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第十八章
緋色の絨毯は靴音を吸収して、聞こえるのはドレスの衣擦れと、マクベスが腰に差す剣が微かに立てる金属音だけだった。
これほど多くの人がいて、濃密な空気に息苦しさを感じるほどであるのに、辺りはしんと静まり返っていた。
マクベスにエスコートされて、ダフネは中央奥に座している国王を目指して歩いた。
向かって王の左に王妃が、右側にはユージンが座っている。
頬にも肩にも背中にも、刺すような視線を浴びながら、ダフネは真っ直ぐ前を見据えて歩いた。
刺客に襲われたことを、参列する貴族たちは知らないだろう。すべては扉の向こう側の出来事で、国王だけが報告されているのだろう。
刺客は王妃の生家である、ウォルシャー侯爵家が放ったらしい。そのことを王妃は知っているのかどうか、ここから見る限りではわからなかった。
一歩一歩と歩くうちに、王座の前に辿り着く。
ダフネはそこでマクベスと並び立った。国王の眼差しを受け止めて、それから寄宿学校で鍛えられたカーテシーで礼をした。
「面を上げよ」
耳に深く響く声は、高音のマクベスとは似ていない。一度、謁見してはいたが、その時よりも厳格な響きがあった。
マクベスとともに垂れた頭を上げれば、国王は二人を交互に見てわずかに目を細めた。
「マクベスの立太子と、ベネット公爵令嬢との婚約を祝おうではないか」
国王の言葉に、忽ち割れんばかりの拍手が起こって耳が痛むほどだった。
拍手は続き、なかなか鳴り止みそうになかった。それが次代を担うマクベスへ寄せる敬意と期待のように思えて、ダフネは胸が熱くなる。
いつまでも鳴り止まない拍手の渦の中で、ダフネは王妃へ視線を移した。
彼女はまるで、そういう面を被っているように、感情の見えない笑みを浮かべていた。
初めて謁見した時も、こんな顔をしていたと思い出す。
美しく気高い。まだ三十を少し過ぎたばかりの若々しい王妃からは、彼女の内心はひと欠片も読み取ることはできなかった。
王妃とは一度も視線が合わぬまま、ダフネは国王の横に座るユージンを見た。
ぱちりと音がするかと思った。彼はじっとダフネを見ており、青い瞳と目が合った。
王妃の不在の間に、後宮へ忍び込んだユージンは、瞳に隠せない好奇心を滲ませダフネを見つめていた。
その表情があまりにあどけなく少年らしくて、ダフネは堪えきれずに微笑んだ。ユージンもそれに気がついて、はにかむような笑みを返した。
そこでマクベスが静かに動いた。ダフネに合図をするように背中に手を添え、参列する貴族たちへと向き直った。
拍手がひと際大きくなり、それもマクベスが片手を上げた時にぴたりと止まった。
大ホールには、物音ひとつ聞こえない。
それはまるで、マクベスに備わる強力な統率力のようで、ダフネは感極まってしまう。
「私の妃となるダフネ嬢だ。必ずこの国の未来を照らすだろう」
そう言って、マクベスはダフネの腰を抱き寄せた。その途端、割れんばかりの拍手が沸いて、何も聞こえないほどだった。ただ、手袋越しのマクベスの熱に、ダフネまで浮かされそうになる。
思わず見上げた未来の夫は、もうすでにこちらを見下ろしていた。目元をマスクで覆っていても、ダフネには彼の表情がよくわかった。
素顔を見せてほしい気持ちと、もうそんなことはどうでもよいと思える気持ちがあった。
確かなことは、何もわからず婚約したマクベスを、ここにいる誰よりも信じているということだった。
「ダフネ」
徐々に拍手が収まってきたときに、マクベスの声が耳に届いた。
「はい」
「……いや、何でもない」
名前を呼んでおきながら、マクベスはその先を言うことなく、正面を向いてしまった。だが彼は、はっきりとわかる笑みを浮かべて、口元から白い歯が覗いて見えた。
引き寄せる手に力が込められ、ダフネはそれが嬉しかった。
燃えるような真紅の絨毯に立つ純白の二人は、王国の未来が明るいと予感を抱かせ、長く辺境地にいたダフネの披露目は成功したように見えた。
歓喜に沸く貴族たちの中には、生家の父と義母らがいる。顔も忘れてしまった元の婚約者、今は義妹の婚約者となったマティウスもいる。
もしかしたら、ユージェニーもいてくれるだろうか。列席者リストに名前を探せなかった親友のことを考えた。
用意された席に着くと、代わるがわる貴族たちの言祝を受けた。
貴族名鑑は頭の中に入っている。サミュエルからは、あらかじめ当主の特徴を聞いていた。それらを繋ぎ合わせて挨拶を受けながら、当主と夫人、連れている子女らの顔を憶えた。
ダフネは記憶力が優れている。それは幼い頃からのものであり、だからこそ、父が義母を庭園に呼んでいたあの日のことも、はっきりと憶えていた。
いつまでも薄れることのない記憶は、時に重荷になることがある。だが、この時ばかりは、入れ替わり立ち替わりする面々を次々記憶できる自身の才に感謝した。
それまで微笑んでいたダフネだったが、目の前に現れた四人に、わずかに頬が強張った。
「これは、ベネット公爵。義父上とお呼びするべきでしょうか」
マクベスは、鷹揚に父へ声をかけた。
国王との謁見の際にはすれ違い、八年ぶりに正面から父を見た。
お父様、お元気そうだわ。
父は記憶のまま、全く老いを感じさせなかった。
金色の髪には艶があり、青い瞳は幼い頃から知る優しい父のままだった。
どうして母を哀しませたのか、せめて命尽きるまで隠しおおせてくれればよかった。
隣にいる美しい貴婦人が義母だろう。庭園では遠目だったから、どんな女性であるかは今初めて知ることだった。
その隣にいるのが、初めて会う義妹のメイベリンで、連れ子の彼女とは血の繋がりはない。
元より他人であるから、王都の令嬢らしい気品の漂う彼女には、何も感じることはなかった。ただ、金髪に翠色の瞳は、彼女の実父に似たのだろうと思った。
メイベリンに寄り添う青年には、微かな面影を感じることができた。まだ少年だった彼の姿が朧げに思い出されて、辛うじてマティウスなのだとわかった。
八年の歳月が一気に押し寄せてくる。
大切な親友との思い出が、記憶の波に押しやられないように、ダフネはユージェニーの笑顔を思い浮かべた。
これほど多くの人がいて、濃密な空気に息苦しさを感じるほどであるのに、辺りはしんと静まり返っていた。
マクベスにエスコートされて、ダフネは中央奥に座している国王を目指して歩いた。
向かって王の左に王妃が、右側にはユージンが座っている。
頬にも肩にも背中にも、刺すような視線を浴びながら、ダフネは真っ直ぐ前を見据えて歩いた。
刺客に襲われたことを、参列する貴族たちは知らないだろう。すべては扉の向こう側の出来事で、国王だけが報告されているのだろう。
刺客は王妃の生家である、ウォルシャー侯爵家が放ったらしい。そのことを王妃は知っているのかどうか、ここから見る限りではわからなかった。
一歩一歩と歩くうちに、王座の前に辿り着く。
ダフネはそこでマクベスと並び立った。国王の眼差しを受け止めて、それから寄宿学校で鍛えられたカーテシーで礼をした。
「面を上げよ」
耳に深く響く声は、高音のマクベスとは似ていない。一度、謁見してはいたが、その時よりも厳格な響きがあった。
マクベスとともに垂れた頭を上げれば、国王は二人を交互に見てわずかに目を細めた。
「マクベスの立太子と、ベネット公爵令嬢との婚約を祝おうではないか」
国王の言葉に、忽ち割れんばかりの拍手が起こって耳が痛むほどだった。
拍手は続き、なかなか鳴り止みそうになかった。それが次代を担うマクベスへ寄せる敬意と期待のように思えて、ダフネは胸が熱くなる。
いつまでも鳴り止まない拍手の渦の中で、ダフネは王妃へ視線を移した。
彼女はまるで、そういう面を被っているように、感情の見えない笑みを浮かべていた。
初めて謁見した時も、こんな顔をしていたと思い出す。
美しく気高い。まだ三十を少し過ぎたばかりの若々しい王妃からは、彼女の内心はひと欠片も読み取ることはできなかった。
王妃とは一度も視線が合わぬまま、ダフネは国王の横に座るユージンを見た。
ぱちりと音がするかと思った。彼はじっとダフネを見ており、青い瞳と目が合った。
王妃の不在の間に、後宮へ忍び込んだユージンは、瞳に隠せない好奇心を滲ませダフネを見つめていた。
その表情があまりにあどけなく少年らしくて、ダフネは堪えきれずに微笑んだ。ユージンもそれに気がついて、はにかむような笑みを返した。
そこでマクベスが静かに動いた。ダフネに合図をするように背中に手を添え、参列する貴族たちへと向き直った。
拍手がひと際大きくなり、それもマクベスが片手を上げた時にぴたりと止まった。
大ホールには、物音ひとつ聞こえない。
それはまるで、マクベスに備わる強力な統率力のようで、ダフネは感極まってしまう。
「私の妃となるダフネ嬢だ。必ずこの国の未来を照らすだろう」
そう言って、マクベスはダフネの腰を抱き寄せた。その途端、割れんばかりの拍手が沸いて、何も聞こえないほどだった。ただ、手袋越しのマクベスの熱に、ダフネまで浮かされそうになる。
思わず見上げた未来の夫は、もうすでにこちらを見下ろしていた。目元をマスクで覆っていても、ダフネには彼の表情がよくわかった。
素顔を見せてほしい気持ちと、もうそんなことはどうでもよいと思える気持ちがあった。
確かなことは、何もわからず婚約したマクベスを、ここにいる誰よりも信じているということだった。
「ダフネ」
徐々に拍手が収まってきたときに、マクベスの声が耳に届いた。
「はい」
「……いや、何でもない」
名前を呼んでおきながら、マクベスはその先を言うことなく、正面を向いてしまった。だが彼は、はっきりとわかる笑みを浮かべて、口元から白い歯が覗いて見えた。
引き寄せる手に力が込められ、ダフネはそれが嬉しかった。
燃えるような真紅の絨毯に立つ純白の二人は、王国の未来が明るいと予感を抱かせ、長く辺境地にいたダフネの披露目は成功したように見えた。
歓喜に沸く貴族たちの中には、生家の父と義母らがいる。顔も忘れてしまった元の婚約者、今は義妹の婚約者となったマティウスもいる。
もしかしたら、ユージェニーもいてくれるだろうか。列席者リストに名前を探せなかった親友のことを考えた。
用意された席に着くと、代わるがわる貴族たちの言祝を受けた。
貴族名鑑は頭の中に入っている。サミュエルからは、あらかじめ当主の特徴を聞いていた。それらを繋ぎ合わせて挨拶を受けながら、当主と夫人、連れている子女らの顔を憶えた。
ダフネは記憶力が優れている。それは幼い頃からのものであり、だからこそ、父が義母を庭園に呼んでいたあの日のことも、はっきりと憶えていた。
いつまでも薄れることのない記憶は、時に重荷になることがある。だが、この時ばかりは、入れ替わり立ち替わりする面々を次々記憶できる自身の才に感謝した。
それまで微笑んでいたダフネだったが、目の前に現れた四人に、わずかに頬が強張った。
「これは、ベネット公爵。義父上とお呼びするべきでしょうか」
マクベスは、鷹揚に父へ声をかけた。
国王との謁見の際にはすれ違い、八年ぶりに正面から父を見た。
お父様、お元気そうだわ。
父は記憶のまま、全く老いを感じさせなかった。
金色の髪には艶があり、青い瞳は幼い頃から知る優しい父のままだった。
どうして母を哀しませたのか、せめて命尽きるまで隠しおおせてくれればよかった。
隣にいる美しい貴婦人が義母だろう。庭園では遠目だったから、どんな女性であるかは今初めて知ることだった。
その隣にいるのが、初めて会う義妹のメイベリンで、連れ子の彼女とは血の繋がりはない。
元より他人であるから、王都の令嬢らしい気品の漂う彼女には、何も感じることはなかった。ただ、金髪に翠色の瞳は、彼女の実父に似たのだろうと思った。
メイベリンに寄り添う青年には、微かな面影を感じることができた。まだ少年だった彼の姿が朧げに思い出されて、辛うじてマティウスなのだとわかった。
八年の歳月が一気に押し寄せてくる。
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