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第九章
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兄は昨夜、イーサンが少しばかり勇み足になっていると言っていた。それをハリエットが、出しゃばっていると感じているらしいとも。
兄を追い抜いて自身が後継となり、学園に入学すると間もなく生徒会活動に参加したイーサン。
高みを目指すあまり力が入ってしまう、そんなところがハリエットには鼻について感じるのだろう。
それはきっと、彼女の言う通り爵位や生まれの問題ではなくて、イーサンの個人的な気質によるのだろうと、勝手な憶測をしながらコートニーは二人を見ていた。
その後は特に気まずい場面もないまま、昼食を終えた。いつものように、コートニーはベネディクトの後について席を立ち、通路に出たところでハリエットから声をかけられた。
「ベネディクト様、コートニー様をお借りしてもよろしくて?」
「それは困るな。コートニーとの時間は貴重なんだけどな」
「随分とケチなことを仰るのね」
「君はいずれ義姉妹になるんだから、その時ゆっくり話せるじゃないか」
「まあ!貴方こそ夫になるのになんて言い草」
ハリエットとベネディクトが軽妙な会話を交わす。気持ちのよいくらいポンポンと言葉を返すハリエットに、コートニーはつい吹き出してしまった。
「ふふ」
「コートニー様、今、お笑いになって?」
「いえ、すみません。面白くて、つい」
「貴女、やっぱりそうやって笑っているのがよろしいわ。とても可愛いもの」
可愛いなんて、兄以外には言われたことがない。ベネディクトは鷹揚に見えて硬派なところがあって、無闇に女性の容姿を褒めない。
コートニーは照れてしまった。
気品のあるハリエットに可愛いと、そうひとこと言われただけで、わかりやすく照れて頬を染めた。
「まあ」
ハリエットはそれに気がついたらしく、コートニーをじっと見つめてから意味ありげな笑みを浮かべた。
「貴方が隠している理由が、わかる気がするわ」
ハリエットはそう言って、ベネディクトをちらりと見た。
「ご存知かしら、コートニー様。この御方、貴女と一緒にと色んな家からお茶会に誘われても、大抵はお断りしているのよ。貴女が人目に触れると、溶けて減ってしまうとでもお思いになるのかしら」
「馬鹿なことを言わないでくれるかな」
ハリエットの言葉は、コートニーにも思い当たる節があった。
いつだか呼ばれたお茶会で、そんなことを言われたのである。偶然、隣になった夫人から、お誘いしたのに参加頂けなくて残念だったと言われたことがある。
彼女はきっと、ハリエットが言うようにベネディクトに断られた家の夫人だったのだろう。
「交流先を選別するのは、婚約者の役目だろう」
そういうものなのだろうか。
コートニーは、咄嗟に浮かんだ疑問を呑み込んだ。彼は公爵家の次期当主である。知的で視野も広く経験も豊富である。コートニーのような世間の狭い人間ではない。
その彼に、自分もいつか選別されるのだろうか。
ふと頭に浮かんだことは、確かなことなのだろうと思った。この婚約は、公爵家から求められてのことだと聞いている。そういう意味では、コートニーは一度は彼に、数多の令嬢の中から選別されたのだろう。
それはとても喜ばしいことなのに、なぜなのかコートニーには、浮き立つ気持ちも温かな感情も湧いてくることはなかった。
婚姻先として、望まれる場所に上手く入り込めたら義父は安堵するだろう。コートニーは引き取られた身であるから、自分が自由に未来への希望を抱くのは、許されないことだと感じていた。
それがたとえどんな人物であっても、義父の決めた貴族に嫁ぐよりほかはない。
だがそうはいっても、コートニーは悲観していたわけでもなかった。
人には長所もあれば短所もある。たとえ少しくらい気が合わなくても、愛情が伴わないとしても、夫婦としての遠慮とか礼節を忘れなければ、それなりに歩み寄れるものだと思っていた。
性的な嗜虐嗜好だけ避けられれば、多少、年が離れていても構わない、そう考えていたのである。
だから、義父がいつまでも婚約者を据えないことにも不安を感じてはいなかった。寧ろ、令嬢時代を少しでも長く過ごせることを幸福だと思っていた。
そうであったから尚のこと、ベネディクトとの縁談は思いがけないことであり、それが公爵家からの申込みだったことに驚いたのである。
「兎に角、少しくらいよろしいでしょう?婚約者様をお借りするわね」
その言葉に、コートニーはぼおっとなっていた思考から引き戻された。
「やれやれ。ハリエット嬢には敵わないな」
ベネディクトはハリエットに譲るように、コートニーの背中をそっと押した。思わぬ接触にコートニーが振り向くと、ベネディクトは、
「行っておいで」
そう言って、出口へと歩いていった。
「独占欲の塊ね」
「え?」
あれが独占欲なのだろうか?
