1 / 50
【1】
しおりを挟むあまりに夢見の余韻が酷くて、ソレイユは半身だけ起き上がってからも少しの間ぼおっとしたまま動けなかった。
とっくに春になっているのに、石造りの部屋はとても冷えて、ソレイユは薄い毛布を胸元で掻き抱いた。
侍女はいるにはいるが、ようやく空は白みはじめたところで、侍女はおろかメイドもまだ起きてはいないだろう。
辺りは物音ひとつなく静寂に包まれている。
「嫌な夢だったわ」
呟きは冷えた石の壁に吸い込まれて、初めから誰も何も話してはいなかったように、再び静寂が訪れた。
ソレイユは、この国の南西側に位置するアルマール公爵領からやって来た。領地はほんの僅か隣国と国境線が接する王国の端っこで、ソレイユはそこでひっそりと生きて来た。ここへは呼ばれてやって来たのだが、悪い夢を見るくらいには落ち着かない暮らしをしている。
窓の外が桃色に染まりはじめて、早起きな小鳥の囀りが聞こえて来る。毛布を頭から被って胸の前で合わせて、ソレイユは寝台からそろりと足を床に下ろした。
石の床は冷え切っていて、爪先は氷に触れたように痛みを感じた。それを気合でペタリと下ろして、両足で立ち上がると冷たさのあまり目が覚めた。
窓辺に歩み寄り空を見る。
どこにいても朝の空は美しい。朝焼けに染まる空とは対照的に、取り囲む木々は黒々とした姿を浮かび上がらせて、決してここから出られはしないと、そう脅しを掛けているように見えた。
心配なんていらないのに。ソレイユには、ここから出ても帰る場所など無いのだから。
ソレイユは、アルマール公爵家の次女である。
ソレイユ・ウォレス・アルマールが彼女の名である。
正式に公爵家の次女として貴族名鑑にも記載されているが、ソレイユは所謂不義の子で、公爵夫人が夫以外の男との間に儲けた娘だと噂されている。
夫人はそれを否定した。自分は夫以外に身を許すことなどあり得ないと、最後の最後まで否定したと言う。
最後と言うのは、ソレイユを生んだ後の肥立ちが悪く、ソレイユの首が座らぬうちに、夫人はこの世を去ってしまった。産褥期に不義の疑いを掛けられたのだから、明らかにそれも影響したと考えられるのだが、周囲は身に覚えがあるからだろうと疑いを解くことは無かったらしい。
貞淑な公爵夫人が、何故不貞を疑われたのか。
それはソレイユの姿にあった。
ソレイユは、生まれ落ちた時から既に豊かな髪が生えていた。白金の透けるような美しい艶髪に、瞼を開けばそこには青く澄んだ瞳が見えた。
公爵家には無い髪と瞳。先祖返りもあるだろう、母方に似たのだろう。
理由を幾つ並べたとしても、こればかりは覆らない。ソレイユが持って生まれた色は王家の色で、明らかにソレイユに王家の血が流れていることを証明していた。
ならば、一体誰の子か。
それも誰もが直ぐ様思いついた。現国王陛下の弟のクローノス王弟殿下と思われた。
彼はソレイユの母とは学園時代の同窓で、夫人が公爵家へ嫁いでからも親しく会話を交わす間柄にあった。そうして彼も当然ながら、艶やかな白金の髪とロイヤルブルーの瞳をしており、麗しい美丈夫で知られていた。
ソレイユには生まれながらに右目の下に泣き黒子がある。神様はどこまで悪戯好きなのか、王弟殿下にもまた同じ場所に泣き黒子があったから、唯の偶然であるかも知れないのに、ここまで似てしまっては、もう誰も、夫人を愛していた公爵でさえも、二人の不貞を認めるほかは無かったのだと言われている。
哀しいことに、夫人は事切れるその瞬間まで「信じて頂戴」と息も絶え絶えに訴えたのだとは、ソレイユの身を案じてくれる侍女の一人が教えてくれたことである。
公爵家にはソレイユより五つ上の兄と三つ上の姉がいる。
兄は後々公爵家を継ぐ身であり、そうして王国の王太子殿下カイルスの側近として仕えている、らしい。
姉はソレイユがここへ来ると、まるで入れ違うように、宮廷貴族である侯爵家の嫡男へ嫁いでいる、らしい。
らしい、らしいと続くのは、ソレイユが彼等と会ったのは一度きりで、姉はその後直ぐに嫁いでしまってそれきりになっており、兄は確かにいるのだが、住まいが物理的に離れている為に顔を会わせることはない。
ソレイユは、姉の婚姻式には参列していない。
喩え参列を許されたとして、身の置きどころのない思いをするだけで、かえって呼ばれなくて良かったと思う。
不義の子ソレイユは、母の弔いが済むと直ぐに王都の公爵邸から離され領地へ移された。公爵家の領地は広大で、その大半は王都近辺にあるのだが、ソレイユが移されたのは最も遠くの領地で、飛び地のように半端に残った領地に別荘があるだけの土地だった。
国境沿いであったから、密入国者やら賊やらが侵入するのは珍しくなく、西の辺境伯が護る土地に隣接しているのを幸運と思うような場所であった。
