから、共通の友人はいない。彼にも側近となる学友が侍っていたのだろうし、そもそも王都の学園は規模も大きく生徒数も多い。
マクベスならきっと、友人は多かったのだろう。マスクを着けていても、彼は物腰も声音も柔らかで、口元に浮かべる笑みには気品がある。どこも欠けるところのない、麗しい王子である。
「殿下はご友人が多いのでしょう?」
ダフネの問いに、マクベスは笑みを浮かべるだけだった。
差し出された手に右手を預ければ、彼はその手をそっと掴むと、自分の左腕にかけるように誘った。そんな仕草もスムーズで、そういえば、マナーの授業でもこんな所作を習ったと思い出す。
硝子扉が開かれて、マクベスにエスコートされながら庭園へ降りた。そこから小径を辿って、花の盛りの庭を散策する。
初めて二人で並び歩く。
ダフネは令嬢の中でも小柄なほうで、歩幅もそれほど広くない。だがマクベスは、そんなダフネの歩調に合わせて、ゆっくりと歩いてくれた。
きっと殿下は令嬢と歩くことに慣れているのだわ。学園でも、大勢の令嬢たちを侍らせていたのではないかしら。
まったく勝手な思い込みなのだが、ダフネの中ではそれで決定だった。
マクベスは、ただ気遣いをしただけなのに、女慣れした令嬢誑しだと、密かに決めつけられてしまった。
それほど広くはない庭園をマクベスと散策しながら、なぜか父のことが思い出された。父と並んで歩いた記憶もまた、とても遠いものだった。
マクベスは不思議なひとだった。
ダフネはいつの間にか彼に馴染んでしまった。
互いに生い立ちは平凡なものではない。ダフネは孤独であったし、マクベスには暗く辛い過去がある。
二人に共通するのは、どちらも母を早くに亡くしていることだろう。
だがマクベスには、そんな暗い翳は全く感じられなかった。ちらりと目線だけで見上げれば、銀色の髪を風に吹かせて、どことなく飄々として見えた。
見上げた彼に、ふと顎のラインがユージェニーに似ていると思った。二人は縁戚関係にあるから、そんな一致もあるのだろう。
ダフネはそこで気がついた。
彼へ抱く親近感は、どれもユージェニーを思い起こさせる。
そう気づいた時に、マクベスとの将来に明るい兆しが感じられたのだった。
ダフネは、政略による婚姻を不幸とは思わない。貴族に限らず平民だって、皆が皆、自由恋愛を通せるわけではないのだから。
限られた条件で、与えられた環境の下で、どうやって自分を失わず生きていくのか。
寄宿学校での規律に縛られる不自由な生活は、そんな生き方に順応する力を育んでくれた。
マクベスとの婚姻には、ダフネ本人にもわかり得ない思惑が絡んでいるのだろう。その証拠に、あっという間に婚約すると、曰く付きの南棟に押し込められた。
夜だけ過ごす塔の寝室など、まるで御伽噺で幽閉される姫君のようである。
毎夜、テラスに出て今日も無事にいたのだと示すことの意味なんて、不穏なことしか思いつかない。
なによりここは。
そう思って、ダフネは小径の両脇を埋める花々を眺めた。
毒草ばかりだわ。
春の盛りの庭は、一斉に咲き誇る花々で溢れていた。
青、白、黄色、淡桃色。とりどりの色は目に鮮やかで、どの花も可憐であり美しい。
一見すればどこにもでもある、庭園ばかりか家々の軒下や路傍や山野に咲く花である。
水仙に鈴蘭にイヌサフラン。
セリの類だろう花に、キンポウゲ科の野草。
低木につるむ蔓草は、ツタウルシである。
ニリンソウにも見える葉は白い花弁をつけていない。あれは猛毒の附子で、紫色をした騎士の兜に似た花を咲かせる。その花粉すら毒がある。
ここにある植物は、花弁や葉に、或いは根に、どの花にも毒が含まれていることを、ダフネは長い辺境での暮らしで知っていた。
硝子扉を開ければ、庭園へ降りる階段に続いていた。
そこには遮る塀も、緩衝となる廊下もない。仮にも王城の棟であり、かつては妃の住まいとされていたのに、あまりに無防備な構造をしていた。
今も確かに近衛騎士が配されてはいるが、それは本当に最低限という数だろう。メイドや侍女といった使用人に至っては、いないに等しいほどである。
まるで、貴族が郊外の別邸に妾を囲うような有り様に、それが自分の価値だと言われているように思うのだった。
なによりダフネには、気になっていることがある。
「花が咲いているね。少し庭を歩かないか?」
紅茶王子は紅茶を飲み終え、硝子扉の向こうに見える庭園を眺めていた。そんな姿すら絵画のようで、再びタイトルを付けそうになった。
不敬な内心はおくびにも出さず、ダフネは微笑みを浮かべて「お伴いたします」と答えた。
