ソレイユの夜明け

桃井すもも

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あまりに夢見の余韻が酷くて、ソレイユは半身だけ起き上がってからも少しの間ぼおっとしたまま動けなかった。

とっくに春になっているのに、石造りの部屋はとても冷えて、ソレイユは薄い毛布を胸元で掻き抱いた。

侍女はいるにはいるが、ようやく空は白みはじめたところで、侍女はおろかメイドもまだ起きてはいないだろう。

辺りは物音ひとつなく静寂に包まれている。

「嫌な夢だったわ」

呟きは冷えた石の壁に吸い込まれて、初めから誰も何も話してはいなかったように、再び静寂が訪れた。


ソレイユは、この国の南西側に位置するアルマール公爵領からやって来た。領地はほんの僅か隣国と国境線が接する王国の端っこで、ソレイユはそこでひっそりと生きて来た。ここへは呼ばれてやって来たのだが、悪い夢を見るくらいには落ち着かない暮らしをしている。


窓の外が桃色に染まりはじめて、早起きな小鳥の囀りが聞こえて来る。毛布を頭から被って胸の前で合わせて、ソレイユは寝台からそろりと足を床に下ろした。
石の床は冷え切っていて、爪先は氷に触れたように痛みを感じた。それを気合でペタリと下ろして、両足で立ち上がると冷たさのあまり目が覚めた。

窓辺に歩み寄り空を見る。
どこにいても朝の空は美しい。朝焼けに染まる空とは対照的に、取り囲む木々は黒々とした姿を浮かび上がらせて、決してここから出られはしないと、そう脅しを掛けているように見えた。
心配なんていらないのに。ソレイユには、ここから出ても帰る場所など無いのだから。


ソレイユは、アルマール公爵家の次女である。
ソレイユ・ウォレス・アルマールが彼女の名である。

正式に公爵家の次女として貴族名鑑にも記載されているが、ソレイユは所謂いわゆる不義の子で、公爵夫人が夫以外の男との間に儲けた娘だと噂されている。

夫人はそれを否定した。自分は夫以外に身を許すことなどあり得ないと、最後の最後まで否定したと言う。
最後と言うのは、ソレイユを生んだ後の肥立ちが悪く、ソレイユの首が座らぬうちに、夫人はこの世を去ってしまった。産褥期に不義の疑いを掛けられたのだから、明らかにそれも影響したと考えられるのだが、周囲は身に覚えがあるからだろうと疑いを解くことは無かったらしい。


貞淑な公爵夫人が、何故不貞を疑われたのか。
それはソレイユの姿にあった。
ソレイユは、生まれ落ちた時から既に豊かな髪が生えていた。白金の透けるような美しい艶髪に、瞼を開けばそこには青く澄んだ瞳が見えた。

公爵家には無い髪と瞳。先祖返りもあるだろう、母方に似たのだろう。
理由を幾つ並べたとしても、こればかりは覆らない。ソレイユが持って生まれた色は王家の色で、明らかにソレイユに王家の血が流れていることを証明していた。

ならば、一体誰の子か。
それも誰もが直ぐ様思いついた。現国王陛下の弟のクローノス王弟殿下と思われた。
彼はソレイユの母とは学園時代の同窓で、夫人が公爵家へ嫁いでからも親しく会話を交わす間柄にあった。そうして彼も当然ながら、艶やかな白金の髪とロイヤルブルーの瞳をしており、麗しい美丈夫で知られていた。

ソレイユには生まれながらに右目の下に泣き黒子がある。神様はどこまで悪戯好きなのか、王弟殿下にもまた同じ場所に泣き黒子があったから、唯の偶然であるかも知れないのに、ここまで似てしまっては、もう誰も、夫人を愛していた公爵でさえも、二人の不貞を認めるほかは無かったのだと言われている。

哀しいことに、夫人は事切れるその瞬間まで「信じて頂戴」と息も絶え絶えに訴えたのだとは、ソレイユの身を案じてくれる侍女の一人が教えてくれたことである。

公爵家にはソレイユより五つ上の兄と三つ上の姉がいる。
兄は後々公爵家を継ぐ身であり、そうして王国の王太子殿下カイルスの側近として仕えている、らしい。
姉はソレイユがここへ来ると、まるで入れ違うように、宮廷貴族である侯爵家の嫡男へ嫁いでいる、らしい。

らしい、らしいと続くのは、ソレイユが彼等と会ったのは一度きりで、姉はその後直ぐに嫁いでしまってそれきりになっており、兄は確かにいるのだが、住まいが物理的に離れている為に顔を会わせることはない。

ソレイユは、姉の婚姻式には参列していない。

喩え参列を許されたとして、身の置きどころのない思いをするだけで、かえって呼ばれなくて良かったと思う。

不義の子ソレイユは、母の弔いが済むと直ぐに王都の公爵邸から離され領地へ移された。公爵家の領地は広大で、その大半は王都近辺にあるのだが、ソレイユが移されたのは最も遠くの領地で、飛び地のように半端に残った領地に別荘があるだけの土地だった。

国境沿いであったから、密入国者やら賊やらが侵入するのは珍しくなく、西の辺境伯が護る土地に隣接しているのを幸運と思うような場所であった。

ソレイユはそこで十六歳までを過ごした。
父公爵が何を思うのかは残念ながら知らずに育った。ただ、冷遇されたことはないと思う。思うというのは比較する対象を知らないからで、それでも使用人達はソレイユを大切にしてくれたし、教師もガヴァネスも付けられて教育を受けていた。

今から思えば監視の意味もあったのかも知れない。月に一度ほど、西の辺境伯がソレイユを尋ねて来た。父を知らないソレイユは、何も解らず彼を慕った。辺境伯はソレイユに優しかった。彼が父であったならどれほど幸せだろうと思ったのである。


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