ソレイユはそこで十六歳までを過ごした。
父公爵が何を思うのかは残念ながら知らずに育った。ただ、冷遇されたことはないと思う。思うというのは比較する対象を知らないからで、それでも使用人達はソレイユを大切にしてくれたし、教師もガヴァネスも付けられて教育を受けていた。
今から思えば監視の意味もあったのかも知れない。月に一度ほど、西の辺境伯がソレイユを尋ねて来た。父を知らないソレイユは、何も解らず彼を慕った。辺境伯はソレイユに優しかった。彼が父であったならどれほど幸せだろうと思ったのである。
とっくに春になっているのに、石造りの部屋はとても冷えて、ソレイユは薄い毛布を胸元で掻き抱いた。
侍女はいるにはいるが、ようやく空は白みはじめたところで、侍女はおろかメイドもまだ起きてはいないだろう。
辺りは物音ひとつなく静寂に包まれている。
「嫌な夢だったわ」
呟きは冷えた石の壁に吸い込まれて、初めから誰も何も話してはいなかったように、再び静寂が訪れた。
ソレイユは、この国の南西側に位置するアルマール公爵領からやって来た。領地はほんの僅か隣国と国境線が接する王国の端っこで、ソレイユはそこでひっそりと生きて来た。ここへは呼ばれてやって来たのだが、悪い夢を見るくらいには落ち着かない暮らしをしている。
窓の外が桃色に染まりはじめて、早起きな小鳥の囀りが聞こえて来る。毛布を頭から被って胸の前で合わせて、ソレイユは寝台からそろりと足を床に下ろした。
石の床は冷え切っていて、爪先は氷に触れたように痛みを感じた。それを気合でペタリと下ろして、両足で立ち上がると冷たさのあまり目が覚めた。
窓辺に歩み寄り空を見る。
どこにいても朝の空は美しい。朝焼けに染まる空とは対照的に、取り囲む木々は黒々とした姿を浮かび上がらせて、決してここから出られはしないと、そう脅しを掛けているように見えた。
心配なんていらないのに。ソレイユには、ここから出ても帰る場所など無いのだから。
ソレイユは、アルマール公爵家の次女である。
ソレイユ・ウォレス・アルマールが彼女の名である。
正式に公爵家の次女として貴族名鑑にも記載されているが、ソレイユは所謂不義の子で、公爵夫人が夫以外の男との間に儲けた娘だと噂されている。
夫人はそれを否定した。自分は夫以外に身を許すことなどあり得ないと、最後の最後まで否定したと言う。
最後と言うのは、ソレイユを生んだ後の肥立ちが悪く、ソレイユの首が座らぬうちに、夫人はこの世を去ってしまった。産褥期に不義の疑いを掛けられたのだから、明らかにそれも影響したと考えられるのだが、周囲は身に覚えがあるからだろうと疑いを解くことは無かったらしい。
貞淑な公爵夫人が、何故不貞を疑われたのか。
それはソレイユの姿にあった。
ソレイユは、生まれ落ちた時から既に豊かな髪が生えていた。白金の透けるような美しい艶髪に、瞼を開けばそこには青く澄んだ瞳が見えた。
公爵家には無い髪と瞳。先祖返りもあるだろう、母方に似たのだろう。
理由を幾つ並べたとしても、こればかりは覆らない。ソレイユが持って生まれた色は王家の色で、明らかにソレイユに王家の血が流れていることを証明していた。
ならば、一体誰の子か。
それも誰もが直ぐ様思いついた。現国王陛下の弟のクローノス王弟殿下と思われた。
彼はソレイユの母とは学園時代の同窓で、夫人が公爵家へ嫁いでからも親しく会話を交わす間柄にあった。そうして彼も当然ながら、艶やかな白金の髪とロイヤルブルーの瞳をしており、麗しい美丈夫で知られていた。
ソレイユには生まれながらに右目の下に泣き黒子がある。神様はどこまで悪戯好きなのか、王弟殿下にもまた同じ場所に泣き黒子があったから、唯の偶然であるかも知れないのに、ここまで似てしまっては、もう誰も、夫人を愛していた公爵でさえも、二人の不貞を認めるほかは無かったのだと言われている。
哀しいことに、夫人は事切れるその瞬間まで「信じて頂戴」と息も絶え絶えに訴えたのだとは、ソレイユの身を案じてくれる侍女の一人が教えてくれたことである。
公爵家にはソレイユより五つ上の兄と三つ上の姉がいる。
兄は後々公爵家を継ぐ身であり、そうして王国の王太子殿下カイルスの側近として仕えている、らしい。
姉はソレイユがここへ来ると、まるで入れ違うように、宮廷貴族である侯爵家の嫡男へ嫁いでいる、らしい。
らしい、らしいと続くのは、ソレイユが彼等と会ったのは一度きりで、姉はその後直ぐに嫁いでしまってそれきりになっており、兄は確かにいるのだが、住まいが物理的に離れている為に顔を会わせることはない。
ソレイユは、姉の婚姻式には参列していない。