その言葉にマクベスが立ち上がる。ダフネも続くように立ち上がったのだが、マクベスは長い脚で颯爽とこちらへ歩み寄ると、ダフネに向けて右手を差し出した。
男性からエスコートされるなんて経験は、ダフネにはなかった。学校では、マナーの授業も女子生徒同士で練習していた。
ダフネは、ペアを組むのは大抵、ユージェニーとだった。背の高い彼女は男性側となることが多く人気者で、みんな彼女と組みたがっていたと思い出す。
「考えごと?」
ひと月前まで当たり前だった懐かしい日々を思い出すあまり、あろうことか王子を目の前にして無言となっていた。
「ええ。少し」
隠すことなく言えたのは、マクベスに咎める様子がなかったからだろう。
「なにを考えていたの?」
「寄宿学校のことを。それから友人のこととか」
「友人?」
「はい。一番、仲のよかった友人ですわ」
マクベスとは違う学舎で学んでいたから、共通の友人はいない。彼にも側近となる学友が侍っていたのだろうし、そもそも王都の学園は規模も大きく生徒数も多い。
マクベスならきっと、友人は多かったのだろう。マスクを着けていても、彼は物腰も声音も柔らかで、口元に浮かべる笑みには気品がある。どこも欠けるところのない、麗しい王子である。
「殿下はご友人が多いのでしょう?」
ダフネの問いに、マクベスは笑みを浮かべるだけだった。
差し出された手に右手を預ければ、彼はその手をそっと掴むと、自分の左腕にかけるように誘った。そんな仕草もスムーズで、そういえば、マナーの授業でもこんな所作を習ったと思い出す。
硝子扉が開かれて、マクベスにエスコートされながら庭園へ降りた。そこから小径を辿って、花の盛りの庭を散策する。
初めて二人で並び歩く。
ダフネは令嬢の中でも小柄なほうで、歩幅もそれほど広くない。だがマクベスは、そんなダフネの歩調に合わせて、ゆっくりと歩いてくれた。
きっと殿下は令嬢と歩くことに慣れているのだわ。学園でも、大勢の令嬢たちを侍らせていたのではないかしら。
まったく勝手な思い込みなのだが、ダフネの中ではそれで決定だった。
マクベスは、ただ気遣いをしただけなのに、女慣れした令嬢誑しだと、密かに決めつけられてしまった。
それほど広くはない庭園をマクベスと散策しながら、なぜか父のことが思い出された。父と並んで歩いた記憶もまた、とても遠いものだった。
マクベスは不思議なひとだった。
ダフネはいつの間にか彼に馴染んでしまった。
互いに生い立ちは平凡なものではない。ダフネは孤独であったし、マクベスには暗く辛い過去がある。
二人に共通するのは、どちらも母を早くに亡くしていることだろう。
だがマクベスには、そんな暗い翳は全く感じられなかった。ちらりと目線だけで見上げれば、銀色の髪を風に吹かせて、どことなく飄々として見えた。
見上げた彼に、ふと顎のラインがユージェニーに似ていると思った。二人は縁戚関係にあるから、そんな一致もあるのだろう。
ダフネはそこで気がついた。
彼へ抱く親近感は、どれもユージェニーを思い起こさせる。
そう気づいた時に、マクベスとの将来に明るい兆しが感じられたのだった。
ダフネは、政略による婚姻を不幸とは思わない。貴族に限らず平民だって、皆が皆、自由恋愛を通せるわけではないのだから。
限られた条件で、与えられた環境の下で、どうやって自分を失わず生きていくのか。
寄宿学校での規律に縛られる不自由な生活は、そんな生き方に順応する力を育んでくれた。
マクベスとの婚姻には、ダフネ本人にもわかり得ない思惑が絡んでいるのだろう。その証拠に、あっという間に婚約すると、曰く付きの南棟に押し込められた。
夜だけ過ごす塔の寝室など、まるで御伽噺で幽閉される姫君のようである。
毎夜、テラスに出て今日も無事にいたのだと示すことの意味なんて、不穏なことしか思いつかない。
なによりここは。
そう思って、ダフネは小径の両脇を埋める花々を眺めた。
毒草ばかりだわ。
春の盛りの庭は、一斉に咲き誇る花々で溢れていた。
青、白、黄色、淡桃色。とりどりの色は目に鮮やかで、どの花も可憐であり美しい。
一見すればどこにもでもある、庭園ばかりか家々の軒下や路傍や山野に咲く花である。
水仙に鈴蘭にイヌサフラン。
セリの類だろう花に、キンポウゲ科の野草。
低木につるむ蔓草は、ツタウルシである。
ニリンソウにも見える葉は白い花弁をつけていない。あれは猛毒の附子で、紫色をした騎士の兜に似た花を咲かせる。その花粉すら毒がある。
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