驚いたコートニーに、ハリエットは残念なものを見るような顔をした。
「貴女、ちゃんとご自分のお気持ちを言ったほうがよろしいわ。彼、それでなくても力があるのよ。生まれながらの権力者なのですもの、何もかも呑み込んでいては先が思いやられるわよ」
「そうでしょうか⋯⋯」
「今は、アレックス様がいらっしゃるから遠慮をしているのよ」
「兄が?」
「ええ。アレックス様が学園を卒業したなら、貴女、ベネディクト様に縛り付けられちゃうのではないかしら」
「縛り付ける⋯⋯」
ハリエットは一歩こちらに歩み寄り、コートニーにだけ聞こえるように囁いた。
「それって、とても息苦しいことだわ」
ハリエットの言葉は、コートニーの胸の中にはっきりと刻み込まれるように残った。
ハリエットは、それがわかったのだろう。コートニーを見つめて、うんと一つ頷いた。
兄を追い抜いて自身が後継となり、学園に入学すると間もなく生徒会活動に参加したイーサン。
高みを目指すあまり力が入ってしまう、そんなところがハリエットには鼻について感じるのだろう。
それはきっと、彼女の言う通り爵位や生まれの問題ではなくて、イーサンの個人的な気質によるのだろうと、勝手な憶測をしながらコートニーは二人を見ていた。
その後は特に気まずい場面もないまま、昼食を終えた。いつものように、コートニーはベネディクトの後について席を立ち、通路に出たところでハリエットから声をかけられた。
「ベネディクト様、コートニー様をお借りしてもよろしくて?」
「それは困るな。コートニーとの時間は貴重なんだけどな」
「随分とケチなことを仰るのね」
「君はいずれ義姉妹になるんだから、その時ゆっくり話せるじゃないか」
「まあ!貴方こそ夫になるのになんて言い草」
ハリエットとベネディクトが軽妙な会話を交わす。気持ちのよいくらいポンポンと言葉を返すハリエットに、コートニーはつい吹き出してしまった。
「ふふ」
「コートニー様、今、お笑いになって?」
「いえ、すみません。面白くて、つい」
「貴女、やっぱりそうやって笑っているのがよろしいわ。とても可愛いもの」
可愛いなんて、兄以外には言われたことがない。ベネディクトは鷹揚に見えて硬派なところがあって、無闇に女性の容姿を褒めない。
コートニーは照れてしまった。
気品のあるハリエットに可愛いと、そうひとこと言われただけで、わかりやすく照れて頬を染めた。
「まあ」
ハリエットはそれに気がついたらしく、コートニーをじっと見つめてから意味ありげな笑みを浮かべた。
「貴方が隠している理由が、わかる気がするわ」
ハリエットはそう言って、ベネディクトをちらりと見た。
「ご存知かしら、コートニー様。この御方、貴女と一緒にと色んな家からお茶会に誘われても、大抵はお断りしているのよ。貴女が人目に触れると、溶けて減ってしまうとでもお思いになるのかしら」
「馬鹿なことを言わないでくれるかな」
ハリエットの言葉は、コートニーにも思い当たる節があった。
いつだか呼ばれたお茶会で、そんなことを言われたのである。偶然、隣になった夫人から、お誘いしたのに参加頂けなくて残念だったと言われたことがある。
彼女はきっと、ハリエットが言うようにベネディクトに断られた家の夫人だったのだろう。
「交流先を選別するのは、婚約者の役目だろう」
そういうものなのだろうか。
コートニーは、咄嗟に浮かんだ疑問を呑み込んだ。彼は公爵家の次期当主である。知的で視野も広く経験も豊富である。コートニーのような世間の狭い人間ではない。
その彼に、自分もいつか選別されるのだろうか。
ふと頭に浮かんだことは、確かなことなのだろうと思った。この婚約は、公爵家から求められてのことだと聞いている。そういう意味では、コートニーは一度は彼に、数多の令嬢の中から選別されたのだろう。
それはとても喜ばしいことなのに、なぜなのかコートニーには、浮き立つ気持ちも温かな感情も湧いてくることはなかった。
婚姻先として、望まれる場所に上手く入り込めたら義父は安堵するだろう。コートニーは引き取られた身であるから、自分が自由に未来への希望を抱くのは、許されないことだと感じていた。
それがたとえどんな人物であっても、義父の決めた貴族に嫁ぐよりほかはない。
だがそうはいっても、コートニーは悲観していたわけでもなかった。
人には長所もあれば短所もある。たとえ少しくらい気が合わなくても、愛情が伴わないとしても、夫婦としての遠慮とか礼節を忘れなければ、それなりに歩み寄れるものだと思っていた。
性的な嗜虐嗜好だけ避けられれば、多少、年が離れていても構わない、そう考えていたのである。
だから、義父がいつまでも婚約者を据えないことにも不安を感じてはいなかった。寧ろ、令嬢時代を少しでも長く過ごせることを幸福だと思っていた。
そうであったから尚のこと、ベネディクトとの縁談は思いがけないことであり、それが公爵家からの申込みだったことに驚いたのである。
「兎に角、少しくらいよろしいでしょう?婚約者様をお借りするわね」
その言葉に、コートニーはぼおっとなっていた思考から引き戻された。
「やれやれ。ハリエット嬢には敵わないな」
ベネディクトはハリエットに譲るように、コートニーの背中をそっと押した。思わぬ接触にコートニーが振り向くと、ベネディクトは、
「行っておいで」
そう言って、出口へと歩いていった。
「独占欲の塊ね」
「え?」
あれが独占欲なのだろうか?
驚いたコートニーに、ハリエットは残念なものを見るような顔をした。
「貴女、ちゃんとご自分のお気持ちを言ったほうがよろしいわ。彼、それでなくても力があるのよ。生まれながらの権力者なのですもの、何もかも呑み込んでいては先が思いやられるわよ」
「そうでしょうか⋯⋯」
「今は、アレックス様がいらっしゃるから遠慮をしているのよ」
「兄が?」
「ええ。アレックス様が学園を卒業したなら、貴女、ベネディクト様に縛り付けられちゃうのではないかしら」
「縛り付ける⋯⋯」
ハリエットは一歩こちらに歩み寄り、コートニーにだけ聞こえるように囁いた。
「それって、とても息苦しいことだわ」
ハリエットの言葉は、コートニーの胸の中にはっきりと刻み込まれるように残った。
ハリエットは、それがわかったのだろう。コートニーを見つめて、うんと一つ頷いた。
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