アウローラの望まれた婚姻

桃井すもも

文字の大きさ
26 / 62

【26】

しおりを挟む
アストリウスが手を差し伸べた。
アウローラは、まるでその手に惹き寄せられる様に僅かに腰を浮かした。

そこで戸惑いを見せたアウローラに、

「アウローラ」

アストリウスが名を呼んだ。

ああ、抗えない。この男に惹き寄せられる心を止められない。

アウローラがやや前屈みのまま更に腰を浮かせて、身体が座席から離れる。それからアストリウスが差し出す手に、そっと手を伸ばした。

アウローラの手がアストリウスの手の平に触れる瞬間、その手が大きな手に包み込まれた。
引き寄せられながら、アウローラは世界から音が消えた様に思った。

青い瞳が近付いて、背中にも大きな手が添えられて、それが熱を持っているのがコート越しにも解ってしまう。

クリノリンを身に着けず、内側にペチコートを重ねたドレスがアストリウスに乗り上がる。
空気を含んだバルーンの様にアストリウスの膝の上で膨らんだドレスが萎む頃には、アウローラはアストリウスの腕の中に抱き締められていた。

触れるだけの口付けを、アストリウスは何度もアウローラに押し当てる。まるで戯れ合う様に、戯れの口付けを押し当てられた唇は、幾度目かには唇ごと飲み込まれた。

生まれて初めての口付けは、少しもロマンチックなものなんかじゃなかった。どこもかしこも密着して、互いに離すまい離れるまいとしがみつく。狂おしい程の口付けを与えられるまま受け止めて、生理的な涙が溢れた。じきにそれはアウローラの感情を昂らせて、切ない思いが胸いっぱいに広がって行く。

アストリウスはここにいるのに、今、濃厚な口付けを与えられているのに、次の瞬間には離ればなれになってしまうのではないか、置いて行かれるのではないかと猛烈な恐怖に襲われて、アウローラはアストリウスの首に腕を絡めて抱き着いた。

貴方を離したくない。何を失っても、貴方だけは失いたくない。

生まれて初めての口付けは、生まれ初めての執着を齎した。
姉であるから、愛されないから、そうやって初めての恋は諦め手放せたのに、二度目の恋だけは失いたくないと思った。


音の無い世界に音が戻れば、二人の荒く弾んだ息と、耳鳴りがする程の鼓動が聴こえた。
耳を打つ鼓動は自分のものだ。アウローラは、そっとアストリウスの胸元に手の平を当ててみた。

「鼓動が解るわ」
「君を得たいと願ったから」
「貴方が?私を?願ったと言うの?」
「私は君を得られたか?」

アウローラは、青い瞳を見つめ返す。
それから両の手の平で、アストリウスの頬へと触れた。白い指先がアストリウスに触れて、そうしてアウローラは答えた。

「ええ。私は貴方のものよ。」

それから身を乗り出して、瞼を閉じながらアストリウスの唇にキスをした。


幾度目かの濃厚な口付けを交わしていると、扉が小さくノックされた。
馬車の外で侍従が待っている。待たされて催促したのでは無く、主が令嬢に手を付けてしまうのではないかと案じたらしい。

「聖夜の贈り物に、君を攫ってしまいたいな。」
「聖夜はまだよ。」
「へえ。聖夜なら良いのか?」
「駄目に決まっているじゃない。」
「春が待ち遠しいな。」

そろそろ扉を開けなければ、侍従が泣いてしまうのではと思った。御者も凍えているだろう。

アウローラは、寄り掛かった身体を起こして、アストリウスから身を離した。アストリウスはそんなアウローラの腰を掴んで、両足が床に着くように助けてくれる。そのままアウローラを背後の座席に座らせて、それから「開けて良い」と声を掛けた。


ステップを降りるのにも、アストリウスの視線を感じる。それは侍従からも御者からも向けられているようで、アウローラは恥ずかしくなってしまった。

顔を上げれば邸の玄関ホールには、幾つも人影が見えている。アウローラ達を出迎えるのに、使用人達が立ち並んでいる。

なかなか馬車から降りない二人に、どうか誰も何があったかなんて考えないでほしい。
アウローラはすっかり小さくなってしまったのに、身も心も大きな婚約者は、そんな事を気にする風はまるで無かった。

「アウローラ」

邸に入る前に名を呼ばれて見上げれば、

「あ、」

思わず声が漏れてしまった。そうして咄嗟に手が伸びて、指先でアストリウスの口元を拭う。
アウローラの紅がアストリウスの唇を汚していた。どれほど濃厚な接触があったかを教えているようであった。

アストリウスはそれに小さく笑って、そうしてアウローラの前髪を人差し指の指先でそっと梳いた。
真逆、乱れていただろうか。心配するアウローラを他所に、アストリウスの指先はアウローラの目尻を拭う。

涙が化粧を滲ませたらしい。侍女はなんと思うだろう。正常に回り始めた頭が幾つもの心配事を思い浮かべる内に邸の中に入ってしまった。

「この世に神の慈悲とは確かにあるのだな。」

アストリウスが求めた慈悲が、あの濃密な口付けであったことに、アウローラはもう何も言えなくなってしまった。

ただ、去りゆく背中を見つめて、その背が馬車の中に消えて、馬車が邸を出てしまうまで、まばたきするのも忘れた様に只管ひたすら見つめているのだった。

神の慈悲を受け取ったのは私の方だと、そう思った。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

旦那様はとても一途です。

りつ
恋愛
 私ではなくて、他のご令嬢にね。 ※「小説家になろう」にも掲載しています

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない

鈴宮(すずみや)
恋愛
 孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。  しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。  その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?

お姉さまは最愛の人と結ばれない。

りつ
恋愛
 ――なぜならわたしが奪うから。  正妻を追い出して伯爵家の後妻になったのがクロエの母である。愛人の娘という立場で生まれてきた自分。伯爵家の他の兄弟たちに疎まれ、毎日泣いていたクロエに手を差し伸べたのが姉のエリーヌである。彼女だけは他の人間と違ってクロエに優しくしてくれる。だからクロエは姉のために必死にいい子になろうと努力した。姉に婚約者ができた時も、心から上手くいくよう願った。けれど彼はクロエのことが好きだと言い出して――

お飾りな妻は何を思う

湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。 彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。 次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。 そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません~死に戻った嫌われ令嬢は幸せになりたい~

桜百合
恋愛
旧題:もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません〜死に戻りの人生は別の誰かと〜 ★第18回恋愛小説大賞で大賞を受賞しました。応援・投票してくださり、本当にありがとうございました! 10/24にレジーナブックス様より書籍が発売されました。 現在コミカライズも進行中です。 「もしも人生をやり直せるのなら……もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません」 コルドー公爵夫妻であるフローラとエドガーは、大恋愛の末に結ばれた相思相愛の二人であった。 しかしナターシャという子爵令嬢が現れた途端にエドガーは彼女を愛人として迎え、フローラの方には見向きもしなくなってしまう。 愛を失った人生を悲観したフローラは、ナターシャに毒を飲ませようとするが、逆に自分が毒を盛られて命を落とすことに。 だが死んだはずのフローラが目を覚ますとそこは実家の侯爵家。 どうやらエドガーと知り合う前に死に戻ったらしい。 もう二度とあのような辛い思いはしたくないフローラは、一度目の人生の失敗を生かしてエドガーとの結婚を避けようとする。 ※完結したので感想欄を開けてます(お返事はゆっくりになるかもです…!) 独自の世界観ですので、設定など大目に見ていただけると助かります。 ※誤字脱字報告もありがとうございます! こちらでまとめてのお礼とさせていただきます。

処理中です...