喩え参列を許されたとして、身の置きどころのない思いをするだけで、かえって呼ばれなくて良かったと思う。
不義の子ソレイユは、母の弔いが済むと直ぐに王都の公爵邸から離され領地へ移された。公爵家の領地は広大で、その大半は王都近辺にあるのだが、ソレイユが移されたのは最も遠くの領地で、飛び地のように半端に残った領地に別荘があるだけの土地だった。
国境沿いであったから、密入国者やら賊やらが侵入するのは珍しくなく、西の辺境伯が護る土地に隣接しているのを幸運と思うような場所であった。
ソレイユはそこで十六歳までを過ごした。
父公爵が何を思うのかは残念ながら知らずに育った。ただ、冷遇されたことはないと思う。思うというのは比較する対象を知らないからで、それでも使用人達はソレイユを大切にしてくれたし、教師もガヴァネスも付けられて教育を受けていた。
今から思えば監視の意味もあったのかも知れない。月に一度ほど、西の辺境伯がソレイユを尋ねて来た。父を知らないソレイユは、何も解らず彼を慕った。辺境伯はソレイユに優しかった。彼が父であったならどれほど幸せだろうと思ったのである。
3,134
お気に入りに追加
3,640
あなたにおすすめの小説

忘却令嬢〜そう言われましても記憶にございません〜【完】
雪乃
恋愛
ほんの一瞬、躊躇ってしまった手。
誰よりも愛していた彼女なのに傷付けてしまった。
ずっと傷付けていると理解っていたのに、振り払ってしまった。
彼女は深い碧色に絶望を映しながら微笑んだ。
※読んでくださりありがとうございます。
ゆるふわ設定です。タグをころころ変えてます。何でも許せる方向け。

【完結】妹に全部奪われたので、公爵令息は私がもらってもいいですよね。
曽根原ツタ
恋愛
ルサレテには完璧な妹ペトロニラがいた。彼女は勉強ができて刺繍も上手。美しくて、優しい、皆からの人気者だった。
ある日、ルサレテが公爵令息と話しただけで彼女の嫉妬を買い、階段から突き落とされる。咄嗟にペトロニラの腕を掴んだため、ふたり一緒に転落した。
その後ペトロニラは、階段から突き落とそうとしたのはルサレテだと嘘をつき、婚約者と家族を奪い、意地悪な姉に仕立てた。
ルサレテは、妹に全てを奪われたが、妹が慕う公爵令息を味方にすることを決意して……?

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!
夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。
しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。
ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。
愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。
いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。
一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ!
世界観はゆるいです!
カクヨム様にも投稿しております。
※10万文字を超えたので長編に変更しました。

【完結】断罪された悪役令嬢は、全てを捨てる事にした
miniko
恋愛
悪役令嬢に生まれ変わったのだと気付いた時、私は既に王太子の婚約者になった後だった。
婚約回避は手遅れだったが、思いの外、彼と円満な関係を築く。
(ゲーム通りになるとは限らないのかも)
・・・とか思ってたら、学園入学後に状況は激変。
周囲に疎まれる様になり、まんまと卒業パーティーで断罪&婚約破棄のテンプレ展開。
馬鹿馬鹿しい。こんな国、こっちから捨ててやろう。
冤罪を晴らして、意気揚々と単身で出国しようとするのだが、ある人物に捕まって・・・。
強制力と言う名の運命に翻弄される私は、幸せになれるのか!?
※感想欄はネタバレあり/なし の振り分けをしていません。本編より先にお読みになる場合はご注意ください。
全てを捨てて、わたしらしく生きていきます。
彩華(あやはな)
恋愛
3年前にリゼッタお姉様が風邪で死んだ後、お姉様の婚約者であるバルト様と結婚したわたし、サリーナ。バルト様はお姉様の事を愛していたため、わたしに愛情を向けることはなかった。じっと耐えた3年間。でも、人との出会いはわたしを変えていく。自由になるために全てを捨てる覚悟を決め、わたしはわたしらしく生きる事を決意する。
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる