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翌日学院から戻ると、執事が珍しく慌てた様子で出迎えた。
「どうしたの?ロバート」
「お嬢様」
デマーリオが離れの邸を訪ねて来たと言う。先触れの無い急な訪問で、エリザベート不在の邸で使用人達は些か困惑したらしい。エリザベートがいても、きっと困惑しただろう。
馬車停まりには侯爵家の馬車は見えなかったから、エリザベートも気が付かなかった。
「馬車は本邸の方だと」
本邸でローズと過ごしていたのだろう。先触れどころか、既に隣りの本邸にいたらしい。
エリザベートは呆れてしまった。デマーリオに対してこんな感情を持つのは初めてであった。
「どちらへ?」
「貴賓室へ」
「それで良いわ。有難う」
デマーリオとは何れ婚約は解かれる。親しく過ごす応接室より、賓客を持て成す貴賓室へ通す方が良いだろう。
使用人達がエリザベートの気持ちを理解して、先回りしてくれた事に感謝した。
「エリザベート」
エリザベートが入室するなり、デマーリオはソファから立ち上がった。
「王城に登用が決まったと聞いた。何故そんな事を、」
矢継ぎ早の言葉に扉の前から進めずにいるエリザベートに、デマーリオの方が一歩歩み寄る。
「お待たせして申し訳ございません」
急な訪問はあちらの方なのだが、出迎えたエリザベートが詫びを述べた。
制服から着替える事も出来ぬまま、真っ直ぐこちらに来たのだが、デマーリオはそんなエリザベートには気付いていない様だった。
エリザベートが頭を下げた事で漸く自身の無作法に思い至ったらしいデマーリオは、突き進む勢いであった歩みを止めた。
それでも抑え切れない感情があるらしく、そんな苛立ちを露わにするデマーリオの姿もまた初めて見るもので、エリザベートは困惑した。
祈りの聖水は、デマーリオへの愛の他にも何かを消してしまったのだろうか。
父やデマーリオへ向けた感情が、すっぽり欠落している事に気が付いた。好きも嫌いも無い無関心とは、相手の方にも不可解な戸惑いを与えるらしい。
「エリザベート?」
困惑顔のエリザベートに、思わず問い掛けたのだろう。
「デマーリオ様、新しいお茶をご用意致しますわ。どうぞお掛けになって」
「あ、ああ」
出鼻を挫かれたように、デマーリオはソファに戻る。
「如何なさいましたの?お茶会は明後日と記憶しておりました。私が失念していたのならお詫びを致します」
「いや、そうではない。急な訪問を失礼した。君に確かめたくて、その前に伯爵から話しを聞こうと、」
「本邸に寄られましたの?」
「ああ」
それで馬車を本邸に停めてあるのだと理解が行った。
「何故、女官だなんて。私は何も聞いていない。何故そんな事になったんだ」
「お誘いを頂いたのですわ」
「誰に」
「アイリス殿下です」
「『陰』の王女に?」
「不敬ですわよ、デマーリオ様。あの御方は優れた王族のお一人です」
「ああ、いや、失礼した。そんなつもりはなかったのだ。つい、通り名で呼んでしまった」
「その通り名が不敬なのです」
先触れの無い突然の訪問には困惑以外は感じなかったのに、アイリスへの非礼はどうにも見逃せなかった。
「何故、アイリス殿下から誘われるのだ」
どうやらデマーリオもまた、父と同じくエリザベートの交友関係を知らないらしい。
「アイリス殿下とは、学友として親しくお側にいる事をお許し頂いておりました。入学してから間もない頃に」
「そんな事、君は何も言っていなかったではないか」
「ええ。聞かれませんでしたから」
「聞かれない?」
「私は貴方の言葉を聞く方が好きでしたから、貴方がお尋ねにならなければ私の事を話すのを思い付かなかったのです」
「私の言葉を聞くのが好き?」
「ええ、その当時は」
デマーリオは、嬉しいのかそうでないのか解からない、可怪しな表情をした。
「それにしても、なぜ殿下が君を誘うのだ。君の立場を知らなかったのか?」
「立場?」
「君は私の婚約者だ」
デマーリオにその自覚があったのが、エリザベートには意外な事に思われた。
「君は私と婚姻を結ぶんだぞ」
「ですが、何も決まっておりませんし、私は何も聞いてはおりません」
「母が話しているだろう」
「記憶の限りでは伺ってはおりません」
「何だと?母は何をしていたのだ」
「貴方が、」
「ん?」
「貴方がお話しになると、夫人はそう思われていらっしゃったのではないでしょうか」
「そんな訳……」
そんな訳が無いと言いかけて、デマーリオはそれが事実だと思い至ったらしい。
「なんて事だ。だが、伯爵から聞いていなかったのか?」
「先日それらしい話しを聞きました。ですが、それまでは何も。父も多分、私が夫人か貴方から聞かされていると思っていたのでしょうね」
父は、二人が卒業した後に夫人教育と併せて婚礼の仕度に掛かる予定であったと言っていた。それがいつ両家で申し合わせのあった事なのか解からないが、何れにしても当人であるエリザベートには、生家も婚家も婚約者も、誰も何も伝えてはくれなかった。
「真逆、そんな……。であれば聞いてくれたら良かっただろう。何も知らずに卒業するつもりだったのか」
「ですからアイリス殿下のお誘いをお受け致しました」
「何を言っている?」
「貴方との婚姻は無くなるのだと理解しました。貴方と私の婚姻を望む人間は、この家には居ないのだと思っておりましたから」
エリザベートの言葉にデマーリオがどんな顔をしたのかは、そこでお茶を飲もうと視線を落としたエリザベートには分からなかった。
「どうしたの?ロバート」
「お嬢様」
デマーリオが離れの邸を訪ねて来たと言う。先触れの無い急な訪問で、エリザベート不在の邸で使用人達は些か困惑したらしい。エリザベートがいても、きっと困惑しただろう。
馬車停まりには侯爵家の馬車は見えなかったから、エリザベートも気が付かなかった。
「馬車は本邸の方だと」
本邸でローズと過ごしていたのだろう。先触れどころか、既に隣りの本邸にいたらしい。
エリザベートは呆れてしまった。デマーリオに対してこんな感情を持つのは初めてであった。
「どちらへ?」
「貴賓室へ」
「それで良いわ。有難う」
デマーリオとは何れ婚約は解かれる。親しく過ごす応接室より、賓客を持て成す貴賓室へ通す方が良いだろう。
使用人達がエリザベートの気持ちを理解して、先回りしてくれた事に感謝した。
「エリザベート」
エリザベートが入室するなり、デマーリオはソファから立ち上がった。
「王城に登用が決まったと聞いた。何故そんな事を、」
矢継ぎ早の言葉に扉の前から進めずにいるエリザベートに、デマーリオの方が一歩歩み寄る。
「お待たせして申し訳ございません」
急な訪問はあちらの方なのだが、出迎えたエリザベートが詫びを述べた。
制服から着替える事も出来ぬまま、真っ直ぐこちらに来たのだが、デマーリオはそんなエリザベートには気付いていない様だった。
エリザベートが頭を下げた事で漸く自身の無作法に思い至ったらしいデマーリオは、突き進む勢いであった歩みを止めた。
それでも抑え切れない感情があるらしく、そんな苛立ちを露わにするデマーリオの姿もまた初めて見るもので、エリザベートは困惑した。
祈りの聖水は、デマーリオへの愛の他にも何かを消してしまったのだろうか。
父やデマーリオへ向けた感情が、すっぽり欠落している事に気が付いた。好きも嫌いも無い無関心とは、相手の方にも不可解な戸惑いを与えるらしい。
「エリザベート?」
困惑顔のエリザベートに、思わず問い掛けたのだろう。
「デマーリオ様、新しいお茶をご用意致しますわ。どうぞお掛けになって」
「あ、ああ」
出鼻を挫かれたように、デマーリオはソファに戻る。
「如何なさいましたの?お茶会は明後日と記憶しておりました。私が失念していたのならお詫びを致します」
「いや、そうではない。急な訪問を失礼した。君に確かめたくて、その前に伯爵から話しを聞こうと、」
「本邸に寄られましたの?」
「ああ」
それで馬車を本邸に停めてあるのだと理解が行った。
「何故、女官だなんて。私は何も聞いていない。何故そんな事になったんだ」
「お誘いを頂いたのですわ」
「誰に」
「アイリス殿下です」
「『陰』の王女に?」
「不敬ですわよ、デマーリオ様。あの御方は優れた王族のお一人です」
「ああ、いや、失礼した。そんなつもりはなかったのだ。つい、通り名で呼んでしまった」
「その通り名が不敬なのです」
先触れの無い突然の訪問には困惑以外は感じなかったのに、アイリスへの非礼はどうにも見逃せなかった。
「何故、アイリス殿下から誘われるのだ」
どうやらデマーリオもまた、父と同じくエリザベートの交友関係を知らないらしい。
「アイリス殿下とは、学友として親しくお側にいる事をお許し頂いておりました。入学してから間もない頃に」
「そんな事、君は何も言っていなかったではないか」
「ええ。聞かれませんでしたから」
「聞かれない?」
「私は貴方の言葉を聞く方が好きでしたから、貴方がお尋ねにならなければ私の事を話すのを思い付かなかったのです」
「私の言葉を聞くのが好き?」
「ええ、その当時は」
デマーリオは、嬉しいのかそうでないのか解からない、可怪しな表情をした。
「それにしても、なぜ殿下が君を誘うのだ。君の立場を知らなかったのか?」
「立場?」
「君は私の婚約者だ」
デマーリオにその自覚があったのが、エリザベートには意外な事に思われた。
「君は私と婚姻を結ぶんだぞ」
「ですが、何も決まっておりませんし、私は何も聞いてはおりません」
「母が話しているだろう」
「記憶の限りでは伺ってはおりません」
「何だと?母は何をしていたのだ」
「貴方が、」
「ん?」
「貴方がお話しになると、夫人はそう思われていらっしゃったのではないでしょうか」
「そんな訳……」
そんな訳が無いと言いかけて、デマーリオはそれが事実だと思い至ったらしい。
「なんて事だ。だが、伯爵から聞いていなかったのか?」
「先日それらしい話しを聞きました。ですが、それまでは何も。父も多分、私が夫人か貴方から聞かされていると思っていたのでしょうね」
父は、二人が卒業した後に夫人教育と併せて婚礼の仕度に掛かる予定であったと言っていた。それがいつ両家で申し合わせのあった事なのか解からないが、何れにしても当人であるエリザベートには、生家も婚家も婚約者も、誰も何も伝えてはくれなかった。
「真逆、そんな……。であれば聞いてくれたら良かっただろう。何も知らずに卒業するつもりだったのか」
「ですからアイリス殿下のお誘いをお受け致しました」
「何を言っている?」
「貴方との婚姻は無くなるのだと理解しました。貴方と私の婚姻を望む人間は、この家には居ないのだと思っておりましたから」
エリザベートの言葉にデマーリオがどんな顔をしたのかは、そこでお茶を飲もうと視線を落としたエリザベートには分からなかった。
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